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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

マタイの福音書5:1-12(幸いの正しい基準)

投稿者
tbic
投稿日
2022-07-19 09:15
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251
マタイの福音書5:1-12、その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。そこでイエスは口を開き、彼らに教え始められた。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。」

旧約聖書の最後の聖書がマラキ書です。マラキ書は4章まであります。ところがマラキ書の最後の節、4:6を読みますと、「彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」と書いてあります。これをヘブライ語で読みますと、最後の単語が「ハラム」、つまり「のろい」で終わるのです。だから旧約聖書の最後の単語が「のろい」です。そして旧約聖書と新約聖書の間、400年間神様の沈黙が続きます。この期間を中間時代だと言っているのです。

しかし新約聖書に来て、一番最初に出て来る神であるイエス様のみことばは何ですか?祝福の言葉、幸いの言葉です。つまり八つの幸いについて山上の説教が始まります。私は、これが劇的変化だと思います。神様はこの地上にイエス様を送ってくださって、イエス様を通して私たちが真の幸い(祝福)を受けることを願っておられます。今日は、イエス様の山上の説教、その教えを通して真の幸いが何か、皆さんと分かち合いたいと思います。そして私たちの教会と家庭、また私たち一人ひとりにこの幸いが与えられることを切に願います。

それでは、まず本文のマタイ5:1節に、イエス様が腰を下ろされたと記されていますが、1節、「この群衆を見て、イエスは山に登り、腰を下ろされると、弟子たちがみもとに来た。」このみことばを単純に読みますと、別に何の意味もないと思いますが、ここには深い意味が隠されています。こういうふうに座って話しするのはイスラエルの先生たち、つまりラビたちが教える時に、よく使う伝統的な方法です。だから「腰を下ろされた」という言葉は大事なことを公式的に発表するとき、使う決まり文句です。今の21世紀の状況に合わせて表現すれば、まさに記者会見のようなものです。つまり、本文の5:1節は、今の時の言葉では、「イエス様が記者会見を開いた。」という意味です。これは個人的な話ではなく、公式的な宣言、緊急の時総理大臣が記者会見を開くような、とても大切な王様としての公式宣言だということです。だからこのイエス様の山上の教え、八つの幸いの話はイエス様が意図的に王様として宣言なさった、とても大切な御言葉です。つまり、この山上の教えは私たちクリスチャンにとっては基準となる、とても大切な御言葉だということです。

それでは、まず一番目、イエス様が言われた幸いの意味、祝福の意味はいったい何でしょうか?それは内的変化を意味します。このイエス様の山上の教えの一番目の内容は、幸いについての定義です。それは何ですか?人間の幸いの本質は内的問題、霊的ものだということです。本文の3節から10節まで、もう一度、読みましょう。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

みんな内面の変化、内的変化です。だから真の変化は内的変化(内的改革)から始まるんだということです。これがイエス様の山上の教えの全体を理解する重要なカギとなります。

皆さん、この世の基準は何ですか?お金や名誉、権力、それを得ることが幸いの源です。To have、所有の問題、所有することがこの世の幸せです。しかしイエス様は何と言われますか? To haveではなく、To be、存在の問題です。つまり内的変化が幸せ(祝福)だとおっしゃいます。所有するのでなく、私が変われば(自分が変えられれば)幸せになるんだと。それが本当の祝福だとイエス様はおっしゃいます。

例えば、ソロモンを考えてみて下さい。この世の基準として、ソロモンより幸せな人はいないと思います。彼は尊い身分の王様です。ダビデの子孫としての血統的優越性を持っていたのです。彼の生活のよりどころは王宮でした。富がどれほど多かったのか、聖書を読みますと、金や銀は石のように溢れていたそうです。おいしい食べ物や何千頭の牛、馬、そういう財産がいっぱいあったわけです。そして女奴隷、男奴隷も何百人いて、妻だけ一千人いました。さらに知恵もあったのです。歴史上、彼より知恵ある人はいなかったと言われています。世の中ですべてのものを手に入れた人が、ソロモンでした。そうしたら、世の基準としては限りない幸せの持ち主がソロモンです。しかし、晩年の彼の告白は何ですか?伝道者の書1:2「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。」「人生、何もないんだ。空っぽだ。むなしいんだ。」ということです。

イエス様がルカ12:15で、何と言われますか?「そして人々に言われた。『どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。』」と。聖書の宣言です。私たち人間はこういう表面的物質のため、幸せになる存在ではありません。サウル王は王様になってから、ずっと落ち込んで悩みました。彼の王冠、彼の王座が慰めになりませんでした。だから本当の幸せは内的変化、自分が変わることによって与えられる喜びであること、自分が幸せを感じなければ本当の幸せではありません。しかしこの世は自分の理念と哲学で、「あれが幸せだ。これが幸せだ。」とずっと私たちに提案し続けています。騙されないでください。

こういう多元主義的な幸せ、ガラクタの幸せの概念はイエス様の時代にもたくさんありました。例えば、パリサイ人たちにとって幸せ、祝福の概念は何ですか?伝統を守ることでした。つまり律法を守れば、昔のことを維持し続ければ幸せになると。それが彼らの祝福の概念でした。だから私たちも時々過去のあの時、その当時が良かったと言います。過去に戻りたい気持ちが、たまにあります。その瞬間、パリサイ人になってしまいます。また、サドカイ人たちはどうですか?彼らはモダニスト、リベラル的な人々です。現在が答えだと言うのです。「存在することは現在だけだ。だから今を楽しめ。」と叫びます。2000年前の実存主義者たちが、サドカイ人たちでした。もちろん、彼らなりに言い分はあると思います。しかし少しの正しさがあるからと言って、私たちの人生をかけることは愚かなことです。騙されないでください。これらの幸せ、これらの祝福は本当の祝福ではありません。

