メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

コリント人への手紙第二6:1-10 (神の御前に生きよう)

投稿者
tbic
投稿日
2021-09-12 17:32
閲覧数
672
コリント人への手紙第二6:1-10、『私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。』

今日の御言葉を読んでいただきましたが、6章2節に、このような事が書かれていました。“神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。”

今私たちがこうして自由に宣教が出来る、こうして日曜日に礼拝できることは、非常に素晴らしいことです。しかし言論の自由や、また宗教の自由などが全くなく、クリスチャンであることで訴えられたら裁判にかけられ、牢屋に入れられたり、殺される国は未だにたくさんあるわけです。その代表的な国として、イスラムの国々と中国、また北朝鮮があります。

みなさん、その点、日本では信教の自由があるということは本当に感謝なことです。だから、「今は恵みの時、救いの日」ですから、私たちも真剣に福音を述べ伝えなければなりません。聖書を見ると、使徒パウロという人は、すごい迫害の中で伝道をしました。彼はいろいろと誹られ、迫害され、石に打たれ、いろいろな苦しい中でも喜んで福音を伝えたと書いてあります。

今日の本文の6章3~4節、“私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。

ずいぶんひどい目にあったと思いますが、彼は気落ちせず、「自分を神の僕として推薦する」と言っています。また、続いて、こう書いてあります。本文の6章4~10節、“非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。

こういう苦しみの中、彼は伝道しました。今の時代、日本で人々が救われない理由というのは、いろいろありますが、人の評判を気にしすぎると思います。しかし、私たちクリスチャンは、好評を受けるか受けないかということよりも、いかに神の前に生きるかということが大切です。誰かから誉められる、そんなことではありません。クリスチャンは神の前に真実にしっかりとした義の道を歩んでいかなければなりません。

ここに、使徒パウロ自身が「ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。」と書いていますが、人間というのは、やはり誉められる時はいいのですが、そしられたり、悪評を受けたりする時には、あまりいい気持ちがしないものです。私も、日本宣教のために、いろんなことをしていると、いい事を言う人もいるし、悪い事を言う人もいます。誉める人もいれば、誉めない人もいます。しかし、私たちはなぜ福音を伝えるかと言うと、これは神様からの命令で、どうしてもイエス様の愛を伝えなければならないからです。

ちょうど使徒パウロが「今は救いの時だ」と言ったのは、なぜかというと、いわゆる「イエス・キリストが十字架にかかって死んでくださって、恵みの時代が来た!律法によって義とされるのではなく、イエス様を信じるだけで救われる、イエス様が代わりに死んでくださったから、信じるだけで罪から救われて永遠のいのちを持つことができる、だからこれを伝えなければいけない!」ということでした。

しかし彼に対する迫害はすごいものでした。海の中に投げ込まれ死にそうになったり、石に打たれて殺されそうになったり、飢えたり、すごい苦しみの中にあっても「伝えなければならない!」という気持ちがありました。

もちろん、私たちは迫害より誉められると嬉しいものですが、誉められると人はどういうことを考えるのでしょうか。聖書の中に、このような御言葉があります。箴言27章21節、“るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛によって人はためされる。”

誉めてくれる時はいいようですが、これは試されているのです。誉められていいことは、「イエス様の恵みで、それが出来ました」と言う事です。また悪口を言われた時には「その人を祝福してあげます」と言うべきです。やはり私たちは喜んで、人々がいくら悪口を言ったとしても祝福するということは、クリスチャンにとって非常に大切なことです。

時々、教会に来ていても、人の関心ばかりを考える人がいます。私がクリスチャンになったら親戚は何というか、親は、夫はと、心配します。なるべくうまく調子を合わせておこうと思うものです。しかし、ガラテヤ人への手紙 1章10節、“いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神にでしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。

私たちは、クリスチャンの基準はあくまで、誰かの評判ではなく、神様の前に立つことです。人の関心ではなく、神様の関心を求めていくということが非常に大切なことです。しかし、人間ですから、悪口を言われるといい気持ちはしません。

