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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

コリント第二10:3-7 (戦いの場所は頭の中です)

投稿者
tbic
投稿日
2021-11-28 18:18
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293
コリント第二10:3-7、「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。また、あなたがたの従順が完全になったとき、あらゆる不従順を罰する用意ができています。あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもキリストに属しているということを、もう一度よく考えなさい。」

皆さん、私たちの戦いの場所は頭の中です。「頭の中」は、「心」あるいは、「精神」と訳すこともできます。英語では「マインド」です。

私たちの頭の中、思いの中には、今日の本文の、4節に出る「要塞」があります。それは、意識的な思い、あるいは無意識的な思いです。意識的な思いとは、自分が分かっている内容です。それが私たちの考え方であり、すべて良いことだとは限りません。

だから問題は、意識の下に埋もれている思いであり、私たちはその存在に気付いていないのです。しかし、それは私たちの行動を支配するものです。その思い、特に悪い考え方は、自分の人生の中で受けた悪い体験の結果でもあります。

例えば、心の傷であったり、トラウマであったり、肉体的暴力を受けたことや、言葉の暴力(暴言)、性的暴力を受けたことなどから生じるものです。また、育児放棄をされた経験や、離婚の経験、浮気をされたとか、裏切られた経験などから来るものです。このような経験をすると、恨みや、恐れ、不安な気持ち、コンプレックス、また不信感を抱きます。

このような頭の中、思いの中の要塞は、悪魔のウソを私たちが信じるときに形造られるものです。例えば、私たちの考え方に悪魔が入れ込むウソ、神様に対するウソや、私たちに対するウソ、そして、他人に対するウソですが、敵が私たちの頭の中に、そのようなウソを入れ込むと、私たちの思いを新しくするとき、とても難しくなります。だから、悪魔のウソを信じないように、私たちは毎日真理の帯を締めなければなりません。それは神様が信じる者に与えてくださった武具の一つである御言葉です。

まさに、私たちの頭の中、心、思いは、戦いの戦場であり、私たちを支配しようとする敵の攻撃の的です。敵は私たちの思いを支配すれば、私たちの全てを支配できると、知っているからです。しかし、多くのクリスチャンは、それを(あまり)知りません。知らないから、敵が頭の中にいろいろな思いを入れ込むのを、許してしまいます。頭に入れ込むサタンのやり方はとても巧妙なので、それが自分の思いだと信じ込むわけです。さらに、それが神のみこころだと考えてしまうこともあります。

それを聖書は、私たちをだましとる光の天使のふりをした悪魔だと、はっきり教えます。さらに、聖書は、人にある思いを入れ込んで、神の御心と正反対のことをさせようとするサタンがいると語られます。いろいろな例を上げることが出来ますが、まずはダビデのことです。

第一歴代誌21:1、「ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。」ここではダビデについて書かれていますが、ダビデは神の心にかなう人でした。しかし、悪魔はダビデが神の御心の反対のことをするように、傲慢にさせたのです。もし、敵がこれをダビデにしたならば、当然、私たちにも仕掛けてくると思います。

そして、イスカリオテ・ユダのことです。ヨハネの福音書13:2、「夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていた。」三年間ユダはイエス様と一緒に過ごしました。そして、いろいろな奇跡も見ました。説教も聞きました。誰よりもイエス様と親密な関係でした。しかし彼はイエス様を裏切ったのです。なぜでしょうか?それは悪魔が彼に、そうするようにそそのかしたからです。ある思いを、ユダの頭の中に入れ込んだわけです。つまり欲望、憎しみ、恨みを、彼の心に入れ込みました。同じことが、ペテロにも起きました。だからイエス様はペテロに言われました。マタイ16:23、「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。

また、使徒の働き5:3にも同じ内容が出て来ます。『そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。」』

これらの聖書個所から、敵が私たちの頭の中に思いを入れることができることを示しています。しかし、もっとはっきりした例はイエス様の例です。イエス様は人となられた神であり、神の御子であります。しかし、イエス様も悪魔に試みられたということを聖書は示しています。試み、誘惑とは頭の中、思いの中で起こることです。

聖書によると、悪魔はイエス様を高い山の頂に連れて行き、この世の全ての国々を見せました。それをどうやって見せたのでしょうか?スーパーマンやスパイダーマンのように、イエス様を連れ回したのでしょうか?そうではありません。それはイエス様の頭の中で起きたことです。もし、神であるイエス様でさえ、敵によって頭の中にそのような思いを入れられたのであれば、私たちには、もっと簡単だと思います。では、そのような思いに対して、私たちはどうすればいいのでしょうか?

