メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

マルコの福音書15:37-41(小さい者も用いられる)

投稿者
tbic
投稿日
2023-03-26 18:17
閲覧数
325
マルコの福音書15:37-41『しかし、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。「この方は本当に神の子であった。」女たちも遠くから見ていたが、その中には、マグダラのマリアと、小ヤコブとヨセの母マリアと、サロメがいた。イエスがガリラヤにおられたときに、イエスに従って仕えていた人たちであった。このほかにも、イエスと一緒にエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。』

私たちが弱い時、神様は私たちを通して強く働かれます。私たちは自分が弱いことを少しも恥じる必要がありません。かえって私たちが弱々しく頼りのない時、愛は深くなります。自分を小さいと考えていた人の中に、小ヤコブがいます。彼はアルパヨの子ヤコブと呼ばれています。彼はどんな人だったのでしょうか?残念ながら、彼はイエス様の弟子であること以外には、聖書の中に何の記録も残されていません。ただイエス様が十字架で亡くなられた時、遠くから仰ぎ見る女たちがいましたが、その中の一人に小ヤコブの母がいたと記されています。

今日の本文のマルコの福音書15:40をもう一度読みますと、「女たちも遠くから見ていたが、その中には、マグダラのマリアと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、サロメがいた。」ここに「小ヤコブ」と記されているのが、イエス様の9番目の弟子です。ここで彼について分かる情報は「小さい」という形容詞しかありません。なぜ、「小さい」ヤコブと呼ばれたのかが気になります。聖書には数名のヤコブが出てきます。私たちが良く知っているのは、ヨハネの兄弟であるゼベダイの子ヤコブです。

またイエス様の弟のヤコブがいます。彼は復活以前はイエス様を信じていませんでした。しかし復活の後、イエス様を信じてからはエルサレム教会の指導者となりました。この人はヤコブの手紙を書きました。このヤコブは膝の関節が傷ついて、ラクダの膝のようになるまで祈っていたと伝えられています。最後に、マルコが「小ヤコブ」と呼んでいたアルパヨの子のヤコブがいます。なぜ「小さい」と呼ばれていたのでしょうか?弟子の中に2人のヤコブがいたので、年上のヤコブを大きいヤコブと呼び、彼より若いヤコブの方を小さいヤコブと呼んだという推測も可能です。或いは、身長の高さのためだと言う人もいます。また彼らの影響力を評価した言葉だと。どんな解釈をするにしても、彼はそれほど大きな地位や影響力を持った人物ではありませんでした。しかしこの小ヤコブもまたイエス様の弟子として、きちんとその使命を全うできたのは確かです。

私たちの中にも、自分のことを「小さい」と感じる人がいます。「なぜ私はこんなに足りない者なのか?」と嘆く人がいます。しかし小さく見える人も、大いに用いられます。たとえ小さくても、神様から用いられることを心から切に願います。では、小さくても用いられるためには、どうすればいいのでしょうか?

まず一番目、小さくても成熟した人になることです。アルゼンチンのマラドーナは「サッカーの天才」というあだ名を持っていました。彼は見事なドリブルと卓越した個人技で、サッカー選手としての栄誉を手にしました。ワールドカップでも優勝し、最高のプレーヤーと賞賛され、大金も手にしました。しかし、マラドーナを成熟した人だったと言う人は誰もいません。成功と成熟は何の関係もないからです。

神様は私たちが成功する人ではなく、成熟した人になることを願っておられます。成熟した人がより大きな人です。「小さい」「大きい」は神の観点ではありません。神様の目には、その人が「成熟した人」なのか「未熟な人」なのかというのが、もっと重要です。

ブラジルのペレという人もサッカーで名前を挙げた選手です。しかしペレには「皇帝」というあだ名がついています。なぜでしょうか?サッカーがうまかっただけでなく、彼の人格が成熟していたためです。「マラドーナにとどまるのか、ペレまで行くのか」の違いは、成熟にあります。成熟とは何でしょうか?成熟には、犠牲と奉仕と謙遜が含まれています。これがなければ、成熟していないのです。

建物を建てる時、初めは鉄筋とコンクリートで基礎を固めます。家をどれほどしっかり建てるかはこの基礎工事にかかっています。しかし工事が進行して行くと、その基礎の上に建物の骨組みが組まれ、その上にセメントが塗られ、更にペンキが塗られて最後に壁紙が貼られます。最後の段階で鉄筋が見えているなら、それは完成した建物ではありません。人も同じです。最後まで鉄筋が見える人、最後までコンクリートが見える人は未熟な人です。成熟した人は壁紙まで行かなければなりません。