伝道者の書7章21~22節、“人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。あなた自身も他人を何度ものろったことを知っているからだ。

時々、自分の悪口を言われると良い気持ちがしませんが、「あなたも同じように悪口を言うことがあるのではないか」と言っています。ですから、人のそしりというものは、あまり気にしてはいけません。イザヤ書51章7節、“義を知る者、心にわたしのおしえを持つ民よ。わたしに聞け。人のそしりを恐れるな。彼らのののしりにくじけるな。

愛する皆さん、どうでしょうか。人のそしりを恐れている人、恐れてはいけません。人間のそしりを恐れなくても良いのです。特にそのことについて、聖書にこう書かれています。ルカの福音書12章4節、“そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。

クリスチャン生活の中で、たとえ迫害にあっても、聖書には「からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。」と書いてあります。人間を恐れる必要はありません。そして、こう続いています。ルカの福音書12章5~8節、“恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。しかし、わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。

この中に、「空の鳥よりも私たちはすぐれている。髪の毛もみな数えられている」と書いてあります。私は自分の髪の毛が何本あるかは知りませんが、神様は私たちの頭の毛まで全て数えられているのだから心配するなと言われています。神様は、私たちがどんな境遇にあるか、今私たちがどんな立場にあるか、全て知っているから、たとえ人が悪口を言っても恐れてはいけません。人間の言葉で傷つき、悩んで病気になる人もいます。しかし、悪口を言われた時には、その人のために祈ることです。「復讐するのはわたしにある、復讐してはいけない」と聖書に書いてありますから、どんなに人がいろいろと迫害したとしても、しっかりとイエス様につくべきです。

私は4代続くクリスチャンホームで育てられたのですが、私が気づいたら私の母親は、教会には通っていたのですが、クリスチャンではありませんでした。その後、霊的戦いは半端ではなかったのです。結局は勝利しましたが、みなさん、私たちは戦わなければなりません。クリスチャンは弱々しくて柔和で何でも「はい、はい」と受け入れるのではなく「悪いことは悪い。良いことは良い」という態度を取らなければなりません。もし殺されても私たちは天国ですから、しっかり信仰に立って歩んで行きましょう。

ローマ帝国のキリスト教大迫害の頃、使徒ヨハネの弟子で教会の監督であったポリュカルポスは、ローマの神々に礼拝するように総督に強要されても、それを拒否し、キリストをののしれば釈放してやると言われた時、この監督はこう言ったそうです。「私は86年の間、キリストに仕えてきましたが、イエス・キリストは一度も私を裏切ったことがありません。なのに私がどうしてイエス様を裏切れましょうか」と、断固として拒絶して、そのために火あぶりに処せられることになりました。その時、彼は、総督に対してこう言ったそうです。「一時間しか燃えない火がなんでしょう。永遠に消えない地獄のことをお忘れですか。総督!」と語り、86歳で殉教の死を遂げたのです。その最後の言葉は、こう記録されています。「愛する御子イエス・キリストの血潮、私をこの日、この時にかなう者として、殉教者の仲間に加えられました。それは聖霊の賜物です。アーメン。」こう言って、彼は火あぶりにされたのです。本当に素晴らしい言葉です。

「一時間しか燃えない火がなんでしょう。永遠に消えない地獄のことをお忘れですか。総督!」もしも、私たちが地獄に堕ちたら、消えない火で永遠に焼かれるとありますから、殉教での一時間の火くらいは大したことではないということです。私たちも信仰をしっかり持っていかなければなりません。私たちの信仰の先輩たち、昔のクリスチャンたちはとんでもない迫害を受けました。それにもかかわらず、神の栄光を見ながら信仰生活を続けたわけです。

使徒の働き3章1~8節、“ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。”みなさん、聖霊様は、今も同じように働かれます。

