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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

マタイの福音書16:13-19(ペテロの信仰告白)

投稿者
tbic
投稿日
2023-08-07 17:03
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402
マタイの福音書16:13-19『さて、ピリポ・カイサリアの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに「人々は人の子をだれだと言っていますか」とお尋ねになった。彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だとか言っています。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」』

マタイの福音書16章はマタイの福音書にとって大切な役割をしています。この本文から、そしてその中心にはペテロの信仰告白とイエス様が誰なのかを語ってくれる本文があります。今日の本文の御言葉は場所を移動しながら始まります。イエス様がピリポ・カイサリアの地方に行かれた時、弟子たちにお尋ねになったと出ます。イエス様が特定の場所に行かれた目的は確かです。この場所は特別に皇帝崇拝が盛んになっていて、この地域にはパン神殿があって異邦の祭りが活発に行われている場所でした。神様に礼拝する場所でなければならないのに、むしろ異邦の神々に礼拝する場所に変更されました。

グラント・オスボンという学者はイエス様のピリポ・カイサリア地域への移動は異邦の宣教を念頭に置いてあったと言いました。

旅行の理由」という本で旅行の理由を説明する時、こういう理由で説明します。普段の自分がいる空間には自分だけが知っている傷があると言います。だから旅をするとき、そこで自由になるから旅をすると言います。しかし、むしろイエス様は傷の真ん中に入って、弟子たちに質問をされます。「人々は人の子をだれだと言っていますか」とお尋ねになります。人々は預言者たちの名前をあげます。そしてイエス様は質問を小さくしてなさいます。16:15「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロがこう答えました。「あなたは生ける神の子キリストです。」神の子という告白は、ここだけに登場することではありません。この告白は現在私たちが見るにはやりやすい告白のように見えます。しかしマタイの福音書の全体を見る時、告白は続けて拡張していきます。

これと似っている告白がマタイの福音書14:33に出ます。14:33の背景を見ると、イエス様が働きの中で先に弟子たちを舟に乗せて送られます。舟は先に行った状況で、イエス様はその夜明けころ湖の上を歩いて弟子たちのところに来られます。そしてペテロはその姿を見て、「主よ。あなたでしたら、私をあなたのところに行かせてください。」と言いました。ペテロは私たちがよく知っている通りに湖の上を歩く途中、沈みかけたのです。そして主がすぐに手を伸ばしてペテロをつかみます。その時、こういう告白をします。「まことに、あなたは神の子です。

そしてマタイの福音書27:54にもう一度告白が出るのですが、百人隊長が「この方は本当に神の子であった。」と告白します。この両方の告白がどんな場面から出るのですか?神様が現れる、「神現」と関連があります。旧約聖書でも神様が現れる時、イスラエルの民は神様であることを気づきました。神様の現れは、神の民にご自分がだれなのかを教える重要な役割をします。

実は福音書の重要なテーマが「イエス様はだれなのか?」という質問を含んでいます。この論争によって、律法学者たちと争いが起きます。結局、この告白の中には「私が今イエス・キリストをどう考えているか」についての問いと同時に答えを持っています。

ペテロのこの告白の中には「キリストがどんな身分として来られて、キリストが神の子としてどんなことをなさるのか」についての使命が含まれていることです。イエス・キリストのアイデンティティーは使命と深く関係しているのです。十字架につけられ死んで、復活することに向かって行くことをイエス様は確かに知っておられて、それこそ、ご自分がこの地に来られたことを正確に知っておられたことを見せてくださいました。

不思議の国のアリス」の中に、こういう話が出ます。アリスが猫に聞きます。「ここからどの道に行けばいいか教えてくれる?」猫が答えます。「それはあんたがどこに行きたいのかによることだよ。」アリスは「ぼくはどこでも関係ない。」猫が言いました。「そうしたら、どの道に行っても大丈夫。どこでも到着さえすればね。」また、猫が言いました。「あんたは必ず到着することになっているのよ。歩き続けたら、どこでも着くからね。」

