メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
詩篇 130:1-8(主を待ち望む)
投稿者
tbic
投稿日
2022-07-07 13:19
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詩篇 130:1-8「主よ 深い淵から私はあなたを呼び求めます。主よ 私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください。主よ あなたがもし 不義に目を留められるなら 主よ だれが御前に立てるでしょう。しかし あなたが赦してくださるゆえに あなたは人に恐れられます。私は主を待ち望みます。私のたましいは待ち望みます。主のみことばを私は待ちます。私のたましいは 夜回りが夜明けを まことに 夜回りが夜明けを待つのにまさって 主を待ちます。イスラエルよ 主を待て。主には恵みがあり豊かな贖いがある。主は すべての不義からイスラエルを贖い出される。」
インド宣教とこの小さき者どものことを、いつも皆様方のお祈りに覚えていただき心から感謝いたしております。
そして今日は、再び、東京ベイ国際教会にお招きいただき、この欠けばかりの私に礼拝説教の奉仕をさせていただける恵みを心から感謝いたしております。
誠に欠けばかりの未熟な者でございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
*インドの新型コロナ感染爆発と外国人入国規制(旅行者ビザ停止)
私たちはインドのビザの期限により、2020年3月、日本に一時帰国させていただきました。私たちのビザは一般の旅行者のビザです。
日本に4カ月間滞在させていただき、新たにビザを取得し、また妻が病院で医療を受けさせていただき、その年7月にインドに戻らせていただきたく願っていました。
ところが私たちが日本に帰国後まもなく、インドで新型コロナの感染爆発が起きてしまい、外国人入国規制とビザ申請停止が始まりました。
その後、旅行者以外の人々は、徐々にインド入国を許可されるようになりましたが、旅行者ビザの申請は停止状態が続き、私たちはビザ申請することが出来ずにおりました。
*インドでの新型コロナ感染爆発と教会員・関係者の方々の逝去
インドにおける新型コロナ感染爆発により、私たちが南インドの現地で所属する教会でも、感染者が大勢出ました。そして教会員とその親族・関係者の中で、多くの方々がこの地上での生涯を終え、天に召されました。
私がかつて空手を教え、伝道させていただいてきた生徒とその家族・親戚の中でも、感染者が大勢出ました。お亡くなりになった方々もおられます。
また私たちの住居と同じ敷地内のお隣りのご主人も、コロナ感染により昨年5月22日お亡くなりになりました。
私たちの関係者の中には、コロナ感染とは別の問題により、お亡くなりになった方々もおられます。
*サビタ姉の召天(2020年9月4日)
私たちが現地の教会を通して深く関わらせていただいたサビタ姉(34歳)が、2020年9月4日、天に召されました。
サビタ姉は夫ラージュー兄と結婚後1年位の時(2010年)、夫と共にバイクで走行中、自動車に衝突され重傷を負い(脊髄損傷)、下半身不随になり排尿排便の感覚も失ってしまい、ベッド上の生活を続けていました。
*エステル姉の召天(2021年7月6日)
またYMCAで私が出会い親しくさせていただけるようになったモーセ兄の奥様エステル姉(38歳)が、昨年7月6日、天に召されました。エステル姉は腎臓に病気を抱えていました。
ご主人のモーセ兄(40歳)との間に3人の子供さんがおります。
家族全員クリスチャンであり、スラムの中のとても小さな家の一部屋(インドには畳はありませんが畳の大きさならば3~4畳位の部屋)で生活しています。
エステル姉は入院し、賛美歌を歌い続け、お祈りし、ご主人と子供たちに様々なアドバイスを与え、自分はもうすぐイエス様と一緒になれることを語り、最後にご家族に「さようなら」と挨拶し、その30分後、天に召されたそうです。
*インドでコロナ感染と、その他の諸問題により、多くの人々が苦難の中に置かれている時に、私たちはインドに戻らせていただくことが出来ず、インドの方々に対しまして誠に申し訳なく思うばかりです。
そして日本でご支援くださる諸教会の皆様方に対しましても誠に申し訳なく思うばかりです。
私たちはインドの関係者、教会員との連絡を取り合い、インドで大きな苦しみと深い悲しみの中に置かれている方々への主の憐れみを求めて、深い淵から主を呼び求め、お祈りさせていただいてきました。
そして、この欠けばかりの者どもでございますが、主の憐れみにすがり、昨年12月、膀胱と子宮に関係する問題で手術を受けた妻の健康に快復を与えていただくと共に、インドへのビザを与えていただき、出来るだけ早くインドに戻らせていただくことができますよう祈り求め、主を待ち望ませていただいてきました。
*さて私たちがインドに戻らせていただけないことで、様々な問題が生じてきました。
*インドの我が家の家主さんとの難しい関係
私たちがインドで住まわせていただく家の家主さんとの間に難しい関係が生じてきました。
私たちは一昨年3月に日本に一時帰国させていただく時、4カ月後にはインドに戻らせていただきたく願っておりましたので、念のため6カ月分の家賃を、家主さんに前払いして日本に来させていただきました。
ところが新型コロナの感染爆発により、インドのビザ申請が停止されてしまい、私たちはインドに戻ることが出来なくなってしまい、その後の家賃を、お支払いすることが出来なくなってしまいました。
そのことで家主さんにしばしばご連絡して謝罪を続けておりました。
しかしインドのビザ申請が一向に再開されないため、私たちがインドで親しくさせていただいてきた韓国人宣教師が、――その宣教師家族も2020年から韓国に滞在しておりますが――、その宣教師がインドの銀行に所持する銀行口座を利用し、私たちの家賃を家主さんに送金してくださることになり本当に感謝しました。
家主さんも、その事をとても喜んでくださることを期待しました。
しかしそれに対する家主さんからの応答は、「そのような友人がいるならば、その友人にお願いして、家から荷物を引き払ってもらい、家から立ち退いてほしい。」という事でした。
その応答に私たちは大きな衝撃を受けました。
その友人は現在韓国に滞在していることを家主さんに説明し、ご理解いただき、その後その宣教師が、私たちの家賃を家主さんの銀行口座に毎月送金してくださり本当に感謝しております。
新型コロナに伴うインドへの外国人入国規制、また妻が昨年12月に手術を受けたことを家主さんにお伝えしてあります。
それにもかかわらず、家主さんからは、私たちが早くにインドに戻るよう催促するようなご連絡を受けることもあり、それが私への大きな精神的ストレスになってきました。
家主さんとの間には、それまでにも様々な難しさがあったからです。
家主さんとの難しい関係の中で、私たちはただ主の憐れみにすがり、深い淵から主に叫び求め、主が家主さんの心を動かしてくださり、家主さんにご理解いただけることと共に、家主さんご家族への主の祝福と救いのために、主に祈り求めてきました。
