メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

エレミヤ書29:10-11(将来と希望を与える主)

投稿者
tbic
投稿日
2024-01-15 00:23
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116
エレミヤ書29:10-11「まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』」

人生には予期しない出来事が突然、起きるものです。日本だけでなく、今や世界中が暗くなっています。笑いを失っているこの頃です。毎日、悪いニュースを多く聞いています。しかしイエス様が死からよみがえった最大の良いニュースがいつも私たちのものです。だからこそ、私たちは今もう一度立ちあがりたいのです。

イエス様は墓を破ってよみがえられました。イエス様はこの地に来てくださり、本来私たちが滅びなければいけないのを自ら身代わりになって下さいました。神が人の身代わりになったわけです。例えば私が死刑囚で、刑務所で刑の執行を待っていたとします。ある日神が人の姿になって現れ、私の身代わりに死刑になってくれたのと同じです。なぜここまで人類のためにしてくれたのか。それが神の愛だと説明されても、正直言って、なかなか理解できません。人は神によって造られた被造物にしか過ぎません。被造物のために神が身代わりになるなんて、本末転倒です。よほどのことがない限り、あり得ません。聖書学者「デイビッド・モーフィット」さんは、このように述べました。『御子は人となられ、人々を罪からきよめ、また悪魔の支配から解放してくださった。人間がこのような大きな祝福にあずかったのは、その本来の使命、「地を治める」という召命を果たすためだ。地を治めるためには私たち人間には「からだ」が必要なのである。死んで霊の状態になってしまえばその召しを果たすことができない。

私は時々、早く天国に行きたいという気持ちになることがあります。「もう嫌だな、早く天国に行きたいな」と。天国はどこにあるのかというと、「死後の世界」と多くのクリスチャンは理解しています。しかし聖書が告げる天国とは、死んでからの世界ではないのです。それはやがて地上に実現する、神の国です。私たちが「人間であるため」にはどうしたらいいのか。それはからだが必要だというのです。からだがなくなったら、人間ではなくなってしまうのです。死んでしまったら、人間の機能は失われるわけです。

私たちは何となく死ぬと、人はグレードアップして、スーパーマンのようになれるような気がするのですが、聖書をよく読むと、そうではないのです。神が人を「人として」認めてくださるのは、地上にあって肉体を持っている期間だけなのです。その間を人間として評価してくださるのです。なぜなら、人には「地を治める」という目的があるからです。そのために地上に創造されたからです。からだがあってこそ、地を治めることができるわけです。

人間は物質界を治める役割として、神によって創造されました。人が神に従い、正しい方向に進んで行くなら、他の被造物はすべて、神のみこころの方向に向かいます。しかし管理人であるべき、地を治めるはずの人類が悪魔の誘惑により、罪を犯し、神の前から堕落してしまったのです。そんな状態に直面した神様は回復のために何をしたら良いのでしょうか。被造物全体を助けるためにはまず人類を助ける必要があったわけです。

皆さん、イエス様が十字架にかかって死に、よみがえってくださったのは、究極的にはどのような目的があったのでしょうか。それがコロサイ人への手紙1:19-20に記されています。『なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。』つまりイエス様の十字架の目的は人を救い出すことによって、神が造られた被造物全体の救いと和解に繋がったのです。

福音」とは「良い知らせ」です。「福音とは何か」に関して、N.T.ライトさんは次のように定義していました。「良い知らせというのは魔法の合い言葉で窮地を脱して天国に入る少数の人間のためのものではなくて、被造世界の全体についての知らせであり、被造世界全体のための良い知らせなのです。」イエス様の十字架と復活は人間のためだけでなく、「被造物全体の回復」という大きな目的があるのです。ということは、インフルエンザもコロナも元々は神が造られた被造物です。「ウイルス」とは、ラテン語で「」という意味です。悪い名前を付けられてしまいました。しかし、「バイ菌」でも、善玉と悪玉があるのと同じように、「ウイルス」にも善玉と悪玉みたいのがあるらしいのです。ウイルスがいないと哺乳類は生きることができないそうです。また生態系もウイルスによって保たれている部分もあるというのです。しかし人類が管理するどころか、生態系を壊したりと人間中心的な勝手な行動によって、ウイルスは人に敵対する突然変異を余儀なくされました。しかし元々は、必要な存在として神が造られたものです。だから私たちは管理人として人類の背中に乗っているウイルスをも管理し、回復できるはずです。その原点となったのがイエス様の復活と関わりがあるのです。つまり復活とはイエス様が死を打ち破り、神と万物の間の和解を成立したということです。

