信仰の証
主の恵みを交わし。

ヨルダン川の畔で導かれて(S.I)

投稿者
tbic
投稿日
2021-02-11 00:20
閲覧数
1637
私はイエスさまを否定し続けてきた人間です。いや否定してきたというか、家族の中でイエスさまを信じていた、母と妹を弾圧してきました。

家族の中で最初にイエスさまを信じたのが母です。次ぎに若くしてリュウマチで苦しんでいた妹が、入院中に牧師に導かれて信じました。最初は理系人間で合理的な考え方をする妹がどうしてイエスさまを信じたのか理解に苦しみました。

その後、母と妹はそんな私をクリスチャンにしようと祈っていました。しかし私に聖書のことを語ると、それが元で家庭内は言い争いに発展しました。「日本人の合理的なところは、一つの神さまにこだわらずに、いろいろな専門の神さまを選べるのがいい」「生物は進化してきたから、このようにバラエティーに富んでいるんだ」「神さまは人間が造ったものだ。この世の中に神さまは八百万の神がいる。イエス・キリストもその中の一人だ」「聖書に奇跡がいっぱい載っているけれど、非科学的で神話と同じだ」「毎週教会に行って歌を歌ったり、お説教を聞いて大変だな、日本の神さまは年に一回、お賽銭をあげて手をはたいてくればいいんだ」など、言いたいことを言っていました。ただ苦手だったのは妹が、「おにいちゃん、私がこんな身体でいるのに、明るく生きているのは、どうしてだと思うの。信仰があるからよ」と言われると返す言葉がありません(妹はこのとき私をサウロと呼んでいた)。

ときどき日曜日に教会に母と妹を車で送っても、教会の玄関先で二人を降ろしたら、そのままUターン、運悪く(?)教会の玄関先で主任牧師の安食牧師に捕まって礼拝に参加することになっても、讃美歌は歌わず聖書も開かずというかたくなな態度をとっていました。

そんなとき二年半前に峰町キリスト教会の人たちが、「お正月に行くイスラエル二一世紀の旅」というツアーに参加することになり、母と妹が行くことになりました。妹はリュウマチでその頃は歩くこともままならず、移動は車椅子に頼っていました(妹は現在ではいやされ、人工関節する手術をしたら、元気に歩き回れるようになり、仕事にも励んでいます)。その二人だけでイスラエルに行くのは不安なので、車椅子押しと鞄持ちで私も行くことになりました。

ツアーの内容を見るとイエスさまの受胎告知教会から聖墳墓教会までの多くの教会と、ガリラヤ湖を中心とする聖書の舞台を巡るツアーで、教会に抵抗心を持っていた私には辛い内容のツアーに感じました。しかし母と妹の強い勧めと、国際情勢に関心があったので、いつもテロのニュースで騒がれているイスラエルの様子をこの目で見てみたいという好奇心と、十代の頃から第一次から四次に渡る中東戦争で華々しい戦果をあげて国の独立を保っているイスラエルに関心を強く持っていたので、教会巡りは我慢しても軍事的な関心からイスラエルを見てみようと思いました。

イスラエルは新世紀を迎え、多くの観光客でにぎわっているはずが、テロの影響でどこも非常に閑散としており、経済的に非常に疲弊しているのを感じました。これはテロが続いている現在ではいっそう加速されて、イスラエルに暮らす人々は今も非常に苦しんでいます。今でも、イスラエルに行ってきたと人に言うと、よくそんな危険なところへと感心されました。まだ今のような本格的な自爆テロが始まる前でしたので、他の観光客が少なかったですが、ツアーで回ったところは平穏な雰囲気でニュースで見るような警戒厳重な場面には全く遭遇しませんでした。もっともベツレヘムやエリコなど、パレスチナ地区の紛争地域での観光は安全のために行かなくなりましたが。

母や妹や、一緒に参加された教会のメンバーは、私がイエスさまに救われるのを皆で祈っていました。二年前に結婚式に至る前に挫折し、結婚に希望を持たなくなった自分にとってイエスさまの救いが必要と母は強く感じていました。

そんな期待を寄せられていた私ですが、期待に沿わず私は軍事的なイスラエルウオッチングに励んでいました。各ホテルにある核シェルターの場所を探したり、エリアが火を降らせたカルメル山では、戦闘隊形で編隊を組んでいるF16戦闘機の飛行を見て感心したり、実践的な空軍基地を観察したり、アメリカの援助で一新した陸軍の装備のチェックなどに励んでいました。第三次中東戦争で激しい戦車戦の舞台となり、自衛隊がPKOで行っているゴラン高原で興奮はピークに達しました。なるほどガリラヤ湖周辺の安全のためにここの占領は必要だと現地で感じました。軍事オタクにはイスラエルは聖地です。

しかしそんな私でも、聖書の舞台巡りは心に変化を与えてくれました。ツアーに同行された人々と食事の折々で会話したりしているうちに、クリスチャンというものがだんだん判ってくるようになりました。また各聖地では同行して頂いた安食牧師が、その場所の聖書の箇所を読み、メッセージをされました。その場で讃美をし、祈りましたが、それに抵抗する気持ちは次第に少なくなってきました。

旅行に行く前に、安食牧師より「今回ツアーに行かれる方は、ほとんどクリスチャンかクリスチャンになろうという人ばかりです。また行くところも聖書に関係するところばかりです。伊知郎さんがこのまま参加されても、つまらないでしょうから少し聖書のことを学んでみませんか」と言われました。「いえ、軍事的にイスラエルは充分に興味の持てるところですから大丈夫です」という言葉をぐっと飲み込んでつい、「先生がそう言って下さるのは大変ありがたいです。欧米人の考え方を知るには聖書のことを知っておきたいと思っていました。宜しくお願い致します」と言ってしまい、聖書について安食牧師の素晴らしい教えを四回ほどの学びを受けました。いやいやながらでも聖書の御言葉を聞く機会が与えられ、私の心に種が蒔かれました。

