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詩篇 119:105

ルカの福音書18:15-27(人にはできないことが、神にはできる)

投稿者
tbic
投稿日
2023-11-26 16:28
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ルカの福音書18:15-27『15.さて、イエスに触れていただこうと、人々は幼子たちまで連れて来た。ところが、弟子たちはそれを見て叱った。16.しかし、イエスは幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。17.まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」18.また、ある指導者がイエスに質問した。「良い先生。何をしたら、私は永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」19.イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。20.戒めはあなたも知っているはずです。『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。あなたの父と母を敬え。』」21.するとその人は言った。「私は少年のころから、それらすべてを守ってきました。」22.イエスはこれを聞いて、彼に言われた。「まだ一つ、あなたに欠けていることがあります。あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」23.彼はこれを聞いて、非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。24.イエスは彼が非常に悲しんだのを見て、こう言われた。「富を持つ者が神の国に入るのは、なんと難しいことでしょう。25.金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」26.それを聞いた人々は言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」27.イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」』

今日の本文、ルカの福音書18:27に「人にはできないことが神にはできるのです。」という御言葉は、イエスさまによって語られました。聖書の御言葉を理解するとき、前後関係をよく読んで、誰に語られたのか、どのような状況の中で語られたのかを知ることがとても重要です。

この御言葉が語られた背景として、まずはイエスさまに触れて頂こうとして幼子たちが御元に来たと書いてあります。つまり子供たちもイエスさまの周りにいっぱい集まってきました。当時のイスラエルでは、子供たちは「役に立たない者」の代名詞みたいなものでした。日本では、子供たちが電車に乗ってくると子供たちに席を替わってあげなければならないような心境になりますが、韓国に行きますと逆です。子供が席に座っていたら大人に譲ってあげるのが一般的です。これは大人は疲れているが、子供は元気だからです。また子供はお金を儲けたり生産活動はできないので、あまり重要視されていません。これは聖書の時代も同じでした。

本文のルカの福音書18:15-17、『さて、イエスに触れていただこうと、人々は幼子たちまで連れて来た。ところが、弟子たちはそれを見て叱った。しかし、イエスは幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」

当時はユダヤ教の世界ですから、神の国とは立派な大人たちが入れる所だと考えられていました。だから弟子たちは子供たちを叱り、追い払っていたのです。しかしイエスさまは全く違ったことを語られました。「幼子たちを呼び寄せなさい」と言われました。そして「神の国はこのような子供たちのものである」と言われたのです。子供のように神の国を受け入れるものでなければ、決して入ることはできないと言われたわけです。

イエスさまはマタイの福音書5:3で「心の貧しいものは幸いです。神の国はその人たちのものだからです。」と語られました。子供たちのように単純に神を信じるところに神の国が表されるということです。私たちは歳を重ねて、色々な経験をしていく中、聖書の御言葉を読んでも色々と理由をつけて信じないのです。でも子供たちはどうでしょうか。聖書の御言葉を聞いたら、それをありのまま受け止めるのです。そこに神の国は表されます。だから私たちも幼子のようになる時、神の国を体験することができるのです。「神の国」とは言い換えれば「リバイバル」ですから、リバイバルのためには単純に神に信頼しなければならない事を、ここで教えられます。

そんな状況の中で一人の指導者が来て、イエスさまに一つの質問をしました。本文のルカの福音書18:18-23、“また、ある指導者がイエスに質問した。「良い先生。何をしたら、私は永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。戒めはあなたも知っているはずです。『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。あなたの父と母を敬え。』」するとその人は言った。「私は少年のころから、それらすべてを守ってきました。」イエスはこれを聞いて、彼に言われた。「まだ一つ、あなたに欠けていることがあります。あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」彼はこれを聞いて、非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。

一人の指導者が来て、「永遠のいのちを受け取るためには何をしたらいいですか」と質問したわけです。この永遠のいのちとは言い換えれば、神の国です。神の国を受け取るにはどうしたらいいかと質問しました。その時、イエスさまが言われたのは、まずは神の戒めである律法を守りなさいと言われました。「姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。父と母を敬え。」と言われたわけです。

私たちが神の国を体験するには、やはり「きよさ」が必要です。聖霊さまはきよい霊ですから、汚れたところには住むことはできません。私たちが聖書に照らし合わせて、まずきよい心をいただかなければなりません。汚れたところはイエスさまの十字架の血潮で洗いきよめてもらわなければなりません。きよくなれば、神を見ることができるのです。

この人は「それらはすべて、少年のころから守ってきました。」と答えました。すごい人です。こんな風に言える人は、なかなか少ないです。では彼は神の国に近いということですが、しかしイエスさまはこう言われました。「あなたには、まだ一つだけ欠けたことがあります。あなたの持ち物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。

