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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ヘブル人への手紙11:13-16 (天国はこの世と似ている)

投稿者
tbic
投稿日
2022-01-16 23:14
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410
ヘブル11:13-16、「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。」

多くの聖書学者たちは天国がこの世と似ていると予測しています。どういう話でしょうか?天国にも天があり、地があります。新しい天と新しい地が黙示録に紹介されているからです。天国には川もあり、木もあり、実を結ぶ木と果物もあります。また体の復活もあって、天国でもちゃんと体を身にまとった生活をするわけです。もちろん天国では体が霊を包むんじゃなくて、霊が体を包むでしょう。地上では体が霊を抑制するのですが、天国では霊が主体となります。とにかく天国は、この世と似ている生活をするわけです。もちろん永遠に続く生活ですが、この世と似ています。

違うところは、すべてが新しいものだということです。新しい天と新しい地、万物(全宇宙)が新しくなって、私たちの体も同じです。すべてが新しくなります。 黙示録21:5、「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」私たちが今見て、聞いて、感じるすべてのものを、神様が新しくして、ここで「新しくする」ということは、そのすべてが全部消え去ることではありません。つまり、万物はそのまま存在して、もっと良く、もっと完全な世になるということです。

それはエデンの園よりも、もっと完璧な姿で万物を新しくすることを意味します。そういう意味で、天国はこの世と似ています。一言でいうと、もっと良い環境(完璧な所)の中で私たちは生きるということです。私たちは復活なさったイエス様の体を知っています。霊体の姿で、霊が包んだ体として現れました。それは確かに幽霊ではありませんでした。骨があり、肉があって、以前のように、弟子たちと会って、交わりをし、いろんなことを教え、食事もなさいました。しかし、時間と空間の制限を受けられなかったのです。その体を、私たちも天国で身にまとうと思います。

皆さん、ちゃんと覚えてください。天国はこの世と大きく変わりありません。私たちが見て、触ったり、聞いたり、楽しんで生きられる実際的な場所であり、現実的なところです。 約100年前の改革派の神学者、A. A.ハッチ先生は、こう話しました。「天国は私たちと同じ体を持ったキリストと共に生きる永遠の故郷である。だから、その天国の構造と環境と活動は必ず人間的な性格を表すしかない」と、、天国は人が生きるこの世と、大きく変わりはないという意味です。

今、世の中で果物を食べれば美味しいんですよね。天国でも果物を食べます。世の中で冷たい水を飲めば、スッキリします。天国でも、いのちの水を飲みます。今、こういう風に、私たちは世の中(教会)で賛美をしながら、礼拝をささげます。同じく、天国でも賛美をしながら、礼拝をささげます。また、世の中で美しい音楽を聴くように、天国でも音楽と演奏があります。

もちろん、新しい歌であり、すべてが新しいものです。地上のすべてのものより、もっと良いものです。このように、説明しても天国を慕い求めなければ、その人は信者(クリスチャン)ではないかもしれません。そして、天国では結婚はないのですが、男女の性別の区分はあります。

マタイ22:30に、イエス様はおっしゃいました。「復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。」このみことばは、天国では結婚がないという意味です。なぜかというと、子供を産む必要がないからです。しかし男性と女性の性別はなくなるわけではありません。世の中で男性は天国でも男性であり、世の中で女性は天国でも女性です。

そして、天国の人口は固定されていて、神様が選んだ人々の固定された人口が天国を満たすことになります。だから天国では、男性は女性という伴侶が必要ではないし、女性も男性という伴侶、保護者が必要ではありません。なぜかというと、男性も女性もみんな完全な存在となるからです。

それでは、具体的に天国はどんなところでしょうか?

聖書の中で、神様が天国を詳しく説明して下さらない理由は何でしょうか?もし、神様が天国を私たちの頭と目に明るく見せて下さるのであれば、どれほど良いのでしょうか!そうすれば誰でも疑わず、天国を信じて、みんなクリスチャンになるはずなのに、そうしない理由は、とても簡単です。私たちが天国の事を、全部聞いても、またそれをちゃんと見ても、理解出来ないからです。

スポルジョン先生はこう言いました。「文字を習う子供が、最初はアルファベットを習うように、神様は私たちに天国について基本的なことだけを教えて下さいます。」だから、私たちはまだ天国に対する真の姿は、よく分かりません。私たちの有限の目では、天国の栄光をちゃんと見ることができません。また、私たちの有限の耳では、天国の美しい音楽をちゃんと聴くことができません。そして、人間の狭い心では、天国の大きな喜びを、到底受け入れることができません。

