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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

エペソ人への手紙1:1-2 (使命が与える力)

投稿者
tbic
投稿日
2025-10-05 20:29
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106
エペソ人への手紙1:1-2 「神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」

私は使命者」です。お互いに挨拶しましょう。「あなたは使命者です。

使徒パウロのようにクリスチャンである私たちも「私は使命者です」という告白をしなければなりません。

・使命者は、

(1) 周りの誘惑の中で祝福と成功に酔わない存在です。

(2) 集中(focusing)が可能な人生が使命者です。使命を知らなければ、人生は分散されます。- simpleというのは集中することを意味します。つまり使命者はとてつもない集中ができます。

(3) 使命者は流すことによって自分と周りを生かすようになります。伝染力のある聖徒が使命者です。

1.祝福に酔わない人生。

明確なIdentityを持った使徒パウロは自分が何者なのかを明確に知っていたのです。

今日の本文の1:1、「神のみこころによるキリストイエスの使徒パウロから、

つまりパウロは、「私は使徒(Apostle=遣わされた者)」と宣言しました。

・「I am(私は~である)」で生きる人生: これは「役割をする」ということです。

1) 定義

私たちは世について、たくさん知っているのですが、いざ自分自身を知らないのです。理由は自分がなぜ生まれて、使命が何なのか分からないからです。これはただ神の聖霊が光を照らしてこそ、分かるようになります。つまりこのような人生は自分の役割を知って、I amで生きるようになります。

例えば、優れたアスリートはチーム内で自分の役割を明確に知っている選手です。だから人々が揺れる理由は確信が欠けているからです。

2) 適用1

(1) 自分が何者なのか知っていれば、自分のすることにおいて疎外されません。

(2) 悪魔の誘惑: 私たちを偽物で規定させます。悪魔は私たちに等級を決めてくれるのです。この世が決めてくれるgradeはくだらないのです。

神様は私たちに「I am」で生きられるように計画されたので、私たちは世の中の基準に騙されてはいけません。世の中の基準は時代ごとに変わるのです。

例えば、美の基準として私たちはドア(外見)だけを飾るのではなく、家の中(信仰)を飾らなければなりません。

3) 適用2

(1) 多くの人は体と心が分離されると、ストレスを受けるようになります。しかし神様は私たちの体が行くと、心も行くようにされました。そして体と心が一つになれば、喜びになるのです。

(2) 悪魔の誘惑(商品化): 悪魔は心と肉体を分離させて、心のない労働(商品)を作って値段をつけるのです。

例えば、正しい表現は「100万ドルの目を持っている。(x)」「目が本にきれいだ。(o)

結局、体と心が一つになった状態が喜びであり、ストレスが消えるのです。だから私たちは嬉しい時に体と心が一つになり、ストレスがなくなって、「I am」で生きられるようになります。

喜びで生きられる道は使命によって生きる人生です。つまり使命者だけが喜びで人生を楽しむことができるのです。

<参考> 履歴書作成のコツ。

多くの人は自己紹介書を作成する時、自分のキャリアを書こうとするのです。しかし目立つ自己紹介書は「使命」で説明する文章だということを忘れてはいけません。

結局、私たちも私たちの人生を「使命」として紹介して説明しなければなりません。つまり人々は使命の話には焦点を持って注目するようになります。

例1/英語の勉強:Readingに集中するのは牧師の使命で、宣教師はspeakingに集中します。

例2/電子会社(IBM)に就職した兄弟の話: 「この社になぜ志願したのか?」という質問に、「技術はいいが、デザインがあまりにも複で荒い。イメジ時代に合わせてデザインをえれば、世界最高の製品を作ることができる。」と言って就職しました。

例3/コリント人への手紙第二11章でパウロの苦難:使命者だったので、すべての難関を克服して福音を伝えるようになったのです。パウロが揺るぎなく、福音を伝えることができたのは、使徒の使命を持っていたからです。

世界で一番大きな力の源は使命です。利己心と欲が多い人は自分の容量を満たすと、終わる人生です。容量が少ないから缶詰めの人生を生きるしかありません。しかし使命を持って生きれば、自己利益と自己満足のレベルではなく、神の御心を成し遂げるまで進むようになります。容量が大きい人生を生きるのです。だから使命者より、もっと強い人はいません。結局使命が揺らぐため、私たちは揺らぐ人生を生きることになるのです。祝福に酔わない唯一の道は使命です。

