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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

使徒の働き7:17-41(神の火がついた人)

投稿者
tbic
投稿日
2024-08-04 19:44
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使徒の働き7:17-41「17.さて、神がアブラハムになされた約束の時が近づくにしたがい、民はエジプトで大いに数が増え、18.ヨセフのことを知らない別の王がエジプトに起こる時まで続きました。19.この王は、私たちの同胞に対して策略をめぐらし、私たちの先祖たちを苦しめて幼子を捨てさせ、生かしておけないようにしました。20.モーセが生まれたのは、このような時でした。彼は神の目にかなった、かわいい子で、三か月の間、父の家で育てられましたが、21.ついに捨てられたのをファラオの娘が拾い上げ、自分の子として育てました。22.モーセは、エジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにも行いにも力がありました。23.モーセが四十歳になったとき、自分の同胞であるイスラエルの子らを顧みる思いが、その心に起こりました。24.そして、同胞の一人が虐待されているのを見て、その人をかばい、エジプト人を打ち殺して、ひどい目にあっていた人のために仕返しをしました。25.モーセは、自分の手によって神が同胞に救いを与えようとしておられることを、皆が理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした。26.翌日、モーセは同胞たちが争っているところに現れ、和解させようとして言いました。『あなたがたは兄弟だ。どうして互いに傷つけ合うのか。』27.すると、隣人を傷つけていた者が、モーセを押しのけながら言いました。『だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。28.昨日エジプト人を殺したように、私も殺すつもりか。』29.このことばを聞いたモーセは逃げて、ミディアンの地で寄留者となり、そこで男の子を二人もうけました。30.四十年たったとき、シナイ山の荒野において、柴の茂みの燃える炎の中で、御使いがモーセに現れました。31.その光景を見たモーセは驚き、それをよく見ようとして近寄ったところ、主の御声が聞こえました。32.『わたしは、あなたの父祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。』モーセは震え上がり、あえて見ようとはしませんでした。33.すると、主は彼にこう言われました。『あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。34.わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見た。また彼らのうめきを聞いた。だから、彼らを救い出すために下って来たのだ。今、行け。わたしは、あなたをエジプトに遣わす。』35.『だれがおまえを、指導者やさばき人として任命したのか』と言って人々が拒んだこのモーセを、神は、柴の茂みの中で彼に現れた御使いの手によって、指導者また解放者として遣わされたのです。36.この人が人々を導き出し、エジプトの地で、紅海で、また四十年の間荒野で、不思議としるしを行いました。37.このモーセが、イスラエルの子らにこう言ったのです。『神は、あなたがたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる。』38.また、モーセは、シナイ山で彼に語った御使いや私たちの先祖たちとともに、荒野の集会にいて、私たちに与えるための生きたみことばを授かりました。39.ところが私たちの先祖たちは、彼に従うことを好まず、かえって彼を退け、エジプトをなつかしく思って、40.アロンに言いました。『われわれに先立って行く神々を、われわれのために造ってほしい。われわれをエジプトの地から導き出した、あのモーセがどうなったのか、分からないから。』41.彼らが子牛を造ったのはそのころで、彼らはこの偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造った物を楽しんでいました。」

 

成長したクリスチャン(リーダー)は生まれるのではなく、多くの過程(プロセス)を通って作られる者です。これはモーセを見ても分かります。神様から恵みの中で選ばれた者は、神様によって用いられるために、長い間いろいろな訓練を受けます。これを通して、彼は神様から用いられるしもべへと変えられるのです。そうしたら、神様はモーセをどういう風に訓練させたのでしょうか。

モーセはエジプトでエジプトのすべての学問を学びました。この世の学問はモーセにとって、確かに必要なものでした。クリスチャンは常識はずれの者、知識のない者ではありません。学ぶべきものは、しっかり学ばなければなりません。だから聖書だけ分かれば大丈夫、学校の勉強や社会の知識は要らないという態度は正しくありません。クリスチャンはこういう風に考え方が偏狭な人ではありません。もちろんクリスチャンはこの世の不条理と真理からはずれたものと妥協しません。しかしこの世と離れて生活しないのです。つまり真理であられるイエス・キリストの中で自分の分野で熱心に学び、働く者が、まさに真のクリスチャンです。これが、この世のリーダーであるクリスチャンの基礎的準備です。

