信仰の証
主の恵みを交わし。
私は死ぬことなく…(P.E)
投稿者
tbic
投稿日
2025-10-09 18:23
閲覧数
69
愛の神様、ありがとうございます。
あまりにも足りない私を、この場に立たせてくださってありがとうございます。
私を主の子供にしてくださり、私を生かそうと私の人生に訪れてくださったその主を、この時間賛美します。
足りない私の唇を通して主の愛が証されることを願い、この時間に癒し主となり、慰めとなって、主の愛が必要な魂があれば、特別に会ってください。
大胆に伝え、ただ主の栄光だけが現れることを切に願います。
キリストであるイエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。
御言葉
詩篇118篇17節、
「私は死ぬことなく かえって生きて主のみわざを語り告げよう。」アーメン。
お会いできて嬉しいです。私は現在、大光国際学校の教師として仕えています。
以前は私は保育教師でした。
赤ちゃんがとても好きだったし、姉さんの影響を受けて保育教師になりました。
私は21歳の時、学校を途中で辞めて姉さんと一緒に生活しながら、保育園で姉さんを助けました。姉さんは現在保育園を運営していて、保育園を始めて約30年くらい経ったと思います。
しかし姉さんとたくさんぶつかりながら、耐えられなくて逃げてしまいました。家出をしたということですね。
幼い頃から私をとても可愛がっていたし、私には姉さんが天のようだったけど、一緒に暮らしながら、その全てが崩れて、私には姉さんに対する憎しみと恨みだけが残るようになりました。
姉さんと別れれば、大丈夫だと思ったけど、私を待っていた現実はそうではありませんでした。
私は堕落に落ち、さらに深い泥沼に陥り、結局人生を諦めて自暴自棄な気持ちで10年という時間を無駄にしたことになります。
今振り返ってみると、その長い間、一度も賛美の声も聞こえなかったし、イエス様を伝える人にも会えなかったし、その派手なネオンサインの中で光っている十字架も発見できませんでした。おそらく目と耳が暗闇の中に閉じ込められていたと思います。
私は昼と夜が変わって生活し、歓楽街でホストバー、ゲイバーなどのいろいろな所に行って、さらにムダン(シャーマン)の家に養女になって出入りしながら暮らしたこともあります。お酒、タバコは言うまでもなく、私の体を傷つけながらたった一瞬も私を愛したこともなく、ただ私を手放したまま適当に生きていました。そして私は「適当にそうやって生きて、そのまま死のう」という考えで生きていたのです。
ところが、私を家に帰らせようと神様が3回のむちを打ちました。
3回のむちのうち、1回目はカード借金を負うことになりました。しかし私は高慢に「まあ、返せばいい!」と思いました。そうしたら間もなく、突然病院の救急室に運ばれて緊急手術を受けることになりました。体が回復していない状態でカード借金の催促が来て、結局二番目の姉の助けを受けて解決したのですが、後に両親が解決してくれたことを知ったのです。親に対する罪の意識もあったけど、正直仕事がやりたくなくて、家で現実を逃避することになりました。
私は放蕩息子でした。あまりにも恥知らずの放蕩息子です。
私は家に帰っても、昔の習性を捨てられず、ずっと彷徨いながら過ごして、今度は3回目の交通事故が起こります。短い瞬間だったけど、私にはスローモーションのように、まだ長く感じられる瞬間があるんです。車が一回横転して、「あ、こうやって死ぬんだ」と思いながら、私の人生がすごくつまらなく感じました。
過去に知り合ったお姉さんに会いに行く途中だったけど、交通事故の後考えました。「私がなぜこんな出会いを続けながら生きるのか」と。そのお姉さんだけでなく、体は家に帰ってきたが、現実に生きておらず、過去に生きている私の姿を発見しました。それで決断しました。
「過去に知り合った全ての人たちとの縁を切ってしまおう」と人間の入れ替えを誓いました。それで携帯番号を変え、番号の自動案内メッセージを遮断して、そして教会に行くことを決心します。
