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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

箴言16:3 (あなたの計画を主に委ねよ)

投稿者
tbic
投稿日
2024-09-01 19:04
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99
箴言16:3『あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。』

人生には色々な計画があります。しかし『あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。』と書かれているので、自分で悩んだり、重荷を負わずに、「主にゆだねなさい」ということです。人生に寄り頼むところがあることは幸いです。

私たちの人生は委ねる場所が必要です。どんなに強く見えても強い人はありません。どんなに愛する人ができて、「君を骨まで愛する。絶対に幸せにする。」と言われても、破綻が来て崩れ去る時もあります。また親子の間も、時々悲しいことを聞きます。だから私たちは本当にゆだねがいのある場所に、ゆだねることが必要です。皆さんの一番より頼むところは何でしょうか。ある人はお金と言います。アメリカの素晴らしい事はお金に「私たちは神に寄り頼む」と書かれている事です。『あなたのわざを主にゆだねよ。』と書かれている「」というのは、一番素晴らしく、高い方です。家の中で主人が一番上ですが、「主に委ねる」とは、天地を造られた主です。一番素晴らしい神様に私たちの人生を委ねることが必要です。そうすれば神様が私たちの計画を導いてくださるから、心配しなくて良いということです。

預言者モーセがホレブの山で主にお会いしました。真の神様がモーセに現われた時、「あなたの立っているところは聖なる地である。あなたの足の靴を脱ぎなさい。」と言われ、主はモーセに「あなたをエジプトに遣わす。あなたはイスラエルの人をエジプトから解放しなければならない。」と語られると、モーセは心配になり、質問しました。「神様、もし私がエジプトに行った時、あなたを遣わされた神は誰かと聞かれたら、どのように答えれば良いのですか」と聞きました。その時、神様が言われたことは、「わたしはある」でした。そして、「わたしはある」と言う言葉が「」と訳されています。文語体では、「エホバ」と訳されていますが、「わたしは主。わたしはある。」とは「神様は永遠から永遠まで存在されている方、自己存在されている方だ。」ということです。

私は「ある」と言うことができません。私は今日はあっても、いつかはなくなります。口語訳聖書では、「あってあるもの」と書かれているので、「永遠から永遠まで存在している真の生ける神だ。」と語っています。その神様に「あなたの人生を委ねてみなさい」と言われます。『あなたのわざを主にゆだねよ』とは、自分の力ではなく、これから「イエス様、私はあなたに委ねます」と「主に委ねなさい」という意味です。私が信じているのは主イエス・キリストです。主は天地を造られた主であり、イエスは罪から救われる方、キリストは油注がれた方です。つまり「永遠におられるイエス様にあなたのわざをゆだねなさい」ということです。そうすれば、「私たちの計画は堅く立ち、対に失望することはありません。」という約束です。

エレミヤ書29:11、『わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』と書かれています。神様に委ねれば、神様が持っている計画は私たちに将来と希望を与えます。わざわいを与える計画ではなく、平安と将来と希望を与えるものだと言われます。イエス様に委ねることほど安全はありません。皆さんの人生を主に委ねて下さい。

詩篇37:5、『あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。』と書かれています。「あなたの道」とはあなたの人生です。「あなたの人生を主に委ねなさい。主に信頼しなさい。そうすれば、主が成し遂げて下さる。」ということです。

私たちの人生には二つの道があります。一つは「自分の道」です。私たちには自由意志が与えられているので、選択の自由があります。またもう一つは、「神の道」です。神の計画があります。しかし「あなたの道を主にゆだねよ。あなたの人生を主にゆだねて信頼しなさい。」と書かれています。

私はクリスチャンになり、40年になりますが、イエス様に仕えてきた道を考えると、イエス様に委ねて本当に幸せだったと思います。私は「イエス様、どのように生きればいいですか。」と祈りました。その時、私に与えられた使命は、「神の愛を伝えなさい」ということでした。それで伝道者になり、主の道を歩んできました。『生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。』という御言葉に歩んできたのです。イエス様を信じない人生は自己中心です。関心が自分にあるように、いつもほめられるように、成功するように、自分があがめられるように考えます。それより虚しいことはありません。しかし神様があがめられるように、そして人のために、主のために生きるのは、本当に素晴らしいことです。だから皆さんの人生を主に委ねて下さい。そうすれば、素晴らしい人生を歩むことができます。

