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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ルカの福音書15:1-32(3つのたとえ話)

投稿者
tbic
投稿日
2023-11-05 16:22
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79
ルカの福音書15:1-32、1.さて、取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。2.すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った。3.そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。4.「あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。5.見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、6.家に戻って、友だちや近所の人たちを呼び集め、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。7.あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。8.また、ドラクマ銀貨を十枚持っている女の人が、その一枚をなくしたら、明かりをつけ、家を掃いて、見つけるまで注意深く捜さないでしょうか。9.見つけたら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『一緒に喜んでください。なくしたドラクマ銀貨を見つけましたから』と言うでしょう。10.あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」11.イエスはまた、こう話された。「ある人に二人の息子がいた。12.弟のほうが父に、『お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい』と言った。それで、父は財産を二人に分けてやった。13.それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった。14.何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。15.それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。16.彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。17.しかし、彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。18.立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。19.もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』20.こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。21.息子は父に言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』22.ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。23.そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。24.この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』こうして彼らは祝宴を始めた。25.ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえてきた。26.それで、しもべの一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。27.しもべは彼に言った。『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事な姿でお迎えしたので、お父様が、肥えた子牛を屠られたのです。』28.すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。29.しかし、兄は父に答えた。『ご覧ください。長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しむようにと、子やぎ一匹下さったこともありません。30.それなのに、遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると、そんな息子のために肥えた子牛を屠られるとは。』31.父は彼に言った。『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。32.だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。』」

今日の御言葉、ルカの福音書15章には3つのたとえ話が出てきます。いなくなった羊、なくなった銀貨、放蕩息子、この3つのたとえ話です。このたとえ話が出てくる背景として以前の内容を見て見ますと、イエス様が十字架で死なれる数カ月前の出来事であり、「誰が神の国に入られるのか」というテーマでイエス様が教えられていた中での出来事です(ルカの福音書13章以降)。そのテーマの中でも特に「後の者が先になり、先の者が後になる」という教えが展開されていました。イエス様はパリサイ人や律法学者よりも、取税人や遊女(罪をちゃんと認識して悔い改める罪人たち)の方が先に神の国に入ると教えられたのです。更に大きな視点ではユダヤ人よりも異邦人の方が先になると教えられました。

その時、パリサイ人や律法学者はイエス様が取税人や遊女たちと交流を持っていることを批判しました。当時パリサイ人は取税人や遊女との交流を禁止していました。そこでイエス様は、神様が罪人に対して、どのような立場でおられるかを今日の本文のルカの福音書15章で3つのたとえ話を用いて教えられたのです。

本文のたとえ話の展開を具体的に見ますと、まず「いなくなった羊」のたとえが語られています。ここでは99匹の羊と、いなくなった1匹の羊が対比されています。羊飼いは99匹の羊を野原に残し、1匹の羊を探しに出ます。羊飼いはユダヤ社会では軽蔑され、社会的地位は低い存在でした。なぜならば、彼らの仕事には休みがなく、安息日の規定に従えないので、彼らは律法を守ることができなかったからです。次に「なくなった銀貨」のたとえが語られています。ここでは9枚の銀貨と、なくなった1枚の銀貨が対比され、「女の人」が銀貨を探しています。古代文化では女性の地位は非常に低かったのです。それでイエス様はわざと女の人を取り上げたと思います。

最後に「放蕩息子」のたとえが語られています。ここでは父の側にいながら心は離れていた兄と、放蕩息子の弟が対比されています。ここに出る父親は非常に弱い父親のように見えます。ユダヤ文化では遺産相続は一家の長が資産を運用できなくなった時点で、つまり亡くなった時に行われます。しかしこのたとえ話では一家の長である父親が亡くなった状態ではないことは明らかです。だからもしその子がこのような理不尽な要求をして父親に逆らった場合、モーセの律法では彼を罰することができました。石打ちにされ、殺されるわけです(申命記21:21)。しかし父親はその規定を実行せず、子の要求に従っています。だから律法に厳しかったパリサイ人や律法学者はイエス様のたとえ話を聞きながら、この父親を軽蔑したと思います。

以上のことから「失われたもの」を探す羊飼いも、女の人も、弱い父親も、当時のユダヤ社会の中では社会的地位の低さ、もしくは軽蔑される存在であることが分かります。またたとえ話が展開していくにつれ、「失われたもの」の価値が1/100、1/10、1/2に増して行きます。この全体を文脈から考えると、これらのたとえ話の中心テーマは「罪人と、パリサイ人・律法学者との対比」です。従って、「いなくなった羊」のたとえにおける99匹の羊はパリサイ人や律法学者を、1匹のいなくなった羊は罪人を象徴しています。「なくなった銀貨」のたとえでは、9枚の銀貨はパリサイ人や律法学者を、なくなった1枚の銀貨は罪人を象徴しています。そして「放蕩息子」のたとえでは兄はパリサイ人や律法学者を、弟は罪人を象徴しています。