頑固で言うことを聞かないからカード借金、緊急手術、交通事故、このように3回にわたって神様は私を低くさせ、謙遜ではない力を完全に抜かせた後、礼拝堂を踏むように導かれました。初恋を経験しました。今もあの時を思うと、とても幸せです。主が私に会ってくださったその感激、その恵みを忘れられません。
昔は毎日酒に酔っていたけど、その時は聖霊に酔っていたのです。早天の祈り会を1年半~2年近く本当に狂った人のように、とても好きでとても嬉しくてただ走り回りました。悔い改めながら本当にたくさん泣いたし、時も無く涙が出ました。
祈るたびに汚く汚れた布を思い出しながら「私の心をきれいに、白くしてください」と想像の中で両手を合わせて一生懸命に手でこすりながら消しました。言いようのない罪を唇でいちいち告白しながらです。でも不思議なことに目を閉じて祈るほど、汚れた布が本当にだんだん白くなるのを感じることができました。本当に不思議でした。
そうやって数年間聖書の勉強もして祈りも頑張って様々な信仰の訓練を受けながら、教会の様々な働きにも参加し、私より信仰生活がもっと上手な姉妹たちを見ると、嫉妬もして神様にもっと褒めてもらおうとすごく頑張りながら、そうやって楽しく信仰生活をしました。
失った10年を取り戻すように姉の保育園で仕事もして、終わったら夜間大学で狂ったように勉強もして、資格もたくさん取り、短い時間を無駄に使わずに補償でももらおうという気持ちで、そんなに一生懸命に生きたと思います。
その時、私は誓願の祈りを捧げました。私にとって10年の時間が暗闇の中に消えたので、私の年齢から10年を抜いて、これから10年間賛美で仕えると。そういう風に誓いました。
しかしただ一つ問題がありました。姉さんとの関係です。「私の10年を失ったのは全部姉さんのせいだよ!」と姉さんを赦せない気持ちが胸の中に杭のように刺さっていました。聖書の勉強をいくらしても解決できませんでした。簡単ではありませんでした。公的な言葉以外には話さず、まるで二つの顔を持つ人間のように、二人ともとても辛い時間を過ごしました。
二人の関係をとても残念に思ったある心理相談研究所の所長が、私を管理人キャンプに招待してくれました。
その時、洗足式の時間があって、その時心の中で大きな癌の塊みたいなのがぱっと消えるのを感じました。その瞬間、姉さんを赦す気持ちが生じて、私の中の怒りと恨み、憎しみから自由になりました。徐々に気まずい関係が回復し、今はお互い信仰の中で応援しながら励まし合っています。
そうやって誓願の祈りもして神様の驚くべき恵みを体験しながら生きてきたのに、残念ながら私に試みが来て、私はまたも罪につまずいてしまいました。
気がついたら、私に起こったことはあまりにも衝撃的だったし、戸惑って神様を恨み、好きだった日曜学校の賛美リーダーも、愛した青年部の姉妹たちを後にしたまま、教会を去ってしまいました。とても悲しかったのです、天を見上げて叫びました。「私をなぜまた罪を犯すように許されたのですか」と主に問い詰めて罵りました。
そして私は再び回復できないと思っていました。でもどう考えても教会を離れて生きていく自信もありませんでした。そうやって私の中の根本的な罪の問題が解決されないまま、私は他の教会に移って宗教人として生きていきます。
世の中と教会に両足をかけてキリスト教徒のふりをしながら生きて、世の中に属する男を選んで相見の礼をしたのですが、うちの家族の極度の反対で破婚になり、私はベトナムに逃げました。
コイカ海外ボランティア団体の一員としてベトナムで1年2ヶ月を過ごしてから戻ってきたけど、現実は変わっていませんでした。いや、私の信仰はもっと悪くなり、教会はもっと行くのが難しくなりました。だから私が一番得意なこと、一人でできること、赤ちゃんの世話をする「ベビーシッター」を選びます。
入居して赤ちゃんの世話をしたら、赤ちゃんはとてもよく育って、お金もたくさんもらったが、使う時間がなくてお金は溜まっていき、私自身満足しながら暮らしました。
ある日、その家に掃除するヘルパーの一人が来ましたが、教会の執事さんでした。その方は統合失調症を患っている息子のために昼夜祈り、その息子がいる共同体の話を掃除に来るたびに私に聞かせてくださいました。私はその共同体の話がとても面白かったし、奉仕者によって傷が多かった私に、傷ついた魂の世話をしながら奉仕する、その牧師先生がとても気になりました。その牧師先生が今日のメッセンジャーであるパク・グンソン先生です。