教会の開拓ごろから献身し、柱となっている人々がいます。その人々の祈りと献身によって、教会は堅く立って行きます。しかし教会が成熟しようとするなら、その人々が目立っていてはいけません。「俺がこの教会の柱なのに」と言うのは未熟の証拠です。うちのTBIC教会は壁紙のような新しい人々を表に出さなければなりません。

皆さん、人生の中で自分が鉄筋だと考えていますか?或いは、教会の柱だと考えていますか?それなら、隠れていなければなりません。壁紙の中に隠れる姿、それが本当の成熟です。

南北戦争でリンカーンが導く北軍が勝利すると、みんな勝利の喜びに包まれました。ある時はリンカーンが歩いていると、仕事をしていた黒人たちが仕事を中止し、リンカーンの前にひれ伏して「ハレルヤ!メシヤが来られました。」と言いました。事実、黒人たちにとって、リンカーンはメシヤのような存在でした。しかしリンカーンは「神様だけに膝をかがめなければなりません。私は神様の道具に過ぎません。」と言い、自分自身を徹底的に否定したそうです。

まるで使徒の働き14:15で、ルステラの人がパウロを拝もうとした時、パウロが「皆さん、どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そしてあなたがたがこのような虚しいことを捨てて、天と地と海と、その中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を伝えている者たちです。」と言って、自分を否定した姿と似ています。これが成熟した人の姿です。

南部のリッチモンドが陥落したという知らせが入ってきた時、人々はワシントン通りに集まって来て、「リンカーンは最高だ。」と歓喜の声を上げました。そんなときでも、リンカーンは勝利に酔いませんでした。彼は演奏者たちに「ティクシー」という曲を演奏するように言いました。「ティクシー」は南部の国歌でした。勝利した北軍の歌ではなく、南部の国歌が演奏される中、彼はこう話しました。『今、南北は一つになる。それゆえ「ティクシー」は正々堂々と私たちの国家のものとなった。

北軍の勝利は、敵の国歌の演奏で終えました。南と北が一つになった姿で戦争が終結したのです。これが本当の政治です。勝った後、相手を配慮すること、勝った後、相手を受け入れることです。勝った後、威張って私たちが占領したと大声を出すのは愚かな態度です。神の御前にリンカーンのような成熟した姿で進み出ることを切に願います。成熟した人が大いなる者です。成熟とは、仕える姿であり、犠牲と謙遜の場所に進み出ることです。たとえ自分が小さく感じても、成熟した姿で進み出る神の人となってください。

二番目、小さくても重要なことをしっかり担えばいいのです。大きなことだけが良いことではありません。本当に重要なことは小さくて精密なことです。大きなものは別にきわ立った技術がなくても、誰でも複製することができます。しかし小さいものを複製することは、とても難しいです。本当の実力は、小さいものをうまく作り上げるところにあります。本物と偽物の違いは何でしょうか?10メートル離れた所からは同じように見えますが、近づいて手に取り、ひっくり返して見ると、何か違うことが分かります。細かい部分で違いが現れるからです。だからこそ、小さいことが重要です。

イエス様もルカの福音書16:10で「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」と言われました。小さいことを忠実にやらない人に大きなことを委ねたら、それを立派にやり遂げるはずがありません。一流となるためにすべき最初のことは、小さいと思われることを徹底的にやり遂げることです。

リンカーンの話をもう一つしますと、リンカーンは本当に素晴らしい人でした。彼は小さい事に忠実な人だったのです。リンカーンが生涯、自分の人生のモットー(座右の銘)としたことは、正直さを守ることでした。だからリンカーンのあだ名は「正直者のエーブ」です。彼がどれほど正直であったかを知ることができる逸話があります。リンカーンの写真の中に、リンカーンが椅子に座っていて、その左側に息子のテッドが立って一緒に本を読んでいる写真があります。その写真を見る人はみんな、こういうふうに言います。「リンカーンは息子に聖書を読ませているんだ!」と。本当にそんな雰囲気ですし、私はそのように説教しているのを聞いたことがあります。しかしリンカーンは、人々がそのように誤解するのではないかと思って、このように説明しました。「この大きな本は、聖書ではなく写真集です。」と。この写真は1864年2月8日にプレディースタジオで撮ったものですが、正面を向いたリンカーンと彼の息子が、どこかぎこちなく見えたのか、写真家は自然なポーズができるように写真集を渡したというのです。写真を撮った後、ひょっとしたら生じるかもしれない誤解をあらかじめ防ぐために、そんな説明まで残すほど、リンカーンは正直でした。

