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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

歴代誌 第二7:11-14(国のために祈ろう)

投稿者
tbic
投稿日
2025-08-17 18:04
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歴代誌 第二7:11-14『こうしてソロモンは、主の宮と、王宮とを建て終え、主の宮と自分の宮殿に対して実施しようとソロモンが思っていたすべてのことをみごとに実現した。すると、主が夜ソロモンに現れ、彼に仰せられた。「わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」』

今日の御言葉は、ソロモンというイスラエルの王の時代のことです。イスラエルは、ソロモン王の時代に、最も繁栄しました。その時、神がソロモンに現れて、一つの命令を下されました。そこで、神を信じる民達に与えられている使命が明らかにされています。

王権が確立し、最盛期を迎えたただ中で、主がソロモンに語られたのです。もしも、国に問題が起こったならば、「わたしを呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、主のみ顔を慕い求めて、悪い道から立ち返って、悔い改めて祈ったら、地が癒される。」と約束されました。

」という言葉は「エレツ」、「」とも訳すことができる言葉です。国に色々な困難がある場合、クリスチャンが祈らなければいけません。そしてクリスチャンが祈る祈りによって、国が安定すると約束されたのです。

皆さん、教会はどこにあるのでしょうか。それは生活のただ中にあります。自分が最も関心を持っている場所、自分にとっての最前線が教会なのです。教会は「ハデスの門前にある」とイエスさまは語られました。ハデスの門前とも言うべき、戦いが最も激しい現場に教会は存在するのです。

私たちは私たちが遣わされている現場を霊的視点で見て、その場所で行われている罪を悔い改め、自らへりくだって祈らなければなりません。また私たちも悪い道に染まることなく、神に立ち帰らなければなりません。その場所がいやされるように、ひいては国がいやされるように、祈らなければならないのです。

太平洋戦争には、主におじいちゃんやおばあちゃんの世代が関わりました。それで何となく、おじいさんや、おばあさんの戦争のように勘違いしてしまいます。老人達が武器を持って戦ったのかなと思います。近頃、戦争体験者が高齢化して、戦争体験談を聞く若い世代が、「あれは老人達の戦争だ」と勘違いしています。それは「若者達の戦争」だったのです。当時は徴兵制があり、若者達が戦場に送り出されました。何歳から送り出されたのかと言うと、実は17歳からでした。志願したら、17歳から兵隊になれたのです。20歳からは何が何でも戦争に行かなくてはなりませんでした。17歳は今でいうと、高校生です。

戦況が激しくなって、状況が悪くなると、その年齢を引き下げるようになりました。何歳にまで引き下げられたかと言うと、何と一四歳からでした。14歳で戦場に送られたのです。それはいくら何でも酷いということで、限定された地域からに限られたのですが、その地域に設定された一つが沖縄県でした。だから沖縄では、何も知らない多くの少年たちが戦場に送られ、死んでいきました。彼らは国に洗脳され、兵隊として戦場に出て行くのが嬉しくて仕方がなかったそうです。それで沖縄では、多くの少年達が犠牲となったのです。

だから太平洋戦争は、決しておじいちゃん、おばあちゃん達の戦争ではないのです。入れ歯をガタガタさせながら、戦場で戦ったように勘違いしてはいけません。今の子供達が大人になったときに、そういうことが再び起こらないとは限りません。このようなことが絶対に繰り返されないように、クリスチャンが真剣に祈らなければいけないのです。

また大きな地震で、この国が滅びるとも有り得るのです。だから私たちは、真剣に国が滅びないために祈らなければなりません。歴代誌 第二7:14を、もう一度読んでみたいと思います。この御言葉は大変重要です。

歴代誌 第二7:14、「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

わたしの名を呼び求めているわたしの民」、すなわち「クリスチャンたち」がみずからへりくだり、国のために祈らなければなりません。王であったソロモンに、神は語られたのです。神はその言葉を聖書に書き残し、後世の人々にも知らせているのです。「同じようにしなさい」と語っておられるのだと思います。