私はTBICに赴任する前に、仙台のある教会に行きました。その時、私は、エペソ人への手紙1章19節から「信じる者の内に働く神の力」というタイトルで、メッセージをしました。すると、その集会が終わった後、ある人(警官)が私を彼のお父さんが入院している病院に連れて行きました。その方は、脳梗塞で倒れて意識がなく、死だけを待っていた人でした。

それで、私はその警官から、「先生、お父さんが天国に行けるように洗礼を授けてください」と病床の洗礼を頼まれました。そこで、私は信仰がない者ですので、癒しは全く考えず、洗礼だけを授けようと思いました。しかし、洗礼を授ける途中、まだまだ若いのにこのまま天に召されるのはもったいないと思いました。そして聖書の中には、病めるものに手を置けば癒されるとあるから、癒しの祈りもしたわけです。それで病床の洗礼が終わってから、家に戻ると、その警官から電話がありました。「先生、うちの親父が立ち上がって歩き出しましたよ!すごく元気です!」と言うのです。あの時の感動は、未だに忘れられません。その時、「先生、ありがとうございました!」と言われましたが、私は、「いや、僕じゃない。治したのはイエス様です。」と言った覚えがあります。

愛する皆さん、使徒の働きの時代には、もっと素晴らしい奇跡がたくさんありました。完全に癒されて、走ったり踊ったりしました。しかし、聖書は、それが大問題になったと言うのです。誰が問題にしたかと言うと、それは宗教家でした。

今の時代でも、教会の中でも、癒されると言ったら問題にするところがあります。「病気を治すとか、悪霊を追い出す」と言ったら「異端だ!」と言う人もいます。いえ、それは聖書通りです。癒されることは神のみこころです。

しかし、宗教家たちはこのペテロとヨハネを捕まえて裁判にかけました。そして、結論はこうでした。「今後、一切、イエスの名によって語る事も、伝える事も禁ずる」ということでした。その時に、ヨハネがこう言いました。

使徒の働き 4章19~20節、「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」彼は死をも覚悟し、どんなに迫害があったとしても、「あなたがたに聞き従うより、神に聞き従うほうが正しい」と言われました。

日本の方は和を大切にしますが、真理に固く立って、誰がなんと言おうとも、神に従うことが正しいことです。ですから、「人の前に言って私を告白する者を、わたしも天の父の前で告白する」とありますから、みなさんも恐れず、学校でも職場でも、「イエス様を信じます、クリスチャンです」と言ってください。イエス様が責任を持ちます。どんなに人々が恐ろしく見えても、「イエス様を愛しています、殺すと言っても信じています」と、しっかり信じて、たとえ殺されても天国がありますから、信じていきましょう。まだ決断が出来ていない方は、しっかり信仰を持って、洗礼を受けてください。それが神のみこころです。

一言、お祈りします。みなさん、恐れがあったら恐れから解放されるように祈りましょう。

愛するイエス様、感謝します。あのペテロもヨハネも普通の人です。彼らは聖霊に満たされて、神に従うより人に従うことのほうが正しいかどうか、自ら判断せよと言いました。あなたは魂もゲヘナに投げ込む権利のある神様だけを恐れなさいとおっしゃいましたが、恐れから解放されて、毎日の戦いの中で、イエス様に聞き従うことができるように、導いてください。
今、私たちはリバイバルを求めています。この街に、この周辺の街に、日本に、大きなリバイバルが起きますように。また中国や北朝鮮に投獄されているクリスチャンたちもいますが、命懸けの彼らも覚えてくださって、早く解放されるように導いてください。

これから聖餐に預かります。イエス様、あなたが十字架の上に命を捨ててくださいました。イエス様、『これはわたしの肉だ』とおっしゃいましたが、あなたの裂かれた肉を感謝して、聖餐に預かります。また、『これはあなたのために流す契約の血だ』とおっしゃいましたから、血潮を頂きますから、私たちに勇気と力をくださいますように。愛するイエス様のお名前によって感謝を込めてお祈りします。アーメン。
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