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詩篇 119:105

箴言31:30-31(人生の選択をどう決めるべきか)

投稿者
tbic
投稿日
2024-09-08 21:13
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箴言31:30-31「麗しさは偽り。美しさは空しい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。彼女の手が稼いだ実を彼女に与え、そのわざを町囲みの中でほめたたえよ。」

聖書にはいろいろな人物の人生が書かれていますが、もし皆さんの人生が書かれるとしたら、どう書かれたら良いのでしょうか。一度、考えてみてください。今日は聖書を読みながら、いろいろな人の生き方と、彼らの信仰の姿を見て、自分自身と照らし合わせてみたいと思います。

今日のメッセージを聞きながら、自分がどういうタイプであるか、またどういう風に生きるべきかを考えてみて下さい。今日の本文、箴言31章に出る、「しっかりした女」とは誰でしょうか。

箴言は『知恵の書』であり、人生をどのように生きるべきか、人生の中で必要な知恵が書かれています。そして、その一番最後の箴言31章では「しっかりした女、すばらしい女」が、どんな女性であるかが書かれています。

実はこの具体的な答えが聖書にはちゃんと書かれています。その代表的な人がルツです。ヘブライ語の聖書では箴言の次の本がルツ記なので、箴言31章のしっかりした女はルツを指していると思います。

ルツ記には3人のメイン人物と、その家族について具体的に紹介しているので、今日はルツ記を読みながら、3人のメイン人物の生き方と、その家族について見ていきたいと思います。そしてメイン人物の生き方を見ながら、私たちはどんな生き方が自分と近いのか、そうしたらどんな姿を目指すべきかを見ていきたいと思います。

まず、ルツ記1:1-18を読んでみましょう。

1.さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。

2.その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっている時、

3.ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。

4.ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。

5.しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。

6.そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。
7.そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。

8.そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜り、

9.あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。

10.ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」

11.しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。

12.帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、

13.それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから。」

14.彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。

15.ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」

16.ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

17.あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」

18.ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。

まずは、それぞれ名前の意味を確認しますと、エリメレク: 私の神は王、ナオミ: 心地よい、息子1.マフロン: 病気がち (sickly)、息子2.キルヨン: 虚弱 (weakly)、ベツレヘム: パンの家。

ナオミたち(ナオミと二人の嫁)の立場は、その当時「未亡人」になったということは、今の時代で言うと、ホームレスと同じ立場です。働くこともできないし、家も何もなく、生きるためには、社会に頼るしかない状態でした。

そしてベツレヘムからモアブまでの距離は、110-160kmぐらい離れていて、移動するには1週間はかかったと思います。その当時は何も連絡手段もないし、交通手段も整っていないので、一度移動するのは、とても大変なことでした。

ナオミは旦那のエリメレクとベツレヘムに住んでいましたが、飢きんの際に、神様に選ばれた国を離れ、異邦の地のモアブに移り住んだということです。彼らの考えではユダを離れ、モアブに行くことで飢きんを逃れられると思ったのです。しかしそこで待ち受けていたのは彼らが想像していた明るい未来、満ち足りる未来ではありませんでした。

旦那のエリメレクがそこで死んで、それから2人の息子、マフロンとキルヨンはモアブ人の妻、ルツとオルパを迎え入れたのですが、子どもができることもなく、2人の息子も死んだわけです。

ただ信仰ははっきり持っていたので、神様からは決して離れませんでした。神様の主権を認め、神様が与え、神様がとられることを信じていたのです。どんなにつらくても、神様への信仰を捨てなかったし、もちろん自分の考えで歩むことはあったのですが、神様と共にいることを忘れてはいませんでした。

そして弟嫁のオルパはモアブ人であり、ユダから来たナオミの二番目の息子と結婚し、旦那を亡くしたのですが、それでも姑についていこうとしました。でも姑ナオミが、「元に戻ってもいいんだよ」と言われた時に、元のモアブの地に戻ることにしました。

つまり元の自分がいた場所、家族、友人、知人、そして、もともと自分が信じていた神々に戻ったということです。一度は「神様と共に歩もう」と思ったのですが、再び、自分の元の生活、安定、楽さを選択し、元に戻ってしまいました。

その反面、ルツは同じモアブ人であり、ユダから来たナオミの一番目の息子と結婚し、同じく旦那を亡くしたのですが、それでも姑についていこうとしました。もちろん弟嫁のように、「引き返しなさい」とナオミから言われましたが、決して引き返そうとはしなかったのです。

ルツが求めていたのは、自分がもともと住んでいたところ、家族、友人と生きるのではなく、嫁ぎ先で、特に姑ナオミを通して知った神様を信じ続けることでした。

どんなにつらい思いをしても、旦那を亡くし、息子を亡くしても、神様を離れずに、神様が必要を与えてくださると信じて、神様の元に帰ろうとする姑の生き方を見て、彼女に一生ついていくことを決め、その生ける神様と共に生きることを決めたわけです。

例え異邦の地で誰も知り合いがいなくて、人種差別に会ったとしても、家がなく、その日その日、食べるものがあるかどうかも分からないホームレスの状態であっても、生きておられる神様、そしてそれを信じる姑と一緒に生きていくことを選びました。信仰によって人生を選択したということです。

結局、ルツが選んだ人生の結末は何でしょうか。ナオミの親族であるボアズと結婚したわけです。このボアズのお母さんは、実はラハブでした。ものすごいつながりです。ルツもイエス・キリストの血筋です。つまりルツは結婚前にボアズから「しっかりした女(ルツ記 3:11」と呼ばれ、息子オベデを産み、オベデはエッサイを産み、エッサイはダビデの父です。結局、ルツはダビデのひいおばあちゃんにあたり、また後にこの血筋から私たちの主イエス・キリストが誕生するわけです。

旦那を失い、実の家族や地元の友達とも離れ、家も食べ物も何もないところから、神様はすべてをルツに与えて下さいました。主の家族を与え、旦那を与え、息子を与え、ダビデのひいおばあちゃん、そして主イエス・キリストに続くように祝福されました。何もないところから始まり、信仰を選んだ人生は、神様によって祝福されるものとなったわけです。

私たちの生き方はどうでしょうか。どの人に一番似ているのでしょうか。

そうしたら、どの姿を目指すべきでしょうか。私たちの人生は、毎日大きなことも、小さなことも選択の連続です。

大きいことで言うと、結婚相手を選ぶ時や離婚を考える時、転職しようとする時や、病気になった時に、どのように反応し、どのように生きるかを、私たちは選択しなければなりません。

目に見える範囲で、現実を見て、楽な方、安全な方、この世の人が勧める方に進むのか、それとも神様を中心にして、信仰によって選ぶのか、です。

また小さなことで言うと、今日何をするか、仕事に対して、どう接するか、家族や友人にどう接するか、です。

例えば、お盆の季節になった時に、どうするか。仏教徒の家族に墓参りやお寺などで参拝しようと誘われた時に、そこへ連れていかれた時に、どうするか。断るのが怖い、周りから悪口を言われたり、変な目で見られるのが嫌だから、ノンクリスチャンと同じことをするか。それとも、例え何か言われたとしても、人々に嫌がられたとしても生ける神と生きることを選択し、信仰で選択をするか、です。

しっかりした女は、選択がこの世の流れと違うと思います。知恵ある人は誰でしょうか。信仰によって選び、神のみこころのまま、御言葉通り生きることによって、神様から喜ばれる人生を生きる人です。これから私たちは何を基準にして日々の選択をして生きるべきか、それを深く考えながら、この一週間を過ごしたいと思います。
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