リンカーンの演説の中で有名なものが、ゲティスバーグの演説です。南北戦争によって犠牲となった戦没将兵たちの墓地の前で行なった演説として、英語で暗唱できるほど短い文章です。「人民の、人民による、人民のための政治は、永遠に地球上から滅びないであろう。」という言葉の後にも、演説は2-3分続いたと言われます。しかし私たちを感動させる事実がもう一つあります。この短い演説文の草稿が6通あるそうです。リンカーンは、この短い演説を準備しながら研究し、言葉を練って最後の最後まで練り上げた原稿を元に演説をしたのです。

このようにして、歴史に残る演説文が誕生したわけです。本当に小さいことに最善を尽くす人が一流となります。小さいことを忠実に行うこと、遅刻をせず、正直さを守り、自分のなすべきことを徹底的にすることです。自分がやらなければならない使命をおろそかにせず、徹底的に担うこと、その小さいことが大きな人生を生きる原動力となります。小さいけれども大きな人生となる祝福が、私たちのすべての上に臨むことを切に願います。

皆さん、小さくても用いられる人生になることです。働きの大きさは関係ありません。神様が用いてくださるなら、それが最高だと思います。短い一生の間、神の御前に用いられるなら、それより栄光ある人生はありません。神様は大体、弱くて小さい者たちを用いてくださいます。コリント第一1:27-29「しかし神は知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。

多くの人々が、この論理を簡単には受け入れません。世の論理と、あまりにも違うからです。ではどうして、神様は力のある強い者を用いられないのでしょうか?それは、一歩間違えば、高慢になって自分を誇ってしまうからです。サムソンは力のある人でした。しかしナジル人であり、名門家庭で生まれ育ち、神様に用いられるにふさわしい状況に置かれていた彼がやったことは、結局女性を追いかけ回し、自分の力を自慢して、滅びることでした。その反面、バルナバを考えてみてください。彼に優れた力や地位、特別な賜物などがあったとは思いません。しかし彼がただ謙遜に主に仕えたとき、パウロという大いなる人物が彼のもとで整えられたのです。バルナバを通して教会は堅く立てられました。小さいことは問題ではありません。用いられれば、それでいいのです。

多くの人々が、周りの人よりも大いなる者になろうと必死になります。しかし忘れてはなりません。大いなる人になるより、用いられることが最高です。テモテ第二2:20-21「大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」この御言葉のキーポイントは何でしょうか?家の食器棚には金の器だけがあるのではありません。私たちがどんな器であるかよりも、尊く用いられる器になることの方が重要です。クリスチャンとは、金の器になろうと努力する存在ではなく、尊く用いられようと戦う存在です。長い間、勉強ばかりしている人がいます。一体それほどたくさん勉強して、どこに用いようとするのか疑問です。たくさん勉強して、正しく用いられるなら、それは素晴らしいことです。しかし、もっと重要なことがあります。まず用いられることです。用いられて足りないなら、もっと勉強することができるし、もっと満たすこともできます。問題は「用いられる」ことです。勉強しておいて用いられないなら、人生を浪費するだけです。だから私たちは「神様、私が持っているすべてのものを用いて下さい。」と祈らなければなりません。

皆さん、強ければ用いられるのでしょうか?いいえ、決してそうではありません。弱くても用いられます。神様は自慢しない人、謙遜な人を用いられます。神様はなぜ弱い者を用いられるのでしょうか?弱い者は自慢できないからです。たくさん持っている人は、いつも自分の誇りにしようとします。「やっぱり俺は違う。俺がしっかりやってるから、うまくいっている。」と言う人を、神様は我慢できません。弱い時にこそ強い、神様のアイロニーを、ちゃんと覚えてください。神の御手の中に足りないことはありません。神様は、私たちがすべてを完璧に持った後に、私たちを用いられるお方ではありません。足りなくても、その内に神の御力が臨むなら、神様に用いられることができるのです。私たちが弱い時、神様が私たちを通して強く働かれます。こういうふうに考えると、私たちは本当に弱い者にならなければなりません。弱くなることは、決して恥ずかしいことではないのです。