そうしたら本当の祝福、本当の幸いは何ですか?八つの幸いです。イエス様の山上の教えが私たちの幸せの基準です。この山上の教えは私たちの人生の目標、行いの指針を指し示す、とても大切な御言葉です。イエス様は今までこの世が私たちに提案し続けたすべての幸せの概念を、全部間違ったとおっしゃいます。「わたしの国はそういうものではない。内的に成し遂げられる何かだ。心の中で何かが起きて、内なる人が変わることによって、成し遂げられる何かがわたしの国だ。」とイエス様はおっしゃいます。それは儀式も哲学も地位も関係ありません。今の状況と関係なく、ただ内なる人が変えられ、上から注がれる喜びによって感じられる幸せ、平安そのものです。それが真の祝福、真の神の国だとおっしゃいます。

だから主は言われます。サムエル記第一16:7、ダビデを王として選ぶときのみことばです。「しかし主はサムエルに仰せられた。『彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るように見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。』」箴言4:23に、「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」こういうふうに皆さん、ぜひ内なる人の変化を通して本当の幸い、真の祝福を受け取ってください。

二番目、真の祝福、本当の幸いは実際に変化を体験すること、行動に移すことです。

イエス様は明らかに私たちの内面(内側)を取り扱っておられます。そうすると、表面(うわべ)は全然関係ないでしょうか?そうではありません。内側が変われば、必ず外側も変わるはずです。本当の表面は本当の内なる人を通して変わるものです。

今日の本文でイエス様のみことばをちゃんと読みますと、ただ幸いを求め、それをもらったことで幸いではなく、何々をやっている者が、つまりある行動によって現れる、ある状態が幸いだとおっしゃいます。かなり実践的なものです。変化を求め、実際に変化した者、心の貧しい者が幸いだ、悲しい時に実際に悲しむ者が幸いだということです。だから幸せ、真の祝福はまじないのようなもの、呪術的に祝福を求め、それをもらったことではなく、変化した者自体が祝福です。しかし偶像崇拝の特徴は何ですか?私たちに変化を要求しません。変化なしに、ただ祝福だけくれればいいのです。自分はまったく変わらず、罪のままで祝福だけもらえばそれでいいのです。だから自分勝手に生きながら、ただ祝福だけを求めるのであれば、それはご利益の宗教、まじないそのものです。イスラエルの偶像、金の子牛、いものの子牛の信仰とまったく同じだということです。

しかし皆さん、真の祝福は何ですか?自分の変化です。うわべだけではなく、本当に私が内側から変わることです。自分が本当に変わるのであれば、それが祝福であり、真の幸いです。だから私たちは神の御前で祈りの内容も変わらなければなりません。基準です。「ください、ください」と求めるのではなく、「私を変化させてください」と、変化すればどんな状況の中でも適応できる人間、万能な人になります。それが私たちの祈りにならなければならないし、それが祝福です。だから変化すれば、必ずもらいます。とても簡単です。まさに器の問題です。金の器、銀の器、木の器、それは関係ありません。きれいな器に物が入るわけです。神はきれいな器を用いられます。

本文の5:8「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。」とはっきりおっしゃいます。だから皆さん、ぜひ変化を通して本当の幸いの祝福を受け取ってください。これがイエス様の山上の教えの大切なキーポイントです。

三番目、本当の幸い、本当の祝福は正しい方向を知ることです。

人生の中で速さは、あまり意味ありません。どれほど速く走るのかではなく、正しい方向が大切です。なぜかというと、方向が間違ったら、速ければ速いほどもっと遠くなりますから。だからイエス様の山上の教えは、私たちの信仰と人生の生き方を点検するよう促しています。もちろん、前に進んで走ること、前進することはとても大切です。しかし自分が今、果たして正しい信仰を持っているかどうかを、点検することはもっと大切です。

だから正しい方向を示す山上の教えは私たちのビジョンであり、目標、理想です。もちろん、理想というのは、もしかしたらそこまで到達できないかもしれません。つまりイエス様の山上の教えに、完璧に従って生きる人は誰もいません。ただ一生涯それを目指して進むしかできない私たちクリスチャンがいるのです。しかしその目標、そのビジョンが与える一番大きな力は何ですか?方向です。方向、今はすぐ到達できませんが、いつかは必ず到達できる明確な方向を示してくれます。だからビジョン(目標)が明確な人は方向が明確です。方向が明確な人は時間が彼の味方です。時間が経てば経つほど、その人は理想に近づく者になります。

しかしビジョン(目標)がない人は、方向がないから、どこへ向かったらいいのか分からないし、理想(目標)からますます遠く離れてしまいます。だからイエス様の山上の教えを通して、私たちが学ぶべき大切な教えは、ただ一つです。山上の教えから、ビジョン(目標)をいただくことです。そしてその目標、その明確な基準をもって正しい方向へ走る人生、それが私たちクリスチャンの人生だということです。

結論)
  1. 幸いの基準は表面ではなく、内的変化です。内なる人が変わると表面も変わります。
  2. 幸いの人生、祝福の人生はまじないではなく、自分の変化を通して実際に実を結ぶことです。だから「ください。ください。」ではなく、自分が変われば必ずもらいます。
  3. 山上の教えは私たちが必ず到達できる目的地ではなく、明確な方向を示す基準です。だからイエス様の山上の説教を通して、自分の人生の基準と方向を点検することです。
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