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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

詩篇103:1-5 (感謝の詩)

投稿者
tbic
投稿日
2022-04-03 18:59
閲覧数
550
詩篇103:1-5「わがたましいよ 主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ 聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は あなたのすべての咎を赦し あなたのすべての病を癒やし あなたのいのちを穴から贖われる。主は あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ あなたの一生を 良いもので満ち足らせる。あなたの若さは 鷲のように新しくなる。」

感謝の詩

詩篇103篇は、ダビデの感謝の詩です。感謝は礼拝の重要な要素です。もちろん、感謝の心がなくても神の価値を認めることはできます。しかし、感謝の心は神の恵みを理解し、体験している表れなのです。

ダビデは礼拝にあたって、自分の心を整えます。まず、神から受けた恵みを思い起こします。次に、自分がその祝福にどれほど値いしないかを考えます。その結果、感謝の心に満たされ、神によって創られた全てのものがダビデと共に神を礼拝するように勧めているのです。

詩篇103篇は、150ある詩篇の中でも特に印象的です。詩の構成も芸術的に巧みに組まれています。日本語訳では明確に認識しにくいですが、この詩篇は交差対句法(中心に最も言いたいことを配置する表現法)によって書かれています。以下のように、対になっている言葉を拾っていくと、この詩篇の主題が、「人間のはかなさと比べて圧倒的に素晴らしい神の偉大さ」であることが見えます。

A わがたましいよ。主をほめたたえよ(1a)

B 主はすべての必要を満たされる(1b-5)

C 正しいことを行われる神(6)

D 主はご自身をイスラエルの子らに知らされた(7)

E 主の永遠のあわれみ「いつまでも」(8-9)

F 主が民をどのように扱うか「せず・ない」(10)

G 主の優れた偉大さ「ように」(11-14)

G 人の哀れなはかなさ「ように」(15)

F 現実が人をどのように扱うか「ない、ない」(16)

E 主の永遠の恵み「とこしえに」(17a)

D 主の義はイスラエルの子らの子らに及ぶ(17b)

C 正しいことを行う者(18)

B 主が治めるすべての者は主をほめるべき(19-22a)

A わがたましいよ。主をほめたたえよ(22b)

(Gが主題)

詩篇103篇は、ヘブライ語でユダヤ人の視点から読むのと、日本語訳を読むのとでは、だいぶ印象が異なります。まず、日本語に含まれていないニュアンスがヘブライ語に含まれていること。そして、この詩の背景に、モーセの契約があるからです。この詩篇の本当のすばらしさを理解するには、神がイスラエルの民と結んだ契約という背景を知ることが重要です。

モーセの契約は、イスラエルの民と、彼らの主としてご自身を明かにされた創造主との間に結ばれた契約です。それは教会とキリストとの間で結ばれた契約と異なります。そのため、主とイスラエルの民との間では、他の異邦人たちには無関係な約束や決まり事があったのです。イスラエルは、律法をすべて守れば、すばらしい祝福の約束が与えられていました。同時に、彼らが律法を破れば、異邦人が体験しないような災いが降り掛かれることが約束されていました。

ダビデは、そのような特別な契約と責任が与えられている、特別な民の王としてこの詩篇を書いたのです。ですから、この詩篇に書かれているすべての約束はイスラエルに向けて書かれています。私たち教会が、自分たちに与えられていない約束に信仰を持ったとしても、その信仰が報われる保証はありません。

しかし、ここに書かれている多くの原則は時代を超えて、すべての神の民として呼び出された人たちに当てはまります。その原則とは、神の約束の背後にある「神の愛と恵みと不変さ」です。主がイスラエルの民に与えられた約束に忠実でいてくださったように、主が教会に与えれらた約束に、同じ愛と恵みと不変さをもって、忠実でいてくださる、という確信を持つことができるのです。

ダビデの賛美(103:1-5

103:1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

ダビデは、自分の心に主をほめたたえるよう言い聞かせます。ここで「たましい」と訳されているヘブライ語は「ネフェシュ」という言葉です。これは元々「喉」を指す言葉ですが、そのうち、人の「息」や「いのち」を指すようになりました。人は喉を通して呼吸をし、その息によって生きるからです。息をしなくなったら、その人のいのちが終わったと彼らは考えたのです。

同時に「ネフェシュ」という言葉は、人間の感情を司る器官としても理解されていました。ここでの「たましい」は霊魂のことではなく、心の感情や意思のことを指しています。ダビデは自分の心の中にある感情が、主をほめたたえることができるように準備しているのです。

ここで「主」と訳されているヘブライ語は「ヤハウェ」です。この「ヤハウェ」という名前はモーセの契約をイスラエルの民に思い起こさせる時に使う特別な名前です。次の「聖なる御名」とは、比べるものがないほど優れた御名のことを指します。当時、人の呼び名は、その人の価値や働きや地位を示すと考えられていました。聖書にいくつも登場する神の名前は、目に見えない神がどのような存在であるのかを私たちに教えてくれます。