もちろんクリスチャンになっても、わからないことはたくさんあります。しかし、「すべてのことが益とされる」と書かれているので、神様に委ねることが大切です。私は今25年間、日本で伝道の働きをしています。その中で一番辛くて、苦しかった時期がありました。宣教の支援が途絶えて家もなく、教会を転々とした3年半の期間があります。妻は心も精神も傷ついて、泣いていました。「イエス様、私たちを早く、このところから解放してください。」と祈り続けました。その後、聖書を開くと、詩篇37:23の御言葉が目に入りました。『人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。』と書かれていました。これを読んだ時、私が苦しみながら日本で伝道していることを主が喜んで下さるなら、一生涯日本で伝道をし、「働け」と言われても、この道に喜んで従おうと。そう考えた時に平安が来ました。その次の日からは宣教が苦しくても喜びになりました。本当に主に委ねることが必要でした。

そして間もなく、うちのTBIC教会に来ましたが、神様の道があるので、委ねれば良いのです。一人ひとりに「歩む道」があります。そして主に信頼することが必要です。信頼することはより頼むことです。中途半端ではなく、信じることです。信じることは、お互い様です。私が主を信じた」ということは、イエス様も「わたしもあなたを信じたよ」と言われます。「あなたにお委ねします」と言うと、「わたしもあなたに委ねたよ」と言われます。神様を心から信頼していくなら、神様も私たちを信じて下さり、私たちは絶対に失望することはありません。

旧約聖書にはアブラムについて書かれています。彼が75才になった時に神様が「わたしは全能の神である。わたしの示す地にこれから出て行きなさい。」と言われました。アブラムは天地を造られた神様に本気で信頼していたので、「はい、行きます。」と言って、「行く所知らずに出て行った」と書かれています。その子孫が今のユダヤ人です。神様は信頼する人を喜ばれます。彼には子どもがありませんでしたが、彼が百歳の時に神様は子どもイサクを与えられました。そしてイサクを愛して喜びました。アブラムはあまりにも嬉しかったので、神様よりもイサクを愛したと思います。

だからある時、神様がアブラムをテストしました。「アブラム、あなたの子イサクを全焼のいけにえとしてささげなさい。」と言われました。「全焼のいけにえ」とは羊を殺して薪で焼いて神様にささげることです。彼は驚いたと思いますが、その時アブラムは、「あなたの末(子孫)によって皆祝福される」と言われたことを心の中で、「信じます。神様が私に約束の子イサクを与えたので、たとえ子をささげても、きっと生き返らせてくださる。」と信じました。それで三日間かけてモリヤの山に登り、彼を刀で切ろうと思った時に、天使が現れて「待て」と言いました。「あなたの信仰、あなたの愛がわかった。あなたはひとり子よりも、わたしを愛していることがわかった。」と言われました。それで主は「わたしは自分にかけて誓って言う。あなたの子孫は必ず祝福される。」と言われました。彼は信頼しました。それによって、神様が祝福して下さいました。だから私たちも人生を主にかけて信頼するのみです。

詩篇55:2に、『あなたの重荷を主に委ねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して正しい者をゆるがされるようにはなさらない。』と書かれています。イエス様を信じて、神様に委ねたら、あなたのことは神様が心配してくださるのです。『あなたの重荷を主に委ねなさい。』このように主はあなたを心配されているので、あなたは絶対にゆるがされることはないと約束されています。お祈りするとき、「天のお父様」「アバ父よ」と祈ります。神様が私たちの父だったら、この方に私たちの重荷を委ねれば、素晴らしい平安な生活をすることができるのです。だから「あなたは主に委ねなさい。神様があなたのことを心配していてくださる。」と書かれているわけです。イエス様は『すべて疲れている人はわたしのところに来なさい。わたしはあなたがたを休ませてあげます。』と言われました。私たちの重荷を主に委ねることは、とても大切なことです。そうしたら、重荷とは何でしょうか。

皆さん、不良牧師のアーサー・ホーランド先生を、ご存知でしょうか。彼は愛知県民の森に、祈りに行って変えられました。彼は徹夜で山に登って祈り、神様からの啓示を受けたそうです。それから路傍伝道や十字架を担いだりして、素晴らしい働きをするようになったのです。今は薬物依存症の人を助ける働きをしています。また死刑判決を受けた人を救いに導く働きをもされています。この先生がある教会に訪ねたら、薬物依存症の「五郎」という女の子がいたそうですが、「なぜ、五郎ですか。」と聞くと、その両親が男の子が欲しかったので、女の子が産まれたのに、五郎と名付けたそうです。子どもが産まれる前に男が良い、女が良いという人間の選択はありません。神の計画があるので、神様から見て不必要な人は一人もいません。彼女は十六歳から薬物を使い始めました。薬物を使っている人は絶対に悪くなります。ブタンガスやシンナーを吸うと、心が解放され、「ここに生きる道がある。」と思っても、一年程経つと、精神病院に入ります。そして「何とかして薬から解放されたい」と思っても解放されません。自分の力ではどうしようもないことがあります。