神様はこれをよくご存知だから、私たちにあまり詳しく天国を説明してくださいません。しかし信仰によって、信仰の先輩たちのように、私たちには天国を慕い求めるほどの知識と情報が、十分与えられています。それを今、皆さんと分かち合いたいと思います。

1.天国は呪いがない所です。

アダムとエバが罪を犯し、私たちも罪を犯して、この世の全体が呪われました。だから、この世には悪いこと、悲しいこと、苦しいこと、悲惨なことだらけです。どれほど、この世が悪で満ちているか、皆さんもご存知だと思います。本当に悲しいです。これは呪いの結果です。

イエス様を信じるクリスチャンは、永遠の呪いからは自由ですが、肉体は今もなお、呪いの下で苦しんでいることが現実です。しかし天国に行けば、この呪いが完全に私たちから離れ去ります。黙示録22:3、「もはや、のろわれるものは何もない。」呪いが消え去った結果は、こうです。黙示録21:3-4、『そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」』全ての呪いが消え去ります。

2.天国は涙と叫び声がない所です。

この世に生きる間、私たちは悔しくて涙を流すときが時々あります。人々には見せなくても、心の中で涙を流したことは、誰でも経験したことです。そして、年老いて病気になり、横になったら泣き悲しんで、死を待つわけであります。しかし天国で神様はこの涙をぬぐい取って下さいます。私たちが幼いごろ、外で転んで泣いている時、お母さんが駆けつけて私たちの涙をぬぐい取って下さいました。天国に行けば、神様がそういう風に、私たちの地上での苦しみや苦労を慰めて、特に福音を伝えながら流したすべての涙と苦労の痕跡を包んでくださり、ほめて下さると思います。

詩篇30:5、「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」主の約束です。

3.天国は戦争がない所です。

この世には、「ジャングルの法則」が存在して、お互いに食うか食われかの戦いが続きますが、天国ではそんな戦いの生存競争はありません。すべての人間の暴力が消え去る所が天国です。イザヤ書11:6、「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。」イザヤ書11:9、「わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。

4.天国はすべての不満が完全な満足に満たされる所です。

私たちはこの世に生きるとき、不満が多いです。100% 満足する人は誰もいません。特に多くの人々がこの世の中で一番願い求める満足は、異性の間の愛と結婚です。もちろん、満足できる結婚生活はとても大切であり、人間の根本的な欲求です。しかし私たちが一番完璧で、幸せになることを願う、その結婚生活が間違ったら、私たちにとって一番不満足で、失望を与えるものがその結婚生活となります。それはとても壊れやすい不完全なものです。

また、夫婦がお互いに熱く愛し合ったとしても、年を取って行くと、若い時の熱い愛と愛情は益々変わっていって、普通の友達のようになります。しかし天国では子供を産まないから結婚はしません。先ほど読んだ、マタイ22:30に「復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。」そうしたら、退屈だ、暇だと、心配しなくてもいいです。結婚の関係から来る喜びと幸せより、もっと完璧で完全な関係と交わりの幸せが、私たちを待っているからです。

それは「主との親密な交わり」であり、その交わりの喜びがどれほど大きいのか、新郎と新婦の結婚の関係として説明しています。また信者の間も完全な愛の交わりだそうです。これは、地上の結婚の関係から来る満足と幸せとは比べられないほどの「完璧な関係との交わり」の喜びであり、「完全な親密さ」の満足感を与えることだと思います。世の中では二人だけが親密な暖かい交わりを楽しみましたが、天国ではすべての人がお互いに暖かく親密な、完全な交わりを楽しむようになります。それが具体的に何か、まだ分かりませんが、この世の幸せより、もっと幸せになることは確かです。

だから、もしいろいろな事情によって、世の中では結婚の満足と幸せを経験してない方々は天国をもっと慕い求めて下さい。私はC S ・ルイスの言葉に共感しています。「世の中で最高の感動的な美しさを体験しても、それは天国を少し味わったことにすぎません。

皆さん、今まで結婚のことを例えたのですが、それ以外にも、この世には不満足がたくさんあります。しかし、そんな不満足が、もしかしたら私たちに天国を慕い求める信仰へと導く助け手となったかもしれません。だから、その不満足を通して、むしろ天国をもっと慕い求める人になったのであれば、その人は悔いのない知恵ある人生を生きると、はっきり言えます。