愛もそうです。私たちが弱い時、足りない時、愛は深くなります。お金持ちの結婚式を見てください。とても華やかな式場、綺麗なドレス、誰も行ったことのないような新婚旅行です。しかし質素な結婚式を終え、粗末なホテルに泊まる新婚夫婦よりも、ささいなことで喧嘩をして別れる夫婦が多いのです。結婚生活で慰めとなるのは、高価なダイヤモンド、良い時計ではありません。これらのものは、何の慰めにもなりません。心が傷ついた時、ダイヤモンドを見て慰められる人がいるのでしょうか?心が苦しい時、ロレックスの時計を見て喜びが湧いてくる人がいるのでしょうか?私たちの人生を豊かにしてくれるものは愛であり、信仰です。

聖書には小ヤコブについて何も記されていません。「小さい」こと以外に、彼については何も知ることができません。しかし、はっきりしていることは、彼は用いられたということです。小さくても大丈夫です。神様が用いてくださいます。小さくても成熟した人になりましょう。そして小さいけれども、用いられる喜びを楽しむ、神の人になってください。

結論、小ヤコブを通して学んだ神様に用いられるための原則。
  1. 小さいけれども、精密な人になることです。は私たちに成功することではなく、成熟することを願っておられます。成熟には、犠牲と仕えること、そして謙遜が伴います。
  2. 小さいけれども、重要なことを担う人になることです。大きければ良いというわけではありません。本当に重要なことは小さいこと、精密なことです。本当の実力は、小さいものを精巧に作ることです。小さなことに忠実であるなら、その人は霊的に強い者です。
  3. 小さいけれども、用いられる人になることです。から用いられることこそ、何よりも大切なことです。神様は弱く、小さい者を用いられ、世の愚かな者を選んで、知恵ある者を辱められます。私たちが弱い時、足りない時、愛はいっそう深まります。
・弱い時、足りない時に、神様から用いられた経験があれば分かち合いましょう。
合計 153
手順 タイトル 投稿者 投稿日 推薦 閲覧数
93
マタイの福音書27:62-28:6(妨害のために、もっとうまく行ける人生)
tbic | 2023.05.07 | 推薦 1 | 閲覧数 270
tbic 2023.05.07 1 270
92
ヨハネの福音書17:15(悪い者から守ってくださる神様)
tbic | 2023.04.30 | 推薦 1 | 閲覧数 277
tbic 2023.04.30 1 277
91
ヨハネの福音書20:31(信じるという言葉の意味)
tbic | 2023.04.23 | 推薦 2 | 閲覧数 328
tbic 2023.04.23 2 328
90
ヨハネの福音書14:5-6(道は一つしかない)
tbic | 2023.04.16 | 推薦 1 | 閲覧数 237
tbic 2023.04.16 1 237
89
コリント第一15:1-8(真の福音、イエス・キリストの死と復活)
tbic | 2023.04.09 | 推薦 2 | 閲覧数 270
tbic 2023.04.09 2 270
88
マタイの福音書16:15-24(仮面をかぶらない)
tbic | 2023.04.02 | 推薦 2 | 閲覧数 264
tbic 2023.04.02 2 264
87
マルコの福音書15:37-41(小さい者も用いられる)
tbic | 2023.03.26 | 推薦 2 | 閲覧数 325
tbic 2023.03.26 2 325
86
マルコの福音書1:14-20(成熟した信者は終末論的に生きる)
tbic | 2023.03.20 | 推薦 1 | 閲覧数 252
tbic 2023.03.20 1 252
85
マルコの福音書14:21(今、悔い改めれば用いられる)
tbic | 2023.03.20 | 推薦 2 | 閲覧数 326
tbic 2023.03.20 2 326
84
マルコの福音書5:1-20(豚2000匹)
tbic | 2023.03.05 | 推薦 1 | 閲覧数 235
tbic 2023.03.05 1 235

主の御名によって 歓迎いたします。

TOP

東京ベイ国際教会

〒279-0042 浦安市東野1-6-18

Tel :090 – 8116 – 9372 / jeenbd9994@yahoo.co.jp

Copyright (C) 2019 www.tokyobaychurch.com All Rights Reserved.