メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

詩篇103:1-5(主をほめたたえよ)

投稿者
tbic
投稿日
2025-12-27 11:56
閲覧数
125
詩篇103:1-5「1.わがたましいよ 主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。2.わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。3.主は あなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やし4.あなたのいのちを穴から贖われる。主は あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ5.あなたの一生を 良いもので満ち足らせる。あなたの若さは 鷲のように新しくなる。」

今日は2025年、最後の日曜日です。2025年、皆さんと共に主を礼拝し、最後の日曜日を迎えることができ、心から感謝します。2025年、皆さんにとって、どんな年だったのでしょうか。一年間、あっという間に過ぎてしまった印象ですが、「日、日が昇り、また沈む。」明日がくれば、また日が昇ります。それは神様が行ってくださっています。自然界の背後に、神の支配が及んでいるからです。今日は一年を振り返り、心から主に感謝する礼拝ができたらと思っています。

今読んで頂いた箇所に、『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。』主をほめたたえ、礼拝しなさいとあります。心の底から主を礼拝することは、主が喜んでくださることです。毎週日曜日、主を礼拝出来た事を心から感謝します。

2節に、『主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』と語られています。「今年、主が良くしてくださったことを、何一つ忘れるな。」というのです。案外、嫌なことはずっと覚えていますが、感謝なことは、すぐに忘れてしまうものです。人間にはそんな悲しい所があります。皆さんは今年、最も印象に残っている感謝は何でしょうか。いろいろあると思いますが、『主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』です。

今日は12月28です。先週はクリスマスでした。クリスマスは遠いかなたに消えてしまった気がするのですが、久しぶりの再会もあって、この一週間だけを振り返っても本当に感謝が絶えません。「主が良くしてくださった、忘れちゃいけないな」と思います。クリスマスが終わるとコロッと忘れてしまう傾向がありますが、主が一つ一つを祝福してくださったことを感謝する時、主の御名を誉め称えずにはいられません。

皆さんにも、一つ一つ思い出があり、一年を振り返る時、心から主への賛美と感謝が湧いてくると思います。今日の本文の詩篇103篇3節から、『主は、あなたのすべての咎を赦し』とあります。一年間を振り返れば、神の前に罪の多い者ですが、十字架により罪が赦されていることを、心から感謝しなければなりません。また『あなたのすべての病をいやし、』とあります。病で苦しんでおられる方もおられますが、普通は風邪を引いても治るのです。治った時、当然だと思わないでください。主が癒してくださったのです。大きな病になって癒された時は感謝しますが、風邪を引いて治った、インフルエンザが治ったというのを、当然のように思わないで感謝しないといけません。やはり病気になると、健康は本当に感謝だなと思います。

私も時々、風邪気味で頭が痛いなと思ったら、熱もあるし、吐き気が酷い時があります。ある時は次の日が主日礼拝で大変だと思って「主に助けてください」と祈ったら、一日で治りました。私は自慢ではないのですが、インフルエンザにかかったことがありません。かからないのも不思議で感謝です。また病気になっても、知らないうちに治っていた事もいっぱいあります。

人間の体には、がん細胞が結構できているらしいのです。発生した時、健康診断で見つかり、それを治療し始めて死ぬ人もいるそうです。でも、私たちはこうやって生きているわけです。知らないうちに癒されているわけです。礼拝に来ているうちに、癒された病も結構あるのかも知れません。信仰によって悪い遺伝子が組み換えられているかもしれません。日頃、健康でいられることを主に心から感謝したいと思います。

そして今日の本文の4節に、『あなたのいのちを穴から贖われる』とあります。穴に落ちる寸前を助けられたということも、人生にはあります。私のことを考えてみても、あの時、死ぬ寸前だったのですが、死ななかったということもあります。

時々話しますが、私は日本に初めて来た1997年のその翌年の1998年の夏、富士山に登りました。教会の人々と何人かで登りましたが、五合目までは一緒でした。しかし何か欲ができて、頂上まで登ろうと思い、私一人で頂上を目指したのです。目の前に頂上が見えたので、一時間くらいで行けると思い、半分走りながら登りました。しかし登っても登っても、いつも同じ場所にとどまっているような感じでした。でももっと頑張って登ろうとしたら、急に呼吸ができなくなったのです。多分八合目を超えた所だったと思いますが、人生初めての高山病にかかった瞬間でした。

