信仰の証
主の恵みを交わし。

⼈⽣とは旅であり、旅とは⼈⽣である(S.S)

投稿者
tbic
投稿日
2022-11-01 15:20
閲覧数
337
主の御名を賛美します!いつも、皆さまお⼀⼈お⼀⼈の篤いお祈りによって⽀えていただき、本当にありがとうございます。「祈りは聞かれているのか/気休めじゃないか/都合よく「祈りは聞かれた」と理解しているだけじゃないか」そんな誘惑が⼼に訪れることがあります。でもそれ以上に、「祈りを導き出して下さるのは主であり、私たちが祈れるようにと⾒えないところで動いてくださっているのも主である」と思わされています。2 週間仕事を離れて、カナダの東海岸を周遊する旅⾏に⾏かせて頂きました。本当に皆さまのこれまでの、そしてこの旅の最中におけるお祈りによって強く⽀えられてきたことを実感しています。「祈りには⼒がある」そう思わされる旅でした。本当に、⼼から感謝しています。ありがとうございました。
「⼈⽣とは旅であり、旅とは⼈⽣である」。この⾔葉は、中⽥英寿(元サッカー選⼿)が、現役を引退する際に残したブログのタイトルです。今回の旅を通して、この⾔葉を思いおこしました。特筆すべきは逆説的な神様の祝福を経験したことです。最初に、私が⻑らく願い続けてきたことに整理がついたのでそれについて分かち合いたいと思います。幼少期に、亡くなった⽗(カナダの材⽊商社で働いていました)のオフィスに⾏き、様々な⼈種の⽅々にお会いし、遊んでもらった記憶によって、「もっと広い世界を⾒たい」「もっと⾊んな価値観や経験を得た⼈々と出会いたい」と⼦供の頃から願ってきました。その好奇⼼は終わることなく、今もあります。そして⻑年、多くの⽅々がご存知の通り、海外に住みたいと⾔っていた私ですが、今回の旅を通して、私にとって「もっと広い世界を⾒たい」という欲望の本当の根っこには、何があるかがわかりました。それは、様々な⽂化背景を持ち、⾊々な経験をしている「⼈」たちの「世界観」を分かち合うことで⼀緒に⼈⽣の素晴らしさを共有したい、という願いがある、ということです。
私は、出会いを通して⼈々の感性(彼らの哲学や芸術性)を⾒出し、そこに触れていくことが⼤好きなのだということもはっきりと理解しました。それはつまり、私にとってどこかの国に⻑期で滞在したいということ以上に、もっと⾃由でもっと広くてもっと可能性のあることではないかと。同時に、海外に⾏く度に出会う、(⽇本⼈だけではなく)永住権や滞在ビザへの強い願いがある⽅々とお会いする中で感じてきた事があります。それは、私たちクリスチャンは究極的にはそれを欲する必要が⼀切ない国⺠であることへの感謝です。なぜなら、クリスチャンの国籍は聖書の⽂字通り天にあり、最上のビザを持っていて、それは、最も⾃由で豊かな⼈⽣が既に与えられているということを意味します。(ピリピ 3:18-20)「どこで」「何をして⽣きるか」という物質的なことはとても重要であり、何年もそこにこだわってきたからこそ動けなかった私ですが、それ以上に第⼀に重視すべきことは、「誰と」「どう⽣きるか」という本質的なことを味わって⽣きていくことであるという認識が強められました。具体的には、⼗字架で私たちの罪を赦し、今も⽣きておられる「イエス」と⼀緒に、どんな時も「喜んで⽣きていく」という勝利が、私たちには約束されているということです。そこにこそ、本当の⾃由があり、だからこそどこに住んでも最良であり、まさに旅のように⾃由がゆるされているのだと。有限の存在である⼈(私)は、右か左か⽩か⿊か、どちらを選ぶべきかと悩み、なるべく早く最善の答えを出そうとしますが、その背景には思い込みが強くあったり、傷つくことを恐れていたり、近道で得をしたいという計算があったりします。しかし神様は、私たちがご⾃⾝を信頼するとき、想像を遥かに超えて素晴らしいことをして下さるお⽅です。