メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

使徒の働き2:1-4(聖霊によって主の証人となりなさい)

投稿者
tbic
投稿日
2026-01-05 09:40
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61
使徒の働き2:1-4「1.五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。2.すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。3.また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。4.すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。」

今日の本文を見ますと、弟子たちが集まって祈っていた所に、天が開かれ、聖霊が注がれて、一人ひとりが聖霊が話させてくださる通りに、「の言葉」で話し出したというのです。このことはすでにイエス様によって預言されていました。使徒の働き1:8によりますと、『しかし、聖があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。

よみがえりのイエス様により、預言されていた出来事です。実に預言どおりに聖霊が来られ、人々が他国のことばで話し出したのです。聖霊を最初に受けた人たちは、イエス様の弟子たちを中心とする120人だと言われます。外国語なんかできるような人たちではありませんでした。その多くがガリラヤ地方出身の田舎者たちでした。方言はしゃべることができたかもしれませんが、標準語もままならない、田舎者の集団だったのです。しかし聖霊が降ったら、他国のことばで、ぺらぺらとしゃべり出したのです。すると、外国人たちが驚いて大勢集まって来て、その日3000人が弟子たちの群れに加えられたと書いてあります。

聖霊が来られたのは、どのような意味があるかというと、それは人々が力を受けて、世界の国々に出て行って、福音を宣べ伝えるという象徴的な出来事でした。今読んだ使徒の働き1:8を見ると、『しかし、聖があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。

これは2000年前にイエス様が語られた言葉ですが、それが実に今、この場に実現しています。今日私たちは日本で礼拝を守っています。日本語で主を賛美しています。なぜかと言えば、約束が実現した結果です。彼らから見たら他国の言葉、日本語で主を礼拝し、賛美しているからです。聖書のこの記録を読んで自分たちを見るなら、神の言葉が実現していることがよく分ります。

当時ユダヤ人たちは、ヘブル語をしゃべっていました。しかし私たちは別にヘブル語を知らなくても、今日本語で礼拝できるのです。これは預言の成就です。本当にこれはすごいことだなと私は感動しています。今、世界中に福音が知らされています。これは何のためかというと、マタイの福音書24:14、『この御の福音は全世界に宣べえられて、すべての民にあかしされ、それから、終わりの日がます。

私たちのゴールはどこかと言えば、イエス様が再び地上に帰って来られ、世界の王となり、世界を治めてくださる事です。それがゴールです。それを期待して私たちは日々を歩んで行かなければいけません。私は今、毎週世界的な規模で起きている戦争や自然災害を見ながら、もしかしたらイエス様が帰って来られる日は近いかもしれないなと感じています。私の願いは今、礼拝している皆さんと一緒に終わりの日を迎えることです。「終わりの日」とは、滅びの日ではありません。私たちにとっては勝利の日です。イエス様が帰って来られ、人間の歴史に終止符を打たれて、本物の神の歴史が始まる日です。それを早めるために私たちクリスチャンはそれを最優先として働かなければなりません。そのために何をしたら良いかと言えば、「地の果てにまで、わたしの証人となれ」ということです。

私は韓国人ですが、今日本語でメッセージをしています。だからたまには途中で韓国語が出てきたリ、混乱する時があります。本当に世界には言語が多いのです。世界に言語がどのくらいあるかと言うと、実ははっきりしません。調査によって、全然違うわけです。千数百から数千と言われます。1939年にグレイという学者が調べたところによると、2796だというのです。しかし1970年にマイヤーという学者が調べたら、4600から5600だというのです。この頃は8000とも言われます。本当に多いのです。私たちは日本語という言語を話していますが、普段話されている言語の人口順位は、一位が中国語、二位がスペイン語、三位が英語だそうです。一番多くの人に使われている言語は何と言っても中国語です。14億人くらいが使っていますから。二位がスペイン語(3億2900万人)、三位が英語(3億2800万人)、日本は九位にランクしています。日本には1億2500万人も人がいますから。でも日本語って、汎用性がない言語です。日本から一歩外に出たら、全く通じません。一番多くの人とコミュニケーションできるのは英語とスペイン語です。日本語は隣の国、韓国でも通じません。

皆さん、これだけの言語がどうして出来たのでしょうか。言葉はあまりにも細分化されてしまっています。実はなぜこうなったかというと、理由があります。創世記にその理由が記されています。創世記11:1-9、『さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人は東のほうから移動してて、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよくこう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天にく塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」そのとき主は人間の建てた町と塔をごになるために降りてられた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」

