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詩篇 119:105

イザヤ書64:1-2(天を裂いて降りて来られる主)

投稿者
tbic
投稿日
2023-01-01 15:05
閲覧数
218
イザヤ書64:1-2「ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、山々はあなたの御前で揺れ動きます。火が柴に燃えつき、火が水を沸き立たせるように、あなたの御名はあなたの敵に知られ、国々はあなたの御前で震えます。」

今日、この世に絶対に必要なことの一つは、聖霊様が天を裂いて降りて来られることです。これが真のリバイバルです。聖霊の神様が降りてきたら、一番最初になさることは人々に罪の認識を覚醒させてくださいます。彼らが教会の中にいるか、教会の外にいるか関係なく、聖霊の働きは人々に自分の罪に対する気づき、自分の良心を咎めるような罪責感を感じさせる働きをされます。

しかし今日、多くの人々は罪を恐れず、罪を犯しても全然良心の咎めとか、罪責感がありません。本当に罪を恐れなければならないのに、教会の中でも外でも、罪を恐れません。これは言い換えれば、今日、罪を気づかせてくださる聖霊の働きが、あまりないという証拠でもあります。だから、今日一番必要なのは、聖霊様が天を裂いて降りて来られ、教会の中と外の人々に、罪に対する気づきを、罪を咎める働きを力強くなさることだと思います。そのリバイバルの日が一日も早く来ますように、私は切に祈っております。

ヨハネの福音書16:8、「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」だから、聖霊が臨んだら、すべての人々が、老若男女問わずに、みんなが悔い改めるようになります。特に自ら自分が一番敬虔で、清い、信仰の強い信者だと思っているクリスチャンであっても、聖霊が天を裂いて降りて来たら、自分の罪を実感して、謙遜に悔い改めるはずです。

皆さん、自分の罪に対する真の悔い改めがなければ、私たちは救われません。しかし、信者が真の悔い改めができない理由は何ですか?自分の罪に対する気づきが、自覚がないからです。つまり、罪責感、罪を恐れる自覚がないからです。それは聖霊が臨んでない証拠です。ただ聖霊が臨んだら、人々は自分の罪に気づき、自分が神様からどれほど遠く離れているか、ちゃんと分かります。そして、自分も神様から失われている者であることが分かります。

新約聖書に出てくる父の家を離れた放蕩息子が、失われた一匹の羊が、一枚の銀貨が、自分自身であることを、ただ聖霊が臨んだ時だけ、悟るようになります。本当に聖霊が臨んだら、信者は自分の生ぬるい信仰生活に気づき、その問題を悔い改めて、もっと神様と隣人を愛するようになります。それはただ聖霊が臨んだ時だけ、可能であります。

だから、今日こそ「聖霊が臨むリバイバル」が、私たちに絶対に必要です。ただ、人々がたくさん集まるリバイバルではなく、必ず聖霊が天を裂いて降りて来られるリバイバル、神の御前に立つという恐ろしさのリバイバルが必要です。もし、そのリバイバルが、まだ私たちに臨んでいないのであれば、私たちは聖霊のリバイバルを、切に求めなければなりません。いつもその方向へ私たちは進まなければなりません。他の方向はありません。

今日の本文のイザヤ書64:2に、「火が水を沸き立たせるように、」とは、聖霊の火が、溶岩が噴出するときのように、聖霊の炎が燃え上がる所には、生ぬるい信仰生活はあり得ません。炎があまりにも強いからです。このように、聖霊の働きが私たちに強く現れ、今日あちこち、いろいろな所に聖霊の働きが必要です。

聖霊の働きが強く現れたら、その結果として人々は悔い改めて自分の罪を断ち切り、悪い習慣から解放されて自由となり、高慢などの、どんな罪の束縛からも解放され、本当に自由となります。これは聖霊の働き以外には不可能なことです。実は、ほとんどの人々が罪の奴隷として生きるわけです。習慣的罪、怒りの罪、肉の情欲、高慢、利己主義。こういう罪を犯しているのに、ただ外側だけをきれいに飾れば、大丈夫だと思っています。だから、自分も他人もだまされて、自分が深刻な罪人であることを、気づきません。

しかし聖霊が火のように私たちに臨んだら、私たちは刺されて、どうしようもない状態で悔い改めざるを得ません。聖霊様が私たちの深い所を探り出して、ひっくり返すからです。だから自分が罪の奴隷として生きて行くし、このように生きるのであれば、必ず地獄に落ちる運命だということを初めて深刻に気づき、悔い改めるようになります。この働きは、ただ聖霊の働きを通してのみ可能であるから、私たちはこの聖霊の働きを切に祈り、慕い求めなければなりません。

イザヤ預言者はこの必要性を悟り、今日の本文で叫ぶわけです。今日の本文(イザヤ書64:1-2)をもう一度読みます。「ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、山々はあなたの御前で揺れ動きます。火が柴に燃えつき、火が水を沸き立たせるように、あなたの御名はあなたの敵に知られ、国々はあなたの御前で震えます。

