メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
マタイの福音書 5:21-26 (信仰は愛の深さに比例する)
投稿者
tbic
投稿日
2026-01-31 21:16
閲覧数
38
マタイの福音書 5:21-26(信仰は愛の深さに比例する)
5:21-22、「昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。」
当時のユダヤ人たちは、「人を殺さなければよい」ということが最も大きな戒めだと考えていました。一方で、人を見下したり、侮辱したり、悪口を言うことについてはあまり深刻に受け止めていませんでした。そのため、人に対して怒り、憤り、「愚かな者、役立たず」と罵っても、何の罪悪感も感じていなかったのです。
しかしこのような態度は、律法の中心である「愛しなさい」という御言葉を無視して、「殺さなければ問題ない」と勘違いしている姿です。これについてイエス様は語られました。
「他人を軽蔑し、見下し、怒りを向けることは、人格的な殺人と同じである。」
「相手の事情もよく知らないまま、自分の基準や物差しで勝手に判断し、非難する者は、人を殺すのと同じである。」
「『殺してはならない』という律法の根本精神は人の命と人格を尊び、愛することにある。」
私たちも注意しなければなりません。教会に熱心に通い、奉仕を一生懸命しているからといって、信仰生活が良いとは限りません。信仰生活が良いとは、「愛すること」です。祈りが上手で、聖書をたくさん知っているからといって、信仰が良いわけではありません。信仰が良いとは、「愛することができること」です。愛する分だけ、信仰は深いのです。愛することができない者は、どんなに大きな力ある業を行っていても、何者でもありません。神様はその人をまったく認められません。
コリント人への手紙 第一 13:2-3、「たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」
預言を語り、天の奥義を知り、山を動かすほどの力を行い、全財産を施し、自分の命さえ差し出すなら、人々は称賛し、認めてくれると思います。しかし愛がなければ、神様の前では何者でもありません。神様はまったく認められないのです。愛することができる人こそ、信仰の良い人であり、神の御言葉を最もよく守る人です。だからこそ、私たちは愛さなければなりません。イエス様は続けて語られます。
今日の本文の5:23-26、「ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。」
イエス様は礼拝をささげることよりも、愛することのほうが重要だと語られています。「礼拝さえきちんと守れば、神は喜ばれる」という思い違いをしてはならないと言われます。礼拝よりも大切なのは、誰かに恨まれるような行いをしないことです。人との関係が壊れたまま、ささげる礼拝を神様は喜ばれません。それは「殺してはならない」という戒めを破ることと同じだと語られています。
当時のユダヤ人たちはいけにえを正しくささげ、殺してはならないという大きな戒めも守っていました。しかし彼らは自分たちを義とし、人々を見下し、勝手に裁いていました。それではいけないとイエス様は言われたのです。
礼拝よりも大切なのは、和解です。礼拝よりも大切なのは、愛することです。憎しみを抱いたまま、どんなに礼拝をささげても、何の意味もありません。赦せない心を持ったまま、どんなに祈っても無駄です。最も大切なのは、愛することです。
もし誰かから恨まれているなら、誰かが自分を憎んでいるなら、早く和解しなさいとイエス様は語られます。その恨みや怒り、憎しみが、さらに大きな苦しみを生み出すと警告されます。さらに深刻なのは、そのような生き方を神様が喜ばれないということです。
まとめますと、イエス様の教えは、新しい教えではありません。聖書の根本精神である「愛」を無視し、文字通りの戒めだけを守れば良いと勘違いしている人々への警告です。律法の根本精神は「愛」です。愛に失敗すれば、すべての御言葉を破ったことになり、愛に成功すれば、すべての御言葉を守ったことになります。愛は律法の完成です。だからこそ、私たちは多く愛さなければなりません。イエス様が私たちを愛してくださったように、私たちも互いに愛し合いましょう。
祈り、
父なる神様、私たちが愛する者となれますように。
憎しみ、恨み、怒りを遠ざけ、和解と愛のうちに生きることができますように。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
5:21-22、「昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。」
当時のユダヤ人たちは、「人を殺さなければよい」ということが最も大きな戒めだと考えていました。一方で、人を見下したり、侮辱したり、悪口を言うことについてはあまり深刻に受け止めていませんでした。そのため、人に対して怒り、憤り、「愚かな者、役立たず」と罵っても、何の罪悪感も感じていなかったのです。
しかしこのような態度は、律法の中心である「愛しなさい」という御言葉を無視して、「殺さなければ問題ない」と勘違いしている姿です。これについてイエス様は語られました。
「他人を軽蔑し、見下し、怒りを向けることは、人格的な殺人と同じである。」
「相手の事情もよく知らないまま、自分の基準や物差しで勝手に判断し、非難する者は、人を殺すのと同じである。」
「『殺してはならない』という律法の根本精神は人の命と人格を尊び、愛することにある。」
私たちも注意しなければなりません。教会に熱心に通い、奉仕を一生懸命しているからといって、信仰生活が良いとは限りません。信仰生活が良いとは、「愛すること」です。祈りが上手で、聖書をたくさん知っているからといって、信仰が良いわけではありません。信仰が良いとは、「愛することができること」です。愛する分だけ、信仰は深いのです。愛することができない者は、どんなに大きな力ある業を行っていても、何者でもありません。神様はその人をまったく認められません。
コリント人への手紙 第一 13:2-3、「たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」
預言を語り、天の奥義を知り、山を動かすほどの力を行い、全財産を施し、自分の命さえ差し出すなら、人々は称賛し、認めてくれると思います。しかし愛がなければ、神様の前では何者でもありません。神様はまったく認められないのです。愛することができる人こそ、信仰の良い人であり、神の御言葉を最もよく守る人です。だからこそ、私たちは愛さなければなりません。イエス様は続けて語られます。
今日の本文の5:23-26、「ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。」
イエス様は礼拝をささげることよりも、愛することのほうが重要だと語られています。「礼拝さえきちんと守れば、神は喜ばれる」という思い違いをしてはならないと言われます。礼拝よりも大切なのは、誰かに恨まれるような行いをしないことです。人との関係が壊れたまま、ささげる礼拝を神様は喜ばれません。それは「殺してはならない」という戒めを破ることと同じだと語られています。
当時のユダヤ人たちはいけにえを正しくささげ、殺してはならないという大きな戒めも守っていました。しかし彼らは自分たちを義とし、人々を見下し、勝手に裁いていました。それではいけないとイエス様は言われたのです。
礼拝よりも大切なのは、和解です。礼拝よりも大切なのは、愛することです。憎しみを抱いたまま、どんなに礼拝をささげても、何の意味もありません。赦せない心を持ったまま、どんなに祈っても無駄です。最も大切なのは、愛することです。
もし誰かから恨まれているなら、誰かが自分を憎んでいるなら、早く和解しなさいとイエス様は語られます。その恨みや怒り、憎しみが、さらに大きな苦しみを生み出すと警告されます。さらに深刻なのは、そのような生き方を神様が喜ばれないということです。
まとめますと、イエス様の教えは、新しい教えではありません。聖書の根本精神である「愛」を無視し、文字通りの戒めだけを守れば良いと勘違いしている人々への警告です。律法の根本精神は「愛」です。愛に失敗すれば、すべての御言葉を破ったことになり、愛に成功すれば、すべての御言葉を守ったことになります。愛は律法の完成です。だからこそ、私たちは多く愛さなければなりません。イエス様が私たちを愛してくださったように、私たちも互いに愛し合いましょう。
祈り、
父なる神様、私たちが愛する者となれますように。
憎しみ、恨み、怒りを遠ざけ、和解と愛のうちに生きることができますように。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
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