しかし私たちは何の目標もなく、さ迷う者ではありません。私たちはキリストと連合して、その方と共にこの地に仕えるように呼ばれました。私たちは揺れますが、呼ばれた方がいらっしゃるから続けて進むことができます。

本文の16:16で何と告白しますか?「あなた(主)は生ける神の子キリストです。」ペテロの告白はホセア書の御言葉を含んでいます。

ホセア書 1:10、『イスラエルの子らの数は、量ることも数えることもできない。海の砂のようになる。「あなたがたはわたしの民ではない」と言われたその場所で、彼らは「生ける神の子ら」と言われる。

ホセア書では「イスラエルの子ら」と複数で出ていることをマタイの福音書はイエス様の「御子」であることを伝えています。これはイスラエルの子ら(神の子ら)の回復がどういう風に起きるのか?神の子らの現れによって神の子らの回復を見ていることです。

新約聖書で「生ける神」という表現は神様がキリスト教共同体を造られる行動と関係して現れます。旧約聖書でも命であられる神様は命を与える方として現れています。つまり、何を語っているのでしょうか?神の子が立てる神の子らの共同体を語っています。教会を立てるとおっしゃいます。共同体を立てるとおっしゃいます。

本文はペテロの個人の告白だと思いますが、イエス・キリストは共同体を立てるとおっしゃいます。イエス様はなぜ教会という共同体を立てるのでしょうか?人間が創造される時に、親密感のために創造されたからです。この親密感は、個人主義が発展しながら個人主義はもっと広がり、人間はもっと楽になると考えましたが、もっと寂しさを感じています。もっとつながりやすいネットの時代の中で私たちはもっと寂しさをたくさん感じています。これは私たちの何か間違ったことを語っています。自己中心的な人と対話してみましたか?私たちみんなはそういう人々と対話する時、難しさを感じます。

ジャンポール・サルトルの「閉ざされた部屋」という戯曲があります。3名の主人公が登場します。そして、それぞれの理由で地獄に来ています。お互いに話し合っていますが、彼らは自己中心性から逃れられません。すべての地獄の特徴は自分しか見えないことです。そうしたら、地獄はひどい自己中心性になっているところです。そこでは自分しか知らないのです。C.Sルイスはこう言いました。「地獄の門は中から掛かっている。

私たちがこの地上で共同体の愛を経験し、赦しを経験することは一種の天国の姿を前もって味わうことです。今日もここで私一人で礼拝をささげ、だれかが絶え間ない愛をもって私たちを招待していることです。「美女と野獣」が与える偉大な教訓は誰であれ、愛らしい姿の前に愛を受けなければならないことです。チェスタートン(Chesterton)、正統(Orthodoxy)

それにもかかわらず、簡単でない理由は黄泉の勢力が続けて教会を攻撃しているからです。「黄泉の勢力」を別の言葉で表現すれば、「地獄の門」だと言えます。旧約聖書の概念では「死んだ者たちがいる所」だと言えます。つまり、教会を続けて倒す勢力があります。

この世で生きる間、続けて私たちは攻撃を受け、挫折をし、落胆するわけです。しかし、私たちが気落ちしない理由は上の告白(あなたは生ける神の子キリストです。)にわたしの教会を建てるとおっしゃったからです。

ローマ12:5、「大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。

エペソ1:23、「教会はキリストのからだであり、

私たちが主のからだであれば、主はそのからだを癒すことを喜ばれます。誰が自分の体を癒すのに喜ばないでしょうか?私が主のからだであれば。

その方の心は憐れみで服を着られました。その方のからだは憐れみで服を着られた方です。私たちがその方の前に出ていきます。

告白教会の物語

この告白で言われたアイデンティティーから教会が建てられ、天の御国の鍵が与えられるのです。
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