神の「時」に、右でも左でもなく、⽩でも⿊でもない、彩り豊かな道に引き上げて歩ませてくださる。そのような、想像もしなかった第三の道を切り開いてくださる福⾳の神が私たちの主であるということを実感しています。そして、⾃分は今その道の上にいる、という感覚があり、⼼には平安があります。⼈の⽬には何も変わらない私とこの現実ですが、今とても幸せを感じ、今までの全ての祈りのおかげであると、皆さまに⼼から感謝しています。(イザヤ 43:18-19, 55:9, 箴⾔ 3:8)
免疫⼒は強いと⾃負していたのですが、この旅の中でコロナにかかりました。(滞在の 2 週間前に⼆度⽬のワクチンを打ったばかりだったのに…)
ずっと重めな⾵邪だなと思っていましたが笑、今思い返すと、解熱剤を飲んでも熱が数回上昇し、⾷欲がなく、疲れやすく、悪寒が⻑引いていたなと。ただ、33 度の暑い東京から、到着翌⽇ 13 度のモントリオールで時差ぼけの中、朝から夜まで 1 ⽇中動いていた事や、前⽇までの怒涛の仕事が影響したのだと思い込んでいました。
しかしそのような中でも、本当に素晴らしい出会いと経験が与えられました。
モントリオールでは、30 年以上宣教に携わるご夫婦のお宅にお世話になりました。紹介者はおらず、突撃連絡をした私に、「同じ宣教の働きに携わる姉妹と過ごせることは私たちにとって祝福です。ぜひ我が家に滞在してください」と申し出てくださいました。私⼀⼈のために素晴らしいおもてなしをして下さり、私の⽣い⽴ちや東京宣教について熱⼼に訊き、みことばからの励ましと慰めと共に、熱く祈ってくださいました。その会話の中でこのようなことを⾔われました。「たった数⽇しか⼀緒にいないけれど、きっとこれまで沢⼭⾃分を捧げてきたんじゃないか」「愛されることにいつも⽴ち返って、ただ受け取る。与えることやお返しを考えないで、ただ喜んで受ける事が必要」「この旅の中でも、帰ってからもさとみが「ただ受ける」ことに浸り、喜べるよう祈る」と。
私の今年の下半期の⽬標の⼤きな⼀つは、「全部⾃分でやろうとしないで、助けてもらう」というものでした。この数年、「⾃分で多くのことをしなくちゃいけない。いつも私が最後に責任を取る。私以外に〇〇の出来る⼈を育てられていない。」仕事においてそう思う状況が多く、⾮常なストレスを感じていたからです。またこの背景には⾃分に不要なプライドがあることも理解していました。まさに図星なメッセージでした。
次の滞在先は、思いがけず共通の知り合いが多くいる、英国出⾝の元牧師がオーナーをしている宿でした。偶然とは思えない出会いに、素晴らしい主の粋な計らいを感じずにはいられませんでした。
彼らとも救いの証や、私の仕事の葛藤を分かち合い、暖炉の前で⼀緒に賛美を歌い、御⾔葉とお祈りをいただきました。「もっと⾃由に、ただ神様の恵みを経験することだけを熱望しなさい」と教わり、素敵なところに⾞で沢⼭連れて⾏っていただきました。
そして、旅の最後、「帰れない。。。」と⾔う状況になりました。その時の私は、ただ落胆していました。何が嫌って、また⾶⾏機を取り直し、宿を⼿配し、また帰れるかどうかわからない⼼境になることがストレスで…。でもそれ以上に、滞在先の友⼈に迷惑をかけている/かけることになることを思うと、とても気が重くなりました。ストリートカーに乗りながら、「どうしてこうなったかな?あんなにみんなが祈ってくれて私⾃⾝も「この旅は主の旅です、完全に委ねます」と祈ってきたのに、なぜこの状況をゆるした?神様」と祈りました。すぐに出てきたことは、神様は絶対的に常にご⾃⾝の栄光を私たちに⽰したいと願われているお⽅であり、私たちをあまりにも愛しているから、私たちがそれに気づくように恵みを受け取ってほしいと願われている「お⽗さん」であるはずだ、と⾔うことでした。そして、もし滞在が延⻑するなら、それは祝福であるはずで、私を困らせ拘束して悩ませる事がこの結果の⽬的ではない、と。(エレミヤ 29:11)