実は色々な問題が起きる背景に、罪と霊的問題があるのです。特に罪は、その世代だけで終了するのではなく、罪の結果が現れるのが「後の世代」であると聖書は示唆しています。

日本の歴史の中で、最も大きな罪が「太平洋戦争」ではないかと思われます。歴史は歴史として、事実をしっかり知るべきだと私は思います。日本の場合、過去に行った都合の悪い歴史は隠したり、小出しにして、教科書も内容を制限して、限定した内容しか知られないように教育がなされています。日本は、かつてアジアの諸国に酷いことをしました。そんな中で、一番大きな罪は何であったかと言うと、「偶像礼拝」です。日本の偶像礼拝をアジア諸国に持ち出すという理由で、日帝支配が拡大していきました。

イスラエルの歴史を見ると、ある時は栄え、ある時は滅び、それを繰り返していました。なぜでしょうか。その原因はただ一つでした。国が真の神から離れ、偶像の神々を慕ったとき、国に色々な問題が起こりました。

そして罪とは、ただ罪を犯した世代や、罪の現場だけで終わるのではなく、なんと後世に結果が現われるという原則があることに気づかされ、唖然とします。サムエル記にはこんなことが記されています。

サムエル記 第二21:1、『ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた。「サウルとその一族に、血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。」

ダビデの時代は、サウルの時代からしたならば、後の時代です。サウルは最初のイスラエルの王様でした。その次にダビデの時代が訪れました。ダビデの時代になって、三年間続いて飢饉があり、その理由をダビデは主に訪ねたのです。すると、「先代の王、サウル一族が血を流した罪がある。彼がギブオン人達を殺したからだ。」と語られました。この時点では、サウルはすでにこの世にはいませんでした。

実はさかのぼるところ二百年くらい前のヨシュアの時代、ギブオン人たちが上手にヨシュアにとりいって、ユダヤ人たちの中に混じりました。ヨシュアは騙されて、彼らを受け入れることになったのです。しかし長い年月がたって、民族的な違いからでしょうか、サウルがギブオン人たちを殺したのです。神の前に一度は受け入れた民たちを殺しました。このサウルの時代の罪が、ダビデの時代に結果として、「三年間の飢饉」として現れたのです。このように、罪の結果が後から噴出することを見るのです。

また新約聖書においては、ステパノが人々にメッセージを語った中で、アモス書を引用しました。イスラエルがなぜ、祝福を失ったのかを教えている箇所です。使徒の働き7:42-43、「そこで、神は彼らに背を向け、彼らが天の万象に仕えるに任せられました。預言者たちの書に書いてあるとおりです。『イスラエルの家よ。あなたがたは荒野にいた四十年の間に、いけにえとささげ物を、わたしのところに携えて来たことがあったか。あなたがたは、モレクの幕屋と神ライパンの星を担いでいた。それらは、あなたがたが拝むために造った像ではないか。わたしはあなたがたを、バビロンのかなたへ捕らえ移す。』

これは、出エジプトの時にイスラエルが行ったことを引用した箇所です。彼らは神から助けられたにも関わらず、他の神々、すなわち偶像を担いでいたというのです。その結果、「あなたがたをバビロンのかなたへ移す」と告げられているのです。

バビロン捕囚といえば、それから何百年も後の出来事ですが、何と、出エジプトの時に将来の方向性が決定づけられてしまったのです。ここからも分かりますが、偶像礼拝は大変大きな罪であり、後世に問題を引き継ぐ大きな原因となっていることがわかります。してみれば、日本は自国の偶像礼拝をアジアの諸国にまで持ち出したのですから、その罪は決して小さな罪ではないはずです。

1907年、北朝鮮のピョンヤンで大きなリバイバルが起こりました。そのリバイバルは未だかつて見たことのないような、一致のリバイバルだったそうです。多くの人が罪を悔い改め、主に仕えて、社会の雰囲気が大きく変化していったそうです。はじめは、クリスチャンでない人々は怪訝そうにクリスチャンの動きを見ていましたが、彼らの生活があまりにも素晴らしかったので、この人達に国を任せておいたら安心だ、国が良くなるだろうと期待したそうです。リバイバルは朝鮮半島全体に爆発的に広がっていったそうです。

