信仰の証
主の恵みを交わし。

女子プロレスラーからキリストへ(S.M)

投稿者
tbic
投稿日
2020-12-22 10:07
閲覧数
2003
あこがれの女子プロレスへ

私は鹿児島県の奄美大島の出身です。小学校四年生の時まで、テレビで民間放送が放映されませんでした。四年生になって初めて民間放送を見たのですが、そこで『真っ赤な青春』という女子プロレスの番組を見て、本当に衝撃を受けました。ビューティーペアが主人公の番組だったのですが、「私も強くなりたい!」と思ったのです。

その思いは強く、高校卒業後に上京し、元ビューティーペアのジャッキー佐藤さんがコーチをしているジムに通うようになりました。あこがれのジャッキーさんですから、ただミーハーな気分で「減量のため」とか言って通っていました。しばらく通っていた時に、ジャッキーさんの方から、今度大仁田厚という人が新しい団体を作るそうだけど、そこでやってみないか、という話が入ってきました。そして、なんとオーディションなしで、ジャッキーさんの紹介というだけで入団できたのです。私は身長も低く、体力もあまりなかったので、オーディションを受けていたら絶対に落ちていたと思います。

結局FMWの旗揚げの時からのメンバーに入れていただくことになり、大仁田さんを師匠としてプロデビューを果たしたのです。

世界チャンピオンに

入団後、小学生の時からあこがれていた女子プロレスラーになれたことが嬉しくて、一日九時間の練習をしていました。これを二カ月間続けました。すると、今思えば当然の結果なのですが、体の調子が悪くなり、練習中に吐くようになり、体中が黄色くなってしまいました。病院へ行くと急性肝炎になっていることが判り、普通の人で三八くらいのGOTの値が、私の場合一四〇〇ぐらいになっていました。アルコールによる急性肝炎でも二〇〇くらいだそうです。

病院の先生からは「すぐに入院しないと、劇症肝炎になって死んでしまいます」と言われ、私の頭の中は「死ぬ、死ぬ、死ぬ」と死ぬことで一杯になってしまいました。そしてどうせ死ぬんだったらデビューして死のうと思うようになり、本当は入院しなければならなかったのですが、通院にしてもらい点滴を打ちながら練習を続けていました。すると二カ月ぐらいでどんどん数値が下がり、ついに平常値に戻ってしまったのです。病院の先生も「こんなに治りの早い人は見たことがない」と驚いていました。

こんな体験を通して初めて死について考えるようになりましたが、天国とか地獄については信じていませんでしたから、リングの上で死ねたら本望だと思っていました。

その後「泣き虫エンジェル」というリングネームでデビューも果たし、激しい練習の成果があったのか三年目にしてWWA世界女子チャンピオンになりました。でも、その後に大きな試練が待っていたのです。

ベビーフェイスからヒールへ

世界チャンピオンになったまでは良かったのですが、その日から先輩や同期の様々な攻撃にあいました。そして、もうこんな思いをするのだったらベルトなんか要らないとまで思いました。本当はそれに打ち勝ってこそ本当のチャンピオンなのですが、当時の私はそれに打ち勝つことができず、防衛三戦目にしてベルトを明渡してしまいました。

その後、五年目のことですが、試合中に左膝の靭帯を切ってしまいました。それまで鼻骨、肋骨、親指、足首など、骨折をしながらでも試合には出ていたのですが、このケガの場合は手術が必要になり、七カ月もの間、試合に出られなくなりました。そして復帰してからも、思うように体が動かず、飛んだり跳ねたりする派手な技ができなくなりました。

すると会社から「ヒールでやってみないか」という打診が来ました。つまり悪役です。それまではベビーフェイスといって、アイドル路線で、雑誌の取材などもよく受けていたのが、顔にペイントをして悪役をしろというのです。自分の体のこともありましたから、しかたなく受けたのですが、ついたリングネームが、なんと「堕天使」でした。

しかし、いざ悪役になってしまうと、結構それが楽なのです。対戦相手を血だるまにしたりと、やりたい放題ができますし、ファンの方にサインをねだられても、それまでは作り笑顔で一生懸命やってあげていたのが、「うるせー。じゃまだ!おらどけー」の一言で終わりです。気の向くまま欲望のままに振舞えるのです。そしてリングの上で悪役をやりますと、私生活もどんどん悪くなってきまして、悪いこともたくさんするようになっていきました。

焼き肉屋で聞いた福音

生活が荒れ、心も荒れた日々が続いていました。毎日夜遅くまで遊び歩き、いつも寝るのは午前六時という有様です。そんなある日、真夜中に焼肉が食べたくなり、焼肉屋を探そうとしたら、なんと家の目の前が焼肉屋だったのです。灯台もと暗しとはこのことです。