息ができないその苦しさは、体験しないと分からないと思います。頭痛はするし、吐き気がすごくて食べたものを全部吐き出しても、また吐き出し続けました。私は逆流性食道炎を患ったことがあって、しょっちゅうこういう症状を体験したのですが、呼吸さえできれば、何とかなります。しかし呼吸ができなくて、本当に死にそうでした。周りの人に助けを求めましたが、仕方がありません。「あの上にシェルタがあるから、もしかしたら、そこで助かるかもしれません」と言われ、半分気絶状態でシェルターまで、たどり着きました。実は高山病は無条件、降りて行かないとだめですが、逆にシェルターまで登ったわけです。危機の時は、全然助けにならない人ばかりです。そしてシェルターの所で薬とか、何か助けをもらえると思ったら、大間違いでした。やはり「なんかない、今すぐ降りて行きなさい」と言われたのです。富士山の頂上の所は気象変動も激しくて、急に大雨が降り出したのですが、とにかく降りることにして、転がりながら降りてきました。どうやって降りて来たのか、まったく覚えがありません。降りる途中、ある白人の男性に出会って、道を教えてもらった覚えしかありません。

あの時に墜落事故があったり、自殺の名所である青木ヶ原樹海の所に入っていたら、私は今日皆さんの前に立つことはありませんでした。その時、主は私を穴から救い出して下さったのです。今日の本文4-5節、『あなたのいのちを穴から贖われる。主は あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ あなたの一生を 良いもので満ち足らせる。あなたの若さは 鷲のように新しくなる。

私たちは鷲のように新しくなります。『あなたの一生を良いもので満ち足らせる』というのです。クリスチャンになりますと、悪いもので人生が満たされるのではなく、「良いもので満ち足らせる」ことを感謝しなければなりません。一年が終わる今の時期、家族で集まり、一年に起こった主が良くしてくださった事柄を互いに、話し合う時を持ったら良いのではないでしょうか。

皆さん、感謝することは、たいへん重要です。ピリピ人への手紙4:4-7、『いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリストイエスにあって守ってくれます。

時々、私たちは「この祈り、まだ答えられていない」という事柄があります。「、もう何年も祈ってきたんですよ。どうして祈りに答えて下さらないんですか?」と感謝よりも、不平不満が出てしまう時があります。しかし、そのような先送りの祈りを勝利に導く鍵が「感謝」だというのです。『何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。』というわけです。

私たちが祈る時、直接「!こうしてください!」と訴えるのではなく、感謝をささげながら、「感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」というのです。神様は人格を持っておられますから、感謝をささげることは、神の心を動かすわけです。私たちの関係もそうです。いきなり、「お父ちゃん、これ買って。これやって。」と言ったら、いらいらします。しかし「お父さん、ありがとうね。お母さん、ありがとう。本にお世話になっています!」そういう言葉が来た時には、次に何かが控えています。

もし「今年一年間、祈ってたのに、あまり動いていないな。」という事柄に関して、「あんたは本に神なんですか!こんなに祈ってたんですよ!おい、こらっ!」というような、やくざの祈りは駄目です。時々そういう方に出会いますが、そういう祈りは聞いてくれません。感謝しなければいけません。「、今までこんなに助けてくださいました。あの時は癒してくださいましたね。本に感謝します!つきましては…」とお願いするわけです。そうしたら、祈りが聞かれると告げているわけです。この方法を使って、心からの感謝と願いを主に捧げる時、主が良くしてくださると思います。

今年私にとって、一番感謝なことは何かというと、やはり牧師ですから、こうして続けて御言葉を語らせていただけたことです。それが一番感謝です。実は2011年TBICに来た時は「2025年まで、語ることはあるのかな」と思っていました。大体人は5年経つと忘れるというのです。私はTBICに来て、もう15年ですから飽きる時が来たと思います。でも適当に語って「今日も日曜日終わった」ではいけません。やはり主からの御言葉をもらわなければなりません。私もイエス様が日曜日ごとに何を語られるのかと、それを祈り、毎週メッセージをもらわなければいけません。しかし今年一年も、御言葉を与えていただいた事に、心から感謝します。

詩篇119篇130節に、こんな御言葉があります。『みことばのが開くと、光が差しみ、わきまえのない者に悟りをえます。』みことばの戸が開くと、光が差し込むのです。御言葉は聖書一冊全てが神の御言葉です。しかし戸が開いている場合と、戸が閉じている場合があります。読んではいても、聖霊によって戸が開かれないと、光が入ってこないのです。しかし聖霊によって戸が開くと、御言葉が光となって届くわけです。そして『わきまえのない者に悟りをえます』 とありますが、私は今年、今までの人生の中で最も大きな御言葉の戸が開かれた体験をしました。それは私たち信者が地球や宇宙を管理する「管理人として造られた」ということに、改めて気づかされたことでした。つまり、「人間って何者だろうか」という問いに関して、御言葉から回答をもらったことです。