敵は私たちを支配するために、一レギオン、つまり一軍団の悪霊を送らなくてもいいです。ただ私たちの頭の中に一つの思いを入れ込めば、それだけで十分です。また私たちの中に既に存在する考え方を利用すればいいのです。だから、その考え方を特定することは、とても重要なことです。

まず、私たちは心の中にイエス様を救い主として向かえ入れることができます。しかし、私たちの頭の中、考えや思いというのは、育てられた環境に影響を受けます。家庭の中で身に着いた態度は、頭の中に要塞を築きます。

例えば、浮気をする父親を持った息子たちは、男性というのは、そんなもんだと考え込みます。それが頭の中にある要塞であり、それは自分の父親を見てきた結果です。娘たちも同じです。すべての男性は、そういうもんだ、オオカミだと、すべての男性は浮気する、男性は性的なことばかり考えていると、そう思うようになります。これは誰の考え方ですか?浮気する父親の子どもたちの考え方です。しかし、その考え方は正しくありません。もちろん、自分の妻に不誠実な夫たちもいますが、多くの男性が自分の妻に誠実です。また、不誠実な父親は、嫉妬深い母親を生み出します。そして、必ずその娘たちも同じ考え方の要塞を作ります。

また、思いの要塞が形作られるのは、多くの場合、人間の傾向として物事を、一握りに一般化する時に起きます。例えば、「すべての男性は同じである。」と言います。それは私たちの中に深く根ざす考え方で、すべての男性が、同じであると信じているからです。しかし、実はみんな違うのです。よく見てください。男性はみんなそれぞれ違うのです。

では、他の例を見てみますと「女性はみな王女様で、すばらしいし、みんなそれぞれ美しい!」これは聖霊様によって新しくされた考え方です。でも、この考え方は教会の中だけで聞くことができるものです。世の中では、女性のことを悪く言うのが当たり前で、特に女性が女性を悪く言うのです。例えば、「女はみんな色気を使う者で、私から夫を奪おうとしている。男を自分のために利用したがるのが女だ」と言うわけです。しかしそれは正しくありません。それは一般化した間違った考え方です。

他の例を上げますと、鈴木家の人間はこうだとか、佐藤家の人間はこうだとか言うとき、それは何を意味しているのでしょうか?それは、けちな家族だとか、気難しい家族だとか、だらしない家族、嘘つき、貧乏、暴力的な家族、などなど、、全部自分勝手な思い込みで、一つの家族を一般化している間違った考え方です。

私たちはみんな、そのようなレッテルを貼っている弱い存在です。そのような多くの家族の習慣・慣習は、私たちが家族についての考え方を一般化する、間違った思い込みから、もたらされるケースが多いわけです。だから、今私たちが属している家族の一員として持っている要塞が何かを特定することは、とても重要なことです。私たちが日本人として、韓国人として、また、中国人として考える要塞とは何でしょうか?また、自分が生まれた町の人間として持っている考え方の要塞は何でしょうか?

そして、過去の悪い体験から作られた要塞もあります。例えば「私は人生の教訓として、他人は信じません。」ということです。誰が言ったのでしょう?聖書は全く反対のことを言っています。「もしあなたが愛しているなら、あなたはその愛する人を信頼しなくてはいけません。」と、これは夫婦関係だけのものではなく、神の家族として私たちみんなの関係を言っていることです。もし、本当に私たちの中に愛があるなら、お互いに信頼し合うべきです。だからこそ、お互いの人生におけるイエス様の働きを信頼しなければなりません。

また他には、何か良い行いの裏には隠れた意図があると、そう言う人がいます。夫が何か妻にプレゼントをする時には、妻はこう言います。「あなたは何が欲しいの?」「何かしたの?」と。夫が少しでも愛を表そうとしているだけなのに、むしろ疑われるから、夫は二度とプレゼントをしなくなります。しかしそれは、「良い行いの裏には隠れた意図がある」と信じ込んでいる間違った考え方があるからです。聖書は神様お一人だけが、私たちの行動の裏にある本当の意図をご存知だと教えています。

また、頭の中にある要塞とは、苦しみや恨みです。だから、誰かを赦すことによって、私たちの考え方を新しくすることは、とても重要なことです。しかし何時間も、考え方を新しくしようと頑張って他人を赦そうとしても、またすべての痛みや怒りを取ろうとしても、泣いて泣いて心の癒しの祈りをささげても、誰かに対する私たちの考え方を変えないなら、そのすべての努力は、意味がなくなります。父親に対して、また夫に対して、そういう考え方を実際に変えないなら、私たちの努力は無駄であり、何の意味もありません。

しかし、多くの人は「でも、どうしたら、その人を違う目で見ることができるんですか?」と言うかもしれません。それは、神様がその人を見る目線で、そういう見方で、同じように私たちも、その人を見ることです。もし自分の考え方を変えず、ずっとそれを維持し続けるなら、私たちのどんな働きも無駄になります。まさに、「頭の中で、まず勝ちなさい」ということです。