皆さん、聖霊の働きと取り替えできるものは、この世にはありません。ただ聖霊の働きだけが、人々を悔い改めに導き、主に立ち返らせる、唯一の道です。もちろん私たちは人々を導き、福音を聞かせ、教会に招かなければなりません。しかしそれより先に、人々よりまず自分の中に、神様を招待しなければなりません。「主よ!ここに臨在してください。」イザヤ預言者は、その重要性を悟りました。だから「主が天を裂いて降りて来られると、山々は御前で揺れ動く。」と叫んだわけです。このイザヤの祈りが、今日私たちにも同じく必要です。神様の導きの中で、罪を気づかせる聖霊の働きによって、人々が悔い改めに導かれることが真のリバイバルであり、終わりの時代を生きる私たちに一番大切な働きです。いかなるリバイバルも、このかたちのリバイバルを、他のものに取り替えできません。この世には、聖霊の働きを通した罪の覚醒を取り替える、どんな働きもありません。自分の罪の気づきは、ただ聖霊の働き、神の臨在なしには不可能だからです。

旧約の時代と、新約の時代を、また今も続いている 2千年の教会の時代をすべて合わせて、神様は一回もその基準を変えられたことがありません。神の基準はいつも、どの時代も同じです。だから私たちは聖書に出てくる人々と同じようにしなければなりません。自分を自ら低くし、謙遜に祈り、主の御顔を求めなければなりません。そして自分の悪い道から、主に立ち返らなければなりません。そうすれば、神様が親しく天から聞いて、私たちの罪を赦し、私たちを癒してくださると約束してくださいました。

歴代誌第二7:13-14に、「もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

皆さん、聖霊様は悲しまれるときがあります。神の聖霊は力も大きいのですが、鳩のように柔和な品性を持っておられるから、私たちを見て悲しまれるときがあります。エペソ人への手紙4:30に、「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」聖霊様はすべてご存知です。だから私たちが、ただ主だけに仕え、主だけに従っているか、そうでなければ、ある偶像に仕えながら二股をかけているかどうかは、見たらすぐ分かります。だから、もし私たちが神に仕えると言いながらも、自分の心の中にある偶像を愛し、仕えているなら、聖霊様は悲しまれるわけです。

だからこそ、聖霊様が私たちを通して現れ、働かれるためには、私たちにどんな偶像もあってはなりません。ただ神様が私の主であり、私のすべてだと告白しながら、いつも悔い改め、傷ついた心のまま、主の御前に出ていくとき、聖霊様は悲しみの代わりに、私を通して力強く現れ、働かれる神様です。

これはとても大切な内容なので、是非覚えてください。聖霊様が自分に現れるためには、自分のすべての偶像を捨てなければなりません。一つもなく、すべてを捨てなければなりません。こういう生き方が、真のクリスチャンの生き方です。イエス様は、ルカの福音書14:33で、こう言われました。「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。

私たちが、「天を裂いて降りて来られる聖霊様」を迎え入れるためには、私たちの回りにある世的なものを、すべて捨てなければなりません。私の関心事、時間、お金、物質を奪い取るすべてを、惜しみなく捨てて、すべてと決別しなければなりません。その時、聖霊様が天を裂いて降りて来られます。その時は山々が揺れ動くのですが(64:1)、つまり私たちが抱えている山のような問題が揺れ動き、私たちの前から消え去ると思います。またその時は、「火が水を沸き立たせるようになる」と言われたのですが(64:2)、それは私たちの生ぬるい信仰が熱く沸き上がることを表しています。その時、まさに、「国々は御前で震える」と言われます(64:2)。それは何ですか?国々に宣教の扉が広く開け、国々に伝道の働きが起こされるということです。

その時は、東から、西から、南から、北からも、人々がこのように叫ぶでしょう。「おー 主よ。天を裂いて、この地上に降りてください。そして、あなたの民を救い出してください。」ヨエル書2:17に、神殿の玄関と祭壇の間で、主に仕える祭司たちは泣いてこう言え。「主よ、あなたの民にあわれみをかけてください。あなたのゆずりの地を、国々のそしりの的、物笑いの種としないでください。諸国の民の間で、『彼らの神はどこにいるのか』と言わせておいてよいのでしょうか。」ルカの福音書18:7-8に、「まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。

今がまさに、イザヤ書64章の時だと思います。イザヤ書64:7-12に、「 しかし、あなたの御名を呼ぶ者はなく、奮い立って、あなたにすがる者もいません。あなたは私たちから御顔を隠し、私たちの咎によって、私たちを弱められました。しかし、今、主よ、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです。主よ、どうか激しく怒らないでください。いつまでも、咎を覚えていないでください。どうか今、私たちがみな、あなたの民であることに目を留めてください。あなたの聖なる町々は荒野となっています。シオンは荒野となり、エルサレムは荒れ果てています。私たちの聖なる美しい宮、私たちの先祖があなたをほめたたえたその場所は火で焼かれ、私たちが宝とした所は、すべて廃墟となりました。主よ。それでも、あなたはじっとこらえ、黙っていて、私たちをこんなに苦しめるのですか。

これは私たちの訴えでもあります。皆さん、終わりの時代を生きる私たちは、今こそ、真のリバイバルを求めなければなりません。リバイバルは必ず起こされます。信仰を握りしめ、「天を裂いて降りて来られる主」を期待する人々に、約束された御言葉は何ですか? ホセア書10:12です。今年の主題聖句です。一緒に読んで終わりたいと思います。

ホセア書10:12に、「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今が主を求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。

・聖霊体験(悔い改めの経験)があれば、分かち合いましょう。
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