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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ヨハネの福音書14:6(失ったものを回復させて下さる主)

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tbic
投稿日
2025-11-08 11:53
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ヨハネの福音書14:6『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」』

皆さん、「イエス・キリストをなぜ信じますか。イエス・キリストが何をしてくれましたか。」と聞かれたら、何と答えますか?私たちが信じる理由は、ちゃんとあると思います。理由もなく、信じることはありません。

皆さんは、「イエス・キリストが何をしてくれましたか?」という質問に、きちんと答えられますか?もし知らなければ、明確に知る必要があります。イエス様は、私たちがもっと主を知ってほしいと願って、いつもご自分のことを教え、また実際の働きを通して見せました。今日の本文でもご自分が誰なのかを教えて下さいました。

皆さん、なぜイエス様が「道、真理、いのち」でしょうか。それには、どのような意味があるのでしょうか。それを知るためには創世記を読まないと理解できません。創世記を読むと、人間は本来何を持っていたのかを知ることが出来ます。神様は最初の人間であるアダムを造られた後に、何をなさったのでしょうか。

創世記1:27-28、『神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

創世記2:8-9、「神である主は、東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。

神様は人間に被造物を支配する権威と祝福を最初から与えられました。何一つ不足がない祝福でした。何の心配や不安もない生活を送れるように、神様が祝福して下さいました。しかし、「ひとつだけ」気を付けるように言われたことがありました。創世記2:16-17、『神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

エデンの園は平和で祝福に満ちていましたし、人間は何の不自由もなく暮らしていました。創世記2章までは完璧な世界でした。しかし、そこに忍び寄るものがありました。それは蛇ですが、ただの蛇ではなく、サタンが入っていました。とても悪い目的を持って近づきました。そして人間を「偽り」で、惑わし始めました。それに対して、人間はあまりにも簡単に惑わされてしまいました。「悪の知識の木」は、人間が神のことばに従うかどうかを試すための木でした。

人間は、「神による被造物であること」を忘れず、いつも覚える必要があったし、神のみことばに従う義務がありました。悪魔はそれを知って、人間を誘惑するために近づきました。それで神様が禁じた善悪の木に対して、悪魔は次のように言いました。

創世記3:4-5、『そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べる時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

このことばは真実でしょうか。それまで人間は神の御言葉しか聞いていませんでした。だからサタンのことばが新鮮に聞こえたかも知れません。それがとても魅力的な言葉だったので、余計に耳を傾けました。

神のようになりたいので、食べたくなったのです。そして、「食べても死ぬわけがないだろう」 と思ったのです。偽りが真実に、真実が偽りに聞こえました。しかし食べた後、彼らは騙されたことに気づきました。神になったわけでもなく、反対に悪魔の奴隷になって、恥ずかしい思い、不安、神への恐れが出てきました。そして神様が現れ、彼らに警告した通りのさばきが下されました。

創世記3:23-24、「そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

天国のようなエデンの園から追い出された人間には、地獄のような苦しい生活が待っていました。天国を知っているからこそ、地獄のような生活は惨めだったと思います。神様が祝福として与えたすべてのものを人間は一瞬にして失いました。

いのち、神との交わり、エデンの園、平安、地を支配する権威、清さなど、良いものをすべて、失いました。どんなに悔いても「後の祭り」でした。

私たち人間は失ってから、その大切さを知るようになります。しかし人間の力で失ったものを取り戻せることはできません。人間には、そんな力がありません。それが人間の限界です。

そしてサタンは、人間を騙したことを謝って償ったのでしょうか。いいえ、むしろサタンは人間を騙して堕落させたことを喜び、更に人間を支配する者になりました。それによって人間は惨めさと絶望しかない状態に落ちてしまいました。

しかしそこで、このことを残念に思った方がいました。その方は人間を造られた神様です。人間の堕落がなかったのであれば、神の救いの計画は要らなかったはずです。しかし堕落してしまったことで、すべてが変わってしまいました。

そして人間は堕落によって、神様を大いに失望させました。でも人間は反省もせず、失ったものだけで苦しんでいました。取り戻せる方法がなかったからです。

そこで愛の神は、人間を永遠に捨てることをせず、再び人間が失ったものを取り戻せる方法を考えました。無力な人間の代わりに神の力で、失った命、閉ざされた天国への道、相変わらずサタンに騙されている人間を救い出すための素晴らしいプロジェクトを始めました。

コロサイ人への手紙1:27、「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。

その救いの働きに一番ふさわしい方は、神のひとり子・イエス様しかいませんでした。だからイエス様はその働きをするために、神に遣わされて人間となって地上に来られました。そして偽りの中で生きている人間に真理を語り、偽りの正体である悪魔を暴いて、それを明らかにしました。

ヨハネの福音書8:44-47、「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。

そして、イエス様がいのちを与える主であることも知らせました。ヨハネの福音書5:24、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。

