メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
マタイの福音書27:26-28:6(妨害のため、よりうまくいく人生)
投稿者
tbic
投稿日
2025-02-10 16:09
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マタイの福音書27:26-28:6『26.そこでピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。27.それから、総督の兵士たちはイエスを総督官邸の中に連れて行き、イエスの周りに全部隊を集めた。28.そしてイエスが着ていた物を脱がせて、緋色のマントを着せた。29.それから彼らは茨で冠を編んでイエスの頭に置き、右手に葦の棒を持たせた。そしてイエスの前にひざまずき、「ユダヤ人の王様、万歳」と言って、からかった。30.またイエスに唾をかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたいた。31.こうしてイエスをからかってから、マントを脱がせて元の衣を着せ、十字架につけるために連れ出した。32.兵士たちが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会った。彼らはこの人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。33.ゴルゴタと呼ばれている場所、すなわち「どくろの場所」に来ると、34.彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。35.彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いてその衣を分けた。36.それから腰を下ろし、そこでイエスを見張っていた。37.彼らは、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きをイエスの頭の上に掲げた。38.そのとき、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に、十字架につけられていた。39.通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしった。40.「神殿を壊して三日で建てる人よ、もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」41.同じように祭司長たちも、律法学者たち、長老たちと一緒にイエスを嘲って言った。42.「他人は救ったが、自分は救えない。彼はイスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおう。そうすれば信じよう。43.彼は神に拠り頼んでいる。神のお気に入りなら、今、救い出してもらえ。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」44.イエスと一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。45.さて、十二時から午後三時まで闇が全地をおおった。46.三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。47.そこに立っていた人たちの何人かが、これを聞いて言った。「この人はエリヤを呼んでいる。」48.そのうちの一人がすぐに駆け寄り、海綿を取ってそれに酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした。49.ほかの者たちは「待て。エリヤが救いに来るか見てみよう」と言った。50.しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。51.すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。地が揺れ動き、岩が裂け、52.墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った。53.彼らはイエスの復活の後で、墓から出て来て聖なる都に入り、多くの人に現れた。54.百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たちは、地震やいろいろな出来事を見て、非常に恐れて言った。「この方は本当に神の子であった。」55.また、そこには大勢の女たちがいて、遠くから見ていた。ガリラヤからイエスについて来て仕えていた人たちである。56.その中にはマグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子たちの母がいた。57.夕方になり、アリマタヤ出身で金持ちの、ヨセフという名の人が来た。彼自身もイエスの弟子になっていた。58.この人がピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。そこでピラトは渡すように命じた。59.ヨセフはからだを受け取ると、きれいな亜麻布に包み、60.岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。そして墓の入り口に大きな石を転がしておいて、立ち去った。61.マグダラのマリアともう一人のマリアはそこにいて、墓の方を向いて座っていた。62.明くる日、すなわち、備え日の翌日、祭司長たちとパリサイ人たちはピラトのところに集まって、63.こう言った。「閣下。人を惑わすあの男がまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました。64.ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと弟子たちが来て、彼を盗み出し、『死人の中からよみがえった』と民に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の惑わしよりもひどいものになります。」65.ピラトは彼らに言った。「番兵を出してやろう。行って、できるだけしっかりと番をするがよい。」66.そこで彼らは行って番兵たちとともに石に封印をし、墓の番をした。1.さて、安息日が終わって週の初めの日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。2.すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来て石をわきに転がし、その上に座ったからである。3.その姿は稲妻のようで、衣は雪のように白かった。4.その恐ろしさに番兵たちは震え上がり、死人のようになった。5.御使いは女たちに言った。「あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。6.ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。』
本文の背景はキリスト教の核心である十字架と復活。
(1) 「死んでも生きるHe dies, will lives」。
キリスト教の核心は死んでも終わりではないということです。
(2) いのちと光の反対は死と闇ではなく、不在の概念です。
闇は戦う対象ではなく、ただ不在の状態です。つまり光があれば闇は消え去ります。そして死もいのちがあれば消えることになります。つまり私たちがいのちと光になれば、必ず勝利します。 (Shine light and life)
死の勢力。
(1) 定義。
私たちが駄目になることを願うのが、死の勢力です。
(2) 死の勢力を克服できる方法。
必ず破ることができるという信仰と、克服すれば災い転じて福となるということです。
(1) 今日の本文、マタイの福音書27:62-63、『明くる日、すなわち、備え日の翌日、祭司長たちとパリサイ人たちはピラトのところに集まって、こう言った。「閣下。人を惑わすあの男がまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました。」』
(2) 弟子たちはイエスさまの復活を忘れましたが、敵たちはこれを記憶していました。
未信者の方が信じる傾向があります。
例)酒屋(スナックバー)と教会が一つの建物にあったのですが、教会は酒屋が潰れるようにと祈りました。酒屋がつぶれると、酒屋の主人が裁判所に訴えて、「あの教会が祈ったからつぶれた」と主張すると、その教会の牧師は「教会が祈ったから、酒屋がつぶれるの?とんでもない話だ。経営問題だろう。」と答えたそうです。つまり世の中の信じない人々が教会の牧師より、もっと信仰が良い時があります。
(3) イエスさまの復活を阻止しようとする内容の幼稚さ。
マタイの福音書27:66、「そこで彼らは行って番兵たちとともに石に封印をし、墓の番をした。」
石で塞いで、皇帝の封印をし、番兵たちが墓の番をしました。私たちは悪魔を過大評価することがあります。しかし悪魔は幼稚すぎます。これらによって復活を防ぐことは出来ません。
(4) 生活の適用。
私たちの人生の中で悪魔がすることを見れば、幼稚だということが簡単に分かります。パターンが同じです。つまり私たちは悪魔と戦うのではなく、本質を握れば良いのです。これがいのちの力になります。言い換えれば、礼拝、祈り、御言葉中心の生活をすることです。この本質から出るいのちはものすごい力を持っているため、このような石では防げないということを私たちは必ず信じなければなりません。私たちに対するすべての妨害要素は、イエス·キリストの名で破ることができます。これが復活の力です。どんなに大きな問題でも、イエスの御名はすべての問題を破ることができるということを信じなければなりません。
マタイの福音書28:5-6、『御使いは女たちに言った。「あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。」』
残念ながら信じる人の多くは未信者と同じタイプの生活を送っています。信者の弱さと転び、罪のために教会が萎縮し、神の栄光と力が疑われます。しかし神さまは人間の罪と何の関係もないということを私たちは知らなければなりません。
ヨブ記35章のエリフの言葉、ヨブ記 35:6-7、「あなたが罪を犯したとしても、あなたは神に対して何ができるのか。あなたの背きが多くあるとしても、神に対して何をなし得るのか。あなたが正しかったとしても、神に何を与えられるのか。神は、あなたの手から何を受けられるのか。」
つまり神さまは人間の状態に影響を受けないと主張するエリフの言葉です。これが真理です。したがって、人間の状態に神さまが影響を受けると考えること自体が不信です。人間の選択と関係なく、神さまご自身で歴史を導いていかれるということを私たちは知らなければなりません。
(1) 悪魔の接近の方法。
十字架によって悪魔は勝ったと思ったのですが、十字架が人類の救いの方法となりました。これによって悪魔は致命的な傷を受けました。
石と封印、番兵はむしろ復活の証拠として活用されます。したがって復活の最初の証人はローマの兵士たちです。つまり神さまは妨害するすべてのことがむしろ証拠資料になるように導く逆説的な神さまです。
(2) それで妨害することのためにむしろ栄光になり、うまくいきます。
ウィンストン·チャーチル(Winston Churchill) が有名になったきっかけの逸話。
イギリスでは議会政治が発達し、紳士的です。しかし議員の中に毒舌を浴びせる議員が問題になり、もし女性議員がむやみに口を開けば、より大きな社会問題になったのです。それで女性が強ければ、避けるのが唯一の答えでした。その議会で、ある女性議員が怒ってウィンストン·チャーチルに無礼に話しました。「もし私があなたの妻だったら、あなたのコーヒーカップに毒を入れるよ。」と。ウィンストン·チャーチルは言いました。「もしあなたが私の妻だったら、私は喜んでそのコーヒーを飲むよ。」と。このエピソードを通して、チャーチルは有名になったのです。