さっそく店に入り焼肉を頼んだのですが、そこの韓国人のママさんがとてもいい人で「うちは女の子一人でもいつでも食べに来ていいから、いつでもいらっしゃい」と言ってくださったのです。そして韓国巡業などもありましたから、韓国語を勉強したいと考えていたから、韓国語も教えてくれるというのです。そこで、その店に入り浸るようになり、ママさんや従業員の方と仲良くなっていきました。

そのママさんが実はクリスチャンだったのです。それも教会で伝道師をするほどの筋金入りのクリスチャンでした。そこで韓国語を習いながら、いつも「教会に一回来てみない?」と誘われ、聖書の話もされました。でも私は宗教が大嫌いで、そんな話は聞きたくもありませんでした。「日曜日に教会に行く人なんて、暗い人で彼氏とか彼女もいない人が行くんでしょう」と言って反発していました。でもあまりにしつこいし、私もただで食事をいただいたりもしていましたから、一回だけ行くことを承知してしまいました。一回行けば彼女も気が済むだろうと思ったのです。

教会に入ってみると、礼拝が始まったとたん、みんなが手を上げて歌を歌っていますし、「これはやばい所に連れてこられちゃった。やばいよこれ」と思いながら帰ることばかり考えていました。ただメッセージがサマリヤの女の話で「そのサマリヤの女って私みたいだな」と思ったことだけは覚えています。

大きかった聖書の通読

礼拝後、ママさんに「どうだった」と聞かれたのですが、「もう行かないと思う」と答えておきました。しかしそこで諦めないのが、このママのすごいところです。今度は一カ月の巡業に出かける前「巡業中にこの本を読んで」と、聖書を持ってきたのです。それも大型の聖書で、持って行くのにも邪魔だと思い、頭にきてしまいました。で、頭にきたついでに、この聖書を巡業中に端から端まで読んで「オラ読んだよ。読んだからもういらねーよ」と言って返すつもりで持っていきました。

巡業中、創世記から読み始め、難しい所は飛ばしながら読んでいきました。そしてコリント人への手紙を読んだときです。そこの愛について書かれてある箇所に感動し、思わず赤線を引いてしまいました。返すつもりのものに赤線を引いてしまったので、もう返せなくなってしまいました。そして、この聖書を自分のものにしたいなと思うようになりました。巡業から帰ってきた私は、焼肉屋にいつものように入り浸っていました。聖書を持って…。

ママさんは神学校も出ている人でしたので、私の質問にも的確に答えてくれました。そして私は、もっと聖書のことや神さまのことを知りたいという気持ちが強くなり、自分から教会に通うようになっていったのです。私はこうと決めたらのめり込むタイプなので、しばらくして祈祷会にも行くようになり、早天祈祷会にも行くようになりました。今までは寝るのが午前六時の生活だったのが、起きるのが五時半の生活になりました。

聖霊のバプテスマを経験

生活も整えられ、教会の各集会に積極的に参加するようになってからは、自分自身が聖められていくのが分かりました。しかし、レスラーとしては相変わらずの悪役です。その名も「堕天使」で「オラー、ふざけんじゃねー」とやっているわけですから、自分が二重人格になったようでした。そして、どんどん神さまのことが分からなくなってしまいました。

そんなある日、通っていた教会の所属する教団の青年キャンプに参加しました。二日目の夜、「聖霊のバプテスマを求める人は前に出て来てください」という招きがありました。すると心から悔い改めが湧き上がってきました。涙が出て止まらなくなりました。そして「聖霊さまを求めます。聖霊さまを求めます」と繰り返し祈りました。

そして涙をぽろぽろ流す中で手を置いて祈られたら、今度は倒れてしまい、口からは異言がバーッと溢れてきたのです。体も何か大きな力に揺り動かれているような感じで、大きく震え出しました。もう自分では止められないぐらい大きな震えの中で「ああ、神さまっているんだな」と実感しました。神さまを実感したその夜、私はプロレスを辞め、自分の人生を神さまに捧げる決心をしました。

新聞やテレビでも報道されましたが、一九九七年の五月、同じ女子プロレスをしていた人が死にました。その時、一つの御言葉が与えられました。

人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイ一六・26

この御言葉が与えられたときに、いくらチャンピオンになって有名になっても命がなくなったら終わりなんだ、と思いました。そして、それまでは「リングの上で死ねたら本望」だと思っていたのが、同じ死ぬなら主のために死にたい、と思うようになり、一九九七年の一〇月に洗礼を受けました。ハレルヤ!
合計 69
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