ヘブライ語で「主の良くしてくださったこと」は、一つの名詞です。この言葉を直訳すれば、「利益」という意味です。特別な主との契約があることによって、その民だけが体験できる有利さを忘れてはいけないということです。ここで「忘れる」とは、ただ物忘れをしているのではなく、心が高慢になり、神から与えられたものを当たり前に考えている心の状態を指していると思われます。II歴代誌32:25には、「ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた」と書かれていますが、この「恵み」に同一の単語が使われています。では「主の良くしてくださったこと」=「利益」の中身を見ていきます。

主の契約の民に与えられていた利益

103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、

ここでの利益は、主と契約関係を持っている民だけが体験できるものでした。まず、主はモーセの契約の中で、イスラエルの民のすべての罪を赦すことを約束されました。

主は、モーセに「主、主は(ヤハウェは)、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者(出エジプト記34:6-7」と言われました。それに対してモーセは、イスラエルの民が非常に強情であることを認め、彼らの「咎と罪を赦し、私たちをご自身のものとしてくださいますように(34:9」と求めました。主は、「今ここで、わたしは契約を結ぼう(34:10」と約束して彼らの罪を赦すことを約束されました。

詩篇130篇に、「イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。主は、すべての不義からイスラエルを贖い出される。」と書かれているように、彼らは契約の民であることを条件として、彼らのすべての罪が赦される希望を持てたのです。

二つ目の利益として「あなたのすべての病をいやし」と書かれています。この聖句もモーセの契約という背景を無視しては、解釈できません。ここで、「病」と訳されているヘブライ語は、いわゆる一般的な病気を指す言葉ではありません。ここで使われている言葉は、神との契約を破ることによってイスラエルの民に降りかかる、特別な裁きの病のことを指しています。

ここで使われている「病」というヘブライ語は、聖書の中でこの箇所を含んで5回しか登場しないことからも、特別な用語であると分かります。モーセの契約がイスラエルと結ばれた時に、もし彼らが契約に従わず、神から離れ、偶像を礼拝するようなことがあれば、裁きの一つとして、病が下ることが約束されています。(参照:申命記29:21-22)重要なのは、これが義人でもかかる一般的な病気ではなく、 罪のゆえに「主が起こされた」特別な裁きの病と書かれていることです。

この裁きを体験したイスラエル人として唯一記録されているのは、神の前で多くの悪を行ったヨラム王です。「主は彼を、その内臓を打たれた。彼は不治の病になった。年は巡り、二年の終わりが来ると、彼の内臓は病のために外に出てしまい、ついに彼は重病の床で死んだ。彼の民は、彼の父祖たちのために香をたいたようには、彼のために香をたかなかった。(II歴代誌21:18-19

この特別な「病」という言葉が使われている他の2カ所も(参照:エレミヤ14:1816:14)、神がイスラエルの罪のゆえに特別に下される災いについて書かれている箇所です。つまり、ここでダビデが語る利益とは、神が私たちの、どのような病気でも癒やしてくださるということではありません。イスラエルの罪を赦される神が、特別な裁きの「病」を取り除いてくださるということです。

このような災いが下される可能性は、教会時代にもあります。キリストの流された血によって実現した教会の一致を象徴する聖餐式を、わきまえないで行う人たちに与えられる災いがそれです。「したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。(Iコリント11:27-30

しかし、クリスチャンが体験するすべての病気が神の裁きの表れではありません。パウロは、弟子のテモテに「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにも、少量のぶどう酒を用いなさい。(Iテモテ5:23」と教えました。たびたび病気になるのは、義人でも避けることができない現実です。その場合には、罪から悔い改めるのではなく、その病状にあった薬を取る必要があるのです。歴史を通して既に私たちが知っているように、神が全ての人の全ての病を癒やされないことは明確です。ですから詩篇103:3のみことばを時代背景と文脈を無視して読むと、間違った信仰観を持つ結果につながりかねません。

後半では、4〜5節の解説と、私たち現代に生きるクリスチャンへの適用を学びます。

103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

ここで「穴」と訳されているヘブライ語は、死者が宿る場所、ヘブライ語で「シオル」を指す言葉として使われることが多くあります(参照:詩篇16:1030:949:955:24)。シオルとは地獄のことではなく、義人も悪人も死んだら下る場所として考えられていました。

あなたのいのちを穴から贖い」という表現は、最低限、早死にすることからの救い(参照:詩篇6:528:1)、または低い質の生活からの解放、または死者の間からの復活を意味していると思われます。

申命記の記録によると、モーセの契約を覚え、律法を守ることによって長寿が約束されていました。「きょう、私が命じておいた主のおきてと命令とを守りなさい。あなたも、あなたの後の子孫も、しあわせになり、あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続けるためである。(4:40」イスラエルの民には、律法を守ることによって、敵からの救い、戦いでの勝利など、様々な守りが約束されていました。

詩篇の中には、死からの贖いについて語る箇所が複数あります。特に詩篇49篇がその代表例です。詩篇の著者は、主が神の民を墓から買い戻してくださると教えています。ダビデは、詩篇16:9-11で義人の復活を歌っています。ダニエルも義人の復活について教えています(参照:12章)。

