メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

マタイの福音書25:31-46 (最も小さい者たちの一人)

投稿者
tbic
投稿日
2026-01-22 12:27
閲覧数
65

最も小さい者たちの一人

(マタイの福音書25:31-46)

主暦2026年1月18日(東京ベイ国際教会)

 

挨拶

インド宣教とこの小さき者どもを、皆様のお祈りとご支援によりお支えいただいておりますこと心から感謝いたしております。

そして皆様からのご支援を毎月お送りいただいておりますことを心から感謝いたしております。

そして今日は、この小さき者を皆様の教会にお招きいただき、奉仕に与らせていただける恵みを心から感謝いたしております。誠に欠けばかりの未熟な者でございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

序論.インドでの迫害、ビザ問題、入国・出国審査と滞在での主の憐れみと守り

 

さてインドはヒンドゥー教が非常に強い国です。そしてヒンドゥー教至上主義のグループによるクリスチャンと教会に対する迫害があり、クリスチャンへの暴力や教会の礼拝堂内部の破壊行為、時にはクリスチャン殺害事件も起きております。

また外国人によるキリスト教宣教は禁止されています。

 

私たちは2001年にインドに派遣していただきましたが、宣教師としてはビザを取得することができないため、南インド内陸部のセカンデラバードのYMCAでの空手指導者としてビザを取得しておりました。

 

私の空手の生徒の多くは、スラムエリヤで生活する貧しい家庭の青少年たちでした。

私たちは彼らへの家庭訪問をさせていただき、彼らとご家族・ご親戚との親しい関係を持たせていただき、そしてイエス・キリストを証しさせていただきたく願ってきました。

また我が家のご近所で親しくさせていただけるようになった人々(おもに貧しい人々)への家庭訪問をさせていただき、イエス・キリストを証しさせていただきたく願ってきました。

また現地の教会に結びつき、教会の皆様と深いつながりを持たせていただいてきました。

 

今、私たちの関係者の方で難しい健康状態にある方がおりまして、その方のためにお祈りさせていただいております。

ラクシミさんという我が家のご近所の34歳位の女性です。ヒンドゥー教からクリスチャンに回心した姉妹です。

ラクシミさんは2023年9月、胆のう摘出の手術を受けました。

そしてその年の12月には胃・小腸ガンの手術を受け、その後、抗癌剤治療を受けていました。(2人の娘さんは大学生で、私たちは学費支援をさせていただいております。ご主人のモウラリさんは未信者です。)

 

ラクシミさんは昨年9月中旬頃から体調不良で病院通いを繰り返し、11月13日に大腸の腫瘍の手術を受けましたが、その後も体調が悪く12月21日には食道の手術を受けましたが、術後の体調不安定により集中治療室に入っておりましたが、1月13日に退院することができ感謝ですが、自宅療養中です。

ラクシミ姉妹の癒しと快復をお祈りに覚えていただけますならば幸いでございます。

 

ところで私はYMCAでの空手指導者としてビザを取得することができなくなってからは、学生ビザを取得していたこともありますが、現在は、友人を訪問することを目的にした旅行者ビザでインドに滞在させていただいております。

 

その旅行者ビザに2023年に新たな条件が規定され、年間(112月)インドに滞在出来る日数は合計180日以内となってしまいました。

そのため私たちは、年間に約3カ月間のインド滞在を2回実施させていただいております。

 

 2001年から長年に渡りインド滞在を続けている私たちは、インド政府との関係に非常に難しさがあり、インドの空港での入国審査・出国審査で、審査官が私たちに対し疑惑を抱いた質問をしてきます。

私たちが宣教活動をしていることを知られてしまえば、私たちは逮捕され、インドから国外追放にされてしまい、インドに戻ることが出来なくなりますので、ただ主の憐みを祈り求めるばかりです。

 

今回11月にインドから日本に出発する数日前、私の心に一つの御言葉が示されました。ヨハネの黙示録3章7-8節の中の御言葉です。

 

「聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持っている方、彼が開くと、だれも閉じることがなく、彼が閉じると、だれも開くことがない。その方がこう言われる──。

 わたしはあなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることができない門を、あなたの前に開いておいた。」(黙示録3:7-8

 

そして11月19日、インドから日本への出発当日、インドの空港での出国審査において、私がインドに来る目的について審査官から尋問され、非常に厳しい対応をされました。

その審査官はパソコンの画面を見て私の過去を調べながら、非常に厳しい表情で私への尋問を続けました。

 

