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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

使徒9:1-16 (使命の道には苦難が伴う)

投稿者
tbic
投稿日
2022-03-20 18:53
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272
使徒9:1-16 1.さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅かして殺害しようと息巻き、大祭司のところに行って、2.ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めた。それは、この道の者であれば男でも女でも見つけ出し、縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。3.ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。4.彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」5.彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。6.立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる。」7.同行していた人たちは、声は聞こえてもだれも見えないので、ものも言えずに立っていた。8.サウロは地面から立ち上がった。しかし、目を開けていたものの、何も見えなかった。それで人々は彼の手を引いて、ダマスコに連れて行った。9.彼は三日間、目が見えず、食べることも飲むこともしなかった。10.さて、ダマスコにアナニアという名の弟子がいた。主が幻の中で「アナニアよ」と言われたので、彼は「主よ、ここにおります」と答えた。11.すると、主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』と呼ばれる通りに行き、ユダの家にいるサウロという名のタルソ人を訪ねなさい。彼はそこで祈っています。12.彼は幻の中で、アナニアという名の人が入って来て、自分の上に手を置き、再び見えるようにしてくれるのを見たのです。」13.しかし、アナニアは答えた。「主よ。私は多くの人たちから、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。14.彼はここでも、あなたの名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから与えられています。」15.しかし、主はアナニアに言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。16.彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。」

 

私たちクリスチャンは祈りながら、ある働きを使命感をもって始めます。しかし、思った通りに、うまく行かない時があります。むしろ、苦難が続く場合があります。

つまり私たちクリスチャンの人生、その使命の道には、使命と共に苦難が伴います。こういう風に与えられた使命の中に苦難が伴うことを「自分の十字架」だと言います。だから使命を持っている人生には、使命と苦難がセットでやって来るのです。これを私たちは「二重使命」だと言います。
  1. サウロ(パウロ)の二重使命です。
今日の本文には自分の十字架(二重使命)を負って、人生を生き抜いた一人の人物が出てきます。後にパウロと呼ばれるサウロです。彼は、最初は反キリスト者で、イエス様を信じる人々を逮捕するために、ダマスコという町に向かいました。しかしその途中、驚くべき出来事を体験します。突然、天からの光が彼を照らしたのです。だから彼は地面に倒れ、盲目になり、何も見えませんでした。ただ、ある声がしたのですが、イエス様だったのです。そして、そのイエス様から新しい使命が彼に与えられます。

本文の使徒9:6 「立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」 誰かがサウロ本人に、これからどういう風に生きるべきかを告げると、主がおっしゃったのです。この話を聞いたサウロは人々に手を引かれ、ダマスコに入ります。そして、そこで三日間、目が見えず、また飲み食いもしませんでした。サウロがこういう経験をするとき、また別の出来事が起きます。

本文の使徒9:10 『さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ」と言われたので、「主よ。ここにおります」と答えた。』 サウロがイエス様に出会い、倒れて、声を聞いた後、三日間何もしなかったそのとき、ダマスコにいたアナニヤにも驚くべき出来事が起きました。

つまり、アナニヤが幻を見たのですが、幻の内容が何ですか?本文の使徒9:11 『すると主はこう言われた。「立って、“まっすぐ”という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。」』幻の中で現れたイエス様はアナニヤに新しい任務を与えます。何ですか?直ちに立って「まっすぐ」という街路に行き、サウロというタルソ人を尋ねなさいという命令でした。しかし、アナニヤはこの命令を簡単に受け入れることが出来ませんでした。尋ねる対象が全然納得の行かない人だったからです。本文の使徒9:13 『しかし、アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。」』

アナニヤは既に、たくさんの人々からサウロについて、話を聞いていたのです。エルサレムでクリスチャンに対する迫害が本格的に始まったとき、多くの人々が散らばってダマスコまで来たと思います。彼らは多分、クリスチャンを捕まえて牢屋に閉じ込めたり、直接殺すことも熱心だったサウロのことも分かったはずです。アナニヤは「クリスチャンに対して、怒りと敵意をもったサウロを尋ねなさい」というイエス様の命令を、簡単に受け入れることはできませんでした。更に、サウロはダマスコにいるクリスチャンたちを捕まえる権限をもって、ダマスコに入っていた人物です。こういう人を尋ねなさいという主の命令は、受け入れがたいとても難しい命令だったと思います。

しかし、イエス様はアナニヤに、もう一度言われます。サウロはどういう人で、これからどういう使命をもって歩むべき人なのか、この二つを明確に言われました。それが何ですか?