彼は大変な金持ちでした。それでイエスさまは彼に「その持ち物をすべて売り払って、貧しい人々に分けてあげなさい。それからわたしに従ってきなさい。」と言われました。そのことを聞いて彼は大変悲しみました。なぜなら、大変な金持ちだったからです。

皆さん、永遠のいのちを得るのはなかなか大変なことです。きよさも必要ですし、自分の持ち物をすべて売り払い、そして貧しい人たちに与えること、これはイエスさまが語られた言葉です。

こんな風に言われたらどうでしょうか。悲しくなります。私は金持ちではないのですが、持ち物すべて売り払わされて、それから従って行くのはつらいと思います。

その続きに何と語られたかというと、本文の24-27を見ると、「人にはできないことが、神にはできるのです。」と言われた背景が、このような金持ちが神の国に入るのは大変難しいという問答でした。なんと、金持ちが天国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がもっと易しいというところからの話です。

考えてみて下さい。縫い物の針の穴に、あのでかいラクダが入ることができますか?絶対に不可能です。でも金持ちが救われるのは、「さらに大変」だというのです。それでみんな言いました。「そんなこと言ったら、誰が救われるのですか」と。その時イエスさまが言われたのが、「人にはできないことが、神にはできるのです。」と語られたわけです。

御言葉は一つだけを引き出すと、「信仰を持って受け取ろう」と思えるのですが、前後関係を考慮して読むと、絶叫する箇所も多くあります。「それはちょっと難しいな。私にはそんなことはできない。」と言うことが多いのです。

イエスさまの話を総合すると、「子どものようにならないと、神の国には入れない。金持ちは入れない。しかし神には不可能なことはない。」と語られたわけです。

これは何のことだろうという感じです。しかしルカの福音書18章をずっと読んでいくと、次に何が起こったかというと、「盲人のいやし」が起こっています。目の見えない人がいやされるという奇跡が起こっています。イエスさまはただ口で、「人にはできないことが、神にはできるのです。」と語り、それで打ち止めではないのです。その後に盲人の目を開けるという、絶対に人には出来ない奇跡を実際に起こして、神にはできることを実証されています。

そして次にストーリーは展開して行きます。ルカの福音書19:1-2、「それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。

またここで再び金持ちが出てきます。ちょっと前は金持ちは救われない、と言われたばかりです。先ほどの金持ちは、悲しみながら家に帰って行きました。その流れの中で、また金持ちが登場するという設定です。前後関係を見ていくと、たいへん興味深くおもしろいです。

そして結論的に言うと、18章では「金持ちは救われない。らくだが針の穴を通るより難しいぞ!」と言われたのに、イエスさまの舌が乾かないうちに19章では金持ちのザアカイが救われるのです。それはちょっとした矛盾にさえ感じます。しかしそのただ中に「神にとって不可能なことはない」という御言葉が挿入されているのです。

前後をよく読んで、どういう状況の中で語られているのかを見ていくと、結構聖書はおもしろいです。ザアカイという人物は「取税人のかしらで、金持ち」だったとあります。今もそうですが、昔も取税人(税務署の人)は憎まれていました。自分のお金を取られるからです。でも、なんとザアカイはイエスさまによって救われました。

イエスさまと出会った時にザアカイが何と語ったかというと、ルカの福音書19章8-10、『ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

ここに、「救いがこの家に来ました。」と記されています。救いとは、どこに来るのでしょうか。もちろん個人の救いですが、ここから見ると、救いは「家に来る」のです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」とありますが、「私は家族の中でたった一人のクリスチャンです」という方もおられると思います。しかし救いは家に来るのです。皆さんがイエスさまを信じたのは、やがて家族全員が救われるのです。

ザアカイは取税人で、人からだまし取ったと自分で語っています。彼は罪人でした。でも救われたのです。そしてよく読むと、ここでザアカイが語ったことばは、「主よ。ご覧下さい。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。」と言いました。

でもイエスさまは「オッケー、おまえを救ってあげるよ」と言ったわけです。18章でイエスさまは何と言われましたか。あの金持ちに「おまえの財産全部売り払ってこい」と言ったのです。しかし舌が乾かないうちに、こっちでは半分でオッケーしています。「イエスさま、どういうことですか。向こうでは『全部売り払え』と言ったのに、こっちでは半分でいいとサービスしてるんですか。」と文句を言う人がいるかもしれません。なんか気まぐれだなと思います。しかし、そうではありません。こういう中で神にとっては不可能はない、神はどんな人でも救うことができると教えているのです。

しかし実際、裕福な者が神の国に入るのは難しい、ということばは事実だと思います。なぜなら、貧しい国に行くと、本当に貧しいのですが、人々は神の国に近いのです。みんな単純にイエスさまを信じます。

しかし日本はどうですか。色々な災害があって、経済は大変ですが、まだまだ日本は世界の中ではトップクラスの金持ちの国です。借金はあるかもしれませんが、みんな裕福な生活をしています。やっぱり日本人のようなある意味、金持ちが神の国に入ることは難しいと思います。