私は「逮捕されるかもしれない」と非常に不安な気持になりましたが、その時、私の心の中にその御言葉(黙示録3章7-8節)が浮かび上がり、私は主イエス様とその御言葉にすがり心の中で祈り続けました。

そしてただ主の憐れみによって、最終的にその審査官は私のパスポートに判を押してくださり、私は出国審査を通過させていただくことができました。

そして続いて妻も出国審査を通過させていただくことができました。

主イエス様の憐れみと諸教会の皆様のお祈りに心から感謝いたしております。

 

本論Ⅰ.キリストの贖罪の死、復活、再臨、審判、善行でなく信仰による救い

 

1.神の愛、神の独り子イエス・キリストの贖罪の死、復活

 

 さて、天地宇宙すべてのものの創造者であられ、私たち人間をお造りくださった天の父親である神様は、私たち人間を測り知れない愛で愛してくださっておられます。

 しかし人間は天の神様に背いて罪を犯します。

そして罪の結果は地獄での永遠の刑罰です。

 

 しかし私たちの天の父親(神様)は、人間が罪を犯して地獄に落ちることを決して望んでおられません。

ですから神様の独り子イエス・キリストをこの地上に遣わしました。

そしてキリストが私たち人間のすべての罪を背負って十字架に掛かり、ご自分のいのちを捨ててくださいました。

 

キリストが人間に代わってご自分のいのちを捨ててくださったことにより、私たち人間にすべての罪の赦しと天国への救いの道が開かれました。

キリストを自分の救い主として信じる者には誰にでも、すべての罪の赦しと天国での永遠のいのちと祝福が与えられます。

 

さてキリストは十字架でいのちを捨てましたが、3日目の朝、死を打ち破って復活されました。そしてその後弟子たちに現れ40日後に天にお帰りになられました。

これらの事は、今から約2000年前に起こった歴史上の事実です。

 

2.キリストの再臨

 

そしてキリストは将来、再びこの地上に来られる、再臨されることが聖書に書かれております。

 

マタイの福音書24章において、キリストは、この世の終わり終末の前兆についてお語りになられ、続けてキリストの再臨についてお語りになられます。

そしてキリストの再臨に備えて「目を覚ましていなさい。」と教え、「忠実で賢いしもべ」であるように教えておられます。

 

 そしてマタイの25章において、1節から13節で、花婿を迎える時に、ともしびと一緒に入れ物に油を持っていた賢い娘と、ともしびだけで油を持って来なかった愚かな娘のたとえにより、キリストの再臨に備える賢い者だけが天の御国に入れられることが教えられます。

 

 そして14節から30節で、人間は神様から預かったタラント(賜物)をどのように活用するべきであるのか。

 神様から預かったわずかな物に忠実であることの大切さが教えられます。

 

 そして今日の聖書箇所31節から46節へと続きます。今日の箇所は、24章から始まったキリストの再臨に関するたとえの中で最後のたとえになります。

3.キリストの審判

 

 キリストが再臨される時、すべての国の人々がキリストの御前に集められます。

そしてキリストは、羊飼いが羊をやぎからより分けるように、天国に入れられる人と、地獄に入れられる人をより分けます。

 

 どのような人たちが、父なる神様に祝福され、神様の御国(天国)を受け継ぎ、永遠のいのちに入るのか。

 そしてどのような人たちが、神様にのろわれ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火(永遠の刑罰:地獄)に入るのか。

 

 それは、空腹の人、渇いている人、旅人、裸の人、病気の人、牢にいる人に対して、私たちがどのような対応をしたのであるかということが、この聖書箇所で語られております。

 これはクリスチャンの日々の歩みの中での愛の行いです。

 

空腹の人、渇いている人、旅人、裸の人、病気の人、牢にいる人とは、様々な苦難の中にある人々の例として挙げられているのかもしれません。

それ以外にも様々な苦難の中にある人々は同じくここに含まれると思います。

 

そのような苦難の中にある人々に対して、憐れみの心を持ち、その人が必要としていることを、させていただくことができたのかどうか。その愛の行いの実践についてこの箇所で語られております。

 

4.良い行いによる救いではなく、キリストへの信仰による救い。

クリスチャンが良い行いに歩むことを、神は望んでおられる。

 

 しかしここで最初に理解しておかなければならないことがあります。

 それは、ここで教えられていることは良い行い(善行)による救いということではありません。

 