*経済的困難にあるラクシミ姉家族への支援(二人の娘の学費支援)
また私たちは、経済的困難の中にあるラクシミ姉ご家族の二人の娘ブーミカちゃん(17歳)、ラーニちゃん(15歳)への学費支援をさせていただいておりますが、私たちがインドに戻ることが出来ないことで、その学費支援が滞ってしまいました。
ブーミカとラーニが学校に行けなくなってしまえば大変なことですので、私たちは本当に困ってしまいました。
このような難しい状況にあるにもかかわらず、私たちはインドに戻らせていただけないことで、私は非常に苦しい精神状態が続き、私たちがインドに戻らせていただけないことで生じている様々な問題に対する主の助けと守り、そして主の最善なる導きと解決を求め、ただ主の憐れみにすがり、全知全能の主のご介入を求めて主に叫び求めるばかりでした。
*妻の健康問題と手術
また妻は、数年前から膀胱瘤(脱)・子宮脱という問題が生じており、これに伴い排便困難が続くと共に、排尿困難も生じておりました。
そして昨年8月下旬頃から症状が再び悪化してしまいました。
そして昨年12月3日、膀胱瘤(脱)・子宮脱の手術を受けました。
私は妻の健康の問題が続く中で、妻に対する主の憐れみを求め、主の最善なる癒しと快復を求めて祈る日々が続いてきました。
*このような状況の中で、私は精神的に非常に苦しい状況が続き、「主よ 深い淵から私はあなたを呼び求めます。」と、深い淵から主を呼び求めるばかりの日々が続いておりました。
*星野富弘さんの詩との出会い
そのような時に星野富弘さんの詩に出会いました。
苦しくてどうしようもない時
いつもうかんでくることばがあった
神様がいるんだもの なんとかなるさ
そしていつも なんとかなった
私は精神的に苦しくてどうしようもない状態にありましたが、星野さんは、
「神様がいるんだものなんとかなるさ」と、神様に信頼しています。
「そしていつもなんとかなった」と、神様がいつも解決を与えてくださったことが証しされています。
星野さんは若い時に首の骨を骨折され、それ以来、首から下の身体は一切動かなくなってしまいました。
肉体的にも精神的にも、どれほど大きな苦しみを経験されて来たことでしょうか。
しかし星野さんは、苦しくてどうしようもない時、神様に信頼することで、神様からの最善なる助けと解決が与えられ、神様への揺るぎない信仰によって今日まで生きて来られたのではないでしょうか。
私はこの詩から、信仰的に大きな励ましを与えていただきました。
苦しくてどうしようもない時
いつもうかんでくることばがあった
神様がいるんだもの なんとかなるさ
そしていつも なんとかなった
*インドの人々を愛することが出来ず、酷い事をしてしまった私の罪
ところで私は、インドに戻らせていただくことが出来ず、日本滞在が長引く中で、自分自身の今までの罪の記憶がよみがえってきました。
私は学生時代に青年海外協力隊の説明会に出席した時、元協力隊員であった方のお話を聴き、非常に大きなショックを受けました。
ヒンドゥー教のカースト制度の下で、物乞いする人々の家庭で子供が生まれた時、親は自分の子供の将来の幸せを考えた上で、その子供の腕や脚を片方切り落としてしまうという話でした。
カーストによる階級差別制度の下では職業が固定化されており、物乞いの人々が他の職業に就くことが難しいため、親は自分の子供が将来、物乞いとして少しでも多くお金をいただき幸せになれることを願い、子供の腕や脚を片方切り落としてしまうということでした。
健康な身体で物乞いするよりも、腕や脚がないほうが人々から憐れみを受け、余計にお金をいただくことが出来るからです。
私はカースト制度という階級差別制度の中で底辺に生きる人々の悲惨な実情を知り非常に心が痛みました。
そしてその心の痛みは、その後も消え去ることがありませんでした。
そして私は、ヒンドゥー教国であるインドに行かせていただき、インドの人々、特に社会の底辺で抑圧されている貧しい人々を愛し、その人々にイエス様の愛と福音をお伝えするために、インドに派遣していただきました。
インドは外国人による宣教活動が禁止されており、宣教師としてはインドに滞在するビザを得ることが出来ないため、私は最初YMCAのご協力を得て、YMCAの空手と柔道の指導者としてビザを得て、インドに滞在させていただきました。
そして私たちは貧しい人々に仕えさせていただこうとしました。
ところが貧しい人々に謙遜な態度で仕えさせていただこうとすると、その人々から非常に見下されてしまいました。
彼らは通常は、中間層以上の人々に対しては、召使いのように非常に従順ですが、彼らに謙遜に仕えさせていただこうとする私たちに対しては横柄な態度を取り、私たちを見下してきました。
社会内で差別を受けている貧しい人々も、自分たちよりもさらに低い階層、弱い立場の人々に対しては、相手を見下し差別することがわかりました。
私たちが誰に対しても頭を下げてお辞儀し、謙遜に振舞おうとしたことは、彼らから見下される原因にもなりました。
私たちは近所のスラムエリヤの子どもたちとも親しくしようとして、子どもたちに接近しましたが、その子供たちからも非常に馬鹿にされてしまいました。
私のことを「クマイ、クマイ」と言って嘲ってくる子供もいました。
スラムの子供たちは我が家の前を通って小学校に通っていますので、学校帰りの子供たちのグループに、私が自動車の窓越しに挨拶していると、私の目の前に立っていた低学年の子供から突然、私の目に砂を投げつけられ、目に激痛を起こした事もありました。
しかし忍耐を重ね、ようやく貧しい人々と親しくなることが出来ると、その人々の中には私たちにお金を求めてくる人々が何人も現れました。
彼らのそのような態度に、私は腹を立て、怒りを出し、彼らに酷い対応をしてしまう事がありました。
またYMCAの私の空手クラスの中でも、私は生徒たちに非常に厳しい指導をしてしまい、酷い事をしてしまいました。
私はインドの貧しい人々を愛するために、インドに行かせていただいたにもかかわらず、愛するどころか、酷い事をしてしまう私自身の罪。
私は自分の罪深さを認識し、
1)主よ 深い淵から私はあなたを呼び求めます。
2)主よ 私の声を聞いてください。
私の願いの声に耳を傾けてください。(詩篇130:1-2)
と、私は深い淵から主を呼び求め、主に対して自分の罪の悔い改めの祈りをさせていただきながら、この罪深き者に対する主の憐れみにすがらせていただくばかりでした。
*取税人の祈り(ルカの福音書18:9-14)
ルカの福音書18章で、「取税人の祈り」について、イエス様がたとえをお話になっておられます。
その取税人は、神の宮で祈る時に、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて「神様、罪人の私をあわれんでください。」(18:13)と言いました。
その取税人の姿が、いつも私自身に重なっていました。
インドの貧しい人々を愛するどころか、酷い事をしてしまった私自身の罪、そして私たちがインドに戻れないことで生じている様々な問題、また妻の健康の問題、これらの問題がいつも私の心に押し寄せ、私は深い淵から主を呼び求めるばかりでした。
3)主よ あなたがもし 不義に目を留められるなら
主よ だれが御前に立てるでしょう。