ダビデがどのような意図を持って穴からの贖いを歌ったのかは正確にはわかりません。しかし、どのような意味であったとしても、これはモーセの契約を与えられた民でなければ感謝できない利益の一つであると言えます。

4節によると、主が与えてくださる利益は、「恵みとあわれみとの冠をかぶせてくださる」ことだと書かれています。

ここで「恵み」と訳されている言葉は、ただ神が与える一方的な恵みを指す言葉ではありません。ここで使われている「ヘセッド」という言葉は、神が契約に対して誠実でいてくださるという、一方的な神の愛情を示す専門用語であり、契約関係が存在することが前提となる言葉です。

この言葉は一度だけ人間同士の間で愛を示すために使われていますが(参照:詩篇141:5)、それも同じ民であり、同じ契約の神を恐れている前提がある文脈の中で書かれています。

「ヘセッド」は、イスラエルの民が契約の約束を放棄して、罪を犯したとしても、神の変わらない彼らに対する愛情と誠実さを伝える言葉です。「あわれみ」とは、神の謙虚さと、近さと、忍耐深さを思い起こさせる言葉です。

「冠」は、王に捧げるのに相応しい装飾です。つまり、主は契約に従って彼らを死から購うだけではなく、彼らを貴族として扱い、愛と優しさと赦しを彼らに与えると書かれているのです。

103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。

5節は日本語では二文になっていますが、ヘブライ語では一つの文章です。この節を原語から翻訳をするのは難しいのですが、 「(主は)あなたのいのちを良い物で満たしてくださったので、あなたの若さは取り戻され、鷲のようになった」と訳すと、本来の意味が上手に伝わると思います。

モーセの契約が与えられていたイスラエルの民は、もし神を愛し、他の偶像を礼拝しないのであれば、神が彼らを祝福し、栄えさせると約束されていました。申命記11:13-15には、「もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。また、わたしは、あなたの家畜のため野に草を与えよう。あなたは食べて満ち足りよう。」と書かれています。それ以外にも、神との契約を守ることによって良い物がその人の人生を満たすという約束が繰り返し書かれています。(参照:申命記11:12219:930:16 20、ヨシュア記 22:5 23:11

聖書の中で、鷲は、神が与える力の象徴です。有名な箇所では、イザヤ書40:31、「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」がありますが、イスラエルをエジプトの苦役から救った神の力を指すことにも使われます。

あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。(出エジプト19:4-5

つまり、神がイスラエル人を救った力と同じ力が彼らの中で働き、その偉大な力によって彼らが心身ともに強められるという印象をこの節から受けます。

この節が教える利益は、ユダヤ人が律法の言葉に従う時、主は彼らの人生の質を豊かにし、彼らの力を回復させるということです。

教会時代への適用法

聖書に書かれているすべての御言葉は有益です。しかし、その有益さは、読者がどれだけ時代背景、文法、また言語を正しく理解しているかによって左右されます。ですから、聖書を読む時に、それがいつ、誰に向けて、何と書かれているのかを問う必要があります。

この詩篇103篇は、神の民に属していることがどれほどの特権なのかを教えてくれます。ここで、モーセの律法の下にいない教会がどのようにこの詩篇を用いて神を礼拝できるかを考えましょう。

まずは、感謝の心です。神の約束と働きを思い起こすことによって感謝が生じると学べます。神を礼拝する時、私たちの心の喜びの大きさは、私たちの主に対する知識の量と比例します。神の偉大さを正しく聖書から理解していない状態で、「知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。(ルカ10:27」という神の期待を満たすことはできません。

二つ目に、キリストと結ばれたことによって約束されている数多くの霊的な利益と祝福を思い起こすことです。当時のユダヤ人は、神がモーセの契約を通して約束された祝福に希望を置いて、神に感謝することができました。現代の教会時代に属する人々はモーセの契約の下にはいません。

しかし、ユダヤ人がモーセの契約を通して約束された祝福と利益を主に感謝できたように、現代のクリスチャンたちも同じようにキリストと一つに結ばれたことによって、与えられている数多くの祝福を感謝できます。私たちの感謝が止む時は、私たちがキリストによって約束されている祝福を忘れている時です。当時の人たちが、主に属する利益を何一つ忘れてはいけなかったように、私たちもキリストに属する利益を常に心に蓄え、その知識を神の家族の間で分かち合う必要があります。

そして、三番目に、当時のユダヤ人と、今の教会に与えられている約束や祝福の内容が異なっていたとしても、常に変わらない誠実さを持って、それぞれへの約束を忠実に守ってくださる神に感謝することです。

聖書には「神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。(民数記23:19」と書かれています。

大切なことは、神は一度約束されたことは必ず神の名に誓って守って下さるということです。そのため、私たちは聖書の言葉を自分の人生を豊かにする宝箱のように探り、神が教会に与えられている約束を見出し、それに信頼することによって、キリストに属する利益を体験できるようになるのです。

私たちはそれらを覚え、忘れないことによって、主をほめたたえることができるようになるのです。
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