(3) ヨセフ。
兄たちは悪魔のようにヨセフを殺そうとしましたが、むしろ彼らはヨセフがエジプトの総理になる一等功臣になりました。
創世記50:20、「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」
私たちは、すべてのことがともに働いて益となる神の力を信じなければなりません。
(4) したがって、信者は決して恐れと落胆がありません。
私たちが信じる神さまが誰なのか分かれば、つまり復活の力を信じれば、恐怖と落胆ではなく、楽天的なユーモア溢れる者になります。必ず勝利するという信仰を持っているからです。
コリント人への手紙第一15:58、「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」
(5) 災い転じて福となる。
イエス様を信じれば、何の苦難もサタンの攻撃もないという人々がいます。そうではありません。誤った信仰です。イエスさまを信じても苦難とサタンの攻撃があります。だから人生の中で出会う苦難と苦痛と理解できない問題に対して変に考えてはなりません。その中で理由や答えを見つけようとしてもいけません。生きていれば、そういうこともあります。私たちもそのような苦難に直面するかもしれません。
また私たちの周辺でそのようなことに遭った人を見て、むやみに判断してはなりません。その人が罪を犯したからだとか、悔い改めないからだとか、言ってはいけません。「イエスさまと親しくても仕方がないね」と言ってはいけません。パウロが病気になったのは罪のためではありません。私たちが風邪を引くように、ただ病気になったのです。だから私たちはむやみに判断するより、病気や苦難の中にいる人々のために祈り、慰め、一緒に痛めなければなりません。
そして自分が今そのような苦難とサタンの攻撃に会っているのであれば、信仰を持たなければなりません。神さまが苦難とサタンの攻撃を必ず勝たせるように導いてくださいます。自分がその苦難とサタンの攻撃を乗り越えるのではありません。神さまが勝つようになさいます。私たちは神さまの大切な子供たちだからです。イエスさまは私たちを死ぬまで愛しました。だから私たちを必ず助けてくださいます。私たちはこの事実だけを固く信じなければなりません。
また苦難を通して神さまに栄光を捧げなければなりません。パウロは病気によって心配をたくさんしましたが、イエスさまはむしろこの病気を通して神さまに栄光を捧げることができると言われました。イエスさまご自身も、この病気を通して栄光を受けられました。
私たちも同じです。私たちが人生で出会うすべてのサタンの攻撃と問題を通して、神さまに栄光を捧げることができます。それは神さまの助けで解決するためであり、神さまを証することができるためでもあります。それで神さまに感謝し、神さまを褒め称えることができます。
今どんな問題で悩んで、苦しんでいるのか、関係ありません。信仰さえあれば、十分克服できます。そのことを通しても、神さまに栄光を捧げることができます。私たちはこの事実だけを固く信じなければなりません。その時、そのすべてのことがともに働いて益となります。神さまを信じる者たちには、常に災い転じて福となることを覚えなければなりません。
本文の背景はキリスト教の核心である十字架と復活。
(1) 「死んでも生きるHe dies, will lives」。
キリスト教の核心は死んでも終わりではないということです。
(2) いのちと光の反対は死と闇ではなく、不在の概念です。
闇は戦う対象ではなく、ただ不在の状態です。つまり光があれば闇は消え去ります。そして死もいのちがあれば消えることになります。つまり私たちがいのちと光になれば、必ず勝利します。 (Shine light and life)
死の勢力。
(1) 定義。
私たちが駄目になることを願うのが、死の勢力です。
(2) 死の勢力を克服できる方法。
必ず破ることができるという信仰と、克服すれば災い転じて福となるということです。
- できないことを願う勢力が存在しますが、主は彼らを破られます。
(1) 今日の本文、マタイの福音書27:62-63、『明くる日、すなわち、備え日の翌日、祭司長たちとパリサイ人たちはピラトのところに集まって、こう言った。「閣下。人を惑わすあの男がまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました。」』
(2) 弟子たちはイエスさまの復活を忘れましたが、敵たちはこれを記憶していました。
未信者の方が信じる傾向があります。
例)酒屋(スナックバー)と教会が一つの建物にあったのですが、教会は酒屋が潰れるようにと祈りました。酒屋がつぶれると、酒屋の主人が裁判所に訴えて、「あの教会が祈ったからつぶれた」と主張すると、その教会の牧師は「教会が祈ったから、酒屋がつぶれるの?とんでもない話だ。経営問題だろう。」と答えたそうです。つまり世の中の信じない人々が教会の牧師より、もっと信仰が良い時があります。
(3) イエスさまの復活を阻止しようとする内容の幼稚さ。
マタイの福音書27:66、「そこで彼らは行って番兵たちとともに石に封印をし、墓の番をした。」
石で塞いで、皇帝の封印をし、番兵たちが墓の番をしました。私たちは悪魔を過大評価することがあります。しかし悪魔は幼稚すぎます。これらによって復活を防ぐことは出来ません。
(4) 生活の適用。
私たちの人生の中で悪魔がすることを見れば、幼稚だということが簡単に分かります。パターンが同じです。つまり私たちは悪魔と戦うのではなく、本質を握れば良いのです。これがいのちの力になります。言い換えれば、礼拝、祈り、御言葉中心の生活をすることです。この本質から出るいのちはものすごい力を持っているため、このような石では防げないということを私たちは必ず信じなければなりません。私たちに対するすべての妨害要素は、イエス·キリストの名で破ることができます。これが復活の力です。どんなに大きな問題でも、イエスの御名はすべての問題を破ることができるということを信じなければなりません。