そしてからだのよみがえりとは、先ほどお話したように、人はからだあっての存在です。今日私たちにはからだがあります。からだがあることを感謝しなければいけません。しかしキリスト教神学に中世期、グノーシス主義が強く影響をもたらしました。それ以来、霊的なものは優れているが、肉体は牢獄であり、良いものではないという考えが入ったのです。本来神様は、「霊も、たましいも、肉体もすべて良いもの」として、健やかであるように創造されました。肉体は神様が必要として、造られたわけです。それは万物を管理するためであり、そのためには「からだが必要だ」ということです。

実は、今人類は「生き残りをかけた戦い」を繰り広げています。今、人類の価値観が大きく変わりつつあります。今までの最大の目標、目的は「一円でも多く儲ける」事でした。すべてが、「経済中心」にありました。しかしどうでしょうか。今「金なんかどうでもいい、生き残れるか否かだ」という戦いを繰り広げています。今までの価値観であった経済中心主義が崩れています。生き残るために、今や人類は共通の敵と戦っているのです。人類は昔から、戦争ばかりを繰り返して来たのですが、いくら平和会議を開き、平和条約を結んでも、すぐに戦いを始めるのです。こんな人類ですが、一つだけ、戦争や紛争を瞬間的に止める方法があるというのです。それは地球外生物、宇宙人が地球に攻めて来たら、人類はお互いに戦うことをやめ、一致して共通の敵、宇宙人と戦うようになるというのです。今や同じ事が起こっています。人類共通の敵、それも目に見えない敵であるサタンと激しく戦っています。

先ほどエレミヤ書を読みましたが、エレミヤ書29章では、神はバビロンに捕囚されたユダに一つの約束を与えました。「七十年経ったら回復してあげます!」という約束の預言でした。そこで約束されているのは災いの計画ではなく、将来と希望を与える計画です。そのような預言を神はエレミヤを通して、ユダの人たちに与えました。「七十年間、待ってください。そうしたら解放してあげますから。」と。七十年経った頃にバビロンに住んでいた一人の人物がいました。彼がエレミヤの預言を見つけ出すのです。「あっ、こんな預言がある。そろそろ七十年経つじゃないか!」そして彼は立ちあがりました。それが誰かというと、ダニエルでした。ダニエルはネブカドネツァル王が見た夢を解き明かしたのです。

ダニエル書2章を読みますと、ネブカドネツァル王はある夜、恐ろしい夢を見て、バビロンの知者たちを集めて、「俺の夢を解き明かしてくれ」と頼みました。「じゃ、どんな夢だったか教えて下さい、王よ?」「いやいや、俺の見た夢までも当てろ」と言ったわけです。そんなの絶対に無理だと思われました。しかしダニエルは同じ夢を神様から見せられたのです。どんな夢だったかと言うと、巨大な像が出て来て、頭は金、胸は銀、腰は青銅、両スネは鉄でできていました。しかし足首は、「鉄と粘土が混ざった足首」でした。そこに山から小石が飛んで来てあたると、巨大な像は倒れ、くだけ散ったというのです。その後、人手によらずに切り出された石は大きくなり、地球全体を覆ってしまったという夢でした。この夢を見たネブカドネツァル王は相当怖かったに違いありません。ダニエルはその夢を解き明かしたわけです。この像には弱点があって、それは足首でした。「鉄と粘土」でできていました。これは普通では一致しない国々が一致している姿を現していました。その時代が来ると、人間支配は終わりを告げるという終末の国際情勢を表していたのです。ネブカドネツァル王が見た夢とは、「人の支配の終わりと、神の国の実現」を教えています。山から人手によらずに切り出された小石とは、イエス様のことです。イエス様は人手によらずに処女マリヤから、鉄と粘土の混じっている時代にお生まれになりました。それはイエス様の十字架と復活以後の時代をも含みます。