その時から礼拝に対する切望が生まれ、深い夜、赤ちゃんを寝かしつけて祈っている最中に聖霊様が訪れました。結局、その共同体が属する教会を週末ごとに訪れ、礼拝の場を守ると、神との初恋が再び回復しました。
毎日主に質問しました。「主よ、私は何をしたらいいですか?私をなぜまた呼びましたか?何をしてほしいですか?」礼拝をして帰る地下鉄で、前の人の足と靴だけを見つめながら立っている私に、「こうやってわたしの前にただいてね」という主の声を聞くことになります。
何か特別にしなくてもいいから、ただ一緒にいようっておっしゃる、その主の声に感激して、赤ちゃんの世話をするベビーシッターの仕事をやめて、本格的に共同体に入って、彼らと一緒に生活することになりました。神様の召しの前に喜びと感謝、感激もあったけど、私の苦難も一緒に始まりました。
神様が私を呼ぶ時はいつも力を抜くようにしてくださったので、これまで一生懸命にベビーシッターとして働いて稼いだお金を一瞬で全部消えさせ、家もないホームレスになって、ただ主だけに頼るようにされました。
牧師先生の家族は私を温かく迎え入れ、世話をしてくださいました。次世代の働きを始めながら、世の中の知恵、私の経験と知識、私の考え、私の高慢を手放すようにと主は弱い権威者を立てて私をとてもきつく「従順の訓練」をさせたのです。そして私の中に隠されていた根本的な罪の問題も解決してくださいました。
傷だらけの弱い兄弟たちと一緒に過ごしながら、道徳的で倫理的な罪に苦しんでいた私は真理であるイエス・キリストをより深く知ることによって、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」という御言葉と共に罪に対して自由になりました。
ある日は金曜祈祷会の時、男に対して閉ざされた心も開いてくださいました。愛される資格がないと思いながら、結婚を諦めて生きる私だったのに、主は「大丈夫、大丈夫」とずっとおっしゃいました。それで「私の心は大丈夫じゃないのに、どうすればいいのでしょうか?もし誰かが私に近づいてきたら、私の心を大きく開いて、その愛を受け入れさせてください。」と主に祈りました。
そして主日になって、日曜学校の礼拝の時に伝道師先生を見つめるのに一人で恥ずかしくなったので、見つめることができませんでした。後で知った事実は、伝道師先生が一人でこっそり片思いで私を慕っていたのに、私の心が思わず開かれるようになったのです。私たちはお互いの気持ちを確認した後、17歳という年齢差を克服して紆余曲折の末に結婚することになりました。
結婚式を準備しながら結婚セミナーを受けたので、その時私たち夫婦はそれぞれの子供たちを愛し、よく世話をする才能を持っており、次世代の働きに用いられるように結んでくださったということをより明確に悟りました。
そうやって私たちは次世代の働きに一緒に参加し、幼稚園から始まり、試行錯誤を経て、今の大光国際学校に至るまで教師として仕えるようになりました。
私は母の胎内から信仰によって生まれたが、幼い頃から御言葉で養育されず、この世に出て立ち向かう力も、また私を守る力もなく、弱い存在で簡単に脱線の道を行くことになり、夢もなく遠い時間を回って、主の前に戻って来ました。
次世代が私のように残念なことを経験しないように、こうやって私を次世代の働きに用いられるように導いてくださった気がします。
死んでいく一人の魂を生かそうと、時には強いむちで放蕩息子だった私を戻らせ、また多くの人に出会わせ、私の高慢を断ち切らせ、ただ神の御言葉に従えるようにしてくださったのは、ただ一つ、死んでいく魂を生かそうと私を先に呼んでくださったと信じます。
死なずに、こうして生きているのは、私を通して神様がなさったみわざを語り告げようという詩篇の御言葉をもう一度悟らせてくださいました。
詩篇118篇17節、「私は死ぬことなく かえって生きて主のみわざを語り告げよう。」アーメン。