人々は、はじめは一つの言葉だったのです。もしも全地が一つの言葉だったら、本当に楽です。どこに行っても通じますから。もしも世界が一つの言葉でコミュニケーションできたら、人種問題はないはずです。言葉が通じれば、どこの地域の人とも自由に結婚しますから、肌の色の差は生じないかもしれません。

また私たちは「文化」という言葉を使いますが、言葉が同じなら、文化も生じません。文化とは、お互いに違った生活様式がある故に、その違いを「文化」と称するわけです。でも同じ言葉なら、世界中のコミュニケーションができますから、そんなに差が出来ないわけです。本当に世界が一つの言葉なら、相当人類は平和に暮らすのではないでしょうか。しかし数千とも言われる言語が生じてしまったのは、原因があります。言語学的にも、「言語は初めは一つだった」と言います。それは定説です。今は数千もあるのですが、しぼっていくと、一つだったと言われています。聖書も「はじめは一つのことばだった」と告げています。日本語と韓国語も似てる言葉がたくさんあります。本当に一つだったのです。それがある時、変わってしまったということです。

創世記11:3から見ると、『彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよくこう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天にく塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」そのとき主は人間の建てた町と塔をごになるために降りてられた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。

こんな記録があるのですが、何を意味するかというと、一つの言葉で住んでいた人たちが町を作り始めたというのです。現代人も、町を建てていますが、人類が近代都市を建設し始めたことを意味します。『彼らは石の代わりにれんがを用い、』とありますが、「」は自然の素材ですが、「れんが」は人手を加えた日干しれんがだったり、焼き物だったりするわけです。『粘土の代わりに瀝を用いた』とあります。「粘土」は自然の素材ですが、「」はアスファルトです。天然のアスファルトに石を混ぜて、現代人も道路を作っていますが、そのようなことを始めたわけです。人工の都市を建て始めた時、神様は「ちょっと待って」と、人間に注目したわけです。極めつけは町の真ん中に塔を建てた時です。それが有名な「バベルの塔」です。

バベルの塔を建てた途端、互いに言葉が通じなくなり、一緒に住むことが出来ずに世界中に散らされたというのです。神ご自身が人々を散らされたと聖書は歴史的事実を記しています。人類は元を正せば、「一人から始まっている」これも定説です。そこから世界中に広がったわけです。「なぜ塔を建てたくらいで、神は怒るの?」それで言葉を混乱させるようなことをされたのかなと思うのですが、実はこの塔、ただの塔ではないのです。「遠くを見たいな」という塔ではなく、塔のてっぺんで霊を呼ぶという、降霊術のための塔だったのです。人間って、霊的な存在と関わらないと生きていけない存在です。

今日私たちは霊的な存在、父、聖霊、御子イエス、目に見えない三位一体の神様と関わりを持っています。それで生活ができているわけです。今、皆さんから全く信仰を奪ってしまったら、途方にくれると思います。クリスチャンでない場合も何らかの霊的力と関わっているわけです。仏教だったり、神道だったり、様々な新興宗教だったり、それらは何でしょうか。目に見えない世界とのつながりです。霊との関わりです。人間は肉体を持って、現実の世界に生きているのですが、目に見えない霊的存在と関わらないと、生きることができない存在です。でもどのような霊的存在と関わるかで、人生の方向性は全く異なります。

バベルの塔を建てるまで人類は天地万物を造った創造主なる神と交流を持っていました。しかし、この塔を建てた時、自分の欲望を満足させるために悪霊を呼ぶようになったのです。悪霊と取り引きをするようになりました。そのことによって、神様が「これはいかん」と言って、人々の言葉を混乱させたのです。人類が初めは「一つの言葉」だったとは、どういう意味かというと、私たちの信じている神様は「言葉なる神」だということです。天地も言葉で造ったのです。「光あれ!」と言ったら、光ができて、地球も、この広大な宇宙も、すべて言葉で造られたということです。

そして人間を造って、人間だけに言葉を与えました。他の動物は言葉を持っていません。「私は犬の言葉が分かる」という人がいるかもしれませんが、犬の言葉の辞書なんてないのです。ネットには、犬の気持ち辞典はありました。いつもコミュニケーションしていれば、何となく犬の気持ちもわかるかもしれません。しかしはっきりと犬とおしゃべりできる人は一人もいません。しかし人間同士はどこの国の人だって、おしゃべりできます。辞書もあるし、翻訳機もあります。神は人間だけに言葉をくださったのです。神様が使っていた言葉をちょっとだけ取って、人間の口に貸し与えて下さったということです。