① サウロの一番目の使命です。
使徒9:15 『しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。」』イエス様はサウロが福音伝道のために用いられる「選びの器」だと言われました。「選びの器」とは、多くの器の中で一つを選び、残りはあきらめることです。つまり偶然に得た器ではなく、主が直接選んだ器だという意味です。

サウロが選ばれたのは、金の器のように尊い器だからではなく、また、他人よりすぐれた器だからでもありません。多くの人々と同じく土の器ですけれども、神が主権的に彼を選んだということです。つまり、福音を伝えるための器として選ばれたのが、サウロでした。これがサウロの一番目の使命です。

そして次が② サウロの二番目の使命ですが、ここに「自分の十字架、二重使命」が出てきます。
本文の使徒9:16 「彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」つまり、サウロのもう一つの使命は、福音を伝える使命を全うするために、彼が受けるべき苦難のことです。サウロがこれから受けるべき苦難は、彼が選択したものではありません。主のみこころによって用意された必然的使命でした。これがサウロの二番目の使命です。

このサウロの使命をまとめれば「福音伝道」と「苦難を受けること」この二つの使命です。イエス様のこと(十字架と復活)を全世界に運ぶ福音伝道の働きと、その名を伝える時に、ついて来る苦難、これが彼への明確な使命でした。彼は異邦人とユダヤ人たちにイエスの御名を宣言するとき、その御名のために、人々から苦難を受けることになっています。これがサウロに与えられた「自分の十字架、二重使命」でした。

そうしたら、私たちの十字架、二重使命は何ですか?
  1. 私たちの二重使命です。これはサウロにだけ与えられたものではありません。この地上でクリスチャンとして生きる私たちにも、同じ使命が与えられています。私たちがクリスチャンとして、福音を伝える器として用いられるとき、その福音のために苦難を受けます。同じ使命が私たちにも与えられているからです。

    そうしたら、私たちがこの使命を全うできる方法は何でしょうか?三つの質問に、ちゃんと答えることです。

    ① 「誰が自分の人生の主人なのか?」という質問です。

    サウロは自分の信念が強い人でした。自分の出身に対するプライドも高かったし、自分が真理だと信じている宗教に対する信念も強かったのです。更に、自分がもっているユダヤ人としてのアイデンティティー、また自分の力で積み上げた知識の豊富さは半端ではありませんでした。

    ピリピ 3章を通して、サウロは自分の強かった信念を、こういう風に告白します。ピリピ3:5-6 「私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのへブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。

    こういう風に、サウロにとって人生の主人は、自分自身でした。強い信念で武装した自分の思いがいつも真理であり、その価値観が人生の中心だったのです。その信念に従って、サウロは自分自身が人生の主人だったということです。しかし、そのサウロに人生の主人が変わる転機が訪れます。クリスチャンを捕まえるため、ダマスコの近くまで来た時、イエス様の前で倒れる出来事が起きます。その時が彼にとって、人生の主人が自分からイエス・キリストへ変わる瞬間でした。その時、彼の唇を通して、出て来た告白が何ですか?使徒9:5 「主よ。あなたはどなたですか?」突然、天から光が彼を照らし、声が聞こえたんですね。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか?」それを聞いて、サウロは「主よ」と告白しました。
ここで「主よ」とは、単純な尊敬の意味ではありません。これはイエス・キリストがこの世の支配者であり、「私の人生の主人です」という告白です。今までとは違って、これからサウロは、イエス様を主人として仕えるという決断の告白でした。その道がどんなに険しい道でも、新しい主人のための人生を生きると、彼は決心したわけです。イエス・キリストを、人生の主人として告白したサウロは、その後、自分の十字架を負い、二重使命を全うします。

こういう風にサウロが、自分の二重使命を全うした一番目の秘訣は何ですか?「誰が自分の人生の主人なのか?」という質問に、ちゃんと答えがあったから、二重使命を全うしたのです。つまり、自分自身の信念が主人だった時に、ダマスコの近くで出会ったイエス・キリストを、自分の人生の本当の主人として受け入れ、それに対する揺れない信仰があったからこそ、彼は与えられた使命を全うしたわけです。

そうしたら、私たちの人生の主人は誰でしょうか?言うまでもなく、私たちも自分の信念ではなく、イエス・キリストが私たちの真の主人です。この信仰が揺れない時、私たちも与えられた二重使命を全うすることができます。

また、二重使命を全うできる方法は、② 「何のために生きるべきか?」という質問です。

サウロは人生の主人であるイエス・キリストに出会ってから、「何のために生きるべきか」という人生の目標を発見しました。サウロがアグリッパ王の前でこう話す場面があります。イエス様がサウロに言われた御言葉です。

使徒26:16 「わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、またこれから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。

