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詩篇 119:105

ヨハネの福音書3:16(永遠のいのちは神様との交わりです)

投稿者
tbic
投稿日
2025-10-11 09:46
閲覧数
96
タイトル:永遠のいのちは神様との交わりです。

ヨハネの福音書3:16 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

1.ヨハネの福音書17章3節

ヨハネの福音書17:3 、「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。

ヨハネの福音書3:16の約束のようにイエス様を信じれば、永遠のいのちを受けます。そして、ヨハネの福音書17:3は永遠のいのちは「神を知ること」とおっしゃいます。ここで「知る」というギリシャ語は「ギノスコ」です。「ギノスコ」は単に知識で知ることを意味しません。

マタイの福音書1:25 、「子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。

マタイの福音書1章25節では「ギノスコ」が「夫婦関係をする」という意味で使われました。つまり永遠のいのちは神を知ることですが、単に知識で知ることではありません。夫婦がお互いを知るように、人格的に知ることを意味します。

神との深い交わりと親密さ、これが聖徒の享受できる「永遠のいのち」です。

例えば、テレビに出てくる有名な俳優(イ・ビョンホン)がいます。私はその人を知っています。ドラマに出てくるのも見たし、映画に出てくるのもたくさん見ました。しかしその人は私を知りません。そしてその人の本当の姿は私も知りません。

もしかしたら、神様をテレビに出てくる芸能人を知っているように、知っているのではないでしょうか。それなら、永遠のいのちを享受できていないのです。

2.ホセア書6章6節

ホセア書6:6 、「わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。

ホセア6章6節は、いけにえと全焼のささげ物より神を知ることを望んでいるとおっしゃいます。

いけにえと全焼のささげ物が不要だったり、悪いという話ではありません。礼拝の目的は神を知ることです。ここで「知る」というヘブライ語は「ダアート」です。この「ダアート」も単に知識で知ることを意味しません。

創世記4:1 、『人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は、主によって一人の男子を得た」と言った。

創世記4:1で「ダアート」は「ギノスコ」と同じように「夫婦関係をする」という意味で使われました。つまり聖書で神を知るということは知識を超えて「全人格的に知ること」です。

何年も礼拝を捧げましたが、神様を知らないことがあります。しかも神学を勉強したにもかかわらず、神様を知らないかもしれません。

宗教儀式に熱心に参加し、聖書の知識を積んで善行をすることはもちろん良いことです。しかしそれより重要なことは「神様と人格的な出会い」を持つことです。

3.父なる神の心

私は子供が6人です。私の子供が、勉強が上手でお金をたくさん稼いでも、私と親密でなければ私は全然嬉しくありません。むしろ悲しいのです。私の子供が、勉強が上手でお金をたくさん稼ぐより、私の心を知って私と親密になることを望んでいます。

ルカの福音書15章に一つの物語が出てきます。あるお父さんに二人の息子がいます。ところが次男があらかじめ遺産をもらって家を出ました。そして、しばらくして財産を全部湯水のように使ってホームレスの姿で戻ってきます。熱心に息子を待っていたお父さんは次男が帰ってきたことを喜んで大きな宴会を開きます。ところが、その時長男が登場します。長男はその光景を見て、父親に文句を言います。「私はこれまで一生懸命に働いたのに、私にしてくれたのは何なのか」と問い詰めました。

長男はこれまで大きく間違ったことはありません。とても模範的に生活していました。誰が見ても良い人でした。しかし長男の問題は父親の心を知りませんでした。家を出た弟を待ち焦がれる父の心を知りませんでした。すでに全てを長男のものとみなしていた父の心を知りませんでした。つまり父のそばにいつもいたにもかかわらず、父をよく知らなかったのです。

もしかしたら、私たちがこのような信者かもしれません。私たちは神様をお父さん、お父さんと呼んでいます。私を、私よりもっとよく知っておられるお父さんです。いつも私の味方になってくださるお父さんです。私を決して捨てたり、離れたりしないお父さんです。ご自分のいのちより、私をもっと愛してくださるお父さんです。(実はすべての父親は、このような気持ちです。)

その神の心がイエス・キリストの十字架の出来事で現れました。

ローマ人への手紙5:8 、「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。

この愛を豊かに享受できる信者になることを切に願います。

4.最後に私たちはなぜこの愛を享受できずに、生きていくのでしょうか。

イザヤ書59:1-2、「見よ。主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。むしろ、あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

1)神と私たちの間を遮っているのは罪です。

全ての人間は生まれた時から罪人です。

詩篇51:5 、「ご覧ください。私は咎ある者として生まれ罪ある者として 母は私を身ごもりました。

罪を犯して罪人になったのではなく、罪人だから罪を犯すのです。なぜすべての人間が罪人なのか、アダムの原罪が全ての人類に遺伝されたからです。

例えば、汚い穴に落ちた人がいます。その人がその中で子供を産んだら、その子供も自然に汚されます。その子供がまた子供を産んでも汚されます。子孫たちは自分が穴に落ちたことがありません。しかし汚されるしかありません。これと同じことで、アダムの子孫である私たち全員は罪を持って生まれました。これを原罪と呼びます。

全ての人間が持って生まれる「原罪」は、私が私の人生の主人になりたい気持ちです。だからこの世を創造された神様を王として仕えたくありません。自己中心的に生きたいのです。これが罪の根源です。世の中の法律を破って非倫理的に生きるのはその罪の実だけです。いくら道徳的で、人が見て立派な人だとしても、創造主の神を離れた罪人です。

2)そしてその罪の問題を解決できなかった人は、結局悪魔のしもべとして生きていくのです。

ヨハネの手紙第一3:8 、「罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。その悪魔のわざを打ち破るために、神の御子が現れました。

私の思い通りに生きるようですが、自由がありません。罪のしもべ、悪魔の奴隷になったのです。

ヨハネの福音書8:32-34、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません。どうして、『あなたがたは自由になる』と言われるのですか。」イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。

イエス様がユダヤ人たちに「真理があなたがたを自由にする」と宣言されました。ユダヤ人たちは自分たちが奴隷になったことがないと言いました。これにイエス様が罪を行っている者は罪の奴隷だとおっしゃいます。

44 節に、「あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。

罪の奴隷になった彼らは悪魔から生まれた者たちだと言われます。悪魔に属する者たちだということです。悪魔は私たちに恐怖と邪悪な考えを与えます。また悪魔は、神様がくださる祝福を盗んで、殺して滅ぼす存在です。

その全ての問題をイエス様が十字架で解決してくださいました。

ローマ人への手紙3:23-24、「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。

最後に私に従って祈ってくださり、礼拝を終わらせていただきます。

主よ、主だけが真の神だと信じます。神から離れて自分の経験と知識を基準にして生きてきた罪を悔い改めます。イエス・キリストが十字架で死んで復活されたことを通して、罪、サタン、神から離れた問題を解決してくださったことを信じます。今、私の心のドアを開けて、イエス様を私の主、私のキリストとして受け入れます。キリストであるイエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。
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