信仰の証
主の恵みを交わし。
今日も私のホームレスの働きは続きます(J.B)
投稿者
tbic
投稿日
2025-10-21 19:24
閲覧数
46
私は1997年12月10日に、初めて日本に来た韓国人の牧師です。その日の夜、四畳半の部屋の中で、主に感謝の祈りをささげました。そのとき、主は私にこう言われました。「日本はお金が偶像の国だ。あなたは絶対にお金が偶像になってはならない。」
そして与えられた御言葉が、今日の本文、テモテへの手紙 第一 6:10の御言葉です。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。」
だから私は今度の日曜日に、地域教会(板橋区にある志村栄光教会)に出席して、私が持っていたお金を全部献金しようと決心しました。それはお金ではなく、主だけに頼りたいという信仰の決断でした。
日曜日の朝、教会に出席したのですが、日本語が全くわからず、ただ座っているだけでした。でも日本に導いてくださった主に感謝しながら、喜びをもって礼拝をささげました。礼拝の中で週報の報告欄を見たら、トルコに大きな地震があって募金をしていることがわかりました。漢字はある程度わかっていたので、その内容が目に入りました。私はそれを主からのサインとして受け取り、韓国から持ってきたお金を全部献金しました。
しかしその後からが問題でした。日本語もできないし、何をしてお金を稼げるのかが全くわかりませんでした。でも思いついたのが、言葉の要らない新聞配達でした。それで新聞配達を始めたのです。問題は給料日まで一カ月の間、どう耐えるのかでした。食費でも少し残したら良かったのにとしばらくは後悔しましたが、最後まで信仰を持って突破することを決心しました。
その後、不思議なことが毎日起きたのです。新聞配達中に目に入ったのが、地面に落ちてあったパンとおにぎりでした。そのパンとおにぎりは、私にとってカラスが預言者エリヤに運んでくれたパンと肉のようなものでした。ある日はコイン(100円玉)もあちこちに落ちてあって、それを拾い、吉野家に行って牛丼を食べました。本当にうまかったのです。ある日はあるおばあさんが夜明けの3時頃にご自分の家の玄関前で私を待っていました。新聞の朝刊配達はだいたい3時ごろからです。そのおばあさんは私に、「ご苦労様です」と言いながら、3千円が入った封筒を渡してくださいました。そんな恵みを体験しながら、一カ月間の新聞配達の生活を送りました。その一カ月の間、一日も飢えていなかったのです。
こうやって日本での最初の危機と苦難を乗り越え、いろいろなアルバイトをしながら日本語の勉強に励んだのですが、当時はなぜか、たくさんのホームレスの方々が私の目に入りました。彼らが目にとまって勉強になりませんでした。それで彼らと付き合い、どうやって彼らを助けるか、悩む時間が増えていきました。
もちろん当時も彼らにとって食べる問題が重要でしたが、魂の救いの問題がもっと重要だと思い、彼らを教会に連れていきました。ところが問題は、彼らの臭いがひどくて、他の信者たちに迷惑をかけていたのです。一緒に礼拝が不可能だと判断した牧師先生は私を静かに呼び出して、「ホームレスの人々をこれ以上教会に連れて来ないでほしい」と言われました。仕方がなく、彼らを連れて、高田馬場駅の近くにある公園に行きました。そこで彼らと一緒に暮らし始めたのです。
何よりも彼らの臭いをなくしてあげようと思い、近所の銭湯に彼らを連れて行きました。銭湯の主人が私たちを見てびっくりして、「出て行ってくれ」と言われましたが、銭湯への出入りが禁止されるのは体に入れ墨が入った人々だけで、ホームレスの人々の出入り禁止の規定はなかったので、私たちは銭湯の主人のいじめを粘り強く耐え忍びました。そうやって毎週戦っていくうちに、その銭湯は自然とホームレスの人々が利用できる銭湯になりました。驚いたのは、何年か前に私がその銭湯に行ってみたら、その銭湯は、まさにホームレス専用の銭湯になっていたのです。それは私にとって大きな喜びと感謝となり、神さまからの大きな励ましと慰めになりました。これは、私が日本で経験した神の奇跡の一部です。
私は25年間、日本で暮らしながら、たくさんの恵みを頂きましたが、多くの苦難も経験しました。苦難を経験しながら、イエスさまがこの地上にいらっしゃった時の姿を深く黙想し、そのひどい苦難の十字架と復活を考えてみました。イエスさまも公生涯の時は、まさにホームレスでした。マタイの福音書8:20、『イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」』私はイエスさまを私の救い主として受け入れてからは、キリスト教をただ事実として受け入れるだけで、宗教だと思ったことは一度もありません。しかし、もしキリスト教を宗教だと呼ぶならば、真の宗教はただキリスト教だけであり、キリスト教は苦難の宗教だと思います。マルコの福音書10:45、「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」と言われた主の御言葉のように、キリスト教にはイエス·キリストを通した「贖いの死-すなわち苦難」があるからです。
今から2千年ほど前に、あのパレスチナの片隅にあった骸骨と呼ばれたアコルの谷で起きた、あのイエスさまの十字架の事件は、すべての人々の誤解と、それによって、イエスさまの愛する12弟子からも見捨てられた悲劇的な事件でした。しかしそれはすでに永遠のいのちが約束された勝利の歌が、蔑視と嘲りと苦痛の中に隠れていた歓喜の事件でもありました。このようにイエス·キリストの苦難は私たちの苦難と直結しており、その苦難は罪の代価だけでなく、むしろ新しい時代がやって来る前ぶれであることを私たちは悟ることができます。今日も私のホームレスの働きは続きます。
