メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

イザヤ書 44:9-22 (私が従わない理由)

投稿者
tbic
投稿日
2023-01-22 21:15
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148
イザヤ書 44:9-22 「9.偶像を造る者はみな、空しい。彼らが慕うものは何の役にも立たない。それら自身が彼らの証人だ。見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。10.だれが神を造り、偶像を鋳たのか。何の役にも立たないものを。11.見よ、その人の仲間たちはみな恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて、ともに恥を見る。12.鉄で細工する者は工具を用い、炭火の上で細工し、金槌でこれを形造り、力ある腕でそれを造る。腹が減ると、力がなくなり、水を飲まないと、疲れてしまう。13.木で細工する者は測り縄で測り、朱で輪郭をとり、かんなで削り、コンパスで線を引き、人の形に造り、人間の立派な姿に仕上げて、神殿に安置する。14.杉の木を切り、うばめ樫や樫の木を選んで、林の木の中で自分のために育てる。月桂樹を植えると、大雨がそれを生長させる。15.それは人間のために薪になり、人はその一部を取って暖をとり、これを燃やしてパンを焼く。また、これで神を造って拝み、これを偶像に仕立てて、これにひれ伏す。16.半分を火に燃やし、その半分の上で肉を食べ、肉をあぶって満腹する。また、温まって、『ああ、温まった。炎が見える』と言う。17.その残りで神を造って自分の偶像とし、ひれ伏してそれを拝み、こう祈る。『私を救ってください。あなたは私の神だから』と。18.彼らはよく知りもせず、理解もしない。その目はふさがれていて見ることもできず、その心が賢くなることはない。19.彼らは考え直すこともなく、このように言う知識も英知もない。『私は、その半分を火に燃やし、その炭火の上でパンを焼き、肉をあぶって食べている。それなのに、その残りで忌み嫌うべきものを造り、木の切れ端の前にひれ伏すのか。』20.灰を食物とする者は、心が欺かれ、惑わされて、自分を救い出せず、『私の右の手に偽りはないか』とさえ言わない。21.ヤコブよ、これらのことを心に留めよ。イスラエルよ、あなたはわたしのしもべ。わたしがあなたを形造った。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ、あなたはわたしに忘れられることがない。22.わたしは、あなたの背きを雲のように、あなたの罪をかすみのように消し去った。わたしに帰れ。わたしがあなたを贖ったからだ。」

今日の本文の15節をもう一度読みますと、「それは人間のために薪になり、人はその一部を取って暖をとり、これを燃やしてパンを焼く。また、これで神を造って拝み、これを偶像に仕立てて、これにひれ伏す。

当時、イスラエルの民が仕えていた偶像は暖房用のたきぎ、調理するための燃料として使っていた木々にすぎませんでした。しかしその木を取って来て拝んでいるから、神様は戸惑い啞然としました。「偶像を拝んではならない。」というのは、十戒の第二の戒めです。偶像は切られた木々にすぎません。しかし、どうして偶像を拝むのでしょうか?理由はただ一つです。「自分の欲」のためです。

遊牧民だったイスラエルの民はカナンの地に入った時、最初から異邦の神々を拝んだわけではありません。しかし、初めて農業をしながら、富の神であるバアルと、雨の神であるアシェラが、その地域にあることを知りました。

カナンの住民たちは、イスラエルの民に、こう話しました。「お前たちが拝んでいる神、主は戦争の神であり、荒野の神だから、農業には何の役にも立たない。バアルとアシェラの神を拝まないと農業はうまく行かない。」と言ったわけです。

この話を聞いたイスラエルの民は揺さぶられました。だから神様が願っておられないことを知っていても、農業をうまくやるためには仕方がないと思って、偶像を拝み始めました。もっと豊かになるために偶像を拝み始めたということです。