そして、つまらない要塞ですが、最近多くの若者たちが結婚できないと信じ込んでいます。その要塞は良い結婚の模範を見てこなかった結果、自信を無くして、良い親になれないと考えることです。また良い父、良い母の姿を見てこなかった結果かもしれません。しかしその噓の思い込みを、全部打ち壊し、自信をもって結婚してほしいのです。みんな結婚は初の体験だから、リスクはありますが、その家の悪い流れは誰だってやり直すことができるのです。むしろ自分の家族の悪い経験から、もっと素晴らしい家庭を築く人も多いわけです。彼らは頭の中で悪魔に勝った人たちです。

悪魔は私たちの頭の中に要塞を造って、神に逆らう障害物を建てられる存在です。第二コリント10:5、「私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、」皆さん、何が神に逆らう障害物でしょうか?神の知識に逆らう思弁です。例えば、「神様は私の祈りを聞かない。」ということです。「神様は、ほかの人は祈りを聞いて祝福するが、私には祝福しない。」「神様は一度も私と一緒にいてくれなかった。」「神様は私が人生で一番必要な時に沈黙した。」などなどの思い込みです。それは真実ではありません。それらはすべて敵が私たちの頭の中に入れた障害物であって、神に逆らうものです。私たちは、それらを打ち壊す必要があります。

ときどき私は女性がこう言うのを聞きます。「夫は私のことを愛していない。」しかし、本当にその妻を愛している夫であっても、妻に献身的な夫で、誠実な人生を送る夫であっても、彼女の頭の中に悪魔が造った要塞があるため、その女性は事実を見ることができなくなりました。

そして、私たちが人に対して立てている頭の中の障害物とは何でしょうか?また、私たち自身に対して立てている障害物は?例えば「私は愛される資格がない。」「私は独りぼっちだ。」「自分の配偶者を幸せにすることはできない。」「私は敗北者だ。」「私は愚かだ。」「人前で話せない。」「人間関係を築くのが苦手だ。」「英語、韓国語を習得する能力がない。」「人を赦すことができない。」「悪い習慣をやめることができない。」「体重を減らすことができない。」などなど、、キリがありません。

皆さん、私たちクリスチャンは、できないことがないことをご存知ですか?なぜなら、聖書には「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)と書いてあるからです。しかし、私たちができないと思い込んでいる理由は、できないと信じさせている要塞があるからです。私たちがしたいことについては、何も制限するものはありません。クリスチャンはどんなことでもできるのです。

そして、恐れという要塞がありますが、みなさんの恐れは何ですか?狭い空間を恐れたり、暗闇を恐れたり、誰かに傷つけられることを恐れたり、みんなが自分のことをどう思うかを恐れたり、高いところを恐れたり、群衆を恐れたりする人もいます。

また、他人に対する視点、観点も、私たちの思いの中にある要塞です。みんなそれぞれ、他人に対して意見を持っています。話し方について、服の好みについて、その人の「物の見方」について、意見があります。しかし私たちが「その人はこういう人だ」と信じているその考え方と、神がその人について思っていらっしゃる考え方は、本当に同じでしょうか?

そして、私はうつ病も一つの要塞だと思っています。もちろん、うつ病には様々な要因があるのは知っていますが、うつ病と戦っている人は、それが精神の中にある要塞だと、ちゃんと捉えて取り扱う必要があります。そうすれば、驚くべき結果を見ることができます。

またお腹の空腹も頭の中、思いの要塞のひとつであることを覚えてください。最近の科学では、私たちの体は、21日間、何も食べなくても生きられる十分なエネルギーが体の中に蓄えられているそうです。そうしたら、私たちが何か食べたいと思うときに、実は体は何も食べ物を要求していなかったことになります。なぜなら、十分な蓄えがあるからです。では、なぜお腹がすくのでしょうか?体は空腹ではないのに、それは思いの中にある要塞、つまり間違った食習慣や余計な心配のためです。

実は食に関して、私たちの頭の中には、多くの要塞が存在します。その一つが、「食べなくてはいけない。」という思いです。しかし、本当は必要ないのです。ある人は、体に21日間ではなく、40日分の蓄えがあるから40日間食べなくてもいいと、言う人もいます。だからイエス様が40日間断食したと言うわけです。また、「コーヒーを飲まなくては!」と言う人もいますが、それも必要ありません。「私は飲まないと機嫌が悪くなる。」という人がいますが、飲み物、食べ物がいつから人間の機嫌を左右するようになったのでしょうか?それは、すべてウソであり、頭の中にあるサタンが造った要塞であって、それを打ち壊さなければなりません。また、アルコール依存症にも同じことが言えます。体がアルコールを必要としていると言いますが、本当は必要としていないのです。それも一つの精神的な要塞です。それに打ち勝つ必要があります。また、砂糖(糖分)を必要とする思いの要塞にも打ち勝つ必要があります。糖分は私たちの体の中にある癌細胞に餌を与えることだから、直ちに断ち切らなければなりません。