以上、私の証を聞いてくださってありがとうございます。
あまりにも足りない私を、この場に立たせてくださってありがとうございます。
私を主の子供にしてくださり、私を生かそうと私の人生に訪れてくださったその主を、この時間賛美します。
足りない私の唇を通して主の愛が証されることを願い、この時間に癒し主となり、慰めとなって、主の愛が必要な魂があれば、特別に会ってください。
大胆に伝え、ただ主の栄光だけが現れることを切に願います。
キリストであるイエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。
御言葉
詩篇118篇17節、
「私は死ぬことなく かえって生きて主のみわざを語り告げよう。」アーメン。
お会いできて嬉しいです。私は現在、大光国際学校の教師として仕えています。
以前は私は保育教師でした。
赤ちゃんがとても好きだったし、姉さんの影響を受けて保育教師になりました。
私は21歳の時、学校を途中で辞めて姉さんと一緒に生活しながら、保育園で姉さんを助けました。姉さんは現在保育園を運営していて、保育園を始めて約30年くらい経ったと思います。
しかし姉さんとたくさんぶつかりながら、耐えられなくて逃げてしまいました。家出をしたということですね。
幼い頃から私をとても可愛がっていたし、私には姉さんが天のようだったけど、一緒に暮らしながら、その全てが崩れて、私には姉さんに対する憎しみと恨みだけが残るようになりました。
姉さんと別れれば、大丈夫だと思ったけど、私を待っていた現実はそうではありませんでした。
私は堕落に落ち、さらに深い泥沼に陥り、結局人生を諦めて自暴自棄な気持ちで10年という時間を無駄にしたことになります。
今振り返ってみると、その長い間、一度も賛美の声も聞こえなかったし、イエス様を伝える人にも会えなかったし、その派手なネオンサインの中で光っている十字架も発見できませんでした。おそらく目と耳が暗闇の中に閉じ込められていたと思います。
私は昼と夜が変わって生活し、歓楽街でホストバー、ゲイバーなどのいろいろな所に行って、さらにムダン(シャーマン)の家に養女になって出入りしながら暮らしたこともあります。お酒、タバコは言うまでもなく、私の体を傷つけながらたった一瞬も私を愛したこともなく、ただ私を手放したまま適当に生きていました。そして私は「適当にそうやって生きて、そのまま死のう」という考えで生きていたのです。
ところが、私を家に帰らせようと神様が3回のむちを打ちました。
3回のむちのうち、1回目はカード借金を負うことになりました。しかし私は高慢に「まあ、返せばいい!」と思いました。そうしたら間もなく、突然病院の救急室に運ばれて緊急手術を受けることになりました。体が回復していない状態でカード借金の催促が来て、結局二番目の姉の助けを受けて解決したのですが、後に両親が解決してくれたことを知ったのです。親に対する罪の意識もあったけど、正直仕事がやりたくなくて、家で現実を逃避することになりました。
私は放蕩息子でした。あまりにも恥知らずの放蕩息子です。
私は家に帰っても、昔の習性を捨てられず、ずっと彷徨いながら過ごして、今度は3回目の交通事故が起こります。短い瞬間だったけど、私にはスローモーションのように、まだ長く感じられる瞬間があるんです。車が一回横転して、「あ、こうやって死ぬんだ」と思いながら、私の人生がすごくつまらなく感じました。
過去に知り合ったお姉さんに会いに行く途中だったけど、交通事故の後考えました。「私がなぜこんな出会いを続けながら生きるのか」と。そのお姉さんだけでなく、体は家に帰ってきたが、現実に生きておらず、過去に生きている私の姿を発見しました。それで決断しました。
「過去に知り合った全ての人たちとの縁を切ってしまおう」と人間の入れ替えを誓いました。それで携帯番号を変え、番号の自動案内メッセージを遮断して、そして教会に行くことを決心します。
頑固で言うことを聞かないからカード借金、緊急手術、交通事故、このように3回にわたって神様は私を低くさせ、謙遜ではない力を完全に抜かせた後、礼拝堂を踏むように導かれました。初恋を経験しました。今もあの時を思うと、とても幸せです。主が私に会ってくださったその感激、その恵みを忘れられません。