4)しかし あなたが赦してくださるゆえに
あなたは人に恐れられます。 (詩篇130:3-4)
私たち人間は誰でも皆、罪人です。ですから本来ならば、主の前に堂々と立つことの出来る人間は一人もいないはずです。
しかし私たちの神様、主は、真に慈しみ深い、愛と憐れみの神であり、罪を悔い改める者には罪の赦しを与えてくださいます。
*詩篇51篇17節に、このように書かれています。
神へのいけにえは 砕かれた霊。
打たれ 砕かれた心。
神よ あなたはそれを蔑まれません。(詩篇51:17)
私たちが自分の罪を深く認識し、打ち砕かれ、神の前に悔い改めることこそが、神に喜ばれる「いけにえ」であります。
*主を待ち望む
5)私は主を待ち望みます。
私のたましいは待ち望みます。
主のみことばを私は待ちます。
6)私のたましいは 夜回りが夜明けを
まことに 夜回りが夜明けを待つのにまさって
主を待ちます。 (詩篇130:5-6)
主の赦しと救いを求めて、主を待ち望む姿がここに書かれています。主の前に罪を悔い改めるならば、主は赦してくださり、救ってくださるからです。
*イスラエルよ 主を待て――すべての不義から贖い出される主
7)イスラエルよ 主を待て。
主には恵みがあり
豊かな贖いがある。
8)主は すべての不義から
イスラエルを贖い出される。(詩篇130:7-8)
私たちの神、主は、誠に憐れみ深く、恵み深いお方です。そして主は私たちの罪を赦してくださる救いの神であられ、私たちをすべての不義から贖い出してくださいます。
ですから私たちは、まったく希望の光を見い出すことの出来ない絶望のどん底の深い淵の中にあっても、主を待ち望むことが大切です。
イスラエルよ 主を待て。
主には恵みがあり
豊かな贖いがある。
主は すべての不義から
イスラエルを贖い出される。(詩篇130:7-8)
ところで、この詩篇が書かれた旧約の時代、神の民イスラエルは、神がイスラエルの罪を贖ってくださり、すべての不義からイスラエルを贖い出してくださることを待ち望んでいました。
そして新約の時代になり、旧約聖書に書かれている神の預言の通り、私たち人間を罪による滅びから救い出すために、神のひとり子イエス・キリストが、この地上に来られ、私たち人間のすべての罪を背負い、私たちの身代りに十字架に掛けられ、神の刑罰を受けて死んでくださいました。
それが神の子イエス・キリストによる人間に対する罪からの贖いです。
私たち人間は誰でも皆、罪人です。しかし、私たち人間をお造りになられた天の父なる神、主は、罪深い人間を決して見捨てることなく愛し続けてくださり、罪深い私たちが永遠の地獄に落とされることがないように、イエス・キリストが、私たちの身代りに、ご自分のいのちを捨てて死んでくださいました。
これが私たち人間に対する神の愛です。
私たち人間を愛し続けてくださり、私たちの身代りにご自分のいのちを捨ててくださったイエス・キリストを、私たちの救い主として信じるならば、私たちのすべての罪は赦され、永遠の天国での永遠のいのちと祝福が与えられることが聖書の御言葉によって約束されています。
≪ヨハネの福音書3章16節≫
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
*そしてイエス・キリストを信じ、罪から贖われた私たちクリスチャンには、この地上において新しい歩みが与えられます。
しかし人間の思いや考え、計画と、主の思い、お考え、ご計画には違いがあります。
そしてクリスチャンになっても、私たちの人生には様々な出来事があります。苦しみ、悩み、悲しみ、絶望のどん底の「深い淵」から、主に叫び求めることもあります。
*星野富弘さんは首の骨折により、首から下の身体が一切動かなくなってしまったことで、クリスチャンになってからも、どれほど多くの苦難を経験されてきたことでしょうか。
しかし星野さんは、苦しくてどうしようもない時、神様に信頼することで、神様から最善なる助けと解決が与えられ、神様への揺るぎない信仰によって日々歩んでいらっしゃるのではないでしょうか。
詩篇68篇19節に、このように書かれています。
ほむべきかな 主。
日々 私たちの重荷を担われる方。
この神こそ 私たちの救い。 セラ (詩篇68:19)
星野さんと共におられる主は、日々、星野さんの重荷を担ってくださっておられます。
主イエス・キリストは、私たち人間のすべての罪を担い、私たち人間の身代りに十字架で死んでくださいました。
そして主イエス様は、私たちと共にいてくださり、私たちが抱えている苦しみ、悩み、悲しみ、すべての重荷を、日々、担ってくださいます。
私たちが苦しみの中にある時には、イエス様が私たちの苦しみを共に担ってくださっておられます。
悲しみの中にある時には、イエス様が私たちの悲しみを共に担ってくださっておられます。
主イエス・キリストは、私たちの救いの神です。
そして主は、私たちが抱えているすべての重荷を通しても、私たちを主の御栄光のために用いてくださいます。
そして主の最善なるご計画を成就してくださいます。
*ラクシミ姉ご家族への支援――マヘーシュ兄からの助けに感謝
先ほどお話しさせていただきました経済的困難の中にあるラクシミ姉の二人の娘ブーミカちゃん、ラーニちゃんへの学費支援が滞ってしまったことで、本当に困ってしまい、ただ主の憐れみにすがり、全知全能の主のご介入と助けを求めて主に叫び求めるばかりでした。
すると(昨年7月下旬)、私の空手の元生徒マヘーシュ兄からメールが届きました。
マヘーシュ兄はスラムで暮らすヒンドゥー教徒のご家庭の息子でしたが、イエス・キリストへの信仰が与えられ、2011年に洗礼を受け、私たちと同じ教会に所属している34歳の青年です。
彼のメールには、私たちの家の家賃・その他の事を彼が助けたいということが書かれていました。
真に憐れみ深い全知全能の主のご介入に心から感謝いたしました。
我が家の家賃については、韓国人宣教師が助けてくださいますので、ラクシミ姉ご家族へのご支援を、マヘーシュ兄に助けていただけることになりました。
その後、彼が、ラクシミ姉ご家族へのご支援を続けてくださり本当に感謝です。
生きて働いておられる主の憐れみに心から感謝いたしております。
ほむべきかな 主。
日々 私たちの重荷を担われる方。
この神こそ 私たちの救い。 セラ (詩篇68:19)
主はマヘーシュ兄の心を動かしてくださり、彼が私たちの重荷を担ってくださっております。
*インドの我が家への空き巣(泥棒)
また私たちは家主さんとの難しい関係の中で、ただ主の憐れみにすがり、深い淵から主に叫び求め、主が家主さんの心を動かしてくださり、家主さんにご理解いただけることと共に、家主さんご家族への主の祝福と救いのために、主に祈り求めてきました。
今年4月16日(土)夜、ラクシミ姉からご連絡があり、我が家に空き巣(泥棒)が入ったことがわかりました。
この欠けばかりの未熟な私は心が動揺してしまいました。
我が家には金目の物はありませんが、皆様からいただいた記念のお手紙、大切な書類・証明書などのことが心配でした。
しかし全ての事は主の御手の中にあることですので、ただ主の憐れみと主の最善を信じお祈りさせていただくばかりでした。