マタイの福音書28:5-6、『御使いは女たちに言った。「あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。」』
残念ながら信じる人の多くは未信者と同じタイプの生活を送っています。信者の弱さと転び、罪のために教会が萎縮し、神の栄光と力が疑われます。しかし神さまは人間の罪と何の関係もないということを私たちは知らなければなりません。
ヨブ記35章のエリフの言葉、ヨブ記 35:6-7、「あなたが罪を犯したとしても、あなたは神に対して何ができるのか。あなたの背きが多くあるとしても、神に対して何をなし得るのか。あなたが正しかったとしても、神に何を与えられるのか。神は、あなたの手から何を受けられるのか。」
つまり神さまは人間の状態に影響を受けないと主張するエリフの言葉です。これが真理です。したがって、人間の状態に神さまが影響を受けると考えること自体が不信です。人間の選択と関係なく、神さまご自身で歴史を導いていかれるということを私たちは知らなければなりません。
- 妨害勢力を有益に変える神さま(逆説的摂理)。
(1) 悪魔の接近の方法。
十字架によって悪魔は勝ったと思ったのですが、十字架が人類の救いの方法となりました。これによって悪魔は致命的な傷を受けました。
石と封印、番兵はむしろ復活の証拠として活用されます。したがって復活の最初の証人はローマの兵士たちです。つまり神さまは妨害するすべてのことがむしろ証拠資料になるように導く逆説的な神さまです。
(2) それで妨害することのためにむしろ栄光になり、うまくいきます。
ウィンストン·チャーチル(Winston Churchill) が有名になったきっかけの逸話。
イギリスでは議会政治が発達し、紳士的です。しかし議員の中に毒舌を浴びせる議員が問題になり、もし女性議員がむやみに口を開けば、より大きな社会問題になったのです。それで女性が強ければ、避けるのが唯一の答えでした。その議会で、ある女性議員が怒ってウィンストン·チャーチルに無礼に話しました。「もし私があなたの妻だったら、あなたのコーヒーカップに毒を入れるよ。」と。ウィンストン·チャーチルは言いました。「もしあなたが私の妻だったら、私は喜んでそのコーヒーを飲むよ。」と。このエピソードを通して、チャーチルは有名になったのです。
(3) ヨセフ。
兄たちは悪魔のようにヨセフを殺そうとしましたが、むしろ彼らはヨセフがエジプトの総理になる一等功臣になりました。
創世記50:20、「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」
私たちは、すべてのことがともに働いて益となる神の力を信じなければなりません。
(4) したがって、信者は決して恐れと落胆がありません。
私たちが信じる神さまが誰なのか分かれば、つまり復活の力を信じれば、恐怖と落胆ではなく、楽天的なユーモア溢れる者になります。必ず勝利するという信仰を持っているからです。
コリント人への手紙第一15:58、「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」
(5) 災い転じて福となる。
イエス様を信じれば、何の苦難もサタンの攻撃もないという人々がいます。そうではありません。誤った信仰です。イエスさまを信じても苦難とサタンの攻撃があります。だから人生の中で出会う苦難と苦痛と理解できない問題に対して変に考えてはなりません。その中で理由や答えを見つけようとしてもいけません。生きていれば、そういうこともあります。私たちもそのような苦難に直面するかもしれません。
また私たちの周辺でそのようなことに遭った人を見て、むやみに判断してはなりません。その人が罪を犯したからだとか、悔い改めないからだとか、言ってはいけません。「イエスさまと親しくても仕方がないね」と言ってはいけません。パウロが病気になったのは罪のためではありません。私たちが風邪を引くように、ただ病気になったのです。だから私たちはむやみに判断するより、病気や苦難の中にいる人々のために祈り、慰め、一緒に痛めなければなりません。
そして自分が今そのような苦難とサタンの攻撃に会っているのであれば、信仰を持たなければなりません。神さまが苦難とサタンの攻撃を必ず勝たせるように導いてくださいます。自分がその苦難とサタンの攻撃を乗り越えるのではありません。神さまが勝つようになさいます。私たちは神さまの大切な子供たちだからです。イエスさまは私たちを死ぬまで愛しました。だから私たちを必ず助けてくださいます。私たちはこの事実だけを固く信じなければなりません。
また苦難を通して神さまに栄光を捧げなければなりません。パウロは病気によって心配をたくさんしましたが、イエスさまはむしろこの病気を通して神さまに栄光を捧げることができると言われました。イエスさまご自身も、この病気を通して栄光を受けられました。
私たちも同じです。私たちが人生で出会うすべてのサタンの攻撃と問題を通して、神さまに栄光を捧げることができます。それは神さまの助けで解決するためであり、神さまを証することができるためでもあります。それで神さまに感謝し、神さまを褒め称えることができます。
今どんな問題で悩んで、苦しんでいるのか、関係ありません。信仰さえあれば、十分克服できます。そのことを通しても、神さまに栄光を捧げることができます。私たちはこの事実だけを固く信じなければなりません。その時、そのすべてのことがともに働いて益となります。神さまを信じる者たちには、常に災い転じて福となることを覚えなければなりません。
合計 191
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