皆さん、最近まで歴史も宗教も言語も、全て取っ払って、経済発展のために共同体を作りましょうと叫ばれてきました。経済が一番大事なんだから、経済のためなら、儲かるためなら、国境は取り去って一つの世界を作りましょう。みたいな国際的流れだったのが、今ではどうでしょうか。まさに新型コロナという小石がぶつかって以来、鉄と粘土の足首が砕かれたみたいです。神様は人に、「価値観を変えたほうがいいですよ。金よりも、からだが大事ですよ。」と語っておられます。「からだを地上に残すために、最大限の努力をしなさい。」という神からのメッセージではないかと思います。今私たちは長い間続いてきた戦争や紛争、諸問題を解決するために、神自らが歴史に介入されている瞬間を迎えています。少し痛みはあるかもしれませんが、この時にこそ、私たちは神の前に出て、人類の罪を悔い改め、祈りをささげなければなりません。

歴代誌第二7:14、『わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。』神は緊急事態に対処するために、すでに人のからだの中にアプリをインストールされています。そのアプリは普通の時には作動しません。どんな時に動くのかというと、緊急事態に動くようにセットされています。そのアプリが「祈り」です。

エレミヤ書33:3、『わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。』これもエレミヤが語った預言です。「わたしを呼びなさい。そうしたらあなたに答えます!」と。英語の聖書だと、「Call to me and I will answer you!」となっています。「わたしに電話して!そうしたら答えますから!」と告げています。交通事故とか、急病人が出た時、スマホから119と、三つの番号を押すだけで、救急車がすぐに来て助けてくれます。それと同じです。今私たちは何をしなければいけないのか。それは「わたしに電話して!わたしはあなたに答え、助けますよ」と神は語っておられます。今こそ人類は創造主なる神を認めて、死を打ち破り、からだを再生されたイエス様に目を留めて、祈らなければなりません。今こそ祈りの時です。祈りがあったら、必ず神は答えてくださいます。

皆さん、祈りは自分の生き残りのための重要なテーマです。祈りが始まる瞬間は決してバラ色の時ではありません。大きな問題が起きた時にこそ、神は私たちの体内にインストールしているアプリを起動して「祈りなさい!」と語られます。自分のからだを地上に残してこそ、人間です。地上に肉体を長く残して、管理人として、被造物全体を管理するためです。今の諸問題は祈りと共に主の前に出る、大きなチャンスだと信じます。しかし反面、祈りは大事だと分かるのですが、ちょっと疑問があります。それは何かというと、「神はすべてを知っているはずなのに、なぜわざわざ人の祈りが必要か?」という疑問です。神は全知全能です。だから我々の願いも、祈る前に全て知っているし、祈らなくていいのです。どうせ神が決めた通りにしかならないのだという人もいます。

皆さんはどうでしょうか。『なぜ祈らなくてはいけないの?ただ「みこころがなるように」と祈っておけばいいじゃないか。』という意見も実際にはあります。「神様は苦しい試練を与えて、我々に一生懸命祈らせておいて、最後は神が決めたとおりにしか事はならない。」みたいな不満もあるわけです。しかしなぜ、私たちは祈らなければいけないのでしょうか。なぜ、神は人の祈りを要求されるのでしょうか。その理由は、神はこの世の所有権を人には与えなかったのですが、人に統治の責任を任せられました。全能の支配者でありながら、神が「自らを制限」されたのです。それは「この世のことに関しては、人を通して働かれる。」とご自分を制限されたからです。