聖書の御言葉「すべてのことにおいて感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ5:18)が示されました。
子供さんがインドの学校に通っていることなどにより、インドのビザを持ち続け、我が家の近くにお住まいになっておられる韓国人宣教師に連絡しますと、その宣教師夫妻が我が家の様子を見に行ってくださり本当に感謝でした。
だれかが家主さんに連絡し、家主さんご夫妻もお越しくださいました。
私たちは家主さんとの難しい関係の中で、家主さんご家族への主の祝福と救いのために祈り続けてきました。
しかし今回空き巣に入られた事で、家主さんが気分を害し、私たちに対して「家から荷物を引き払い、立ち退いてほしい。」と再び同じ要求をされるのではないか(?)と、私は非常に恐れて、心を動揺させておりました。
しかしお電話の中で家主さんは、私たちに対して苦情を何も言わず、逆に私たちを安心させるような言葉を語ってくださいました。
そして最後に「ハッピーイースター」と言ってきてくださいました。その時、日本時間では4月17日(イースター主日)午前2時頃になっていたからです。
私はクリスチャンでありながら、主イエス・キリストの復活を記念するイースターのことはそっちのけで心を動揺させてしまい、家主さんへの大きな恐れの中にありました。
しかしヒンドゥー教徒の家主さんから「ハッピーイースター」と言われて、私はクリスチャンとしての我に返ると共に、自分自身の信仰の弱さをつくづくと実感させられるばかりでした。
それと共に、家主さんご家族への主の祝福と救いのために祈り続けているその祈りを、主が聞いてくださっており、主が家主さん夫妻の心を導いてくださっていることを実感し、主に心から感謝し、主の御名を崇めさせていただきました。
その日(4月17日)主イエス様の復活を記念するイースター礼拝の後、教会学校の子供からイースターエッグをいただきました。
その卵にセロハンが巻かれてあり「すべてのことにおいて感謝しなさい。」と書かれてあり、主の導きと御教えを心に深く感じました。
そしてピリピ人への手紙4:6-7の御言葉が示されました。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6-7)
ところで我が家の様子を見に行ってくださった韓国人宣教師夫妻が、空き巣に荒らされた屋内の写真を撮って送ってくださいました。
戸棚や洋服ダンスの扉が開かれ、旅行カバン類が外に出されており、カバンの中に入っていた私のかつての空手着が床の上に置かれていました。
私は空手着の背中に十字架✟を刺繍し、その十字架の周りにJesus loves you.(イエス様はあなたを愛しています。)Love one another.(互いに愛し合いなさい。)と刺繍して、空手を指導していました。
「イエス様はあなたを愛しています。」「互いに愛し合いなさい。」ヨハネの福音書13章34節からの御言葉です。
その刺繍された御言葉が上向きにされ、空手着がそのまま床の上に置かれていました。
その御言葉を見た空き巣の方の心をイエス様が導いてくださり、救ってくださいますようお祈りしています。
*結論――「幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。」
私たちの人生の中には、様々な出来事があります。
クリスチャンになってからも激しい苦難の深い淵の中から、主に叫び求めることもあります。
しかし主イエス様は、いついかなる時にも私たちと共にいてくださり、私たちが抱えている苦しみ、悩み、悲しみ、すべての重荷を、日々、担ってくださいます。
たとえ今、私たちが涙の谷の中にあっても、主は、そこを泉の湧く所としてくださいます。
なんと幸いなことでしょう。
その力があなたにあり
心の中に シオンへの大路のある人は。
彼らは涙の谷を過ぎるときも
そこを泉の湧く所とします。 (詩篇84:5-6)
主は私たちと共にいてくださり、私たちが涙の谷を過ぎる時も、そこを泉の湧く所としてくださいます。
イザヤ書30章18-19節の御言葉を読ませていただきます。
それゆえ主は、
あなたがたに恵みを与えようとして待ち、
それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。
主が義の神であるからだ。
幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。
ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。
もうあなたは泣くことはない。
あなたの叫ぶ声に応え、主は必ず恵みを与え、
それを聞くとき、あなたに答えてくださる。 (イザヤ書30:18-19)
今、私たちが激しい苦難の深い淵の中に置かれていようとも、
主は、私たちに恵みを与えようとして待っておられ、憐れみを与えようと立ち上がってくださいます。
ですから私たちは、たとえ、どのような苦難の中に置かれることがあっても、主を待ち望ませていただきましょう。
「幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。」と約束されています。
インド宣教とこの小さき者どものことを、いつも皆様方のお祈りに覚えていただき心から感謝いたしております。
そして今日は、再び、東京ベイ国際教会にお招きいただき、この欠けばかりの私に礼拝説教の奉仕をさせていただける恵みを心から感謝いたしております。
誠に欠けばかりの未熟な者でございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
*インドの新型コロナ感染爆発と外国人入国規制(旅行者ビザ停止)
私たちはインドのビザの期限により、2020年3月、日本に一時帰国させていただきました。私たちのビザは一般の旅行者のビザです。
日本に4カ月間滞在させていただき、新たにビザを取得し、また妻が病院で医療を受けさせていただき、その年7月にインドに戻らせていただきたく願っていました。
ところが私たちが日本に帰国後まもなく、インドで新型コロナの感染爆発が起きてしまい、外国人入国規制とビザ申請停止が始まりました。
その後、旅行者以外の人々は、徐々にインド入国を許可されるようになりましたが、旅行者ビザの申請は停止状態が続き、私たちはビザ申請することが出来ずにおりました。
*インドでの新型コロナ感染爆発と教会員・関係者の方々の逝去
インドにおける新型コロナ感染爆発により、私たちが南インドの現地で所属する教会でも、感染者が大勢出ました。そして教会員とその親族・関係者の中で、多くの方々がこの地上での生涯を終え、天に召されました。
私がかつて空手を教え、伝道させていただいてきた生徒とその家族・親戚の中でも、感染者が大勢出ました。お亡くなりになった方々もおられます。
また私たちの住居と同じ敷地内のお隣りのご主人も、コロナ感染により昨年5月22日お亡くなりになりました。
私たちの関係者の中には、コロナ感染とは別の問題により、お亡くなりになった方々もおられます。
*サビタ姉の召天(2020年9月4日)
私たちが現地の教会を通して深く関わらせていただいたサビタ姉(34歳)が、2020年9月4日、天に召されました。