 私たちの救いは、神の独り子イエス・キリストが私たち人間のすべての罪を背負って、十字架でご自分のいのち捨ててくださったことを信じる、信仰による救いです。

 私たちが良い行いをすることで、私たちの罪が赦され、天国に行くことができるのではありません。イエス・キリストを信じる信仰による救いです。

エペソ人への手紙2章8-10節には、このように書かれています。

 

 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。

 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

 実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。(エペソ2:8-10

 

 私たち人間の救いは、イエス・キリストを自分の救い主として信じる信仰による救いです。私たちの行いによるのではなく、神様からの恵みの賜物(恵みのプレゼント)です。

私たちは神様によって造られた神様の作品であって、良い行いをするために救い主キリスト・イエスにあって造られています。

そして神様は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださっておられます。

 

神様は、私たちが良い行いをして、良い行いに歩むことを、それほどまでに望んでおられます

そのために神様は私たちに、良い行いをあらかじめ備えてくださっておられます

私たちは、神様が備えてくださった良い行いをさせていただけば、それでよいわけです。

 

神様が私たちに、あらかじめ備えてくださった良い行いですから、その良い行いを私たちがさせていただく時には、神様が喜んでくださり、神様が私たちと共にいて助けてくださいます。

そして神様の祝福を私たちに与えてくださいます。

 

神様に祝福された人々は天の御国(天国)を受け継がせていただくことができます。

 

マタイ25章34節で、キリストはご自分の右にいる者たちに、このように言われております。

マタイ25章34節

それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。』(マタイ25:34

 

 聖書の一番初めにある創世記は、天の神様による天地創造の記事から始まり、1章1節に、「はじめに神が天と地を創造された。」と書かれております。

 キリストの救いに与り、天の父なる神様に祝福された人々には、世界の基が据えられたときから、天の御国(天国)が備えられております。

これは時間を超えて全知全能であられる天の神様のご計画によるものです。

 

本論Ⅱ.最も小さい者たちの一人キリスト

 

1.最も小さい者たちの一人とご自分を同じ存在にされるキリスト

 

また、今日の聖書箇所の中で重要なことの一つは、キリストは、空腹の人、渇いている人、旅人、裸の人、病気の人、牢にいる人とご自分を同じ存在にしておられることではないでしょうか。

 

25章40節でキリストは、

「まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」

とお語りになられます。

 

 ここに書かれている小さい者とは、年齢が小さい者という意味ではなく、社会の底辺の貧しく、無力で弱い者、また様々な苦難の中にある者というような意味ではないでしょうか。

 キリストは、そのような小さい者たち、それも最も小さい者たちの一人とご自分を同じ存在にしておられます。

 

 天地宇宙すべての創造者であられ、すべてをご支配される絶対主権者であられ、全知全能であられる天の神様、栄光の主キリストがなぜ、最も小さい者たちの一人とご自分を同じ存在にしておられるのでしょうか。

 

2.神の独り子イエス・キリストのこの地上での歩み(苦難のしもべ)

 

 イエス・キリストのこの地上での歩みを考えてみたいと思います。

 

(1)イエス・キリストの誕生

 

神の独り子イエス・キリストは家畜小屋で生まれ、飼葉桶に寝かされていました。(イエス様は、そのような苛酷な状況の中で誕生しました。)

 

(2)イエス・キリストのこの世での職業(大工)

 

 そしてイエス様のこの世での父親ヨセフの職業は大工さんでしたから、イエス様ご自身も父親の職業を継いで、大工さんをされていたことが予想されます。

 当時のイスラエルの社会では大工さんは社会の底辺の職業であったそうです。

ですからイエス様は社会の底辺の貧しい家庭で生活されていたのでしょう。

 

(3)福音宣教の開始と多くの苦難、そして十字架刑

 

そしてイエス様は、およそ30歳の時に、宣教の働きを開始されますが、それと同時に、人々からの多くの反対・迫害に遭われました。

特にユダヤ人の宗教指導者たちから殺意を抱かれ、危機的な窮地の中で宣教を続けました。

 

イエス様の周りには多くの人々が集まりました。しかし最終的には多くの人々がイエス様から離れていきました。

 

イエス様の弟子たちでさえ、その内の多くの者が、イエス様の教えにつまずき、イエス様を離れ去ったことが、ヨハネの福音書6章に書かれております。

ヨハネの福音書6章66節には、

「こういうわけで、弟子たちの内の多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった。」と書かれています。

 