人間が被造物の管理人として造られたという根本的な理由と「なぜ祈りが必要なのか」は重なり、リンクしているというわけです。神が「自らを制限された」というのです。神は何でも知っている。何でも出来る。しかし神が「自らを制限された」のは「この世のことに関しては、人を通して働かれる。」とご自分を制限されたというのです。神様は全知全能、何でも知っているし、何でもできます。しかし一部の権限を制限され、その権限を管理人に委託したのです。では管理人は何をしなければいけないのかと言うと、神から委ねられた、神側から言えば、制限された権限を行使して、祈りによって神の領域で制限された部分を満たす必要があるのです。神が制限された権威、すなわち欠けた部分を満たす作業が「祈り」です。欠けた部分を祈りで満たせなければ、結局答えにつながらないわけです。神の答えは地上に届かないということです。

神はすべてのことがおできになるのですが、地上の事柄に関しては、ご自分を制限され、管理人に委ね、管理人は祈りによって、神が制限された領域を満たすのです。それが祈りであり、神が人の祈りを必要とされる理由です。権限を委ねられた人は神の空白部分を、祈りによって満たす必要があります。そうでなければ、祈りの答えはやってこないのです。

その原則は聖書の中に、例として多く見られます。「バビロンで七十年過ごしたら、あなたがたを解放してあげます!」と神は約束されました。やがて七十年が経って、先ほども紹介したダニエルがエレミヤの預言を発見したのです。ダニエル書9章を読むと分かりますが、「ダニエルはエレミヤの預言を読んでいる間にイスラエルの捕囚が終わる時期が来たことを見つけ、その期間が七十年であることを知った。」というのです。神が「七十年経ったら、解放してあげる」と言うわけですから、これでいいじゃないですか。「やったぜ!やっと七十年経った。これで解放される!」とダニエルは喜んだのかというと、そうではなかったというのです。「その預言を知ったダニエルは、神が自分の関与を必要としていることを知っていた。」というのです。ダニエルは「やった!七十年経った。これで安心、万歳!」ではなく、ダニエル書9:3、『そこで私は、顔を神である主に向けて祈り、断食をし、荒布を着、灰をかぶって、願い求めた。』というのです。神の計画はあったのです。しかし自分の役割があるとダニエルは理解し、その役割とは真剣な祈りでした。ダニエルは神が権限を制限されている事を知っていたのです。神の欠けた部分を祈りによって満たす必要について、気づかされていたということです。それで彼は顔を神である主に向けて、祈り、断食し、荒布を着て灰をかぶって、できる限りの祈りをもって神に近づいたのです。その時に何が起こったのかというと、クロス王が動いて、捕囚されていたユダの人たちは自分の国に戻ることができたのです。こういう場面は聖書の中に、いろいろと見ることができます。

エリヤもそうでした。三年間雨が降らずに苦しむサマリヤの人たちに対して、神は「雨を降らしてあげる!」と約束しました。神が雨を降らしてくれると言うのだから、もう心配ありません。それで雨が降るかどうか、カルメル山に上って、空模様を見に行きました。しかし一向に雨は降る気配はありませんでした。それでエリヤは祈り始め、七回も見に行きました。七回目になった時、手ほどの雲が現れて、やがて大雨となりました。神の約束と雨が降るという約束の実現の空白部分には祈りが必要だったということです。またその間にはバアルの預言者たちとの壮絶な「霊的戦い」がありました。ダニエルも同じです。ダニエルが七十年の預言を発見し、預言は実現するかと思いきや、先ほど話した巨大な像と共に、ペルシャの君やギリシャの君と呼ばれる、国々を支配している悪霊の軍団との戦いがありました。彼は二十一日間、真剣に祈り戦った記事もあります。

神は天で約束をして下さいます。しかし祈りの答えが地上に実現する過程には、祈りが必要です。同時に霊的戦いがあることを教えています。それはどうしてかと言えば、「神がご自分の権限を制限されて、人に譲渡している」からです。主を信じる者たちに権限を渡されているからです。私たちは神から委ねられた権限を十分に行使し、空白部分を祈りで満たさなければいけません。