サビタ姉は夫ラージュー兄と結婚後1年位の時(2010年)、夫と共にバイクで走行中、自動車に衝突され重傷を負い(脊髄損傷)、下半身不随になり排尿排便の感覚も失ってしまい、ベッド上の生活を続けていました。
*エステル姉の召天(2021年7月6日)
またYMCAで私が出会い親しくさせていただけるようになったモーセ兄の奥様エステル姉(38歳)が、昨年7月6日、天に召されました。エステル姉は腎臓に病気を抱えていました。
ご主人のモーセ兄(40歳)との間に3人の子供さんがおります。
家族全員クリスチャンであり、スラムの中のとても小さな家の一部屋(インドには畳はありませんが畳の大きさならば3~4畳位の部屋)で生活しています。
エステル姉は入院し、賛美歌を歌い続け、お祈りし、ご主人と子供たちに様々なアドバイスを与え、自分はもうすぐイエス様と一緒になれることを語り、最後にご家族に「さようなら」と挨拶し、その30分後、天に召されたそうです。
*インドでコロナ感染と、その他の諸問題により、多くの人々が苦難の中に置かれている時に、私たちはインドに戻らせていただくことが出来ず、インドの方々に対しまして誠に申し訳なく思うばかりです。
そして日本でご支援くださる諸教会の皆様方に対しましても誠に申し訳なく思うばかりです。
私たちはインドの関係者、教会員との連絡を取り合い、インドで大きな苦しみと深い悲しみの中に置かれている方々への主の憐れみを求めて、深い淵から主を呼び求め、お祈りさせていただいてきました。
そして、この欠けばかりの者どもでございますが、主の憐れみにすがり、昨年12月、膀胱と子宮に関係する問題で手術を受けた妻の健康に快復を与えていただくと共に、インドへのビザを与えていただき、出来るだけ早くインドに戻らせていただくことができますよう祈り求め、主を待ち望ませていただいてきました。
*さて私たちがインドに戻らせていただけないことで、様々な問題が生じてきました。
*インドの我が家の家主さんとの難しい関係
私たちがインドで住まわせていただく家の家主さんとの間に難しい関係が生じてきました。
私たちは一昨年3月に日本に一時帰国させていただく時、4カ月後にはインドに戻らせていただきたく願っておりましたので、念のため6カ月分の家賃を、家主さんに前払いして日本に来させていただきました。
ところが新型コロナの感染爆発により、インドのビザ申請が停止されてしまい、私たちはインドに戻ることが出来なくなってしまい、その後の家賃を、お支払いすることが出来なくなってしまいました。
そのことで家主さんにしばしばご連絡して謝罪を続けておりました。
しかしインドのビザ申請が一向に再開されないため、私たちがインドで親しくさせていただいてきた韓国人宣教師が、――その宣教師家族も2020年から韓国に滞在しておりますが――、その宣教師がインドの銀行に所持する銀行口座を利用し、私たちの家賃を家主さんに送金してくださることになり本当に感謝しました。
家主さんも、その事をとても喜んでくださることを期待しました。
しかしそれに対する家主さんからの応答は、「そのような友人がいるならば、その友人にお願いして、家から荷物を引き払ってもらい、家から立ち退いてほしい。」という事でした。
その応答に私たちは大きな衝撃を受けました。
その友人は現在韓国に滞在していることを家主さんに説明し、ご理解いただき、その後その宣教師が、私たちの家賃を家主さんの銀行口座に毎月送金してくださり本当に感謝しております。
新型コロナに伴うインドへの外国人入国規制、また妻が昨年12月に手術を受けたことを家主さんにお伝えしてあります。
それにもかかわらず、家主さんからは、私たちが早くにインドに戻るよう催促するようなご連絡を受けることもあり、それが私への大きな精神的ストレスになってきました。
家主さんとの間には、それまでにも様々な難しさがあったからです。
家主さんとの難しい関係の中で、私たちはただ主の憐れみにすがり、深い淵から主に叫び求め、主が家主さんの心を動かしてくださり、家主さんにご理解いただけることと共に、家主さんご家族への主の祝福と救いのために、主に祈り求めてきました。
*経済的困難にあるラクシミ姉家族への支援(二人の娘の学費支援)
また私たちは、経済的困難の中にあるラクシミ姉ご家族の二人の娘ブーミカちゃん(17歳)、ラーニちゃん(15歳)への学費支援をさせていただいておりますが、私たちがインドに戻ることが出来ないことで、その学費支援が滞ってしまいました。
ブーミカとラーニが学校に行けなくなってしまえば大変なことですので、私たちは本当に困ってしまいました。
このような難しい状況にあるにもかかわらず、私たちはインドに戻らせていただけないことで、私は非常に苦しい精神状態が続き、私たちがインドに戻らせていただけないことで生じている様々な問題に対する主の助けと守り、そして主の最善なる導きと解決を求め、ただ主の憐れみにすがり、全知全能の主のご介入を求めて主に叫び求めるばかりでした。
*妻の健康問題と手術
また妻は、数年前から膀胱瘤(脱)・子宮脱という問題が生じており、これに伴い排便困難が続くと共に、排尿困難も生じておりました。
そして昨年8月下旬頃から症状が再び悪化してしまいました。
そして昨年12月3日、膀胱瘤(脱)・子宮脱の手術を受けました。
私は妻の健康の問題が続く中で、妻に対する主の憐れみを求め、主の最善なる癒しと快復を求めて祈る日々が続いてきました。
*このような状況の中で、私は精神的に非常に苦しい状況が続き、「主よ 深い淵から私はあなたを呼び求めます。」と、深い淵から主を呼び求めるばかりの日々が続いておりました。
*星野富弘さんの詩との出会い
そのような時に星野富弘さんの詩に出会いました。
苦しくてどうしようもない時
いつもうかんでくることばがあった
神様がいるんだもの なんとかなるさ
そしていつも なんとかなった
私は精神的に苦しくてどうしようもない状態にありましたが、星野さんは、
「神様がいるんだものなんとかなるさ」と、神様に信頼しています。
「そしていつもなんとかなった」と、神様がいつも解決を与えてくださったことが証しされています。
星野さんは若い時に首の骨を骨折され、それ以来、首から下の身体は一切動かなくなってしまいました。
肉体的にも精神的にも、どれほど大きな苦しみを経験されて来たことでしょうか。
しかし星野さんは、苦しくてどうしようもない時、神様に信頼することで、神様からの最善なる助けと解決が与えられ、神様への揺るぎない信仰によって今日まで生きて来られたのではないでしょうか。
私はこの詩から、信仰的に大きな励ましを与えていただきました。
苦しくてどうしようもない時
いつもうかんでくることばがあった
神様がいるんだもの なんとかなるさ
そしていつも なんとかなった
*インドの人々を愛することが出来ず、酷い事をしてしまった私の罪
ところで私は、インドに戻らせていただくことが出来ず、日本滞在が長引く中で、自分自身の今までの罪の記憶がよみがえってきました。
私は学生時代に青年海外協力隊の説明会に出席した時、元協力隊員であった方のお話を聴き、非常に大きなショックを受けました。
ヒンドゥー教のカースト制度の下で、物乞いする人々の家庭で子供が生まれた時、親は自分の子供の将来の幸せを考えた上で、その子供の腕や脚を片方切り落としてしまうという話でした。