エジプトでの学びと生活はモーセにとって、リーダーとしての準備のための尊い時間となりました。神様はちゃんと準備された者を用いられます。ほとんどの人々はイエス様を信じる前には生存競争の中で生きるのです。世の中で自分の力だけを信じて一生懸命に生きながら、失敗するケースがたくさんあります。その中でイエス・キリストを受け入れるのです。しかし問題はイエス様を受け入れてからは、人生の中で競争(激しい戦い)がなくなると思い込んでいます。いいえ、イエス様を信じてからも、なお新しい意味での激しい戦いがあります。

たまに野球やサッカーをテレビで見る時があります。そのときは、負担とか緊張感がほとんどありません。しかし直接運動場に出て、自分でサッカーをやって見てください。その現場の中では戦いがあり、競争心があって、たまに反則という状況に追い込まれる時もあります。それが現場です。机の前に座っているときはこう言います。「試合の中で反則はだめだ。あり得ない。」と。もちろんそうです。反則は正しくありません。しかし試合の中では、必ず反則が出ます。反則が出たとしても、その試合が無効になるわけではありません。これが現場です。

だからクリスチャンはどういう存在でしょうか。あらゆる反則的状況の中でも、必ず勝利する存在です。モーセがなぜ偉大な人物でしょうか。彼は激しい戦いの現場の中で、人生を生き抜いたからです。

だからこそ、本当のクリスチャン、真のリーダーとしての準備は、人生の中での激しい戦いにさらされることから始まります。神の人はまず、こんな激しい戦いの現場で、ちゃんと打ち勝つように準備される者です。だからいつも正常的状況だけを考えてはなりません。正常的ではない状況がもっと多いのです。神様はエジプトにいるモーセを激しい戦いの現場で勝利できる人材として育てるために準備なさいました。エジプトの学問は必要ではないとか、上からの力だけあればいいとか、そういう意味ではないのです。モーセはエジプトの言葉や文化、仕組みがちゃんと分かるように、訓練が必要だったということです。

クリスチャンの中でも、実際に職場や現場で影響力を及ぼす人々がいます。彼らの特徴は何でしょうか。その職場で根を下ろした人々です。彼らは職場で大切な役割を果たします。だからちゃんと準備できる信仰、真の霊性が必要です。皆さんもぜひ、その力によって、職場や現場の中に誠実な姿で立てられる信仰の人になってください。

私たちはたびたび、正義のためには暴力をふるうこともできると思い込んでいます。しかし、神の働きは神の方法でしなければなりません。もちろんこの話は正しいのですが、実践する時はとても難しいです。これを私たちの生活の中で適用すれば、「待つ必要がある」ということです。神様の時を待つ必要があります。神のみこころは神の方法で成し遂げなければならないということを、実際の生活の中で従って見てください。まさに、「神のみこころ」は「待つ」という言葉と同じ言葉であることが分かります。私たちが失敗する理由は何でしょうか。待つことができないから失敗します。

モーセは自分の民を愛し、助けようとしました。だから40歳になった時、自分の民がエジプト人に苦しめられる姿を見て彼を助けようと、エジプト人を打ち殺したのです。モーセは人殺しです。正義のために暴力をふるうことを正当化しました。しかしそれは神の方法ではありません。神の働きはいつも神の方法でしなければなりません。アブラハムが人間的方法で息子を得ようとして失敗したように、モーセも同じ過ちを犯してしまいました。焦ればイシュマエルを産み、待っていればイサクを産みます。

モーセは暴力で自分の民を救おうとしたのですが、暴力では一人も救えませんでした。結局、モーセはミデヤンの荒野へ逃げ出す人生となりました。神の働きは神の方法でしなければ、絶対に実を結びません。だから常に自分自身を発見し、召命を確認して、人格的に準備しなければならない存在が、まさに私たちクリスチャンです。結局、神様はモーセを荒野へ追い払い、導き出しました。モーセは広々とした荒野で羊の群れを飼いながら、質素な食べ物を食べ、険しい所で寝ました。人々の賞賛と拍手喝采のない所で、自分自身を見つめ直す時を持ったわけです。