それは創世記1:27-28、『神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地をたせ。地をえよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

人間は、神から「被造物を支配しなさい」と管理人として任命され、造られたことが分かります。そして創世記2:7-8には『神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹きまれた。そこで人は生きものとなった。神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。

皆さん、「土地と人、どちらが大切ですか?」そんなこと、私は一度も考えたことはありません。「土地と人、どっちが大切?そんなこと考えることもなく、人が大切だ」と思っていました。しかし神は最初に土地を造り、土地のちりを拾って、人を造り、土地を管理するために人を土地に送られたのです。わざわざ土地のちりから人を造り、神が管理してほしい土地、すなわちエデンの園に人を送られたわけです。この情報から、「土地と人、どっちが大切ですか?」と問われたら、先に土地を造って、土地のちりからわざわざ人を造り、土地の管理人として置いたのですから、神の目から見たら、人よりも土地のほうに目的があるということです。

例えば、私が済州島に立派な別荘を買ったとしましょう。でも日本で仕事がありますから、そこに行けるのは、一年のうち、三ヶ月しかないとします。あと九ヶ月はどうしますか?管理人に管理を頼むしかないのです。管理してもらわないと、家はすぐにだめになります。では、この別荘のオーナーである私は別荘と管理人、どちらが大切でしょうか。別荘の方が大切です。同様に神様は土地を造り、人間を造って「管理して下さい」と頼みました。そうしたら、神にとって人以上に、この地球は本当に大切です。それを私は理解できていませんでした。しかし今年、それを理解させてくださったのです。

クリスチャンホームに生まれた私の一番いやだった事はイエス様がやがて帰って来られるという話でした。祖母を始め、親戚みんなの口癖が、「イエスが、いつってられるか分からん!」と話しました。だから「罪を犯さないで、聖いみをしろ!」とみんな話してくれました。それで私は、いつもびくびくしていました。そういう中で、「おまえ、喧嘩したり、をついたりしていると、校からったら、家族みんな、いないかもしれないぞ!イエスってて、みんな天に行っちゃって、おまえだけ、地上にされるんだ」という話を聞いて育ちました。

でも本当にイエス様は帰って来られます。しかしその方向がどちらに向いていたかというと、天に向いていました。クリスチャンは引き上げられ、別の宇宙に行ってしまうというようなイメージでした。しかし聖書をよく読むと、そうではないのです。イエス様が帰って来られるとは、この地上に帰って来られるということです。地球の王として、イエス様はやがて帰って来られるというのが聖書の結論です。「やがて、主はこの地にってられ、私たちは主と共に地を治める」のです。「主がってられる」という方向は上ではなく、下向きです。イエス様がこの地に帰って来られ、この土地に神の国を建てられるのです。多くのクリスチャンが天国とは、他の天体に用意されているかのように思っていますが、そうではないのです。神様がなぜ、地球を重要視しておられるのか、それはこの土地に神の国を建てようと計画しておられるからです。

聖書の神の国の概念は、他の宇宙ではありません。私たちの目の前に、この「目の前」に実現するのです。私たちのゴール、私たちがやらなければならないことは何でしょうか。それは一刻も早くイエス様がこの地上に帰って来られ、地を新しくし、治めてくださる事です。そこに私たちの祈りを集中しなければなりません。

黙示録22:17、『も花嫁も言う。「てください。」これを聞く者は、「てください」と言いなさい。く者はなさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。』と言われます。「主よ、てください。」とマラナタです。

私はイエス様は帰って来られるだろうが、それは相当遠い未来ではないかと考え、自分とはあまりにもかけ離れた概念のように感じていました。しかしそうではなく、「主は近いのです。主よてください!」と祈らなくてはいけないと、御言葉の戸が開きました。それは昔から聞いていたことでしたが、今自分の心に光として来ているわけです。

今の時代は、もしかして本当にイエス様が帰って来られる直前かも知れません。それは、私たちがどこか他の宇宙に連れて行かれるのではなく、主が帰って来られ、主がこの地を治めて下さる日が近づいていることです。私たちは一刻も早く、イエス様がこの地上に来てくださり、地球の王となってくださることを真剣に祈らなくてはいけないと思います。

もちろんいくら浦安にリバイバルが起こっても、まだまだ国は悪魔の支配下にありますから、絶対に国には問題が残るわけです。私はリバイバルの国々を見て来ましたが、もちろん教会は成長しています。大勢の人々が教会に来ています。しかし国全体を見たら、日本以下の国はいっぱいあります。なぜ、こんなにクリスチャンが多いのに、こんなに悪いの?と矛盾を感じます。それは、まだ主が地球の王となっておられないからです。この世の君(サタン)が王となって、世界を治めているからです。

