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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

マタイの福音書 11:2-6 (つまずかないためには)

投稿者
tbic
投稿日
2026-02-07 14:06
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122
マタイの福音書11:2-6『2.さて、牢獄でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、自分の弟子たちを通じて3.イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」4.イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えなさい。5.目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。6.だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」ヨハネは牢獄の中から弟子たちをイエス様のもとに遣わして尋ねさせました。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」』

この質問は、イエス様が本当にキリストなのかどうかを問うものでした。この問いに対してイエス様は、ご自分が行っている奇跡を、見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えるように言われました。「目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。」と伝えなさいと。これは、イエス様こそがおいでになるはずの方であることを示しています。

それでは、なぜヨハネはこのような質問をしたのでしょうか。ヨハネはイエス様に洗礼を授けたとき、イエス様をキリストだと告白していました。それなのに、なぜ今になって「おいでになるはずのメシアなのか」と問いかけたのでしょうか。

その理由は、イエス様の姿がヨハネの期待とはあまりにも違っていたからです。ヨハネは、イエス様が自分を救い出し、この地の支配者となって、公正と正義をもって治めてくださることを期待していました。しかし、イエス様はその期待に応えてはくださらなかったのです。そのため、疑いの心が生じ、本当にイエス様がキリストなのかを問いただしたのです。

イエス様はそのようなヨハネを見て、「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」と言われました。この御言葉は、ヨハネがつまずいたことを意味しています。牢獄に閉じ込められていたヨハネは、今イエス様によってつまずいていたのです。ヨハネがつまずいたという事実は信じがたいかもしれないのですが、彼は確かにつまずいていました。長い間牢獄に閉じ込められているうちに、ヨハネの心も弱くなっていました。ヨハネもまた、私たちと同じ人間にすぎなかったのです。

エリヤも同じでした。850人の偽預言者と対決したエリヤです。祈りによって三年半も雨を降らせず、再び祈って雨を降らせたエリヤです。祈りによって天から火を降らせたエリヤです。しかし、そのエリヤでさえ、イゼベル王妃の脅しの前に弱くなり、神様に死を願ったのです。エリヤでさえ、つまずいたわけです。結局、エリヤもまた私たちと同じ人間にすぎなかったのです。

このようなヨハネやエリヤの姿を見て、私たちもつまずくことがあると知る必要があります。ヨハネやエリヤでさえつまずいたのなら、私たちは言うまでもありません。私たちもこれまでにつまずいたことがあり、今つまずいている人もいるし、これからもまたつまずくことがあると思います。しかし、そのとき落胆してはなりません。今日の本文の御言葉を思い起こし、つまずいた足をもう一度立て直さなければなりません。

時には、牧師である私自身もつまずくことがあります。一般の信徒であれば、そのまま通り過ぎられるようなことでも、私は牧師であるがゆえに、より強い罪責感や自己嫌悪に襲われます。悪い考えが私を苦しめます。それでも、そのたびに再び立ち上がろうと努力します。ヨハネやエリヤのことを思い出し、自分を励まします。そして、自分自身を赦し、寛大に接しようとします。イエス様が私を赦し、愛をもって抱きしめてくださったからです。

私たちは、自分自身の不足や弱さ、そしてつまずきに対して、寛容であるべきです。私たちが弱いのは、極めて自然なことです。もし私たちが完全であったなら、イエス様がこの地に来られる必要はなかったのです。私たちが不完全な存在であるからこそ、イエス様は私たちの代わりに十字架で死なれました。だから、自分の足りなさを責めて落胆してはなりません。むしろ十字架により頼んで、再び立ち上がるべきです。

またヨハネのように、自分の思い通りに物事が進まないとき、祈りがすぐに答えられないとき、神様が自分にあまり関心を持っておられないように感じるとき、つまずいたり落胆したりしてはなりません。私たちはヨハネのように、思い通りにならない現実や、牢獄のような状況からなかなか抜け出せないとき、神の愛を疑い、神様を恨んでしまうことがあります。しかしそのような時でも、主は良いお方であることを疑ってはなりません。今は理解できなくても、神様を信頼しなければなりません。

たとえそうならなくても、私たちに対する神のご計画は、災いではなく平安であることを信じなければなりません。忍耐して、黙々と信仰の場所に立ち続けるべきです。そうすると、時がもう少し流れた後に、すべてが分かるようになります。その状況の中にも、神様の驚くべき計画と摂理があったことを知るようになります。

エレミヤ書29:11、「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

【祈り】
愛する神様、つまずくことがあっても、再び立ち上がらせてください。
どのような状況にあっても、神への信頼を失わないようにしてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
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