教会の働きも同じです。私たちが覚えなければならないことはお金で教会の働きをしてはなりません。現場で、教会の中で、或いは教会の外で、ぶつかり合いながら、たましいを勝ち取る働き、いのちを生かす働きをする時、本当の力を体験します。現場が大切です。神様は40年間の荒野の生活を通して、「温室の中のモーセ」を「荒野の雑草のような強いモーセ」に変えられました。だから私たちクリスチャンには戦いのない平安より、激しい戦いの現場で勝利できる強い信仰が必要です。

神の働きをしようとする人は、神様との出会いが絶対に必要です。神様に出会えば、すべての問題が解決されます。出エジプト記3章を読みますと、ある日、モーセはホレブの山で柴の中の、燃える炎の中に臨在する神様に出会いました。柴は火がついて燃えていましたが、燃え尽きなかったのです。どういう意味でしょうか。「モーセ、お前が柴だ」ということです。神様が共におられったら、火のついた柴になります。神様が共におられる柴は火がついていても、絶対に燃えません。枯渇しません。だから神の火がついて燃えている人は、決して干からびることはありません。灰にならず、いつも火の玉となります。酒に酔うことは私たちを疲れさせます。しかし聖霊の油注ぎは、私たちを力づけます。聖霊の助けなしに働くことは、私たちをバーンアウトさせます。でも聖霊は働けば働くほど、私たちに力を増し加えます。

私たちはある大きなプローゼクトを成し遂げてから、バーンアウトする時があります。これはとても難しい働きを終えてから現れる虚しさを表現するものですが、なぜこういう現象が起きるのでしょうか。人間の努力によって働いたからです。神様から与えられる力によって働けば、絶対にバーンアウトしません。今疲れ果てて大変な人生の方がいらっしゃれば、神の力、聖霊の力によって働かないからです。

ペテロの手紙第一4:11、「語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。

これがまさに、バーンアウトしない力の秘密です。マッチの火と灯火(ランプ)の差は何ですか?マッチを擦ると、マッチの火はしばらく大きな火を起こし、燃え上がります。しかし10秒、20秒も耐えられず、灰になってしまいます。なぜでしょうか。芯(灯心)がなく、供給される油がないからです。しかし灯火(ランプ)は続けて燃え上がります。それは芯があって、油が供給されているからです。

皆さんは今、神様の力の油に芯を下ろしていますか?そうしたら、決してバーンアウトしない力の人になります。柴のモーセは、本当に火がついて消えない人生を生きました。皆さん、聖霊のない働きはしないでください。D.L.ムーディ先生はこう言われました。「働き人をつぶすことはやりすぎの働きではなく、聖霊なしに働くことだ。」と。まさに、そうです。だから皆さん、灰にならないで、聖霊の人になってください。

結論、1.モーセはエジプトのすべての学問に触れました。この世の学問はモーセに本当に必要でした。だから聖書だけ分かれば、この世の学問は要らないという反知識的態度は正しくありません。もし皆さんが聖書を読み、祈ることでこの世の働きや勉強に怠っているのであれば、悔い改めなければなりません。

2.モーセは人間的手段と方法は必ず失敗すると分かりました。彼は暴力で自分の民を救おうとしましたが、暴力では一人も救えませんでした。神の働きは神の方法でしなければなりません。その時、たくさんの実を結びます。もし神の働きを血肉の方法でやっているのであれば、直ちにやめなければなりません。

3.モーセは荒野で神様に出会い、神の火がついた聖霊の人になりました。神様がモーセと共におられったら、モーセは火が燃える柴となったのです。神の火がついた者(聖霊の人)は、決して枯渇しません。干からびることはないということです。

皆さん!ぜひモーセのように、聖霊の油注ぎ(聖霊の臨在)によって、燃え上がる柴になってください。そうすれば、決して枯渇しない人生を生きるはずです。
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