私は昔、島や山の奥に行って伝道したことがあります。そういう所では必ず悪霊に憑かれて大変な人がいるのです。みんな困っているわけです。そうしたら、私は伝道者として行くわけですから、祈りを通して、そういう人から悪霊を追い出し、解放しなければなりません。しかし最初は祈ってあげても、何も起こらなかったらどうしようと思うわけです。でも不思議にイエス様の御名によって祈れば、必ず悪霊はその人から声を出して、出て行きました。

私は韓国の済州島に行って伝道したとき、ある家に尋ねて行ったら、ひとりのおじいさんが、体をへし曲げられるような感じで、家の中に寝ていました。私が声をかけると、起き上がって大暴れしました。大声で叫んで、電話機を私に投げつけたり、暴れていたのです。

その光景はこの世のものではありませんでした。目は充血して怖かったのです。もうすごかったのです。でもそんなことで慌てていては働きはできません。その人は好きでそうやっているわけではないのです。私はかわいそうに思い、おじいさんの腕をしっかり握って、主に祈りました。

そして切に悔い改める祈りと賛美をして、悪霊との関係を断ち切る祈りをささげました。そうしたら、それまで大暴れしていたおじいさんは、おさまって「ありがとうございます。ありがとうございます。」と何回も感謝してくれました。その祈りが終わって帰ろうとしているとき、おじいさんは自分の昔の話をしてくれました。大体の話はおじいさんの事業の失敗、離婚、子供たちの犯罪、それによって恨みに満ちた人生を送っているとの話でしたが、お前たちが来てやっと解放されたと言うのです。その時の感激と喜びは未だに忘れられません。

皆さん、「心の貧しい人は幸いだ」とあるように、やっぱり貧しい人たちは神の国が近いと思いました。私たちはある意味で裕福であるが故に、神の国から遠いところがあるのではないかと思います。しかしこの御言葉はリバイバルのための御言葉だと思います。日本は普通では神の国に入るのは難しい部類の国ですが、主がこの国に訪れられ、「人にはできないことが、神にはできる」という、日本のリバイバルに対する御言葉ではないかと思います。

今日はニ人の金持ちが出てきますが、最初の金持ちと、後からの金持ちザアカイも同じような金持ちですが、何かが違うのです。最初の金持ちはイエスさまが試されたと思います。「すべて売ってきなさい」と。それで悲しんで家に帰ってしまいました。

でも、ザアカイは心が貧しかったのです。イエスさまがエリコの町に来られた時に、どんな態度をとったかというと、ルカの福音書19:3からを見ると、こうなっています。「彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。

彼は悲しんで家に帰るタイプではなく、イエスさまが見たくて前方に走り出たのです。彼は金持ちではあったのですが、心が貧しかったと思います。イエスさまを一目見たいと思って、イエスさまより前方に走り出て、いちじく桑の木に登ったのです。彼は諦めないで信仰をもって一歩前に進んで行きました。その時に「救いはあなたの家に来ました」と言われたのです。私たちもイエスさまの前で立ち止まっていたり、家に帰ってしまうのではなく、信仰をもって進み出る時に道が開かれていくと思います。日本のリバイバルも同じです。止まっているのではなく、諦めるのではなく、一歩前に進んで行く時に必ず主が道を開いてくださいます。

また日本のリバイバルを考える時、日本はいくら打っても響かない、このような国は無理だと考えます。また、うちの夫は救われない、うちの妻は救われない、うちの子どもたちは救われない、無理だと諦めてしまいがちですが、救いは家に来るのです。イエスさまが人には不可能なことが、「神にとっては不可能はない」と語られました。「信仰を持って前に進みなさい」と教えていると思います。

今週も私たちは信仰を持って一歩前に進んでいきたいと願います。そのとき主が大いなるみわざを私たちに、この日本に成してくださると信じます。

最後に、もう一度、今日の本文、ルカの福音書18:27を読んで終わりたいと思います。

イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」

お祈り、

ハレルヤ、天のお父さま、御名を崇めて心から感謝します。人にはできないことが、神にはできると語ってくださっていることを感謝します。私たちの目の前には、人間的には手が出せない問題が多くありますが、人にはできないことが神にはできると語ってくださっていることを感謝します。主よ!日本に大いなるリバイバルを起こしてください。あなたご自身が日本に訪れてください。日本にある全ての不正が打ち砕かれますように。全ての罪が明らかになりますように。この国が聖められ、神のものと勝ち取られますように。ザアカイが救われたように、日本が救われますように。今日のこのときを感謝します。イエスさまがこの地に来られたのは私たちの罪の身代わりとなって死んでくださり、よみがえってくださることでした。そのことを心から感謝します。イエス様の十字架と復活を感謝して、主イエスの御名によってお祈りします。アーメン
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