メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
イザヤ書58:9-12 (あなたは潤された園のように)
投稿者
tbic
投稿日
2022-02-13 22:12
閲覧数
696
イザヤ書 58:9-12、「もし、あなたの間から、くびきを除き去り、虐げの指をさすことや、邪悪なことばを取り去り、飢えた者に心を配り、苦しむ者の願いを満たすなら、あなたの光は闇の中に輝き上り、あなたの暗闇は真昼のようになる。主は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも食欲を満たし、骨を強くする。あなたは、潤された園のように、水の涸れない水源のようになる。あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは代々にわたる礎を築き直し、『破れを繕う者、通りを住めるように回復する者』と呼ばれる。」
おはようございます。 TBIC教会の皆さん、 ZOOMですが、お会いできて嬉しいです。私は今回の冬の宣教に新しく TBIC教会のチームに加わったゲ・ミンジョン伝道師です。
日本は何回か往来はしたのですが、今も日本には姉と甥子がいるので見慣れない所ではありません。千葉は東京から近い所にあると聞きました。そして都会だと聞きました。
もう季節的に冬は過ぎ去り、春がやって来る時期です。春が来たら枯れていた木の枝に青々とした葉っぱが出始め、凍った土からも新芽が出始めると思います。
まず、御言葉を分かち合う前に写真二枚を見てください。
最初の写真は土地が涸れ、割れている写真です。水がなく、どの植物も育ちにくい地に見えます。二枚目の写真は水が豊かで、すべてがみずみずしく見えます。生命力溢れる美しい風景だと感じられます。
今、季節的にも寒い冬を過ごしていますが、時代的にもコロナ禍のパンデミックという全世界的な伝染病によって冬よりもっと寒く冷えていて経済と社会、及び宗教などの関係の面でも、すべてが止まって委縮される時を過ごしています。
しかし、写真で見た通り、涸れた土地のように私たちの心と魂も涸れることなく、二枚目の写真のように生き生きとして潤された園のような人生を回復してほしいという心で、今日の御言葉を共に分かち合いたいと思います。
まず、今日の本文の御言葉でkey wordは、「あなたは潤された園のようだ」ということです。そして、「水の涸れない水源のようになる」という御言葉です。
もう一度写真を思い出したら、どれほど美しかったでしょうか?私たちの人生だけでなく、魂がみずみずしくさわやかな木と自然で満たされれば、どれほどウキウキするでしょうか?
「潤された園」という言葉を聞いた時、思い浮かぶもう一つの聖書箇所は、詩篇 1:3です。「その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。」
やはり、流れのほとりに植えられた木、水源のある所にある木なので、季節ごとに実を結び枯れないという写真のように美しい姿です。
しかし、もっと力になり、力強く語りたい御言葉が、今日の本文の「焼けつく土地でも」という御言葉です。
最初の写真を見た通りに、水がなければすべてが涸れるのは当然のことです。しかし、すべてが涸れて行く環境の中でも涸れない泉のように豊かで満足できれば、どれほど素晴らしいでしょうか?これは、私たちみんなの願いです。そして特に、信仰を持った人々がこのように楽しみ、回復してほしいのです。
従って、今日の本文の11節の御言葉では「主は絶えずあなたを導いて」とおっしゃいます。主は絶えず(いつも)、変わらず、真実な方です。簡単に状況によって変わる、人のような方ではないのが主、神様です。
しかしその反面、創世記 6:5、「主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。」人はいつも悪いです。
そうしたら悪くて弱い私たちが、どうやって神の導きを受けるでしょうか? 創世記 6:8-9、「しかし、ノアは主の心にかなっていた。これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」
彼は神様と共に歩んだとおっしゃいます。私たちは神の恵みを受ける時、神と共に歩むことができます。私たちは、ただどこかに植えられた木にすぎません。しかし、私たちがノアのように恵みを受けて神様と共に歩むことが、焼けつく土地でも潤された園のように生きる姿になることです。
お金があり、家族がいて、健康も、共にする隣人と友達がいて、すべてが揃えた環境の中で満足できる、そんなものが何もなく、お金もないし、健康もない、ただひとりですが、こんな状況の中で私の魂に食欲を満たし、骨を強くして、水の涸れない水源のように潤された園のような人生は、どうやって可能なんでしょうか?