しかし1910年に何が起こったかと言えば、日本が朝鮮半島に侵入して、日韓併合が行われたのです。そして日本は朝鮮半島のすべての村々町々に、神社を建てたのです。今でも韓国に行きますと、神社の跡地が残っています。日本人は朝鮮半島に入っていって、まず初めに神社を建てました。韓国のどの町にも、どの村にも、神社が建てられ、朝鮮半島を日本としてしまいました。また創氏改名といって、日本は韓国人に日本名を名乗らせました。日本名に改名させることは何を意味していたかと言うと、神社の氏子とする、つまり神社のメンバーに組入れることを意味しました。それにより、1907年に起こったリバイバルの火も、だんだんと弱くなり、消えて行ったのです。当時、韓国のキリスト教会は神社参拝に猛烈に反発しました。なぜならば、それは他でもなく偶像礼拝だからです。韓国の教会は迫害に耐えたのですが、やがて徐々に韓国の教会も自ら神社参拝をするようになったのです。

なぜ、韓国の教会が偶像礼拝をするようになったのでしょうか。当時、日本の教会はすでに国家の圧力により、日本キリスト教団という一つの団体にまとめられ、教会に関する規則が作られました。それは礼拝を持つことは許されるが、礼拝前に一つの事をしなければならないとされました。教会の十字架の上に神棚を造らせ、礼拝が始まる前に、まず君が代を斉唱をし、神棚を参拝して、現人神の天皇が住んでいる方向に向いて、宮城遙拝と最敬礼をして、それから礼拝を始めさせたのです。これは昔の話ではなく、ほんの80年前の話です。

イメージしてみて下さい。もしも今日、この会堂に神棚が設置してあり、それを拝んでからでないと礼拝できないとしたら、それはすでに教会ではありません。そんな礼拝なんて絶対にあり得ない事です。でもそれをしない限り、警察が来て牧師は逮捕され、教会は迫害を受けたのです。そのため、教会は妥協することになったのです。その場面には立ち会いたくない信徒達は、遅れて礼拝に来たそうです。日本の教会が偶像礼拝に屈した歴史です。

さらには、日本の教会のリーダー達が何をしたかと言うと、韓国の教会のリーダー達に、神社崇拝は罪ではないと説得したのです。なんと、「神社崇拝は偶像礼拝ではない」と神学的詭弁と圧力により、韓国の教会のリーダー達を集めた会議で、「神社礼拝は偶像礼拝ではない」と決議させたのです。考えてみれば、本当に日本の教会は恐ろしいことをしたものです。これは軍部の圧力に屈したという面も多分にありますが、迫害に耐えるというよりも、妥協を選び取ったということです。その結果、韓国の多くの教会も神社崇拝をするようになったのです。

1945年8月15日、終戦を迎え、韓国は解放されたように見えましたが、その後続けて朝鮮動乱が起こり、国は南北に分断し、現在にまで至っています。その原因はどこにあるのでしょうか。原因は色々と考えることが出来るとは思いますが、最も大きな原因は「日本が持ち込んだ偶像礼拝」にあるのです。それも日本はリバイバルの火を消すという大きな罪を犯しました。そしてその原因が日本の教会にあったのです。日本の教会が韓国のリバイバルされた教会を神社崇拝に誘った故に、日本も呪われ、また韓国も分断してしまうという、大被害を与えたと言えます。

罪の結果が現われるのが、その時点というよりも、後の時代であるとする聖書の原則を重ね合わせるときに、本気になって国の罪を悔い改めなければならない事に気づかされ、強く教えられます。