私たちも同じです。神様が願っておられないことを知っているにもかかわらず、イスラエルの民のように、私たちが不従順になる理由があります。私たちの欲望のためです。

事業をやっている、あるクリスチャン兄弟がこう話しました。「先生、社会に出て職場の生活をやってみてください。みことば通りに生きたら、食べていけませんよ。」と。その時、私は「ちゃんと食べていくためには偶像を拝むしかない」と言った、イスラエルの民の声のように聞こえました。

結局、不従順の理由が、ちゃんと食べていけるためにです。豊かになることがみことばに従うより、もっと大切だということです。皆さん、これは今日の偶像ではないでしょう?もし、みことばに従って生きることが、もっと豊かになり、祝福を保証することであれば、そういう確信があれば、従わない人がいるのでしょうか?必ず、みんながみことばに従うと思います。結局、信仰がないから不従順になり、自分の欲のために従わないのです。

皆さん、皆さんはどんな領域で不従順になるのでしょうか?それも結局は、自分の欲のためです。聖書が語っている、唯一の真の神様に対する信仰がないからです。皆さん、ぜひ目の前の利益のために、適当に妥協しないでください。損害を被ることがあっても、みことばに従うべきです。神様は、こういう人々を探し求めておられます。そして彼らの人生を必ず、責任取ってくださいます。だからこそ、理解できなくても神様に従ってほしいのです。

創世記48:1-22の全体の内容を読みますと、ヤコブの信仰が要約されているのが分かります。ヤコブは147歳で死ぬわけですが、死ぬ直前に彼の息子のヨセフは、ヤコブから祝福を受けるために、自分の二人の息子をヤコブの所に連れて来ました。そして長男であるマナセが右手の祝福を、次男であるエフライムが左手の祝福を受けるように座らせたのです。

しかしヤコブは手を交差して、つまりX字でエフライムに右手を、マナセに左手を置いて祝福しました。右手は力の象徴です。長男は次男より、もっとたくさんの祝福を受けるべきだということが、当時の風習でした。だから、ビックリしたヨセフは父ヤコブの手を、むりやり変えようとしました。そして叫びます。創世記 48:18節に、『ヨセフは父に言った。「父上。そうではありません。こちらが長子なのですから、あなたの右の手を、こちらの頭に置いてください。」』しかし、19節に、『しかし、父は拒んで言った。「わかっている。わが子よ。私にはわかっている。」、、』そして、ヤコブはそのまま強行しました。

こういうふうに、ヤコブが手を交差して祝福した話が創世記48章の全体の内容です。これは、ささいなことに見える話ですが、かなりの量で創世記の内容に割り当てています。どういう意味でしょうか?メッセージがあるということです。

へブル11章を読みますと、信仰の先輩(先祖)たちの信仰の生涯を一言で描かれていますが、ノアは信仰によって箱舟を造りました。アブラハムは信仰によってどこに行くのかを知らないで、約束の地に出て行ったのです。モーセはパロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選びました。それぞれの人々の代表的な信仰の話が出て来ます。

しかしヤコブに対してはただ一言、一つのことを語るわけです。へブル11:21節に、「信仰によって、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました。」と。

もちろん、ヤコブの人生には波乱万丈の話がたくさんあります。しかし、ここでの評価はただ一つ、交差した手で祝福した話しか出て来ません。つまり、この話はものすごく大切な話だということです。交差した手の祝福は、正常な行為ではありません。風習の期待、当時の状況、文化、信頼できる息子の願いでもない決定でした。ただそれは神のみこころだったのです。

そもそもヤコブは自分の思い通りに生きる勝手な人生でした。だまし取ってでも、うそをついてでも自分の意志をつらぬこうとする人だったのです。しかし、年老いたヤコブは違います。この世の要求がどれほど強くても、息子の要求が激しくても関係ありません。ただ神のみこころだけに集中し、それに従います。 これがヤコブの信仰を表す、一言の要約です。従順がいけにえよりまさることを表す、代表的なみことばです。