昔は毎日酒に酔っていたけど、その時は聖霊に酔っていたのです。早天の祈り会を1年半~2年近く本当に狂った人のように、とても好きでとても嬉しくてただ走り回りました。悔い改めながら本当にたくさん泣いたし、時も無く涙が出ました。
祈るたびに汚く汚れた布を思い出しながら「私の心をきれいに、白くしてください」と想像の中で両手を合わせて一生懸命に手でこすりながら消しました。言いようのない罪を唇でいちいち告白しながらです。でも不思議なことに目を閉じて祈るほど、汚れた布が本当にだんだん白くなるのを感じることができました。本当に不思議でした。
そうやって数年間聖書の勉強もして祈りも頑張って様々な信仰の訓練を受けながら、教会の様々な働きにも参加し、私より信仰生活がもっと上手な姉妹たちを見ると、嫉妬もして神様にもっと褒めてもらおうとすごく頑張りながら、そうやって楽しく信仰生活をしました。
失った10年を取り戻すように姉の保育園で仕事もして、終わったら夜間大学で狂ったように勉強もして、資格もたくさん取り、短い時間を無駄に使わずに補償でももらおうという気持ちで、そんなに一生懸命に生きたと思います。
その時、私は誓願の祈りを捧げました。私にとって10年の時間が暗闇の中に消えたので、私の年齢から10年を抜いて、これから10年間賛美で仕えると。そういう風に誓いました。
しかしただ一つ問題がありました。姉さんとの関係です。「私の10年を失ったのは全部姉さんのせいだよ!」と姉さんを赦せない気持ちが胸の中に杭のように刺さっていました。聖書の勉強をいくらしても解決できませんでした。簡単ではありませんでした。公的な言葉以外には話さず、まるで二つの顔を持つ人間のように、二人ともとても辛い時間を過ごしました。
二人の関係をとても残念に思ったある心理相談研究所の所長が、私を管理人キャンプに招待してくれました。
その時、洗足式の時間があって、その時心の中で大きな癌の塊みたいなのがぱっと消えるのを感じました。その瞬間、姉さんを赦す気持ちが生じて、私の中の怒りと恨み、憎しみから自由になりました。徐々に気まずい関係が回復し、今はお互い信仰の中で応援しながら励まし合っています。
そうやって誓願の祈りもして神様の驚くべき恵みを体験しながら生きてきたのに、残念ながら私に試みが来て、私はまたも罪につまずいてしまいました。
気がついたら、私に起こったことはあまりにも衝撃的だったし、戸惑って神様を恨み、好きだった日曜学校の賛美リーダーも、愛した青年部の姉妹たちを後にしたまま、教会を去ってしまいました。とても悲しかったのです、天を見上げて叫びました。「私をなぜまた罪を犯すように許されたのですか」と主に問い詰めて罵りました。
そして私は再び回復できないと思っていました。でもどう考えても教会を離れて生きていく自信もありませんでした。そうやって私の中の根本的な罪の問題が解決されないまま、私は他の教会に移って宗教人として生きていきます。
世の中と教会に両足をかけてキリスト教徒のふりをしながら生きて、世の中に属する男を選んで相見の礼をしたのですが、うちの家族の極度の反対で破婚になり、私はベトナムに逃げました。
コイカ海外ボランティア団体の一員としてベトナムで1年2ヶ月を過ごしてから戻ってきたけど、現実は変わっていませんでした。いや、私の信仰はもっと悪くなり、教会はもっと行くのが難しくなりました。だから私が一番得意なこと、一人でできること、赤ちゃんの世話をする「ベビーシッター」を選びます。
入居して赤ちゃんの世話をしたら、赤ちゃんはとてもよく育って、お金もたくさんもらったが、使う時間がなくてお金は溜まっていき、私自身満足しながら暮らしました。
ある日、その家に掃除するヘルパーの一人が来ましたが、教会の執事さんでした。その方は統合失調症を患っている息子のために昼夜祈り、その息子がいる共同体の話を掃除に来るたびに私に聞かせてくださいました。私はその共同体の話がとても面白かったし、奉仕者によって傷が多かった私に、傷ついた魂の世話をしながら奉仕する、その牧師先生がとても気になりました。その牧師先生が今日のメッセンジャーであるパク・グンソン先生です。