主は真理しか語らない方ですから、このことばも真理であり、真実です。イエス様ご自身も、十字架で死んだままで終わったのではなく、死の力を持つ悪魔に勝利して、「復活」なさいました。だから信じる者には、復活のいのちが与えられます。そしてイエス様によって天国への道も開かれました。ヨハネの福音書14:3、「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

このようにイエス様は地上に来られ、人間が失ったすべてのものを取り戻しました。そして信じる者にイエス様は取り戻したものを回復させて下さいます。ヨハネの黙示録22:13-14、「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。

イエス・キリストが地上に来られた目的はこれ以外も多いですが、すべて私たち人間のためであることを知り、それを信じ、感謝する者になりたいと思います。この恵みを受け取る人が幸いです。だからこそ、ヤベツのように祈ってほしいのです。

歴代誌第一 4:9-10、 『ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。彼の母は、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから」と言って、彼にヤベツという名をつけた。ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。

信仰生活は祈りの生活そのものです。だからうまく生きるためには、良いモデルを置くことが大切です。短いですが、力強い祈りのモデルがまさにヤベツの祈りだと思います。ヤべツという名は、聖書にたった一か所しか出ません。家系図の名前を並べる所にヤべツだけは、説明がついています。なぜでしょうか。ただ過ぎていく存在ではないからです。彼の祈りが特別だったからです。ヤべツの名前の意味は、「悲しみ、或いは苦しみ」です。名前がちょっとおかしいのです。なぜ、こんな名前をつけたのでしょうか。彼のお母さんが名前を付けたと出ます。大体イスラエルはお父さんが名前を付けてくれます。少なくとも女性ではなく、男性が名前を付けるのです。

しかしお母さんが名前を付けたとすれば、これはお父さんが早く死んだという意味です。多分、妊娠中にお父さんが亡くなったと思います。だからヤべツはとても難しい状況、大変な環境で生まれた人です。しかし彼を「重んじられた者(most honorable man)」と言いました。

なぜでしょうか。悲しみ、苦しみがあったのですが、最後が良かったからです。これが可能になった理由は「祈り」があったからです。彼の祈りの内容が何でしょうか。私たちもヤべツのように祈りたいと思います。

1. 「私を大いに祝福して下さい」とヤべツは祈りました。

キングジェームズ版聖書は「bless me indeed」で翻訳されています。これは「本当に祝福してください。必ず祝福してください。神様なしには生きられません。」という意味です。

旧約聖書では祝福、新約聖書では恵みです。だからこれは恵みを求める祈りです。私たちクリスチャンは、恵みなしには生きられません。

祝福と恵みとは何でしょうか。資格はありませんが、上から一方的に(値なしに)与えられるものです。だから祝福されれば(恵みを受ければ)、無条件に生きられます。必ず回復されます。どんな逆境も乗り越え、必ず立ち上がります。だからこそ、恵みを求めて下さい。続けて求めて下さい。恵みの上に更なる恵みを求め、それを受け取る、真のクリスチャンになって下さい。

2. ヤべツは「私の地境を広げてください」と祈りました。

これは単純に土地の所有権、不動産の問題でしょうか。いいえ、影響力の拡張を意味します。信仰のスイッチを押せば、恵みが臨みます。そして、その受けた恵みを分け与えれば、影響力が生じます。こういう風に恵みを受け、その恵みを流す者になるように、祈ってください。

福音書を読みますと、3種類の人が出ます。イエス様の良きサマリヤ人の例え話ですが、あってはならない人(強盗)、あってもなくても構わない人(祭司)、必ず必要な人(良きサマリヤ人)が出るのです。皆さんはいつも「必ず必要な人」になってください。それを祈ることです。どんな出会いでも、いつも準備してください。「情報、慰め、励まし、ユモア」、この中で、一つでも伝えれば、必要な人になるのです。他人を続けて助けてください。そうすれば、必ず必要な人になります。

3. ヤべツは「御手が私とともにありますように」と祈りました。

主の御手は力そのものです。特にエズラ、ネヘミヤ記に、こういう御言葉がたくさん出ます。主の御手が臨めば、何でもできます。私たちはいつも不可能にぶつかります。自分の力では、どうしようもないのです。その時、主の御手が助けてください。そうすれば、助かります。道が開かれます。紅海の前で、エリコの城壁の前で、主の御手が共にあった時、勝利したことを私たちは忘れてはなりません。

4. ヤべツは「わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてください」と祈りました。

これはNLT聖書では「keep me from evil」となっています。この意味がもっと分かりやすいと思います。信仰は苦難を回避すること、苦難から逃げることではなく、使命を全うすることです。使命に捕らわれたら、苦難は当然やって来ます。だから苦難の回避が祈りの中心になるはずがありません。霊的勢力の悪霊たちはいつも私たちを妨害し、攻撃を仕掛けます。だから常に悪い勢力から守られるように祈ってください。私たちが毎週、礼拝の中でささげる、主の祈りの中でも「悪より救いいだしたまえ」と祈ります。同じ意味だと思います。

皆さん、短くてもいいです。ぜひ、ヤべツのように祈ってください。そうすれば、失ったものを取り戻し、必ず正しい祝福の道を歩めると私は信じます。
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