全員同じ言葉を語っていたというのは、どういうことでしょうか。神様が使用していたすべてを成し遂げるようなパワフルな言葉の一部分を人間に貸して下さったことを意味します。だから最初、人間がもらった言葉は超強力だったはずです。無から有を生じさせるような、今では全く想像できないすごいことが言葉によって結構できたと思われます。しかし人間は神様から直接もらった創造力溢れる言葉を使って、悪霊を呼んだのです。それは相当危険なことでした。「彼らのやっていることを、とどめることはできない。」と神様が言われたのが何よりの証拠です。つまり神様が言葉の力を弱めたというのがバベルの塔のストーリーです。

人類は産業革命以前は今とは違った価値観を持っていました。現代人の価値観は科学技術を発展させることによって、幸せになることができるというものです。特に飛行機で旅行をするのは現代人にとって、最先端技術です。今、地球上で24時間以内に行けない所はありません。待ち合わせさえなければ、アフリカなんて、簡単なものです。飛行機に乗ったら早いです。いつも飛行機に乗るたびに、すごいなと思います。飛行機を構成している部品はすべて手を離せば落ちるものです。しかし飛ぶというのは、すごいなといつも感動します。それは人間の知恵です。

しかし昔の人たちは科学技術を発展させたら、幸せになるなんて考えていなかったわけです。現代人にはおごり高ぶりがあり、「現代人こそ、一番進んだ、頭のいい人だ。」と思っているのですが、それは違います。昔の人たちは、「技術なんかを展させるよりも、的技術を展させたほうがずっと率がいい」と考えていたわけです。エジプトのピラミッドって、大きいのです。あんな施設、なぜ作ったのかと思います。初めは王の墓だと思われていました。しかし近頃はそうではないことが分かりました。あれは霊を呼ぶための施設だと言うのです。それも国民の総意で作ったと言うのです。みんなで「作りましょう。作りましょう。手います。」と塔を建て、悪霊を呼んで、悪霊にすこし飴玉をあげると、ギブアンドテイクで普通ではできないことが簡単にできるということを、当時の人たちは体験していたのです。

だからシャーマンと呼ばれるような霊能者は最先端技術者でした。空を飛んだり、瞬間的に移動するような事ができたというのです。聖書の中にもピリポという男が瞬間的に移動したことが記されていますが、飛行機に乗るよりも瞬間移動のほうが絶対に良いと思います。ドラえもんのどこでもドアのような、パッと開けたら、「おっ!北海道!あっ!韓」そんなドアが欲しいなと私は本当に思います。昔の人たちは、それをやっていたようです。産業革命以前、人類は霊的技術を真剣に高めていたわけです。それがあるとき、科学技術にシフトしたわけです。だから科学技術の根源にはオカルトがあります。全て連続性がありますから。

昔は病気を治す時、霊能者のところに行って直しました。今はどうでしょうか。病気になったら、病院に行って最新の医学で治してもらいます。昔は魔術師の所に行って、悪霊を呼んで、悪霊と交渉して治してもらいました。煙を焚いて拝んだら「あっ!治った」というなら、手術より、それは良いかもしれません。でもそれは相手が悪霊ですから、悪霊に助けてもらったら、助けてもらった以上に悪霊から被害ももたらします。ギブアンドテイクと言いますが、与えてくれたから、取られるものもあります。良きものが人生から取られる一番の原因は、悪霊との結びつきです。

そういうことをし始めた人類にパワフルな言葉を貸し続けることは、危ないことです。「これはまずいぞ!言葉をバラバラにして、通じなくし、言葉の威力を弱めなくちゃ!」ということで、人類は世界中に散らされたということです。それで私たちも今、日本語や韓国語をしゃべるようになったわけです。つまり言葉が通じなくなったとは、コミュニケーション障害です。同じ日本語を使っていても、案外近くの人でも、コミュニケーションができない場合が多いのではないでしょうか。「なぜ愛し合って結婚したつもりの主人と、こんなにも言葉が通じないんだろう。」とよく聞きます。結婚する時って、「一生、この人と連れ添って行こう!」と決断して、結婚します。でも徐々に変わって、言葉が通じなくなるわけです。同じベッドに寝ていても、ご主人がアメリカで寝ているのと、あまり変わらないくらい距離感が広がってくるわけです。子どもともコミュニケーションができなくなり、いろいろな壁ができるのです。これはバベルの塔と同じです。「私がいから」と、それはもちろんです。人間は努力もしなきゃいけませんが、その背後にシャーマニズムという悪霊を呼ぶ行為が関わっているのです。