日帝支配の罪は誰かの罪ではなく、私たちの罪、教会の罪として、神の赦しを求めて祈ることがどうしても必要です。それがこの国の未来を決めていくと信じます。

みんな予測している南海トラフ地震をとどめることができるとしたら、それは地質学者でも、国でもなく、クリスチャンの祈りにかかっていると私は思います。3.11の東北地震を始め、色々な地震は、大地震の前触れだと言う人もいます。それが起こらないように、私たちは真剣に祈らなければなりません。そのために、まずは教会の中が清められないといけないと教えています。

黙示録には七つの教会が出てきます。七つの教会には、全て町の名前がつけられています。その中で、「テアテラにある教会」のことが記されています。黙示録2:18-23、「また、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。『燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、神の子が言われる。「わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。

テアテラ教会には、一つの大きな責任が課せられていました。それは、街全体に対しての責任です。同時にそれは、地域全体、国全体に対する責任でもあったのです。この箇所と、先ほどお読みした、歴代誌 第二7章の御言葉とを合わせるときに、何を具体的に悔い改めなければならないかについて理解できます。その第一は、先ほどから語っている「偶像礼拝」です。特にこのテアテラにおいては、街の中心に太陽神が祀られていました。人々は太陽を神として、毎日太陽に向かって祈りを捧げていたのです。そればかりか、太陽神に捧げ物をし、その後食べていたのです。また教会に来ている人達も、それに関わっていたことがわかります。同時に、このテアテラの町には多くの汚れがありました。それは何かというと、「性的乱れ」でした。街には遊郭のような場所があり、人々は淫乱な生活に明け暮れていました。テアテラの街は、実に「太陽神礼拝と、不品行、姦淫の罪」で満ちていたのです。街にはイザベルに象徴される悪しき存在がいて、性的乱れが蔓延していました。

そんな環境の中で、テアテラ教会に主が語られた言葉は、「偶像礼拝の罪と、不品行の罪を悔い改めなさい。」でした。教会の中にも、同様な罪があったと思われます。ということは、それ以上にテアテラの街全体がそのような罪で満ちていたのです。ゆえに教会に出入りする人達も、その強い影響を受けていたのです。主は教会に、それらの罪をしっかりと悔い改めなければならないと語られました。

テアテラ教会に対して、「あなたがたの教会ははじめの行いよりも勝っています」と主は励ましを語られましたが、同時に「偶像礼拝と淫乱の罪から離れなさい」と命令されました。それはただ単に個人とか、教会というだけでなく、街全体、ひいては国全体のことを含んで語られた御言葉であるはずです。

偶像礼拝と淫乱の罪が本当に恐ろしい結果をもたらすことを知らなければなりません。ではこれらの罪が、どのような結果をもたらすのか。それについて言及しているのが、黙示録2:22、「見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

この女は、テアテラ全体を代表しています。結果、教会と街に何が起きたかと言うと、『この女を病の床に投げ込もう』とあります。つまりこれらの罪の結果は、多くの病が発生すると告げています。『また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。』ともあります。大病と大きな患難が襲いかかるのです。それらが、「偶像礼拝と不品行の罪」によってもたらされる可能性があります。

そして黙示録2:23、「また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。」これは、子供達にも色々な問題が発生することを現しているのではないでしょうか。偶像礼拝と淫乱の罪が、何と罪を犯した個人だけではなく、地域全体、また子供たちにも患難が襲いかかると警告しているのです。そのことに関して取り扱うことができるのが唯一教会ですから、教会がそれらをしっかりと受け止め、悔い改めるように主が語っておられるのです。「もし万が一教会の中にそれらの罪があったら、絶対に駄目ですよ」と語っておられます。私たちは自分の行動に責任を持たなければなりません。なぜなら、自分が行っていることが新しい世代に影響を与えるからです。責任をしっかりと認識することが必要です。自分の罪によって、大きな患難や病が子供達や孫達の世代にまで影響を与えることのないようにしなければなりません。私たちは心して罪から離れ、清い生活をしなければならないのです。