最後にイエス様が、エルサレムに入城した時には、群衆が、「ダビデの子にホサナ(どうぞ救ってください)。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」と大喜びで叫び、イエス様をお迎えしました。

しかしその人々が、その週のわずか数日後には、イエスを「十字架につけろ」と叫びました。

 

そしてイエス様は、激しい拷問を受けた後、裸にされ、手足に釘を打ち込まれて、十字架につけられました。どれほど激しい痛みと苦しみ、辱めを受けられたことでしょうか。

そして十字架の上で苦しみながら死を待つ時間、通りすがりの人たちから、「もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」と、ののしられました。

同じように、祭司長、律法学者、長老たちも一緒に、十字架上のイエス様を嘲りました。

イエス様は、そのようにして殺されました。

 

 このようにイエス・キリストのこの地上での生涯は、苦しみ、悲しみ、悩み、痛み、苦難の連続でした。

 

(4)イザヤの預言(苦難のしもべ)

 

 天の父なる神様は、ご自分の独り子イエス・キリストに、なぜそれほどまで大きな苦難を与えたのでしょうか。

 ここに神様のご計画があります。

 

聖書には、イエス・キリストがこの地上に誕生される約700年前に、預言者イザヤによって、将来この地上に来られる救い主キリストについて、既に預言されています。

 

イザヤ書53章2節後半から4節までを読ませていただきます。

 

彼には見るべき姿も輝きもなく、

私たちが慕うような見栄えもない。

彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、

悲しみの人で、病を知っていた。

人が顔を背けるほど蔑まれ、

私たちも彼を尊ばなかった。

まことに、彼は私たちの病を負い、

私たちの痛みを担った。

それなのに、私たちは思った。

神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。(イザヤ書53:2b-4

 

このイザヤ書53章において、キリストはこの地上での生涯で、大きな苦難を受けて十字架で殺される「苦難のしもべ」として預言されています。

 

そしてこの預言の通り、キリストはこの地上に遣わされ、人々からさげすまれ、のけ者にされ、捨てられ、悲しみの中を歩まれ、人々の病を負い、人々の痛みを担い、そして私たち人間のすべての罪を背負い、十字架で死んでくださいました。

 

3.最も小さい者になられたキリスト。最も小さい者たちを憐れみ、寄り添われ共におられるキリスト。最も小さい者たちの一人にしたことはキリストにした

 

このように、この世で非常に大きな苦難を受けて、十字架でご自分のいのちを捨ててくださったイエス・キリストこそがまさに、この世で最も小さい者になってくださいました

 

だからこそキリストは、様々な苦難の中にある人々のことをご理解くださり、その人々を憐れんでくださり、その人々に寄り添われ、その最も小さい者たちの一人とご自分を同じ存在にしておられるのではないでしょうか

 

そしてキリストは今日でも、天地宇宙すべての支配者、絶対主権者であられる天の神様としての栄光に輝く御姿を隠して、2000年前にこの地上におられた時と同じく、貧しい姿、傷つき損なわれた姿で、この世の最も小さい人たちに寄り添われ、その人たちと共にいてくださるのではないでしょうか。

 

ですからキリストは、マタイ25章40節で、

「まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」

とお語りくださっておられるのではないでしょうか。

 

そしてキリストは、この世で最も小さい者たちの一人に、その人が必要としていることを、私たちクリスチャンがさせていただくことを望んでおられます

 

本論Ⅲ.障碍を抱えていたスリニヴァスさんのご逝去(2025123日)

 

 2003年の5月頃(夏休み)、サイキラン君という小学校低学年の男子が1カ月だけ私の空手クラスに参加しました。

サイキラン君のお宅を訪問すると、彼の父親の弟スリニヴァスさんと妹サリタさんもご一緒に暮らしておりました。

スリニヴァスさんとサリタさんは幼少時にポリオ(小児麻痺)に感染してしまい、背骨も極端に湾曲しており、自分では身体をほとんど動かすことができませんでした。

手をわずかに動かすことができましたが、脚にはほとんど感覚がなく動かすことができませんでした。

自分で寝返りを打つこともできず、ただ同じ姿勢で座っているか、寝ている事しかできませんでした。

 

そしてお二人の身体は年々益々と衰弱し、手も動かせなくなってしまい、自分の手で食事を取ることも出来なくなってしまいました。

私たちは、彼らのご家族への家庭訪問を続けさせていただいてきました。

 