私たちは神のみこころを、全部は知りません。しかし理解できなくても、みことばに従順に従うこと、これが生きる道です。

フランスの哲学者パスカルは若いときから病気があったので、身体が弱かったのです。それで早く死んだのですが、死ぬ直前に彼が残した祈りはとても印象的なものでした。特に、二つが印象的ですが、その祈りを皆さんに紹介したいと思います。パスカルの、最後の病床での祈りの一部です。「主よ。この病気の苦しみの前で、ノンクリスチャンのように、行動しないように助けてください。」と。もう一つは、「この苦しみを理解しようとしません。ただ賛美するだけです。

皆さん、私たちは全部は分かりません。特に、神様の深いみこころはあまり知らないのです。だからこそ、信仰は反応です。 ヤコブ5:13、「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。

パウロにとって、行きたくない所がヨーロッパでした。彼が本来、行きたかった所はアジアだったのです。しかし聖霊の働き、聖霊の導きによってヨーロッパへ行きました。 そして、ピリポという地方で、悪霊につかれて占いをする女の人を治しました。素晴らしい働き、よくやったことです。しかし、それによって牢屋に監禁されたのです。でも、その中でも使徒パウロは「Why?なぜ?」と、その理由を神様に聞きませんでした。理解しようとしなかったのです。ただ賛美しました。そして祈ったのです。まさに、それが信仰です。それが真のクリスチャンの反応です。そうしたら、どうなりましたか?獄舎の扉が開きました。

皆さん、難しく生きていってはなりません。むりやり分析したり、理解しようともしないでください。もしむりやりそうすれば、鬱(うつ)になります。答えもありません。だから理解しようとしないで、ただ賛美する方法を学んでください。理解しようとしないで、ただ祈る方法を学んでください。そして理解しようとしないで、ただ従順の方法を学んでください。それがうまく生きる道であり、一直線の人生を生きる秘訣です。

聖書の士師記に出てくる民の特徴がありました。それは何ですか?士師記の結論として、21:25に出てきます。「それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」とあります。これは自分の思い通りに生きることです。しかし信仰生活はその反対です。自分の思いを諦めて、神のみこころに従って生きることが正しい信仰生活です。

今日、多くの人々は自分の意志、自分の思いに従って生きることが正しいと。そう思っている人が多いです。しかし神様は一日中、彼らに呼びかけておられます。それにもかかわらず、ほとんどの人々は悔い改めず、自分の思い通りに正しくない、広い道を歩むわけです。なぜでしょうか?自分の思い、自分の目に良いと見えることを行うことが賢いことだと思っているからです。

実は、その姿が私たちの姿です。神様を信じると言いながらも、自分の思い通りに生きる人が多いです。彼らは聖書のみことばより、自分の目に良いと見えることが、もっと正しいと思うわけです。だから、みことばに従うより、自分の思い通りに生きます。結局、彼らは正しくない道に進むわけですが、それも気づくことはありません。

皆さん、信仰生活は自分の思い通りに生きることではなく、神のみこころに従って生きることです。どれほど自分の思いが正しく見えても、その思いを降ろして、神のみことば通りに生きることです。

自分の思い通りに生きる人は神様を信じることではなく、自分自身を信じることです。また、神のみことばより、隣にいる人々の言葉に、もっと耳を傾ける人がいます。こういう人は神様より、隣の人を、もっと信じている人です。

皆さん、もう一度言います。信仰は自分の思いを諦めることです。ある決定が、自分にとって損害であっても、愚かに見えても、そして自分の思いが正しく見えても、ただ神のみこころに従うこと、みことばに従って生きることが信仰です。

これがまさに、謙遜であり、神様から与えられる恵み溢れる人生を生きる秘訣です。本当に、私たちは自分の思いではなく、神のみこころに従って生きる者であることを、ちゃんと覚えましょう。

皆さん、ぜひ 、こういう素晴らしい信仰の道を力強く歩み、勝利を収める人になって下さい。これが神のみこころです。

 

・自分の思いと神のみこころがぶつかった時、神のみこころを選んで勝利した経験があれば、分かち合いましょう。
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