メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

詩篇32:1-11(私にとって一番大きな感謝とは)

投稿者
tbic
投稿日
2024-11-18 00:58
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125
 詩篇32:1-11『1.幸いなことよ その背きを赦され 罪をおおわれた人は。2.幸いなことよ 主が咎をお認めにならず その霊に欺きがない人は。3.私が黙っていたとき 私の骨は疲れきり 私は一日中うめきました。4.昼も夜も 御手が私の上に重くのしかかり 骨の髄さえ 夏の日照りで乾ききったからです。セラ 5.私は自分の罪をあなたに知らせ 自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。すると あなたは私の罪のとがめを 赦してくださいました。セラ6.それゆえ 敬虔な人はみな祈ります。あなたに向かって あなたがおられるうちに。大水は濁流となっても 彼のところに届きません。7.あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り 救いの歓声で 私を囲んでくださいます。セラ 8.私は あなたが行く道であなたを教え あなたを諭そう。あなたに目を留め 助言を与えよう。9.あなたがたは 分別のない馬やらばのようであってはならない。くつわや手綱 そうした馬具で強いるのでなければそれらは あなたの近くには来ない。10.悪しき者は心の痛みが多い。しかし 主に信頼する者は 恵みがその人を囲んでいる。11.正しい者たち 主を喜び 楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ 喜びの声をあげよ。』

今日は皆さんと共に収穫感謝祭として神様に礼拝をささげられるこの素晴らしい恵みをまことに感謝を申し上げます。私は収穫感謝祭を迎えながら、神様に感謝するために神様から受けた恵みと祝福をもう一度振り返ってみました。私が歩んで来た過去から現在までの道のり、その中で受け取った神様の恵みと祝福を考えますと、あまりにも素晴らしく尊いものだったと思います。私は本当にたくさんの恵みと祝福をいただき、またその気づきは更なる恵みと祝福となって、今私は溢れています。

もちろん私も人生の中で困難や苦しみ、苦難がなかったわけではありません。何度も死にたくなるほどつらい経験や苦しみ、大変な出来事、本当に疲れた日々が誰よりも多かったと思います。だから人々に対する恨み、悔しさ、それだけでなく、神様に対する恨み、不平不満もいっぱいあったと思います。しかし深く考えてみたら、私が受けたすべての苦しみの原因は神様ではなく、自分を含め、私たち人間の罪のせいであることがよく分かりました。それは私たちが生きるこの世が罪によって汚染されて現れる人間の苦しみであって、決して神様のせいではないことが分かったのです。

その悟りによって神様を信じ、その方を理解しながら生き始めた時、それは私にとって大きな助けになったと思います。つまりそういう風に考えてみたら、神様には感謝することだけあったということです。本当に私が経験したすべての良いこと、恵みと祝福の出来事が全部神様のお陰だったのです。そして人生の中で私が経験したすべての悪いこと、大変苦しんでつらかった出来事は全部私と私たち人間の罪のせいでした。

これを自分勝手な思い込みだと批判する人がいるかもしれませんが、私にとってそういう考え方(信仰)はどれほど尊く、素晴らしいものであるかは経験してないと誰も知らないと思います。私は本当に大変な人生を生き抜いたのですが、受けた恵みと祝福もいっぱいありました。

私は幼いごろからずっと貧しい人々に囲まれ、貧しい生活をしながらも飢え死にしなかったこと、またホームレスのような状態で、人々から捨てられた空き家や無許可の仮設住宅で住んでても、ちゃんと寝れる家があったということを、私は何よりも感謝しています。今は経済的に安定しており、家もあって、車もあり、不便なものがほとんどない今の時も感謝しています。しかし経済的な面で今が一番大きな感謝ではなく、むしろ貧しかったとき、毎月残高が100円単位だった時期もあったのですが、その時も生きられるように導いてくださった神様にもっと感謝しています。

だから私は経済的に安定した今も幸せですし、貧しかった過去も不幸ではありませんでした。その時は上から注がれる神様の恵み、教会で奉仕できる喜びと感謝、良い友達からの励ましと祈りの支えが更にあったから本当に幸せでした。たまに過去を振り返ってみながら一人で笑う時もありますが、こんな思い出(貧しかったが幸せだった)をプレゼントしてくださった神様に本当に感謝しています。

そして私はいろいろな事故や事件も誰よりも多く経験しましたが、その時ごと守ってくださった神様にまた感謝しています。兄が射た矢にお腹を刺され、引っ張り出しても抜かれない矢が刺されたまま病院に運ばれたこともあるし、ハンドボールに目が当たって、網膜破裂の状態で病院に運ばれ、手術を待っていた一週間も、いまだに鮮明に覚えています。その他に、軍隊の3年間、生死の瀬戸際に立っていたことも何度もあり、本当に死んでもおかしくない大きな事故や事件もいっぱい経験しました。しかしその中でも髪の毛一本も失われず、守ってくださった神様に感謝しています。

私は短い人生ですが、人生を生きてみたら、やはりこの世は本当に危険な所です。さまざまな事故や事件がいつも溢れている所が、まさにこの世だと思います。こんな世の中で大きな害を受けず、ここまでたどり着いたことが何よりも神様の恵みです。だから今まで私と私の家族を守ってくださった神様に、まことに感謝を申し上げます。