テモテへの手紙 第一 6:7-10、「私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。」
そして与えられた御言葉が、今日の本文、テモテへの手紙 第一 6:10の御言葉です。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。」
だから私は今度の日曜日に、地域教会(板橋区にある志村栄光教会)に出席して、私が持っていたお金を全部献金しようと決心しました。それはお金ではなく、主だけに頼りたいという信仰の決断でした。
日曜日の朝、教会に出席したのですが、日本語が全くわからず、ただ座っているだけでした。でも日本に導いてくださった主に感謝しながら、喜びをもって礼拝をささげました。礼拝の中で週報の報告欄を見たら、トルコに大きな地震があって募金をしていることがわかりました。漢字はある程度わかっていたので、その内容が目に入りました。私はそれを主からのサインとして受け取り、韓国から持ってきたお金を全部献金しました。
しかしその後からが問題でした。日本語もできないし、何をしてお金を稼げるのかが全くわかりませんでした。でも思いついたのが、言葉の要らない新聞配達でした。それで新聞配達を始めたのです。問題は給料日まで一カ月の間、どう耐えるのかでした。食費でも少し残したら良かったのにとしばらくは後悔しましたが、最後まで信仰を持って突破することを決心しました。
その後、不思議なことが毎日起きたのです。新聞配達中に目に入ったのが、地面に落ちてあったパンとおにぎりでした。そのパンとおにぎりは、私にとってカラスが預言者エリヤに運んでくれたパンと肉のようなものでした。ある日はコイン(100円玉)もあちこちに落ちてあって、それを拾い、吉野家に行って牛丼を食べました。本当にうまかったのです。ある日はあるおばあさんが夜明けの3時頃にご自分の家の玄関前で私を待っていました。新聞の朝刊配達はだいたい3時ごろからです。そのおばあさんは私に、「ご苦労様です」と言いながら、3千円が入った封筒を渡してくださいました。そんな恵みを体験しながら、一カ月間の新聞配達の生活を送りました。その一カ月の間、一日も飢えていなかったのです。
こうやって日本での最初の危機と苦難を乗り越え、いろいろなアルバイトをしながら日本語の勉強に励んだのですが、当時はなぜか、たくさんのホームレスの方々が私の目に入りました。彼らが目にとまって勉強になりませんでした。それで彼らと付き合い、どうやって彼らを助けるか、悩む時間が増えていきました。
もちろん当時も彼らにとって食べる問題が重要でしたが、魂の救いの問題がもっと重要だと思い、彼らを教会に連れていきました。ところが問題は、彼らの臭いがひどくて、他の信者たちに迷惑をかけていたのです。一緒に礼拝が不可能だと判断した牧師先生は私を静かに呼び出して、「ホームレスの人々をこれ以上教会に連れて来ないでほしい」と言われました。仕方がなく、彼らを連れて、高田馬場駅の近くにある公園に行きました。そこで彼らと一緒に暮らし始めたのです。
何よりも彼らの臭いをなくしてあげようと思い、近所の銭湯に彼らを連れて行きました。銭湯の主人が私たちを見てびっくりして、「出て行ってくれ」と言われましたが、銭湯への出入りが禁止されるのは体に入れ墨が入った人々だけで、ホームレスの人々の出入り禁止の規定はなかったので、私たちは銭湯の主人のいじめを粘り強く耐え忍びました。そうやって毎週戦っていくうちに、その銭湯は自然とホームレスの人々が利用できる銭湯になりました。驚いたのは、何年か前に私がその銭湯に行ってみたら、その銭湯は、まさにホームレス専用の銭湯になっていたのです。それは私にとって大きな喜びと感謝となり、神さまからの大きな励ましと慰めになりました。これは、私が日本で経験した神の奇跡の一部です。
私は25年間、日本で暮らしながら、たくさんの恵みを頂きましたが、多くの苦難も経験しました。苦難を経験しながら、イエスさまがこの地上にいらっしゃった時の姿を深く黙想し、そのひどい苦難の十字架と復活を考えてみました。イエスさまも公生涯の時は、まさにホームレスでした。マタイの福音書8:20、『イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」』私はイエスさまを私の救い主として受け入れてからは、キリスト教をただ事実として受け入れるだけで、宗教だと思ったことは一度もありません。しかし、もしキリスト教を宗教だと呼ぶならば、真の宗教はただキリスト教だけであり、キリスト教は苦難の宗教だと思います。マルコの福音書10:45、「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」と言われた主の御言葉のように、キリスト教にはイエス·キリストを通した「贖いの死-すなわち苦難」があるからです。
今から2千年ほど前に、あのパレスチナの片隅にあった骸骨と呼ばれたアコルの谷で起きた、あのイエスさまの十字架の事件は、すべての人々の誤解と、それによって、イエスさまの愛する12弟子からも見捨てられた悲劇的な事件でした。しかしそれはすでに永遠のいのちが約束された勝利の歌が、蔑視と嘲りと苦痛の中に隠れていた歓喜の事件でもありました。このようにイエス·キリストの苦難は私たちの苦難と直結しており、その苦難は罪の代価だけでなく、むしろ新しい時代がやって来る前ぶれであることを私たちは悟ることができます。今日も私のホームレスの働きは続きます。
テモテへの手紙 第一 6:7-10、「私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。」
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