こういうふうに1匹の羊、1枚の銀貨、放蕩息子がそれぞれ罪人を表しているのなら、彼らを探している羊飼い、女の人、父親は神様を象徴しています。これらの象徴はそれぞれ三位一体の父、子、聖霊のイメージであると考えられます。聖書(ゼカリヤ13:7、ヨハネ10:11)を読みますと、子なる神様(メシア)は良い羊飼いのイメージでよくたとえられています。旧約聖書(ユダヤ文化)の中では「あかり」や「ともしび」は御言葉の象徴としてよく用いられるし、聖霊は御言葉と密接な関係があります(ペテロ第二1:21)。

つまり三位一体の神様、全品格が罪人をくまなく探しておられ、彼らが帰ってくることを待っておられます。また彼らの帰還を求め、探し回り、回復させるというプロセスに、三位一体の神様の全品格が関わっています。

ここで神様の象徴として用いられたイメージが、すべてパリサイ人にとって軽蔑の対象であることに注意して下さい。イエス様はパリサイ人たちが最初から拒絶するようなイメージを用いて、罪人に対する神様の立場を語られました。これは信じる人にとっては分かりやすいのですが、信じない人にとっては分かりにくい、とても難しいたとえ話だと思います。

そうしたら、具体的に「放蕩息子のたとえ」における象徴について考えてみましょう。帰ってきた弟に対して、父親は一番良い着物、指輪、くつ(サンダル)を与えました。一番良い着物は、一家の中で長子が受ける権利を象徴しています(サムエル記第一18:4)。指輪も同じ権利(権威)を象徴しています(創世記41:42)。そしてくつは古代社会では奴隷ではなく、自由人であることの象徴です(奴隷はくつを履かない)。これらの象徴は父親が弟を奴隷としてではなく、息子として迎えたことを意味し、神様はご自分の御元に立ち返った罪人を、そのように扱われることを示しています。

また弟の帰還を祝って、宴会が催されています。聖書では、宴会はメシアの王国の象徴としてよく用いられています(イザヤ25:6、ゼカリヤ14:16、マタイ8:11)。おそらく私たちは弟を祝うための宴会の描写から、悔い改めた罪人が御国に迎え入れられている様子を想像することができます。

では、この内容を文学的にアプローチすれば、3つのたとえ話のテーマは「パリサイ人・律法学者と、罪人との対比」です。最後の「放蕩息子のたとえ」では、罪人の象徴である弟について、かなりの量が割り当てられています。しかし、終盤まで兄の詳細はあまり語られていません。普通、古代のヘレニズム文化圏の作家は、このようにクライマックスの部分を最後まで隠しておく文学手法を用いていました。

最後に兄と父親との対話が語られるまでの弟の物語は、前の2つのたとえ話と同じ展開です。しかし「放蕩息子のたとえ」では、クライマックスの部分である兄の物語が前の2つのたとえ話と大きく異なります。すなわち、「放蕩息子のたとえ」では「兄と弟の対比」の中でも、特に兄に対してフォーカスが当てられています。また当時ユダヤ教のラビがいくつかのたとえ話を連続して語る際、最後のたとえ話の結論はそれまでの全てのたとえ話の結論としての意味もありました。

従って、このたとえ話の結論でもあり、3つのたとえ話の結論は、父親が兄に語った御言葉、32節の、「いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか」という言葉にあります。これはそのまま神様がパリサイ人たちと私たちに語っておられるメッセージである、と私たちは受け取ることができます。

適用を兼ねて、結論を出しますと、
  • 神様はひとりの罪人を、ご自分の大切な息子として愛しておられます。
  • 神様はひとりの罪人が悔い改めて、自ら自分のあるべき姿に戻ることを願っておられます。
  • 神様は私たちのことを喜び、誇りとしたいと思っておられるから、私たちは神様に喜んでいただくために、日々神の声(御言葉)に応答していくべきです。
  • 具体的な実践として適用すれば、羊飼いなるキリストは罪人を見つけたら大喜びで、友人とそれをお祝いなさるお方です。だから私たちも罪人の回復を喜ぶ「キリストの友」と言えるように、日々赦しの愛をもって罪人を探しながら歩むべきです。
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