そして私にこんな幸せな家庭を与えてくださった神様に、私は本当に感謝しています。もちろん大変な時期もあったのですが、素敵な妻に出会い、二人の子供も与えられ、健康に過ごしていることが何よりも感謝ですし、その中で一番感謝なことはみんな信仰をもって信仰生活をしていることです。この信仰のことは私が牧師であっても、勝手にできることではありません。神様の一方的な恵みです。だから今感謝と感激で溢れています。

最近私は本当に幸せを満喫しています。雲の上を歩くような気分です。教会のホームページを通して新しい人々との出会いが与えられ、教会も新しい転機を迎えています。だから私は本当に嬉しくてたまりません。ただただ、神様に賛美と感謝をささげる毎日です。

また私を牧師として呼んでくださった神様に、本当に感謝しています。私は美術が大好きで、画家になりたかったのですが、神様は私を牧師として任命なさいました。もちろん画家となって、美術をやっていても私は幸せだったと思います。しかし私は今牧師であり、宣教師になったことがあまりにも幸せで、喜びと感謝でいっぱいです。

私が牧師となって与えられる満足感と感謝の気持ちは、経済的に安定した今の状態と比べられないほど大きなものです。特に人々と接するのが苦手である私が常に人々と接する牧会をやっているということはもう奇跡に近いことですが、この教会で皆さん一人ひとりに仕える牧会者となったことは、私にとって大きな祝福であり、神様の一方的な恵みです。神様と皆さんに、もう一度感謝を申し上げます。

だから私はTBICの牧師となったことが本当に幸せです。毎週日曜日ごとにこういう風に集まって一緒に礼拝をささげ、礼拝の後は食事の交わりも与えられ、共に分かち合える喜びはまさに天国そのものです。小さな群れですが、TBICに与えられた神様の恵みと祝福は、この世のどこでも味わうことのできない素晴らしいものだと思います。だから私は皆さんに会うたびに喜びと感謝で溢れ、ダビデが告白した詩篇23篇のダビデの賛歌、5節に「私の杯は、あふれています。」と告白した、そのダビデの気持ちでいっぱいです。

これだけでも私にとって神様の恵みと祝福は本当に大きいものですが、しかし私にはこの全ての恵みと祝福をはるかに超える、もっと大きな恵みと祝福があります。私にとって一番大きな最大の感謝ですが、、

それは私の罪が赦されたことです。私も弱い人間です。今までたくさんの罪を犯して来ました。皆さんにも家族にも言えない恥ずかしいことや罪、咎がどれほど多いか分かりません。私を含め、人間は本当に罪と咎を自動的に生産する機械のような存在です。もちろんほとんどはそんなに大したことではない罪かもしれません。しかしその中にはとても致命的で私たちが持っているすべての祝福を一気に奪ってしまうような罪、咎があります。しかし問題は、人々はそれが何か知らないから責めることができないだけで、人々よりもっと恐ろしいサタン、悪魔がそれを知っているということです。だから私たちはまさに死んだ状態の人間です。サタンに致命的な弱点を、つまり罪が漏出し、ばれてしまった人間がどうやって生きることができるのでしょうか。完全に死んだ状態の人間がまさに私たちです。

私は自分が死んだ人間であることを以前から知っていました。しかし知っていても意味ありません。それを知っていても解決できる問題ではないからです。この問題はむしろ知らないほうが良かったかもしれません。解決もできないのに、この事実を知っていることが何よりもつらい苦しみでした。

だからこそ、私にとって一番感謝することはイエス・キリストの十字架です。私は自分の罪と咎がイエス・キリストの十字架の前で、全て雪のように、羊の毛のようにきれいになったことを信じます。そのため、私の全ての罪と咎を知っているサタンが私を咎め、私を告発できない事実をよく知っています。

何も入れることのできない汚い器のような私をイエス・キリストの十字架の血潮によってきれいに洗い、世の中で一番尊いものを入れられる神の器、神の道具となるように導いてくださった神様に、私は一番感謝し、感激しています。

だから私は今日の本文の1-2節で、「幸いなことよ その背きを赦され 罪をおおわれた人は。幸いなことよ 主が咎をお認めにならず その霊に欺きがない人は。」と言われたこのみことばの意味がよく分かります。まさに私がその恵みと祝福を直接頂いているからです。私が今頂いているたくさんの恵みの中で、このイエス・キリストの十字架の血潮、あがないの恵みがもしなかったのであれば、他の恵みは全部意味のない恵み、空っぽの祝福となってしまうから、このイエス・キリストのあがないの祝福と救いの恵みが私にとって一番感謝なことです。

皆さん、ぜひ覚えてください。罪によって永遠に滅びる運命の私たちが神の御子イエス・キリストの十字架のあがないによって救われ、天の御国で永遠に生きる存在となりました。これよりもっと素晴らしい恵みと祝福はありません。だから詩篇116:12-14で、ダビデは何と告白しますか?「主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししようか。私は救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めよう。私は、自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。

皆さん、イエス様のあがない、救いの恵みを考えれば、神様から与えられた永遠の命の祝福を考えれば、私たちの人生の中でいちじくの木が花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなくても何の問題もないし、それはそんなに大事なことではありません。それらはあってもいいですし、なくても全然かまいません。

だから皆さん、神様が私たちに与えてくださったすべての恵みを常に感謝し、何よりも私たちの罪と咎を赦してくださったイエス・キリストの十字架の血潮、そのあがないの恵みをいつも感謝しながら生きることを、切にお願い申し上げます。
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