そう思ったからと⾔って、思い悩まず能天気でいられたわけでは全くなく、⼼配が湧き上がりましたが、同時に、「これは選択肢であって、もっと居たいなら居られるけど、同時に帰れる⼿段があるということなんじゃないか。⾮常識だけど、絶対帰れる気がする」と思い巡らせていました。
この件があったことで、お会いしたいと思っていた⽅々、⾏きたいと予定していた場所に⾏くことは出来ませんでした。残念に思われますが、また来ればいいやそれより優先すべきことがあるんだな、と実はそこまで惜しむ気持ちはなく、このことから教えられることは、私がしたいと願う計画ではなく、それ以上に主は過不⾜なく、主が私に会わせたい⼈に会わせ、主が私を⾏かせたいところへ向かわし、主がこの旅の細部に気を配り共にいてくださり、豊かに必要を満たして最善を全うしてくださったということです。
滞在先の友⼈には、⼼配と迷惑をとてもかけました。しかし神様の⽬から⾒たら、それこそが必要なことだったのかなと思うのです。(ごめんなさい。ただの楽観主義ではありません。汗)と⾔うのは、私はその⽅の存在を通して神様の愛を沢⼭経験したからです。(ローマ 8:28)神様のご性質は、私たちを気遣い、ケアして下さる⽅であり、優しく必要を訊いて下さる⽅であり、慰めと励ましを与えて下さる⽅であり、必要を満たしてあげたいと願って下さる⽅であり、そして何より、⾒放す(と⾔う選択肢があるにも関わらず、)ことはせずに、⾃分に関係のない⼩さな困難でさえをも、当⼈と同じ⽬線に降り、乗り越えられるように⼀緒にいて、愛を持って助けて下さる⽅であります。
そしてその究極がイエスの⼗字架による犠牲です。神様は、私が「うぇーん。困った〜」と、アウェーで弱さ全開になることを前もって⼗分に知っておられたからこそ、私が⼼をゆるして信頼し、頼れる存在を予めとても近くに備えてくださっていたのだと、またそれを通してご⾃⾝の栄光をあらわされたのだと、帰ってから気付かされました。(2 コリ 12:9)神様に遣わされ愛の管として⽤いられたのは、信仰者の私ではなく、求道者の友⼈の⽅だったのです。これは、前述の通り私が「ただ受けて喜ぶ」その必要があったからではないか、と思いました。同時にこれは、その状況にならなければ、私⾃⾝が決して得ることのなかった確かで豊かな、神の逆説的な恵みであり、癒しでした。同時に、「⼈に迷惑をかけてお世話になるなんて申し訳ない」と過度に思う⾃分のプライドを思わされ、悔い改めに導かれました。旅の全⾏程を通し(特に終盤はクライマックスとして)、私の下半期の⽬標であった「助けてもらう」が⼤いに達成され、「ただ、沢⼭受ける」ことが与えられたことは、神の、本当に愛ある業であると振り返っています。
特に今回、出会う⼈々から、⽗なる神の愛を経験しました。これは、⽗親の記憶がない私にとって、認識を強めたいと⽇々願っている、神様のもっとも強い本性です。出会った⽅々から沢⼭、神の愛によって愛していただき、⼈⽣も信仰も本当に励まされ、新しい⼒を得ました。
これまで、「救われてから与えられた願い」を受け⼊れて挑戦を決めることが怖くて「いい歳して、⼦どもみたいな願いがあって恥ずかしい。才能も経験もないのに。」と⾃分を卑下し、否定してきました。何年も何年も、この願いを取り去ってくださいと祈ってきました。しかし、⼀度⾒てしまったものは否定できないのと同じように、⼀度ビジョンとして神様から与えられていると思えるものを遠ざけるのは罪であり、私にとっては返って苦しいことでした。