ツアーの半ばにイエスさまが洗礼を受けられたと同じヨルダン川で、洗礼が受けられる場所がガリラヤ湖の南端にあります。ツアーのパンフレットには記載されていないところですが、多くの参加者がこの旅行のハイライトと思っているようです。この洗礼式が行われる四日目に近づくにつれ、周囲から私に洗礼を受けませんかという圧力が強くなってきます。しかし、キリスト教に理解を示す様になっても、長男であるので家を守らなければならないと思っていたのと、教会や寺、神社にも行きたいと思う気持ちがあり、洗礼を受けると言うことは他のものを捨て、イエスさまだけが神さまであると言うことを受け入れなければなりません。

母や妹に強く迫られ、「あなた以外の参加者がみんな洗礼を受けるのに、何であなたは洗礼を受けないの」と無茶な論理で迫られても、気持ちは動きません。洗礼の場所に向かうバスの中でも、安食牧師の最後の洗礼の勧めにも丁重にお断りしました。

洗礼の場所に着いて、洗礼受ける方が五名、献身洗礼を受ける方が八名準備に入りました。私はこの場を乗り越えられればこの旅行中、洗礼を受けなくてもすむと考えていました。妹も車椅子のまま献身洗礼を受けることになっており、私は妹の車椅子を押しながら逃れるすべを探していました。しかし、母もこの機会を逃してはと必死の思いでした。すごい剣幕で、「こら、伊知郎、あなた、どこに行くの!」と迫ってきて、他の同行者と共に取り囲みます。妹の車椅子をしっかりと握りしめ万事窮すという感じになりました。そのとき私の後ろから、山下兄がとことこと近づいてきて、「伊知郎さん、亜矢子(妹)さんの車椅子は私が押しますから、洗礼をお受けなさい」とやさしく声を掛けられました。そのとき、絶対にキリスト教への専属契約は結ばないと頑強に抵抗していた心が急に和らぎ、仕える神さまはイエスさましかいないと思いました。「わたしを拒むあなたをわたしは愛している」という声が聞こえ、心が温かく包まれ幸せな気持ちになりました。今でもこの気持ちは忘れられません。洗礼を受けると決意したら心が晴れ晴れとし、大急ぎで洗礼を受ける準備をし、一番先に洗礼を受けました。ヨルダン川の水は冷たく、落ち葉がいっぱい浮かんでよどんでいましたが、本当に死ぬ気で水の中につかりました。

洗礼を受けると不思議なもので、身も心もクリスチャンになり、軍艦が必ずその国や組織の旗を掲げて航海するように、私もイエスさまの旗を心の中に掲げて生きていくようになりました(後に聖書を読むとこのとき聖霊を頂いたことが判りました)。

あんなに嫌がっていた教会にも毎週喜んで行くようになり、多くの兄弟姉妹に恵まれ、楽しい教会ライフを送っています。信仰を持った後も苦手だった讃美も、よく備えられたもので、讃美の歌詞をパワーポイントで写す奉仕をすることとなり、お陰で讃美が好きになりました。神が一番求めているのが讃美であるということに気付かされました。

困難なこともありました。かつて、この世を創造された人がいるとは知らなかった私は、イエスさまを信じてからも、進化論からなかなか逃れられずに、聖書とのギャップに苦しみました。多くの兄弟姉妹にも心配され祈られましたが、進化論の呪縛から解き放たれるのに一年ほどかかってしまいました。

また、結婚もしました。同じツアーに妹の高校の同級生だった友人が参加しており、この旅行を期に一年後に結婚しました。私が洗礼を受けるきっかけになった山下兄ご夫妻に証人をお願いして、母教会の峰町キリスト教会で結婚式と披露宴を挙げました。多くの兄弟達に奉仕をいただき、未信者の招待客を多く招き、伝道的な式を挙げることができました。

結婚してから、イエスさまを愛している妻によりライフスタイルが大きく変わりました。多くの方が洗礼を受ける前に聖書を学び、イエスさまのことをよく知ってから洗礼を受けるのにたいし、私の場合はイエスさまのことをよく知る前に洗礼を受けたので、信じてから聖書の学びを始めました。結婚前の結婚カウンセリングで安食牧師より「伊知郎さんが家長ですから、結婚後はあなたが中心となって祈らなくてはいけません」と言われました。妻は一六歳の時からイエスさまを信じ、札幌とカナダの聖書学院に行き、自分がつっかえながら祈っているのに妻は英語でもすらすら祈ることが出来ます。聖書の知識も月とすっぽんで、こんな格差のある状態でやっていけるかと不安に思いましたが、軍隊で言えば新米の少尉が、位は低いけど軍務を知りつくしたベテラン下士官の上に立つ苦労と同じと思って乗り越えています。

クリスチャンの夫婦は仲が良くなります。毎週必ず教会に一緒に行き、毎日一緒に祈りを捧げます。二人の間に問題が生じた時には、解決方法を御言葉に求めます。聖書を読み、一緒に祈ると二人の間のわだかまりは氷解します。

結婚前に結婚の学びをし、牧師による結婚カウンセリングを受けたことが、私たちの結婚生活を大きく支えています。イエスさまに導かれた結婚ですから。
合計 69
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聖書のみことばと祈りによって導かれた結婚(W.J)
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