つまり、イエス様がサウロに現れたのは、「奉仕者、また証人」として用いるためだとあります。ここで「奉仕者」という言葉が出るのですが、これはとても大切な表現です。

この「奉仕者」とは、ギリシャ語で「フィペレテン」ですが、元々ローマの戦艦の一番下で、戦艦をこぐ奴隷を意味します。彼らは、ほとんど死刑に当たる重罪を犯した犯罪者でしたが、執行猶予されて、労役に務める者たちでした。だからただ命令に従って、死ぬ時まで船(戦艦)をこぐしかない運命だったのです。サウロはこの単語(奉仕者)を使うことによって自分自身がキリストにとらわれ、ただ福音を伝える使命だけが与えられた奴隷だということを表しています。
サウロはアグリッパ王の前で、自分がイエス・キリストによってとらわれ、奴隷のようなしもべ、奉仕者として生きて来たと話します。とらわれた奴隷としての働き、ミッションを意味します。
使徒26:18 「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、
つまり、サウロが全うすべきミッションは、人々を暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせる働きでした。サウロはこの働きに自分の命をかけ、その命を惜しまずにささげました。実際に、たくさんの異邦人たちを暗闇から光に立ち返らせ、具体的なミッションを成功させました。それに伴う苦難を否定せず、その「二重使命」を全うしたわけです。こういう風に、サウロが二重使命を全うできた秘訣は何ですか?「何のために生きるべきか」という質問にちゃんと答え、確かなミッションがあったからです。彼は自分を、福音を伝える奴隷だと宣言し、命をかけて、多くの人々を暗闇から光へ取り戻そうとしました。これが彼の使命であり、生きる理由だったのです。だからこそ、彼は二重使命を全うできたわけです。

そうしたら、私たちは何のために、どういう目的で生きるべきでしょうか?命をかけるほどのミッションが、皆さんにはありますでしょうか?それによって幸せになり、喜び溢れる人生を生きられる、そういうミッションが私たちにも絶対に必要です。こういう風に「何のために生きるべきか」という質問に、ちゃんと答えられる時、私たちは苦難があってもどんなことがあっても、二重使命を全うできると思います。

最後③ 自分の十字架、この二重使命を全うできる方法は、「何に頼るべきか?」という質問です。

サウロには自分の肉体を苦しめる一つのとげがありました。そのため、とても大変な人生を生きて行ったのです。だから、彼はそれが癒されるように、三度も主に願いました。命をかけた三度の祈りでした。しかし主からの答えは、第二コリント12:9『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。』癒しは「ノー」だったのですが、この9節の後半のところに「キリストの力が私をおおう」という言葉が出るのです。これはギリシャ語の意味では<エピスケノ, to fix a tent>「私をテントでおおう」という意味です。 だから、 9節の後半のところをギリシャ語の意味で変えれば「ですから、私は、キリストの力が私をテントでおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」となります。

テントを作って宣教活動をしたサウロにとって、キリストの力は最高のテントでした。そのテントは自分の知識と出身、自分の自慢が現れる時は、あまり効果はありませんでした。自分がもっているものに頼れば頼るほど、キリストの力のテントは、自分をおおっていなかったことに、彼は気づいたのです。しかし自分の力、自分がもっているものに、頼ることが少なければ少ないほど、キリストの力のテントは自分のテントとなるんだということを、サウロは悟りました。そして、ただ自分の弱さを、ありのままの姿で主に頼るとき、キリストの力のテントが自分をおおっていることが分かったのです。サウロが大いに喜んだ理由が、まさに、ここにあります。

もちろん、三度も癒しを求めたが、拒まれ、体はボロボロでしたが、キリストの力のテント、つまり、キリストの守りが自分にとどまっている、この偉大な恵みの中で生きられることに、彼が気づいた瞬間、彼の喜びは想像を絶するものになったということです。サウロが自分の十字架、この二重使命を全うできた三番目の秘訣がここにあります。「何に頼って生きるべきか?」という質問に対して、キリストの力のテントが自分をおおっていることに気づいたからです。つまり、弱い時こそ強くなる、キリストの力のテントに頼る信仰があったから、彼は自分に与えられた使命を全うできたと思います。

私たちも同じです。自分の弱さをおおって下さるキリストの力のテントの中にとどまるとき、与えられた使命を全うできます。だから、私たちの真の主人である、キリストの力のテントをおおって生きる、知恵ある人になってください。それが賢い人生だと思います。

祈り、

愛する天のお父様、世の中で私たちがクリスチャンとして生きる時、私たちもサウロのように使命と苦難、この二重使命をもって生きる人生です。それは、神様が福音のために、サウロを選んだように、私たちも選んだからです。だから、サウロが受けた苦難も、形は違うかも知れませんが、私たちも受けなければなりません。どうぞ主よ、私たちに与えられた、この「二重使命」を全うできますように。そのため、「誰が人生の主人なのか?何のために生きるべきか?また、何に頼って生きるべきか?」という質問に、ちゃんとイエス・キリストだと答えられる真のクリスチャンになりますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン!
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