例えば、五つのパンと二匹の魚の奇跡の後、イエス様は人気の中にではなく、人気の外に進んだのです。しかし使命を知らない人に祝福と力が与えられると、その人はむしろ祝福と力のために滅びるのです。使命者はいくら多くの成功があっても成功に酔わず、ただ主だけを見上げる人生を生きるようになります。

2.使命者は集中する人生を生きるようになる。

・試みがある理由、

1) 試みを受ける前は私が誰なのか分からず、本質に戻れないのです。

2)適用1、イスラエルはファラオの迫害がある前には自分たちが神の民だという意識がありませんでした。しかしファラオの迫害があった時、始めて自分たちが神の民であり、したがって礼拝しなければならないことを知ったのです。

3) 適用2、裕福な家庭は焦点のない人生を生きる場合が多いのです。ぼんやりと生きる人生です。しかしこのような家が潰れると、焦点のない人生が焦点と使命を持つようになります。

結局、苦難は私たちがなぜここにいるのか、なぜ神様だけを見上げなければならないのかを知るようになります。特に福音を伝えるクリスチャンの人生を生きる時、ある程度の苦難があったほうがいいです。つまり悪魔の攻撃を通して働きの重要性と尊さを知るようになるのです。

神様が私たちの力を奪う時があります。こういう時、私たちは必ず必要なものを除いて、全部捨てるようになります。このような過程を通して、私たちは価値の階層秩序を立てるようになります。つまり集中する人生を生きるようになるのです。

例えば、奴隷商人だったJohn Newton牧師は記憶力喪失を通して最も重要な価値である2つを強調しました。「(1) I am a GREAT Sinner + (2) Christ is a GREAT Savior.」彼の説教は単純になったのですが、集中があったからより多くの魂を救うことができました。

・I am a Great Sinner: 自分が罪人であることを認識したとき、自我が壊れるようになるのです。Newton牧師の人生を通して証明しました。

・I am a Great Savior: 私の弱さと悔しさを通して私を救ってくださると強調しました。結局私たちは複雑なものを全部捨てなければなりません。悪魔は私たちが使命を果たそうとすると、周りを非常に複雑にするのです。しかし私たちは礼拝と福音だけを除いて、すべてを捨てる勇気が必要ですし、単純に集中する生活をしなければなりません。

マタイの福音書6:22、「からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、」「The eye is the lamp of the body.もしあなたの目が良ければ、あなたの全身は光でいっぱいになります。

KJV: 「Single Focusなら、全身が明るいだろう。」つまり「目が健やかである」ということは、「Single Focus(焦点)のある人生を生きる」ということです。そして使命者だけが、single focusingが可能な人生を生きるようになります。

だから私たちは目の前にいろんなものが見えたら、一つだけ見るように祈らなければなりません。TBIC教会の焦点は日本の魂を伝道し、世界に出て宣教することです。

3.使命者は流れを作り出す。

使命者は見聞きした人で、福音を証する人生を生きなければなりません。つまり、いつでも献身が可能な人生でなければならないのです。

1)テモテへの手紙第二4:7-8、「私は勇敢にき、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。」つまり目標があったために献身したことを意味します。

2) 職分の重要性 - 職分は献身を可能にします。神様は私たちに職分を与えてくださったのです。ここで職分というのは「身の特」を意味します。

例1/教会の主任牧師:いくらでも献身できる特権を持っているという意味です。

例2/日曜学校の教師に任命されたら、教師として忠実でいられる特権を受けたのです。

神様が私たちに使命を与えてくださったので、越権ではなく、献身できるようになりました。

人+聖霊の働き=革命が起こるのです。

献身をすると、情熱が現れ、この情熱が結局能力になります。

例えば、過去1000年間、歴史を変えた10人の中で意外な人としてJames Watt(産業革命の根源=蒸気機関)は、水(何でもないことの象徴)に熱を加えると、パワーが出ることを知ったのです。このように、人に「神からえられた熱」が入ると、霊的な革命が起こります。だから使命者の中に聖霊が入ると、革命が起こるのです。

使徒の働きに供給と熱があったから、それが溢れ出るようになりました。

エゼキエル書47章のように、福音は流れてこそ、命があるのです。そして私たちが流れていくと、周りは必ず変化します。そこで私たちが熱くなると、周りの人が変わるのです。

例1/私の経験-自転車に乗って行くとき、トラックがすごいスピードで通り過ぎたのです。余波の影響で転んでしまいました。

例2/電磁誘導現象- 繋がらなくても、誘導される現象です。

これと同様に私たちが生命で生きていくなら、周りは必ず生き返るようになります。
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