特にテアテラ教会に語られたことは教会が認識し、教会が悪い道から立ち帰る必要があると告げています。その時、「国が回復」するのです。私たちは今日、歴史的な位置に立っています。そしてテアテラの街の状態は、日本と同じではないでしょうか。日本も太陽神を拝んでいますし、偶像に捧げた物を常に食べています。そして多くの性的罪がはびこっているからです。次に日本に起こることは大きな患難、子供達の世代の問題と続くのです。それを何としても、食い止めなければなりません。その責任が私たち一人ひとりにあるのです。

先日は地震があったり、大雨など、多くの災害がありました。なんとなく、国が揺さぶられているような気がします。今月はお盆があって、死者礼拝が多くなされ、戦争の記念があったり、国がどちらの方向に進むのか、霊的には危ない場所に立っているような気がします。この時期に、主が私たちにとりなして祈るように、強く語って下さっていると信じます。最後にもう一度、歴代誌 第二7:14節をご一緒にお読みしましょう。「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

まず主を信じる者達がひざまずいて祈りなさい、主の顔を真剣に慕い求めなさい、もしもあなたが悪い道にいるならば、悔い改めなさい、そうしたら地がいやされますと語られています。地とは、国を意味します。国が変えられるカギが教会にあります。だから教会がまず、過去に日本が犯した罪を悔い改めて祈りたいと思います。

今日は、今から聖餐式を行いますが、イエスさまの十字架の血潮によって、罪を赦して下さいます。この国の罪を赦して下さい、この国が今まで歴史の中で行ってきた罪を赦してください、偶像礼拝の罪を赦してくださいと祈りましょう。そして淫乱の罪も悔い改めましょう。決してそのような罪に巻き込まれることがないように、結果を被ることがないように、主の前に出ていきたいと思います。

一言お祈りします。ハレルヤ、天の父なる神様、御名をあがめます。このような時期に、私たちは天を仰いで祈ることができ、感謝します。今まで、日本が犯してきた、特に歴史の中で犯してきた罪を赦して下さい。偶像礼拝を自ら行うだけでなく、多くの国に偶像礼拝を強要し、人々を苦しめた罪を赦して下さい。主よ、どうか、その罪から清めてくださいますように。またお盆の時期で、多くの祖先崇拝が行われています。どうか、その罪を赦して下さい。またこの国には、多くの不品行、姦淫、性的罪が蔓延しています。その罪をお赦し下さい。メディアの中にも汚れたものが溢れていることを赦して下さい。今私たちは、その罪を心から悔い改めます。主よ、あなたの顔を慕い求めます。どうか、この国を解放してください。いやして下さい、お願いします。主よ、今日の聖餐式は、ただ個人的な罪だけではなく、日本が過去に行ってきた、偶像礼拝、不品行、姦淫、その他、すべての罪も清め、赦して頂くための代表的な祈りとなりますように。今日、この時を祝福して下さい。今からの聖餐式が聖霊によって、御言葉によって、イエス様の裂かれた肉、流された血潮として、それを頂き、イエスさま、あなたと一つとなることができますように。今日は、あなたと真の交わる者となりますよう、ひたすらあなたの御顔を求め、尊きイエスさまの御名によって、お祈りいたします。アーメン。
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New ヨハネの福音書14:6(失ったものを回復させて下さる主
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ヨハネの福音書5:1-5(38年も病気にかかっている人)
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ルカの福音書8:40-56(救いへの招き)
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創世記15:1-7(信仰によって生きる)
tbic | 2025.10.19 | 推薦 1 | 閲覧数 78
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ヨハネの福音書3:16(永遠のいのちは神様との交わりです)
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エペソ人への手紙1:1-2 (使命が与える力)
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雅歌 2:10-17 (わが愛する者、私の美しいひとよ)
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コリント人への手紙第一13:1-13 (愛がなければ)
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マルコの福音書5:34(安心して帰りなさい)
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ルカの福音書11:9-13 (信仰の祈りには答えがある)
tbic | 2025.09.07 | 推薦 1 | 閲覧数 125
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