カーストによる階級差別制度の下では職業が固定化されており、物乞いの人々が他の職業に就くことが難しいため、親は自分の子供が将来、物乞いとして少しでも多くお金をいただき幸せになれることを願い、子供の腕や脚を片方切り落としてしまうということでした。
健康な身体で物乞いするよりも、腕や脚がないほうが人々から憐れみを受け、余計にお金をいただくことが出来るからです。
私はカースト制度という階級差別制度の中で底辺に生きる人々の悲惨な実情を知り非常に心が痛みました。
そしてその心の痛みは、その後も消え去ることがありませんでした。
そして私は、ヒンドゥー教国であるインドに行かせていただき、インドの人々、特に社会の底辺で抑圧されている貧しい人々を愛し、その人々にイエス様の愛と福音をお伝えするために、インドに派遣していただきました。
インドは外国人による宣教活動が禁止されており、宣教師としてはインドに滞在するビザを得ることが出来ないため、私は最初YMCAのご協力を得て、YMCAの空手と柔道の指導者としてビザを得て、インドに滞在させていただきました。
そして私たちは貧しい人々に仕えさせていただこうとしました。
ところが貧しい人々に謙遜な態度で仕えさせていただこうとすると、その人々から非常に見下されてしまいました。
彼らは通常は、中間層以上の人々に対しては、召使いのように非常に従順ですが、彼らに謙遜に仕えさせていただこうとする私たちに対しては横柄な態度を取り、私たちを見下してきました。
社会内で差別を受けている貧しい人々も、自分たちよりもさらに低い階層、弱い立場の人々に対しては、相手を見下し差別することがわかりました。
私たちが誰に対しても頭を下げてお辞儀し、謙遜に振舞おうとしたことは、彼らから見下される原因にもなりました。
私たちは近所のスラムエリヤの子どもたちとも親しくしようとして、子どもたちに接近しましたが、その子供たちからも非常に馬鹿にされてしまいました。
私のことを「クマイ、クマイ」と言って嘲ってくる子供もいました。
スラムの子供たちは我が家の前を通って小学校に通っていますので、学校帰りの子供たちのグループに、私が自動車の窓越しに挨拶していると、私の目の前に立っていた低学年の子供から突然、私の目に砂を投げつけられ、目に激痛を起こした事もありました。
しかし忍耐を重ね、ようやく貧しい人々と親しくなることが出来ると、その人々の中には私たちにお金を求めてくる人々が何人も現れました。
彼らのそのような態度に、私は腹を立て、怒りを出し、彼らに酷い対応をしてしまう事がありました。
またYMCAの私の空手クラスの中でも、私は生徒たちに非常に厳しい指導をしてしまい、酷い事をしてしまいました。
私はインドの貧しい人々を愛するために、インドに行かせていただいたにもかかわらず、愛するどころか、酷い事をしてしまう私自身の罪。
私は自分の罪深さを認識し、
1)主よ 深い淵から私はあなたを呼び求めます。
2)主よ 私の声を聞いてください。
私の願いの声に耳を傾けてください。(詩篇130:1-2)
と、私は深い淵から主を呼び求め、主に対して自分の罪の悔い改めの祈りをさせていただきながら、この罪深き者に対する主の憐れみにすがらせていただくばかりでした。
*取税人の祈り(ルカの福音書18:9-14)
ルカの福音書18章で、「取税人の祈り」について、イエス様がたとえをお話になっておられます。
その取税人は、神の宮で祈る時に、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて「神様、罪人の私をあわれんでください。」(18:13)と言いました。
その取税人の姿が、いつも私自身に重なっていました。
インドの貧しい人々を愛するどころか、酷い事をしてしまった私自身の罪、そして私たちがインドに戻れないことで生じている様々な問題、また妻の健康の問題、これらの問題がいつも私の心に押し寄せ、私は深い淵から主を呼び求めるばかりでした。
3)主よ あなたがもし 不義に目を留められるなら
主よ だれが御前に立てるでしょう。
4)しかし あなたが赦してくださるゆえに
あなたは人に恐れられます。 (詩篇130:3-4)
私たち人間は誰でも皆、罪人です。ですから本来ならば、主の前に堂々と立つことの出来る人間は一人もいないはずです。
しかし私たちの神様、主は、真に慈しみ深い、愛と憐れみの神であり、罪を悔い改める者には罪の赦しを与えてくださいます。
*詩篇51篇17節に、このように書かれています。
神へのいけにえは 砕かれた霊。
打たれ 砕かれた心。
神よ あなたはそれを蔑まれません。(詩篇51:17)
私たちが自分の罪を深く認識し、打ち砕かれ、神の前に悔い改めることこそが、神に喜ばれる「いけにえ」であります。
*主を待ち望む
5)私は主を待ち望みます。
私のたましいは待ち望みます。
主のみことばを私は待ちます。
6)私のたましいは 夜回りが夜明けを
まことに 夜回りが夜明けを待つのにまさって
主を待ちます。 (詩篇130:5-6)
主の赦しと救いを求めて、主を待ち望む姿がここに書かれています。主の前に罪を悔い改めるならば、主は赦してくださり、救ってくださるからです。
*イスラエルよ 主を待て――すべての不義から贖い出される主
7)イスラエルよ 主を待て。
主には恵みがあり
豊かな贖いがある。
8)主は すべての不義から
イスラエルを贖い出される。(詩篇130:7-8)
私たちの神、主は、誠に憐れみ深く、恵み深いお方です。そして主は私たちの罪を赦してくださる救いの神であられ、私たちをすべての不義から贖い出してくださいます。
ですから私たちは、まったく希望の光を見い出すことの出来ない絶望のどん底の深い淵の中にあっても、主を待ち望むことが大切です。
イスラエルよ 主を待て。
主には恵みがあり
豊かな贖いがある。
主は すべての不義から
イスラエルを贖い出される。(詩篇130:7-8)
ところで、この詩篇が書かれた旧約の時代、神の民イスラエルは、神がイスラエルの罪を贖ってくださり、すべての不義からイスラエルを贖い出してくださることを待ち望んでいました。
そして新約の時代になり、旧約聖書に書かれている神の預言の通り、私たち人間を罪による滅びから救い出すために、神のひとり子イエス・キリストが、この地上に来られ、私たち人間のすべての罪を背負い、私たちの身代りに十字架に掛けられ、神の刑罰を受けて死んでくださいました。
それが神の子イエス・キリストによる人間に対する罪からの贖いです。
私たち人間は誰でも皆、罪人です。しかし、私たち人間をお造りになられた天の父なる神、主は、罪深い人間を決して見捨てることなく愛し続けてくださり、罪深い私たちが永遠の地獄に落とされることがないように、イエス・キリストが、私たちの身代りに、ご自分のいのちを捨てて死んでくださいました。
これが私たち人間に対する神の愛です。
私たち人間を愛し続けてくださり、私たちの身代りにご自分のいのちを捨ててくださったイエス・キリストを、私たちの救い主として信じるならば、私たちのすべての罪は赦され、永遠の天国での永遠のいのちと祝福が与えられることが聖書の御言葉によって約束されています。
≪ヨハネの福音書3章16節≫