真のリバイバル、それはどこにゴールがあるのか?それはイエス様が帰って来て、この地の王となる時、実現します。その時、真のリバイバルが実現するわけです。皆さん、日本を救いたかったら、何をしたら良いのでしょうか。それは、イエス様が帰って来て、日本の王となってくださる事です。だからイエス様がこの地球の王となることを真剣に祈り求めなければなりません。

今心から願っていることは、私たちの生きている世代に、イエス様が帰って来られる事です。地上でイエス様が帰って来られる姿を見られたら、最高です。皆さんと地上で生活を共にしているただ中にイエス様が帰って来て欲しいと心から願います。今一緒に働き、一緒に礼拝を守っている兄弟姉妹のただ中に、主が帰って来られる、そんなすごい奇跡を見たいです。それが実現したら、どんなに素晴らしいことでしょうか。来年はそのことを、もっと現実的に祈りたいと思います。

イエス様が再び地上に帰って来られ、世界の王となる事は確かな事実です。ただ時間の問題です。だから主が帰られるその日まで、私たちは良き管理者として、働かなければなりません。この一年を締めくくるに当たり、もう一度私たちがこの地球(浦安)の管理人として、主が遣わしてくださっていることを心に留めましょう。目の前に広がっているこの土地に、やがて神の御国ができるわけです。そのために、私たちは準備しなければなりません。

そのためにはまず霊的に暗闇を一掃しなければならないと思います。皆さんが今年一年、いろいろな場所でクリスチャンとして歩んだのは、今まで悪魔に渡っていた土地を、管理人として主の手にお返しする働きでした。この働きを続けなければなりません。そのためには、「自己管理」が大切です。

最後に自己管理に関して二つ学んで、ご一緒に感謝し、祈りの時を持ちたいと思います。私たちはスポーツ選手と同じです。すぐれたスポーツ選手は、やはり自分をしっかりと管理します。私たちも神から遣わされた管理人として、しっかりと自分を管理し、外の管理に当たらなければならないと思います。

その第一番目がまずは「唇の管理」です。ヤコブの手紙3:2、「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」とあります。そして6節、「舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪をき、そしてゲヘナの火によってかれます。

唇が管理されないといけません。神を賛美する唇で、悪い言葉を語ったり、人の悪口を言ったり、嘘をついたり、汚れた言葉を語ったり、否定的なことばかりを語っていると、管理人としての資格を失います。

今年、私はどのくらい、唇を管理できたかなと思うと、語りながらも、なかなか複雑なところもあります。やはり聖霊によってのみ、舌はコントロールされます。「がくだった時、分かれた炎の舌が現れた。」とありますが、やっぱり聖霊を受けることです。管理人は舌を聖霊によって支配されていかなければなりません。管理された舌を持ち、家庭に行って、また社会や、様々な地域に行き、舌を持って宣言するのです。「魔よ、この土地から出ていけ!ここは主がやがて神ののために使われる土地だ!」と。信者は神からの言葉を宣言する者にならなければなりません。

もう一つ管理しなければならない領域があります。それが経済の領域です。経済の世界は、悪しき支配下にあることをクリスチャンなら、誰でも気づいています。社会に起こる問題も、教会に起こる問題も、その根底には必ずと言っていいほど、金銭問題が絡んでいます。経済的必要と霊的領域をどのようにすりあわせ、経済を正しく管理したら良いのでしょうか。聖書には賢い管理人と不正な管理人の二種類が登場します。それも経済に関わるストーリーの中で、取り上げられています。賢い管理人とは、主が帰って来られるその日に経済を正しく管理しながら、主のために働いている人たちのことです。

イエス様はルカの福音書16:9-13で、「そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。」と語られました。一見、意味不明の箇所ですが、これは「地上の富を賢明に扱え」と語っておられる箇所です。その中で主は、不正の管理人を引き合いに出し、賢い管理人である弟子たちは富ではなく、神に仕えることが根本で、そのためには地上の富をも有効に利用し、福音のために用いて、御国に入る者たちを多く作るべきだと世の富の必要性についても語られたわけです。それと共に神と富(マモン)に同時に仕えることはできないと厳しく弟子たちを戒められました。