神様はいろいろな問題に関しても、私たち管理人に祈るべき領域を任せておられると信じます。「神様がそのうち、なんとかしてくれるんじゃないの?神様は全部知っているから。」ではなく、神様はご自分の権限を制限され、私たちに手渡しておられるのです。そしてこのやり取りの中には「霊的戦い」が含まれていることを知らなければなりません。それは人類が被造物の管理人であるという意味合いがあるがゆえの戦いです。

今のいろいろな問題は、本来は神が必要として許されたはずの出来事です。しかし選ばれた私たちが管理を怠ったゆえに、その問題が今や人に牙をむいています。しかし私たちが管理人であることをしっかりと理解し、立ち向かっていったら、神が創造した原点に、全ての出来事は戻っていくのではないかと思います。

そのためには、私たちが何のために造られたのかをはっきりと知らなければいけません。そのことが理解されていないがゆえに、世界中に様々な問題があるということです。『御子は人となられ、人々を罪からきよめ、また悪魔の支配から解放してくださった。人間がこのような大きな祝福にあずかったのは、その本来の召命、「地を治める」という召命を果たすためだ。地を治めるためには私たち人間には「からだ」が必要なのである。死んで霊の状態になってしまえば、その召しを果たすことができない。』とデイビッド・モーフィットさんは言ったのですが、今や人類は「からだを地上に残す戦い」、つまり「管理人であり続けるための戦い」に直面しています。経済中心の世界から、「からだを地上に残して、本来の使命である管理人として働いてくれ!」と神様からの強いメッセージが、今の災難や戦争には込められているような気がします。

だからこそ皆さん、祈りの機能を使いましょう。「天地万物を造られた神、主イエス様、今私たちを自然災害の脅威から守り助けてください!」そして神様から委ねられた権限で命じる事です。「地震よ!私は管理人としておまえに命じる!これ以上、日本に拡大してはならない!戦争よ!人類に危害を加えてはならない!管理人の命令に服従せよ!人類から手を引け!」これらを実践する時、神が制限された天の権限が回復され、地上に答えがやってくると信じます。人とは何者なのかという人類の原点を問われているのが現在体験している諸問題だと思います。主を信じる者たち、管理人として権限が回復されている者たちが権威を行使する時が来ているのです。皆さん、祈りを持って仕え、管理人として悪魔に立ち向かい、諸問題を元あったポジションに戻す働きを今私たちはしなければなりません。ぜひ、それを実行しましょう。主に助けを求めて祈ってください。それと共に、与えられている管理人としての権限を使っていただきたいと切に願います。

お祈り、

ハレルヤ、天の父なる神様、み名をあがめます。今私たちは人間であるという本質を問われています。だからこそ、私たちは地上にからだを長く残し、管理人として働きたいです。ぜひ、御言葉と祈りによって、主と一つになる機会とさせてください。TBIC教会の兄弟姉妹に神の祝福を宣言します。戦争や地震など、目に見えない敵のただ中で主の守りを宣言します。主イエス様のみ名によって、お祈りいたします。アーメン。
合計 143
手順 タイトル 投稿者 投稿日 推薦 閲覧数
133
ヨハネの福音書1:47-51(正直なら、天が開く)
tbic | 2024.02.25 | 推薦 1 | 閲覧数 51
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132
ヨハネの福音書15:15(最後の瞬間まで主を求めなさい)
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ヨハネの福音書1:43-46(美しいウソより、ありのままの真実が強い)
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ヤコブの手紙5:16(クリスチャンが祈らない理由)
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エレミヤ書2:21-25(欲情に打ち勝つ力)
tbic | 2024.01.28 | 推薦 2 | 閲覧数 147
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128
使徒の働き20:24(ビジョンは使命と賜物)
tbic | 2024.01.21 | 推薦 1 | 閲覧数 98
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127
エレミヤ書29:10-11(将来と希望を与える主)
tbic | 2024.01.15 | 推薦 1 | 閲覧数 116
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イザヤ書60:1-7(起きよ、光を放て。)
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ルカの福音書9:23(日々自分の十字架を負う)
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マタイの福音書1:18-23(イエス・キリストについての様々な証言)
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