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
*そしてイエス・キリストを信じ、罪から贖われた私たちクリスチャンには、この地上において新しい歩みが与えられます。
しかし人間の思いや考え、計画と、主の思い、お考え、ご計画には違いがあります。
そしてクリスチャンになっても、私たちの人生には様々な出来事があります。苦しみ、悩み、悲しみ、絶望のどん底の「深い淵」から、主に叫び求めることもあります。
*星野富弘さんは首の骨折により、首から下の身体が一切動かなくなってしまったことで、クリスチャンになってからも、どれほど多くの苦難を経験されてきたことでしょうか。
しかし星野さんは、苦しくてどうしようもない時、神様に信頼することで、神様から最善なる助けと解決が与えられ、神様への揺るぎない信仰によって日々歩んでいらっしゃるのではないでしょうか。
詩篇68篇19節に、このように書かれています。
ほむべきかな 主。
日々 私たちの重荷を担われる方。
この神こそ 私たちの救い。 セラ (詩篇68:19)
星野さんと共におられる主は、日々、星野さんの重荷を担ってくださっておられます。
主イエス・キリストは、私たち人間のすべての罪を担い、私たち人間の身代りに十字架で死んでくださいました。
そして主イエス様は、私たちと共にいてくださり、私たちが抱えている苦しみ、悩み、悲しみ、すべての重荷を、日々、担ってくださいます。
私たちが苦しみの中にある時には、イエス様が私たちの苦しみを共に担ってくださっておられます。
悲しみの中にある時には、イエス様が私たちの悲しみを共に担ってくださっておられます。
主イエス・キリストは、私たちの救いの神です。
そして主は、私たちが抱えているすべての重荷を通しても、私たちを主の御栄光のために用いてくださいます。
そして主の最善なるご計画を成就してくださいます。
*ラクシミ姉ご家族への支援――マヘーシュ兄からの助けに感謝
先ほどお話しさせていただきました経済的困難の中にあるラクシミ姉の二人の娘ブーミカちゃん、ラーニちゃんへの学費支援が滞ってしまったことで、本当に困ってしまい、ただ主の憐れみにすがり、全知全能の主のご介入と助けを求めて主に叫び求めるばかりでした。
すると(昨年7月下旬)、私の空手の元生徒マヘーシュ兄からメールが届きました。
マヘーシュ兄はスラムで暮らすヒンドゥー教徒のご家庭の息子でしたが、イエス・キリストへの信仰が与えられ、2011年に洗礼を受け、私たちと同じ教会に所属している34歳の青年です。
彼のメールには、私たちの家の家賃・その他の事を彼が助けたいということが書かれていました。
真に憐れみ深い全知全能の主のご介入に心から感謝いたしました。
我が家の家賃については、韓国人宣教師が助けてくださいますので、ラクシミ姉ご家族へのご支援を、マヘーシュ兄に助けていただけることになりました。
その後、彼が、ラクシミ姉ご家族へのご支援を続けてくださり本当に感謝です。
生きて働いておられる主の憐れみに心から感謝いたしております。
ほむべきかな 主。
日々 私たちの重荷を担われる方。
この神こそ 私たちの救い。 セラ (詩篇68:19)
主はマヘーシュ兄の心を動かしてくださり、彼が私たちの重荷を担ってくださっております。
*インドの我が家への空き巣(泥棒)
また私たちは家主さんとの難しい関係の中で、ただ主の憐れみにすがり、深い淵から主に叫び求め、主が家主さんの心を動かしてくださり、家主さんにご理解いただけることと共に、家主さんご家族への主の祝福と救いのために、主に祈り求めてきました。
今年4月16日(土)夜、ラクシミ姉からご連絡があり、我が家に空き巣(泥棒)が入ったことがわかりました。
この欠けばかりの未熟な私は心が動揺してしまいました。
我が家には金目の物はありませんが、皆様からいただいた記念のお手紙、大切な書類・証明書などのことが心配でした。
しかし全ての事は主の御手の中にあることですので、ただ主の憐れみと主の最善を信じお祈りさせていただくばかりでした。
聖書の御言葉「すべてのことにおいて感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ5:18)が示されました。
子供さんがインドの学校に通っていることなどにより、インドのビザを持ち続け、我が家の近くにお住まいになっておられる韓国人宣教師に連絡しますと、その宣教師夫妻が我が家の様子を見に行ってくださり本当に感謝でした。
だれかが家主さんに連絡し、家主さんご夫妻もお越しくださいました。
私たちは家主さんとの難しい関係の中で、家主さんご家族への主の祝福と救いのために祈り続けてきました。
しかし今回空き巣に入られた事で、家主さんが気分を害し、私たちに対して「家から荷物を引き払い、立ち退いてほしい。」と再び同じ要求をされるのではないか(?)と、私は非常に恐れて、心を動揺させておりました。
しかしお電話の中で家主さんは、私たちに対して苦情を何も言わず、逆に私たちを安心させるような言葉を語ってくださいました。
そして最後に「ハッピーイースター」と言ってきてくださいました。その時、日本時間では4月17日(イースター主日)午前2時頃になっていたからです。
私はクリスチャンでありながら、主イエス・キリストの復活を記念するイースターのことはそっちのけで心を動揺させてしまい、家主さんへの大きな恐れの中にありました。
しかしヒンドゥー教徒の家主さんから「ハッピーイースター」と言われて、私はクリスチャンとしての我に返ると共に、自分自身の信仰の弱さをつくづくと実感させられるばかりでした。
それと共に、家主さんご家族への主の祝福と救いのために祈り続けているその祈りを、主が聞いてくださっており、主が家主さん夫妻の心を導いてくださっていることを実感し、主に心から感謝し、主の御名を崇めさせていただきました。
その日(4月17日)主イエス様の復活を記念するイースター礼拝の後、教会学校の子供からイースターエッグをいただきました。
その卵にセロハンが巻かれてあり「すべてのことにおいて感謝しなさい。」と書かれてあり、主の導きと御教えを心に深く感じました。
そしてピリピ人への手紙4:6-7の御言葉が示されました。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6-7)
ところで我が家の様子を見に行ってくださった韓国人宣教師夫妻が、空き巣に荒らされた屋内の写真を撮って送ってくださいました。
戸棚や洋服ダンスの扉が開かれ、旅行カバン類が外に出されており、カバンの中に入っていた私のかつての空手着が床の上に置かれていました。
私は空手着の背中に十字架✟を刺繍し、その十字架の周りにJesus loves you.(イエス様はあなたを愛しています。)Love one another.(互いに愛し合いなさい。)と刺繍して、空手を指導していました。
「イエス様はあなたを愛しています。」「互いに愛し合いなさい。」ヨハネの福音書13章34節からの御言葉です。
その刺繍された御言葉が上向きにされ、空手着がそのまま床の上に置かれていました。
その御言葉を見た空き巣の方の心をイエス様が導いてくださり、救ってくださいますようお祈りしています。