5.天国は昼も夜も、いつも神様を賛美し、礼拝する所です。

「はー、1時間の礼拝も大変なのに、昼も夜も主を賛美し、礼拝するのであれば、それは本当に大変だ!」と、もしこういう風に、考える人がいるのであれば、それは誤解です。天国では神様が一番大きな喜びの存在となられます。だから、その方に続けて会いたいし、喜び溢れる礼拝をやり続けたい気持ちでいっぱいになるはずです。天国は神様がいらっしゃらなければ、全てがその存在の意味を失ってしまう所です。神様から出て来る愛、清さ、善、知恵の光が全宇宙の万物を包んでいる所が天国です。だから、礼拝よりもっと天国を天国にする方法はありません。

黙示録7:9-10には、天国の礼拝の場面を、こういう風に説明しています。『その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」』こういう賛美の幸せを、教父アウグスティヌスは、こう言いました。「絶えず見つめ続け、飽きることのない愛ができ、疲れのない賛美ができる神様は、私たちが願い求める目的となります。

これは会っても会っても、また会いたいし、愛しても愛しても、また愛したいし、賛美を歌っても歌っても、また歌いたいという意味です。これより、もっと大きな幸せがどこにあるでしょうか!こういう風に、天国の本質を少しだけでも分かったら、地上での私たちの生き方は、きっと変わるはずです。愛する皆さん、ぜひ天国を慕い求める人生を生きて行ってください。私たちの信仰の先輩たちも、みんな天国を慕い求める人々でした。

もちろん、人間の本能は死にたくありません。男性長寿の世界一となった田鍋友時(たなべともじ)さんは、113歳まで生きられました(女性は大川ミサオさん、117歳)。男女みんな日本人です。田鍋さんは生前、新聞記者たちが彼に訪ねて行って、聞いたのですが、「どの位、長生きしたいんですか?」と聞いたら、彼の答えはたった一言でした。「生き続けたい」。つまり死なずに、ずっと生きたいんだということでした。これが人間の本能です。

しかし、正常な信仰を持っているクリスチャンは、そう考えてはなりません。毎日毎日、天国を慕い求めながら、生きる人が真のクリスチャンです。理由が何であれ、もし天国を慕い求める心がなければ、その信仰はまだ足りない状態です。しかし残念ながら、多くの信者が、まだまだそんな状態にとどまっているのです。

私たちの信仰の先輩たちは、みんな天国を慕い求めました。彼らは、この地上では寄留者と旅人として生きて行ったのです。義人として正しい礼拝をささげたアベル、神様と共に歩み、死を見ることなく昇天したエノク、この世が全部堕落しても、一人で箱舟を準備したノア、神様が建てられる聖なる都を望みながら、一生を送ったアブラハムとサラ、、。彼らは信仰によって生きながら、信仰によって死にました。彼らが持った信仰というのは、神様が与えようとされた故郷(天国)を見上げ、それを慕い求めながら生きることでした。

今日の本文、へブル11:13、「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

この地上では旅人と寄留者として生きたというのは、あたかも自分がこの世の主人のように、つまり永遠に生きるかのように、この世に酔っていなかった(この世と妥協しなかった)ということです。彼らは、まるで旅人のように、いつも生まれ故郷(天の御国)を見上げ、それを待ちながら、この地上で過ごしました。

へブル11章は、そういう偉大な信仰の先輩たちを紹介しながら、「皆さんも、ぜひ、そのように天国を慕い求めながら、生きるべきだ」ということを、教えています。 今日の本文、へブル11:13の「はるかにそれを」とは、英語で「they only saw them and welcomed them from a distance」ですが、これは愛する家族が、父とか母、息子、娘が船(旅客船)に乗って、今は飛行機ですが、今生まれ故郷に帰って来る様子を描いています。

船の到着の時間が近づいたら、陸地にいる家族はみんな港に集まって来るわけです。そして、もう港が見え始めたら、船の中にいる乗客たちもみんなデッキ(甲板)に出て来て、遠くに見えている港に自分の家族が出て来たのか、きょろきょろ見回すわけです。そして、お互いを見つけたら、「僕、ここだよ!」と叫びながら、手を振るんですよね。これが「はるかにそれを見て喜び迎え」の、原語の意味です。

愛する皆さん、ぜひ「天国」を、そのぐらい熱く慕い求めながら生きることが、信仰の先輩たちの生き方であり、私たちもそういう風に生きるべきだということを覚えながら、この一年、いや、この一生を過ごしたいと思います。
合計 148
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