偶像は全て霊を呼ぶための施設です。仏壇は先祖の霊と称する霊を呼ぶための施設です。道ばたに転がっているようなお地蔵様も石でできていますが、手を合わせると何かの霊がやってくるのを日本人は知っています。石を媒体にして、霊が呼ばれるのです。神社に行って、手を叩いて鈴を鳴らすのは霊が来てくれるようにやっているのです。「パンパン」という音で、霊の注意を引きます。知らないうちに日本人は悪霊を呼んでいます。その結果、コミュニケーションが阻害されるのではないでしょうか。そんな行動をとった人類を、ある意味悪霊の被害から守るために、神様は人々を世界に散らされたのではないかと思います。神の愛をそこで感じます。全員で同じ場所で、同じ言葉で悪霊を呼び続けたら、人類は完全に滅びたことでしょう。しかし神様は回復されるお方です。「人間って、しょうがないな。悪霊なんか呼んで。滅びてしまえ!」と言われません。それで終わる方ではないのです。そんな散らされた人々を集めるために、聖霊を注がれたのです。

そこ(エルサレム)にいた120人の弟子たちに、普通ではしゃべることができない世界の国々の言葉を語る能力を神様は与えたのです。そしてエルサレム、ユダヤ、サマリヤ、地の果て、日本にまで福音は伝えられました。それはバベルの塔の呪いからの回復です。人々が立ち返る道を用意してくださったのです。今や私たちはユダヤ人たちから見たら、普通ではありえない日本語で福音を聞くことができ、イエス様を知ることが出来ました。それは他でもない聖霊が注がれた結果です。その間、2000年くらいの期間がありましたが、時代時代にあって神様から委ねられた領域をクリスチャンたちが満たして来たことにより、私たちは救われたわけです。

ということは、私たちも次世代のために、この働きを継続しなければいけません。日本に福音が伝わったのは海外の人たちが、「日本に行って福音をえよう」という熱い気持ちを持って、日本に来て伝えたからです。日本語の聖書なんて、昔はなかったわけです。誰かが翻訳しました。ギリシャ語だ、ヘブル語だという、私たちには訳の分からない言語を誰かが日本語に翻訳したから、今日私たちは聖書を読むことができるのです。それは言語が回復した証拠です。聖霊が注がれた時に、「のことばで話し出した」というのは、重要な意味があります。つまり言語の違った地域にまで福音を伝えるという視点を持ちながら、福音を伝えていくことが大変重要だということです。

その底に流れているのはやはり神の愛です。神様の愛が示されている箇所が聖書にはたくさんありますが、特にルカの福音書10:30-37です。良きサマリヤ人の話ですが、ここには神の愛が表現されています。ルカの福音書10:30-37、『イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下ってたが、彼を見ると、反側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所にて彼を見ると、反側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜にせて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私がりにいます。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

皆さん、以前話したと思いますが、関係が悪くなる人って、遠い人たちとはあまり関係は悪くならないのです。やはり近い人と悪くなります。家庭の中なら、ご主人と奥さん、近い人です。日本が国として関係が悪いのはどうでしょうか。遠い国とは、あまり関係は悪くありません。南米のアルゼンチンとか、ブラジルとか、ペルーとか、大嫌いという人は少ないです。しかし近寄ると、関係が悪くなるわけです。特に関係が悪いのは、一番近い韓国(北朝鮮)、あるいは中国です。隣に住んでいる違った民族と悪くなります。民族問題は私たちが考える以上に大きな問題です。

当時、ユダヤ人とサマリヤ人は、異なった二つの民族で、お互い毛嫌いしていました。宿屋を貸してくれなかっただけで、イエス様の弟子たちは「サマリヤの村を天から火を呼び下して、き滅ぼしてしまいましょう!」と言ったくらいです。相当嫌っていたのです。しかしイエス様はユダヤ人でしたが、ユダヤ人でありながらサマリヤ人の立場に立ち、良きサマリヤ人の話をしました。ユダヤ人が一番うまくいっていない民族を愛しましょうと告げられたわけです。聖霊の働きは、神の愛に裏付けられています。私たちも神の愛を受けて、聖霊を受ける時、隣人を愛することが出来ます。そしてその愛を実践しなければならないことが分かります。