*結論――「幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。」
私たちの人生の中には、様々な出来事があります。
クリスチャンになってからも激しい苦難の深い淵の中から、主に叫び求めることもあります。
しかし主イエス様は、いついかなる時にも私たちと共にいてくださり、私たちが抱えている苦しみ、悩み、悲しみ、すべての重荷を、日々、担ってくださいます。
たとえ今、私たちが涙の谷の中にあっても、主は、そこを泉の湧く所としてくださいます。
なんと幸いなことでしょう。
その力があなたにあり
心の中に シオンへの大路のある人は。
彼らは涙の谷を過ぎるときも
そこを泉の湧く所とします。 (詩篇84:5-6)
主は私たちと共にいてくださり、私たちが涙の谷を過ぎる時も、そこを泉の湧く所としてくださいます。
イザヤ書30章18-19節の御言葉を読ませていただきます。
それゆえ主は、
あなたがたに恵みを与えようとして待ち、
それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。
主が義の神であるからだ。
幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。
ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。
もうあなたは泣くことはない。
あなたの叫ぶ声に応え、主は必ず恵みを与え、
それを聞くとき、あなたに答えてくださる。 (イザヤ書30:18-19)
今、私たちが激しい苦難の深い淵の中に置かれていようとも、
主は、私たちに恵みを与えようとして待っておられ、憐れみを与えようと立ち上がってくださいます。
ですから私たちは、たとえ、どのような苦難の中に置かれることがあっても、主を待ち望ませていただきましょう。
「幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。」と約束されています。
合計 195
手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
195 |
New マルコの福音書16:1-6(復活の奇跡)
tbic
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20:38
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閲覧数 1
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tbic | 20:38 | 1 | 1 |
194 |
創世記28:10-22(十字架はゼロからの出発)
tbic
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2025.04.13
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閲覧数 61
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tbic | 2025.04.13 | 1 | 61 |
193 |
マルコの福音書16:15-20(癒し主イエス・キリスト)
tbic
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2025.04.07
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推薦 1
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閲覧数 24
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tbic | 2025.04.07 | 1 | 24 |
192 |
申命記8:1-10(荒野の祝福)
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2025.03.30
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推薦 2
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閲覧数 28
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tbic | 2025.03.30 | 2 | 28 |
191 |
出エジプト記 25:1-9(幕屋の秘密)
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2025.03.24
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tbic | 2025.03.24 | 1 | 36 |
190 |
ヨハネの福音書16:16-22 (悲しみと喜びは長くない)
tbic
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2025.03.17
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閲覧数 37
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tbic | 2025.03.17 | 1 | 37 |
189 |
創世記22:15-17(敵の門を勝ち取る者)
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2025.03.09
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tbic | 2025.03.09 | 1 | 44 |
188 |
創世記3:1-4、(サタンの噓)
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2025.03.02
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tbic | 2025.03.02 | 1 | 48 |
187 |
ルカの福音書11:1( 主よ、祈りを教えてください)
tbic
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2025.02.23
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tbic | 2025.02.23 | 1 | 55 |
186 |
ルカの福音書12:16-21(今年の期待)
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2025.02.16
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tbic | 2025.02.16 | 1 | 63 |