また、夜眠るための薬、睡眠薬を必要とする思いの要塞にも打ち勝つ必要があります。そういう要塞はいっぱいあります。私たちはいろいろな例を上げることができますが、実際にその頭の中にある要塞に打ち勝つためには、どうしたらいいのでしょうか?それは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの思いを新しくしてもらうことです。

頭の中の悪魔が立てた要塞は、すべて崩されるべきですが、そのためには、具体的に三つの事をしなければなりません。

まず一番目、その要塞を見分けることです。そういう要塞があることを私たちが知らない限り、それを取り除くことができません。そして二番目、神の御言葉によって私たちの思いを新しくしてもらうことです。だから、御言葉を読まなければなりません。その御言葉を読むことが、私たちの思いを新しくする唯一の方法だからです。そして最後に三番目、私たちが、とりこになっている、その思い込み、考え方を取り除いて、今度は方向を転換して、神様に従う者になることです。まさに、これが真の悔い改めです。

ローマ書12:2、「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

愛する皆さん、私たちが、私たちの考え方が変えられるように、神様と御言葉に委ねる時、新しい人へと、神様はすぐに変えてくださり、喜び溢れる人にならせて下さいます。それは真の自由人になる近道です。そういう人は、必ず真の祝福された人生に変わるんだということです。ぜひ皆さん、こういう御言葉の人になって変えられた人生を楽しむ、真のクリスチャンになってください。それが神のみこころです。それでは、お祈りして終わりたいと思います。

愛する天のお父様、私たちの頭の中には様々な要塞があることがわかりました。その要塞によって私たちの行動が支配され、肉体的にも問題が生じています。また、その要塞によって、私たちの夫婦関係も悪くなり、私たちの人生はダメになっています。

主よ、私たちの家庭内での悪い体験から、私たち夫婦関係にも影響を与えました。あなたが与えてくださったプレゼントである夫や妻のことを、あなたの目線で、あなたの観点で見ることができますように。今まで私たちは敵が頭の中に入れ込んだウソを信じて来ました。また、あなたについてのウソや、誰かのことについてのウソ、また私たち自身についてのウソを信じて来ました。悔い改めます。赦してください。どうぞ主よ、今こそ、私たちの思い、考えをきれいにしてください。私たちの考え方を新しくして下さい。人生の見方を、新しくして下さい。主よ、過去の悪い体験に縛られ、人生を引っ張られたくありません。敵のウソに騙されたくありません。私たちを自由にしてください。ただただあなたの御言葉の真理によって導いてください。本当に自由になりたいです!

主よ、今この時間、イエスの御名によって、悪魔のウソを断ち切ります。今イエスの御名によって、宣言いたします。私たちの中にある悪魔のウソを、すべて断ち切ります。私にはアルコールが必要だと、タバコが必要だと、ウソをつく悪霊、悪しきものを、イエスの御名によって、断ち切ります。また、夫や妻のことを悪く思ったり、自分自身のことを悪く思ったりする、悪魔のウソを、イエスの御名によって、断ち切ります。(どうぞ皆さん、自分の言葉で宣言してください。自分の悪習慣を断ち切る祈りを5分間、、)主よ、今までの私たちの悪習慣を、すべて断ち切ります。あなたから来てない他人に対する悪い思いを断ち切ります。また自分自身に関する、頭の中にある要塞をも、イエスの御名によって、打ち砕きます。御言葉に、『真理はあなたがたを自由にする』と書いてある通りに、どうぞ主よ。私たちを自由にしてください。イエスの御名によって、私たちはもう自由人です。ハレルヤ!感謝します!イエス様の御名によって、お祈りします。アーメン
合計 137
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New ヨブ記6:21-27(慰めの秘訣)
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ヨハネの福音書16:25-33(わたしはすでに世に勝ちました)
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ヨハネの福音書 14:1-5(変えられた言葉が新しい人生を造る)
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ヨハネの福音書6:1-13(頭ではなく、ハートで働く)
tbic | 2024.03.03 | 推薦 1 | 閲覧数 23
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ヨハネの福音書15:15(最後の瞬間まで主を求めなさい)
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ヨハネの福音書1:43-46(美しいウソより、ありのままの真実が強い)
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使徒の働き20:24(ビジョンは使命と賜物)
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