そしてスリニヴァスさんにもサリタさんにも現地のテルグ語で、

「イエス様はあなたを愛しています。」

「イエス様をしっかりと信じてください。」

「イエス様にお祈りしましょう。」

と言うと、お二人はいつもその通りに反復してきました。

そして最後にお祈りさせていただいておりました。

 

そのご家族はとても良いご家族で、私たちととても親しい関係になりました。

しかしヒンドゥー教がとても強く、サイキラン君のご両親は、私たちが伝道することに対しては、眉をひそめ不愉快なご様子であり難しさを感じてきました。

 

スリニヴァスさんとサリタさんの父親ヴィーレシャムさんが2017年にお亡くなりになりました(正確な年齢不明、80歳位?)。

そしていつも私たちにお祈りを求めてきた母親ゴーパンマさんも2024年にお亡くなりになりました(正確な年齢不明、80歳前後)。

 

スリニヴァスさんとサリタさんを介護されているのは、お二人の兄夫婦サイキラン君のご両親です。

 

昨年10月下旬、彼らを訪問した時、スリニヴァスさんは、風邪を引いたらしく発熱したとのことで、横になって休んでおりました。

しかし彼は背骨が極端に湾曲しているため、背中に激しい痛みが生じており、その痛みに非常に苦しんでおりました。

私は、彼の激しく痛む背中を何度も摩った後、お祈りさせていただき、帰途につきましたが、帰途、私の心の中にマタイの福音書25章40節の御言葉が示されました。

 

「まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」

(マタイ25:40

 

スリニヴァスさんは、まさに最も小さい者たちの一人であると私は思いまして、この御言葉からイエス様の私への導きを感じました。

彼らのお宅を訪問するには、交通量が非常に激しく混雑する道路を片道20km近く走行しなければなりませんが、訪問を続けさせていただきました。

 

そしてスリニヴァスさんの激しく痛む背中を摩らせていただき、彼にいつも通り、

「イエス様はあなたを愛しています。」

「イエス様をしっかりと信じてください。」

「イエス様にお祈りしましょう。」

と言うと、彼はその通りに反復していらっしゃいました。

そして最後に彼とご家族の皆様のためにお祈りさせていただいておりました。

 

そして彼の体調は、少しずつ快復方向にあり感謝でした。

そして私たちが日本に来てからもお電話させていただくと、彼は快復されたということであり本当に感謝でした。彼とも直接お話しさせていただくことができ本当に感謝でした。

 

ところが12月3日、彼が突然死亡したとのご連絡を受け、大変驚きました。

12月3日の朝、彼は体調が思わしくなかったようですが、昼食を食べて体調が快復できて休んでいたそうです。

 

ところがその後、急に体調不良となり、約5分以内にお亡くなりになられたとのことでした。彼は59歳になるところでした。

 

天の父なる神様は、スリニヴァスさんにイエス・キリストへの信仰を与えてくださり、彼がキリストの救いに与り、天国での永遠のいのちと永遠の祝福が与えられたのかどうか、それは神様にしかわかりません。

 

しかし彼はいつも、

「イエス様はあなたを愛しています。」

「イエス様をしっかりと信じてください。」

「イエス様にお祈りしましょう。」

この言葉を繰り返しておりました。

 

 私は、スリニヴァスさんにキリストへの信仰が与えられ、彼がキリストの救いに与ったのではないかと思わされております。

 

 スリニヴァスさんの妹サリタさんが、スリニヴァスさんと同じ健康状態にあり、自分で身体を動かすことができませんので、私たちはサリタさんと共に、そのご家族に続けて関わらせていただきたく願っております。

 

結論.

 

 私たち一人ひとりも、様々な苦しみ、悲しみ、悩み、また病気や怪我、痛み、様々な苦難の中に置かれ、私たち自身も、最も小さい者たちの一人であることがあるのではないでしょう。

 

 しかしそのような時にこそ、最も小さい者たちの一人とご自分を同じ存在にしておられるキリストが、私たちのことをご理解くださり、憐れんでくださり、私たちに寄り添っていてくださり、共にいてくださいます

 

 私たちに寄り添っていてくださり、共にいてくださるキリストに信頼していきましょう。

 そして私たちも、最も小さい人たちの一人に、その人が必要としていることをさせていただきたく願います。

キリストは、最も小さい者たちの一人に、その人が必要としていることを、私たちクリスチャンがさせていただくことを望んでおられます

 

 私たちクリスチャンには、世界の基が据えられたときから、天の神様の御国(天国)での永遠のいのちと永遠の祝福が備えられております。

 

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