その時から礼拝に対する切望が生まれ、深い夜、赤ちゃんを寝かしつけて祈っている最中に聖霊様が訪れました。結局、その共同体が属する教会を週末ごとに訪れ、礼拝の場を守ると、神との初恋が再び回復しました。
毎日主に質問しました。「主よ、私は何をしたらいいですか?私をなぜまた呼びましたか?何をしてほしいですか?」礼拝をして帰る地下鉄で、前の人の足と靴だけを見つめながら立っている私に、「こうやってわたしの前にただいてね」という主の声を聞くことになります。
何か特別にしなくてもいいから、ただ一緒にいようっておっしゃる、その主の声に感激して、赤ちゃんの世話をするベビーシッターの仕事をやめて、本格的に共同体に入って、彼らと一緒に生活することになりました。神様の召しの前に喜びと感謝、感激もあったけど、私の苦難も一緒に始まりました。
神様が私を呼ぶ時はいつも力を抜くようにしてくださったので、これまで一生懸命にベビーシッターとして働いて稼いだお金を一瞬で全部消えさせ、家もないホームレスになって、ただ主だけに頼るようにされました。
牧師先生の家族は私を温かく迎え入れ、世話をしてくださいました。次世代の働きを始めながら、世の中の知恵、私の経験と知識、私の考え、私の高慢を手放すようにと主は弱い権威者を立てて私をとてもきつく「従順の訓練」をさせたのです。そして私の中に隠されていた根本的な罪の問題も解決してくださいました。
傷だらけの弱い兄弟たちと一緒に過ごしながら、道徳的で倫理的な罪に苦しんでいた私は真理であるイエス・キリストをより深く知ることによって、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」という御言葉と共に罪に対して自由になりました。
ある日は金曜祈祷会の時、男に対して閉ざされた心も開いてくださいました。愛される資格がないと思いながら、結婚を諦めて生きる私だったのに、主は「大丈夫、大丈夫」とずっとおっしゃいました。それで「私の心は大丈夫じゃないのに、どうすればいいのでしょうか?もし誰かが私に近づいてきたら、私の心を大きく開いて、その愛を受け入れさせてください。」と主に祈りました。
そして主日になって、日曜学校の礼拝の時に伝道師先生を見つめるのに一人で恥ずかしくなったので、見つめることができませんでした。後で知った事実は、伝道師先生が一人でこっそり片思いで私を慕っていたのに、私の心が思わず開かれるようになったのです。私たちはお互いの気持ちを確認した後、17歳という年齢差を克服して紆余曲折の末に結婚することになりました。
結婚式を準備しながら結婚セミナーを受けたので、その時私たち夫婦はそれぞれの子供たちを愛し、よく世話をする才能を持っており、次世代の働きに用いられるように結んでくださったということをより明確に悟りました。
そうやって私たちは次世代の働きに一緒に参加し、幼稚園から始まり、試行錯誤を経て、今の大光国際学校に至るまで教師として仕えるようになりました。
私は母の胎内から信仰によって生まれたが、幼い頃から御言葉で養育されず、この世に出て立ち向かう力も、また私を守る力もなく、弱い存在で簡単に脱線の道を行くことになり、夢もなく遠い時間を回って、主の前に戻って来ました。
次世代が私のように残念なことを経験しないように、こうやって私を次世代の働きに用いられるように導いてくださった気がします。
死んでいく一人の魂を生かそうと、時には強いむちで放蕩息子だった私を戻らせ、また多くの人に出会わせ、私の高慢を断ち切らせ、ただ神の御言葉に従えるようにしてくださったのは、ただ一つ、死んでいく魂を生かそうと私を先に呼んでくださったと信じます。
死なずに、こうして生きているのは、私を通して神様がなさったみわざを語り告げようという詩篇の御言葉をもう一度悟らせてくださいました。
詩篇118篇17節、「私は死ぬことなく かえって生きて主のみわざを語り告げよう。」アーメン。
以上、私の証を聞いてくださってありがとうございます。
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