ミッション・バラバの一人である中島牧師も、ヤクザの人生を生きる時は薬を使うようになりました。そうしたら、一人の人を殺そうと思ったそうです。なぜなら、薬で幻覚状態になり、同じ組員が自分の奥さんを見て笑っただけで「俺の妻を取ろうとしている」と思い、「殺してやろう」と考えたそうです。

ある人はお酒、たばこ、悪習慣をやめたいと思っても、やめられないのです。しかし五郎さんは言いました。「私は薬の依存症でしたが、五年間やっていません。」と。また、中島さんやミッション・バラバのメンバーたちが喜んでいるのはイエス様の力です。だから私たちの家庭が破局を迎えようとしても、あきらめてはいけません。早まって離婚してはいけません。絶対に神様が建て直してくださいます。

私の知っているある方は、たばこ中毒になっていました。たばこは中毒になり、ニコチンが血液や細胞に入ると、どうしてもやめることができなくなります。ある日彼は、火鉢から吸いがらを出して、震えながら吸ったそうです。その時、彼は「惨めだ、こんな汚い吸いがらを飲まなくてはならないとは。何て惨めなのだ。様、助けて下さい。」と祈ったそうです。すると翌朝奥さんが「あなたは変わった」と驚きました。彼は重荷から解放されたのです。皆さん、イエス様のところに来て下さい。イエス様が皆さんを助けることができるので、重荷を主に委ねれば、必ず解放されます。

人間にとって一番大きな重荷は、死の恐れです。死んだら、どこに行くのでしょうか。お盆は祖先の霊を祀る一連の行事ですが、日本古来の祖先崇拝と、仏教が融合した行事です。だからめちゃめちゃです。あれは行く道が分かりません。お盆になると、仏様が三日間帰ってくると言って、仏壇に色々なものを捧げます。先祖が、地獄の蓋が開いて帰って来るというのです。本来仏教は哲学思想なので、本当は極楽も地獄もありません。だから仏教は死んだら、どこに行くのか、全然わかりません。死んだらどこに行くかは、イエス様にしか解決がないのです。ヨハネの福音書14:6、『わたしが道であり、真理であり、いのちです。だれでもわたしによらなければ父のみもとに行くことはできません。』とイエス様がはっきり言われたからです。

イエス様を信じたら、どのような罪も赦され、罪からも解放されます。なぜなら、イエス様が十字架にかけられて、私たちのために死なれただけでなく、三日目によみがえってくださったからです。その方が私たちを罪と死の恐れから解放し、永遠のいのちを与えてくださいます。こんな嬉しいことはどこにもありません。皆さん、ぜひ主に信頼してください。そうすれば、必ず解放され、素晴らしい人生を歩むことができます。ペテロの手紙第一5:7、『あなたがたの思い煩いを、いっさい神に委ねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。』と書かれています。だれでも思い煩いがあります。今薬物依存症の人は250万人いるそうです。C型肝炎の人数と同じです。不登校者が13万人、自殺者は毎年3万人以上です。日本の状況は大変な状況です。だからこそ、日本に必要な方はイエス様です。イエス様は『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。』と言われます。

政府は色々なことを言っていますが、心配です。自民党だけが良いのではありませんし、立憲民主党だけが良いのでもありません。ある議員は将来、徴兵制度を作らなければならないと言っています。もし日本でも徴兵制度ができて、子どもたちが兵隊に行くようになったら、どうなってしまうのかと思います。しかし私たちは「何を着ようか、何を食べようか、思い煩うのはやめなさい。」と聖書に書かれているので、心配せずにイエス様に信頼して、これから何があるかわかりませんが、食べること、着ること、何もかもをイエス様にお委ねして歩みたいと思います。イエス様に委ねたら、イエス様はそれを引き受けて、必ず解決できる方です。ただ信頼です。信仰のみです。

私は日本に来てから間もない時に、持っていたお金を全部教会に献金したので、食べるものが全然ない時がありました。しかし色々な主の恵みにより、その間もずっと食べる事が出来ました。私は宣教師になる時に、主に一つの誓約をしました。それは「もしお金がなくなっても、信仰でいきます。」という誓約でした。

私たちは、お金に寄り頼むのではなく、誰かにより頼むのでもなく、ただイエス様により頼むクリスチャンです。これからどうなるのかは分かりませんが、イエス様は私たちに「死ぬまで必要だけは与える。心配しなくても良い。」と言われます。だから今日心配事がある方、重荷がある人はイエス様にお祈りをして、すべてを委ねていきたいと思います。
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