経済の世界は主が語られたように、今でも不正の富の世界です。最も身近でありながら、最も知られていないのが、金融システムの成り立ちです。かつてのイングランド銀行総裁、ジョシュア・スタンプさんは、次のような言葉を残しています。「現代の銀行制度は、貨幣を無から作りだす。その手口は、これまで明された詐欺の技術の中で、最もおどろくべき代物である。銀行は不正によって作られ、罪のに生まれた。銀行家は地球を所有する。」スタンプさんの言葉からも分かるように、経済の世界はマモンという富を支配する、悪霊どもの手中にあることは明らかです。

では、どうやって私たちは悪魔の手にある経済を霊的に勝ち取り、主のために管理することができるのでしょうか。その一つが献金です。なぜなら、献金はマモンが支配している領域に神の領域を宣言する、ある意味、最も激しい霊的戦いだからです。不正の富から勝ち取った富の一部を主の手に渡し、神の国に人々を招くために用いられる献金は、経済界を霊的に管理するための重要な役割です。そしてそれが賢い管理人の姿です。

私たちは管理人として、主に仕えるために自分自身をちゃんと管理しなければなりません。つまり自己管理しなければならない領域は、「唇と経済」です。私たちは唇の実によって、刈り取るものが多くあります。また経済のただ中に身をおいていますが、今話したように経済界はマモンという最強の悪しき力の手中にあるわけです。だから不正の富を勝ち取って、その一部を神の手に渡たすことによって主のための活動が拡がり、神の国に入る人たちが増えるよう、働きかけることが大切な管理です。

今年も皆さんの捧げ物と犠牲によって、教会活動を続けることができました。心から感謝します。これは霊的戦いの中でも、最も激しいものの一部です。金銭の管理は、すごく大事です。誰かからお金を借りて、全然返す気がない人って時々いますが、そういう人は完璧に戦いに負けています。人から借りたら、絶対に返さなければいけません。

人の物と自分の物を区分けできないと、神の物と自分の物を区分けして管理できないわけです。経済の領域の霊的戦いは最大の戦いです。なぜなら、社会活動のすべてが経済活動に集約されているからです。教育、医療、軍事、科学、何もかも、より良い経済活動のためです。そのただ中で不正の富を勝ち取り、神の手に渡す作業は大きな霊的戦いであり、管理人として働くために重要なポイントです。

だから来年もぜひ、良い管理人となり、舌を聖霊によって制し、経済も勝ち取って、主の手にゆだねる良き管理人でありたいです。そうしたら、必ず未来は開かれると思います。そのような働きをこれからも続けていきたいと願っています。最後に一言お祈りして、終わりたいと思います。

ハレルヤ!主よ、感謝します。一年の締めくくりの日に、心から主を礼拝できますことを感謝します。主よ、ひとりひとりが良い管理人として、良き働きを進めることができますように。この土地を、主が帰って来られた時には、主の手にお返しすることができますように。更なる恵みと力、信仰を与えて下さい。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
合計 237
手順 タイトル 投稿者 投稿日 推薦 閲覧数
237
New マタイの福音書 11:2-6 (つまずかないためには)
tbic | 2026.02.07 | 推薦 1 | 閲覧数 14
tbic 2026.02.07 1 14
236
New マタイの福音書10:1-4 (なぜ主はイスカリオテのユダを選ばれたのか)
tbic | 2026.02.06 | 推薦 1 | 閲覧数 16
tbic 2026.02.06 1 16
235
マタイの福音書 5:21-26 (信仰は愛の深さに比例する)
tbic | 2026.01.31 | 推薦 1 | 閲覧数 37
tbic 2026.01.31 1 37
234
マタイの福音書25:31-46 (最も小さい者たちの一人)
tbic | 2026.01.22 | 推薦 1 | 閲覧数 64
tbic 2026.01.22 1 64
233
マタイの福音書4:12 (主が私から退かれた時)
tbic | 2026.01.19 | 推薦 1 | 閲覧数 72
tbic 2026.01.19 1 72
232
詩篇23:4-6(契約)
tbic | 2026.01.09 | 推薦 1 | 閲覧数 97
tbic 2026.01.09 1 97
231
使徒の働き2:1-4(聖霊によって主の証人となりなさい)
tbic | 2026.01.05 | 推薦 1 | 閲覧数 104
tbic 2026.01.05 1 104
230
詩篇103:1-5(主をほめたたえよ)
tbic | 2025.12.27 | 推薦 1 | 閲覧数 125
tbic 2025.12.27 1 125
229
クリスマス•キャロル
tbic | 2025.12.21 | 推薦 1 | 閲覧数 141
tbic 2025.12.21 1 141
228
ルカの福音書2:1-11(大きな喜びの知らせ)
tbic | 2025.12.13 | 推薦 1 | 閲覧数 145
tbic 2025.12.13 1 145