皆さん、皆さんにとって一番近い存在で一番関係が悪い人って、誰でしょうか。「その人を愛しなさい」と主は言われます。同時に日本人として、隣人を愛するということは、近くに住んでいる他の民族と呼ばれる人たちを愛することです。その時、イエス様が帰って来られる道が用意されるということです。ユダヤ人とサマリヤ人の間には、かなりひどい憎しみがありました。憎しみは人を滅ぼします。憎しみから解放され、和解するのは本当に大事です。私は日本にリバイバルが起きないのは、太平洋戦争の時に日本人が犯した罪が関わっていると強く思います。隣の韓国に行きますと、クリスチャンが多いです。人口の30パーセントくらいがクリスチャンだと言いますが、日曜日はちょっと感動します。特にソウルの街を歩いている人たちは、みんな教会に向かっているからです。教会はどこも満員です。どこでも大勢の人たちが詰めかけて来ます。

実は戦争とリバイバルは関わっています。韓国もリバイバルが起こったのは、戦争が関わっているのです。韓国は日本の植民地時代と朝鮮戦争のとき、隠れた一握りのクリスチャンたちが祈り始めました。その時、天が開かれ、聖霊が注がれたのです。それで平壌で始まった聖霊の働きが南の方に広がり、2パーセントの人たちが今は30パーセントのクリスチャンになったわけです。

日本はやはり原爆というテーマは重いです。日本も本当に大きな戦争被害に出会っているのに、何で日本にはリバイバルが起きないのかなと思います。しかしそれは日本が過去に犯した罪、戦争を通してたくさんの人々を殺したわけです。それが引き止めているのかなと思いました。過去の戦争のことで、日本と中国、韓国って、あまり良い関係ではありません。でもクリスチャンは絶対に、お隣の国を悪く思ってはいけません。神様からの祝福を失います。しかし私たちTBICが今一つとなっているのは本当にすばらしいことです。だから私たちが日本のために祝福を祈ったら、日本にもリバイバルの道が開かれると思います。日本の教会は今までいくら祈っても、なかなか祈りがきかれない事柄だったのですが、うちのTBICを通して勝利が来るのではないかと私は期待しています。だからサタンの攻撃も多いかもしれません。

時々トイレが詰まって、いくら水を流したって流れない時があります。でも詰まりが取れたら、どっと流れて行きます。日本はトイレが詰まっているような状態です。アジア付近でいっぱい詰まっているのです。でも、そこを勝ち取って行くのです。それには他国の言葉が必要です。それこそ、聖霊様の働きだと思いました。

皆さん、お互いに他国の言葉を話す者たちがキリストにあって一つとなって、主の働きを全うしなければなりません。日本だけではできないことですが、主が不思議な形でTBICにチームを与えてくださいました。本当に心から感謝しています。皆さん、是非祈って下さい。祈りは聖霊様の働きです。聖霊が注がれた原点に、「のことば」があります。私たちTBICが祈り、他国のことばを使うただ中に、主はこの地に帰って来られます。それを期待し、聖霊を求めましょう。最後に一斉に祈りましょう。特に聖霊を求めて下さい。

ハレルヤ!天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。私たちに聖霊を注いでくださり、今や他国の言葉を使って、様々な働きをTBIC教会にゆだねてくださっていることを、心から感謝します。主よ、私たちの中にある他国の言葉を祝福してください。聖霊によって祝福してください。この教会には、外国から来られた方がおられます。その方々を祝福してください。そして日本がかつてアジアに対して犯した罪を赦し、聖めてください。今まで詰まっていたものが取れ、日本の教会に、またこのTBIC教会に新しい風、新しい聖霊の流れが来ますように。その原点となったイエス様の十字架の血潮を、私たちが喜んで飲めるように助けてください。主イエスの御名によって、お祈りいたします。アーメン!
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使徒の働き2:1-4(聖霊によって主の証人となりなさい)
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ダニエル書2:14-24(誰でも揺れる時がある)
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ヨハネの手紙 第一2:17(神のみこころを行う者)
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ヨハネの福音書 9:1-7 (苦難の原因は過去ではなく、未来にある)            
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