前でも、恵みを受けて神と共に歩んだノアを言いましたが、ヨハネの福音書4章に出るサマリヤの女について、ちょっとだけ分かち合いたいと思います。何の希望もなく、ただ死ねないから生きていた、みすぼらしく誰からも認められなかった女性、疎外され付き合うこともできない、後ろ指をさされるような惨めな人生の主人公であるサマリヤの女は、イエス様に出会って人生が変わりました。
彼女は5人の夫がいましたが、人生は惨めでした。そして、いつも涸れている土地のように生命力のない人生を生きていました。しかし、ある日イエス様が訪ねて来られて彼女に出会い、彼女にとってイエス様は永遠に渇くことのないいのちへの水となったことを知り、彼女はあっという間に涸れていた土地から潤された園のような人生へと変わったのです。
イエス様に出会ったことが彼女の人生を変えました。イエス様を知り、信じることが彼女の人生を大きく変化させたのです。
そのイエス様は果たして誰でしょうか?ヨハネの福音書 4:10でイエス様を紹介するのですが、『イエスは答えられた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」』
ヨハネの福音書 4:14、「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」とおっしゃいます。
イエス様は、神様が皆さんに送られたプレゼントです。イエス様は皆さんが渇くことを願っておられないし、永遠のいのちへの生ける水となるために来られた方です。皆さんがサマリヤの女のようにイエス様に出会ったら、共に歩む恵みを楽しみながら潤された園のように涸れない恵みを楽しむようになります。
おはようございます。 TBIC教会の皆さん、 ZOOMですが、お会いできて嬉しいです。私は今回の冬の宣教に新しく TBIC教会のチームに加わったゲ・ミンジョン伝道師です。
日本は何回か往来はしたのですが、今も日本には姉と甥子がいるので見慣れない所ではありません。千葉は東京から近い所にあると聞きました。そして都会だと聞きました。
もう季節的に冬は過ぎ去り、春がやって来る時期です。春が来たら枯れていた木の枝に青々とした葉っぱが出始め、凍った土からも新芽が出始めると思います。
まず、御言葉を分かち合う前に写真二枚を見てください。
最初の写真は土地が涸れ、割れている写真です。水がなく、どの植物も育ちにくい地に見えます。二枚目の写真は水が豊かで、すべてがみずみずしく見えます。生命力溢れる美しい風景だと感じられます。
今、季節的にも寒い冬を過ごしていますが、時代的にもコロナ禍のパンデミックという全世界的な伝染病によって冬よりもっと寒く冷えていて経済と社会、及び宗教などの関係の面でも、すべてが止まって委縮される時を過ごしています。
しかし、写真で見た通り、涸れた土地のように私たちの心と魂も涸れることなく、二枚目の写真のように生き生きとして潤された園のような人生を回復してほしいという心で、今日の御言葉を共に分かち合いたいと思います。
まず、今日の本文の御言葉でkey wordは、「あなたは潤された園のようだ」ということです。そして、「水の涸れない水源のようになる」という御言葉です。
もう一度写真を思い出したら、どれほど美しかったでしょうか?私たちの人生だけでなく、魂がみずみずしくさわやかな木と自然で満たされれば、どれほどウキウキするでしょうか?
「潤された園」という言葉を聞いた時、思い浮かぶもう一つの聖書箇所は、詩篇 1:3です。「その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。」
やはり、流れのほとりに植えられた木、水源のある所にある木なので、季節ごとに実を結び枯れないという写真のように美しい姿です。
しかし、もっと力になり、力強く語りたい御言葉が、今日の本文の「焼けつく土地でも」という御言葉です。
最初の写真を見た通りに、水がなければすべてが涸れるのは当然のことです。しかし、すべてが涸れて行く環境の中でも涸れない泉のように豊かで満足できれば、どれほど素晴らしいでしょうか?これは、私たちみんなの願いです。そして特に、信仰を持った人々がこのように楽しみ、回復してほしいのです。
従って、今日の本文の11節の御言葉では「主は絶えずあなたを導いて」とおっしゃいます。主は絶えず(いつも)、変わらず、真実な方です。簡単に状況によって変わる、人のような方ではないのが主、神様です。
しかしその反面、創世記 6:5、「主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。」人はいつも悪いです。
そうしたら悪くて弱い私たちが、どうやって神の導きを受けるでしょうか? 創世記 6:8-9、「しかし、ノアは主の心にかなっていた。これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」
彼は神様と共に歩んだとおっしゃいます。私たちは神の恵みを受ける時、神と共に歩むことができます。私たちは、ただどこかに植えられた木にすぎません。しかし、私たちがノアのように恵みを受けて神様と共に歩むことが、焼けつく土地でも潤された園のように生きる姿になることです。
お金があり、家族がいて、健康も、共にする隣人と友達がいて、すべてが揃えた環境の中で満足できる、そんなものが何もなく、お金もないし、健康もない、ただひとりですが、こんな状況の中で私の魂に食欲を満たし、骨を強くして、水の涸れない水源のように潤された園のような人生は、どうやって可能なんでしょうか?
前でも、恵みを受けて神と共に歩んだノアを言いましたが、ヨハネの福音書4章に出るサマリヤの女について、ちょっとだけ分かち合いたいと思います。何の希望もなく、ただ死ねないから生きていた、みすぼらしく誰からも認められなかった女性、疎外され付き合うこともできない、後ろ指をさされるような惨めな人生の主人公であるサマリヤの女は、イエス様に出会って人生が変わりました。
彼女は5人の夫がいましたが、人生は惨めでした。そして、いつも涸れている土地のように生命力のない人生を生きていました。しかし、ある日イエス様が訪ねて来られて彼女に出会い、彼女にとってイエス様は永遠に渇くことのないいのちへの水となったことを知り、彼女はあっという間に涸れていた土地から潤された園のような人生へと変わったのです。
イエス様に出会ったことが彼女の人生を変えました。イエス様を知り、信じることが彼女の人生を大きく変化させたのです。
そのイエス様は果たして誰でしょうか?ヨハネの福音書 4:10でイエス様を紹介するのですが、『イエスは答えられた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」』
ヨハネの福音書 4:14、「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」とおっしゃいます。
イエス様は、神様が皆さんに送られたプレゼントです。イエス様は皆さんが渇くことを願っておられないし、永遠のいのちへの生ける水となるために来られた方です。皆さんがサマリヤの女のようにイエス様に出会ったら、共に歩む恵みを楽しみながら潤された園のように涸れない恵みを楽しむようになります。
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