でも「⼈⽣とは旅であり、旅とは⼈⽣である」と⾔う冒頭の⾔葉の通り、私の⼈⽣に神様はいつも最善の備えを⽤意して、最⾼の道をつくられる⽅であるという信頼がこの旅で強められました。そして、将来の願いはそれとして、ただ今を、旅を楽しむのと同じように、病気になろうが、願いが叶わなかろうが、神様と共にただ喜んで感謝して⽣きていこう、と。
常に何かに怖がって泣いてきた私ですが(←ご存知の通り笑)、「全き愛は恐れを締め出す(ヨハ第⼀ 4:18-21)」という御⾔葉によって、恐れは不信仰の象徴のようで、おそれちゃいけないように思ってきました。(聖書にはおそれるなと 300 回以上記載がありますし)しかし、そのおそれをも、⾃分の⼀部として、受け⼊れながら進んでいけばいいやと⼒が抜けました。私(⼈間)の中からおそれ(罪)0%の⽇がくることはないのですから。もし 0%になれたら、私たちは神を必要とせず、⾼慢を⽣きることになるでしょう。おそれがあるから、神を⾃分の主として頼り、物事や関係性に対するやりがいや愛おしさも⼤きくなるのかもしれません。その裏側には覚悟があるからです。愛がおそれと対等に張り合う存在なのではなく、愛は全てを凌駕し包み込む究極的⾄⾼のものであるからこそ、愛(神)があれば、おそれを恐れて取り扱う必要はない、ということを理解しました。
最後に、旅の前に受け取った御⾔葉を分かち合います。
「涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る。種⼊れを抱え 泣きながら出て⾏く者は束を抱え 喜び叫びながら帰って来る。」 [詩篇 126:5-6]
これまでの⼈⽣、本当によく泣いてきたなと思います。(ただの泣き⾍だからです笑)その涙の背後を知っておられ、喜びを持って刈り取りをさせて下さる成就の主と、帰ってくる「お家」があるから、私たちはどこへでも出て⾏くことが出来ます。いつも変わらず何も⾔わずに健康でいてくれている優しい⺟に感謝しています。また、幼少期から私の⼩さなお⽗さんをしてきた最強にイケてる男勝りな姉たちと、格別に⼼の寛⼤な義兄たちにも感謝。そして、「もっともっと⽻ばたけ!稼げることよりやりたいことを堂々とやり続けなさい。⼩さくまとまって満⾜するな。遠慮するな。振り返るな。どんどん⾏け。好きなことしろ!」と私たち三姉妹それぞれを送り出し、⺟と⼀緒にいつでも帰る場所となってくれているであろう、クレイジーでクレバーな愛情深い⽗の存在をいつも感謝しています。お祈りによって私の歩みを励ましてくださり、みことばや思いを送ってくださり、気にかけて⽀えてくださっている主にある兄弟姉妹のお⼀⼈お⼀⼈を祈りに覚え感謝します。何より、この⾁なる家族と霊なる家族を私に与えてくださった天のお家の⽗なる神様に、喜びの叫びと⼼からの感謝と賛美を捧げます。私も誰かのお家になれますようにと、主に望み篤く祈りつつ。
⼤好きな秋が少しずつその⾊を変え、寒くなってまいりました。クリスマスに向けて、皆さまの⽇々が主の御⾔葉によって温められ、つくりかえられ、喜びに溢れるものでありますように。私たちの唯⼀の救い主キリストの誕⽣をお祝いする、特別なクリスマスをお迎えください。
合計 69
手順 タイトル 投稿者 投稿日 推薦 閲覧数
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神の愛、回復の神(H.J)
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私が経験した一番楽しくて幸せだったこと(J.B)
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主の御名によって 歓迎いたします。

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