信仰の証
主の恵みを交わし。

神の愛娘にしてイチローの妻(S.T)

投稿者
tbic
投稿日
2021-02-15 23:07
閲覧数
1527
「いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう」(ヨエル書二章25節)

一九九七年の冬、イスラエルで、神は私にいやしを宣言された。この御言葉を約束の言葉として、私は握りしめた。私自身が自分を諦めても、神は私を見捨てていなかった。

エルサレムの教会で全く見知らぬ人から手渡された美しいカードに書かれていた御言葉を通して、神のいやしの力が流れ始めた。

一九八七年一月、自殺未遂をした。一六歳だった。登校拒否をしていて、家族ともろくに口をきいていなかった。愛情を受けて育ったと思う。でも、孤独だった。早く結婚しろ、寂しくないぞ、と言われた。そんなの噓だ、って分かっていた。何をやっても、人とか世間とかに認められたとしても、かなりハイレベルな自己満足ができたとしても、どうせ死ぬんだし。「神」という存在がなかったから、全て空回りに終わる。空しかった。

大好きな日出男叔父ちゃんに話しても、「思春期の悩み」で片付けられるような気がした。誰かに分かって欲しかった。中学生のころ、英語を教えてくれたケイティに会いたくなった。彼女はアメリカ人の宣教師で、現在、私が通う教会で宣教師として働いていたことがあった。私が九歳の時に私の母とケイティは仕事からの帰り道、東京からの電車の中で出会い、以降、ケイティは母をはじめ、私の家族に伝道してくれていた。彼女なら分かってくれるんじゃないかと思った。

それで、日曜礼拝に行ってみた。拒食症気味だったのと、神がいるところにきてしまった、という恐ろしさで貧血を起こして、礼拝中に倒れた。牧師夫人が抱えて、託児室に連れて行ってくれた。そこに子供の字で「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と書いてある紙がはってあった。託児室に連れてきてもらってから、私は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と言っていた。牧師夫人は、「誰に謝っているの?」ときいた。分からなかった。誰にだろう。「神さまは、あなたにこうおっしゃってます」と、彼女はその壁にはってあったイザヤ書四三章四節の御言葉を読んだ。私はまたもや泣き始めた。悲しいからではなく、分かったからだ。私は神の愛を知るために生まれたんだ。それが生きる目的で、そのために神は私を創ったんだ。

二カ月後、受洗した。自殺未遂をした私をどう扱っていいか困っていた両親は、私を牧師館に預けた。三カ月もいた。先生、奥様、あの時はほんとにごめんなさい。

受洗してから何カ月後か、聖書研究を教えていただいていた先生が、祈ることは大切だ、と教えてくださったが、祈り方が分からなかった。先生にきくと、詩篇を読むといい、と言われた。詩篇には神を賛美する表現がたくさんあるよ、って。それで、詩篇の最初から、声に出して読み始めた。その夜は、ちょうど二三篇を読んでいた。有名な聖書箇所だということも知らなかった。声に出して読み始めると、胸の奥の方が、熱くなる感じがして、ボロボロ涙がこぼれ始めた。温かいものが私を包んで、懐かしさがこみ上げて、とにかく涙がとまらない。突き上げてくる懐かしさと喜びが、一体なんであるのか、その時は分からなかった。約十年後、それが聖霊であったと、ようやく分かることになるのだが。教会の方々のご尽力により、とりあえず高校生の間、礼拝は守られ、宣教師の証を聞いて、憧れたりなんかした。

でも、大学生になったとたんに、というより、彼氏ができたとたんに、まったく教会に行かなくなった。KGK(キリスト者学生会)に私の名前がなぜか送られていて、通った大学がキリスト教が土台のところで、仕方なく昼休みのチャペルに時々出た。教会に全く惹かれなかった。それより楽しい、と思うことが色々あった。シド・バレットを聴いたり、澁澤龍彦を読んだりしていると、クリスチャンの友人たちに裁かれた。感動した映画の話をすると、「あんな俗世の映画」と軽蔑された。私が美しいな、と感じるものが「聖書的」じゃないので、受け入れてもらえなかった。模範的クリスチャンである自信は全くもってなかったし。しかし、神から離れるつもりはなかった。神の臨在に包まれたあの瞬間が懐かしくて、どうにかして再び、あの瞬間に戻れないものか、もう一度、イエスさまと一緒に笑いたいと思った。ズルズルと自分の罪に向き合わないまま日々が過ぎていくうちに、ある事件が起きた。

その事件に責任転嫁して、教会から永久に脱走しようと決めた。だが、一度でも神の臨在に触れた者は、神から離れていると苦しい。帰るべきところを知っているのに、帰らずにいると、渇きをおぼえてくる。それでも、私は悔い改めるのが厭だった。就職も、教会に行かなくて済むようなところを選んだ。不幸にも、その仕事に私は向いていて、私の上っ面を取り繕うことが出来てしまった。ごまかしていける、とほくそえんだが、扉は閉じられてしまった。撤退を余儀なくされ、行きたくなかった所に行かざるを得ない状況に陥った。しかし、無理矢理こじあけて、脱出。短期間ではあったが、逃げることができた。ところが、この脱出期間こそが、私の鬱病の始まりだった。

二六歳の春、心療内科に入院した。今でも覚えている。人が怖くて、宇都宮駅を、顔を手で覆って、歩いた。その頃、電話のベルさえ恐ろしかった。口を開くと、「あー、やだ、やだ」と、「あー、どうしよう」の二つの言葉しか出てこなかった。過去を思って、「あー、やだやだ」で、これからのことを考えて、「あー、どうしよう」。三カ月、心療内科にいたが、鬱病は治らなかった。むしろ、ひどくなった。精神病院に移った。精神安定剤の量が増えた。睡眠薬は、さらに強いものとなった。就寝時間になると、ナースステーションで、睡眠薬をもらう。薬をのんで、ベッドに入ると、次の瞬間、朝になっている。眠った記憶がない。ピンク・フロイドを聴きながら、一日でタバコ三箱。

そんなある日、「イスラエルに行ってきなさい」と母に言われた。SEさんという人を訪ねてごらん、というのだ。イスラエルに行きたい、と担当医師に言うと、絶対無理、と言われた。この医師ほど洞察力に長けた人に今だ私は会ったことがない。彼の分析は鋭くて的確で、私の鬱病の原因は明らかにされていた。ところが、どういやすかを、彼は知らなかった。痛みの原因を指摘しても、その痛みになんの対処もできないのは決して彼のせいではなかった。人間が行う医療の限界であって、彼の医師としての技量とかは関係なかった。担当医の反対にあってしまったが、脱出口を求めていた私は行くことに決めた。

行ったイスラエルで、私は徹底的な罪の悔い改めをさせられた。ミニストリーしてくださったSご夫妻には本当に感謝している。そのイスラエルで、随分と久しぶりに日曜礼拝に行った。

教会はクリスマスの飾りつけがしてあった。見知らぬ人が私に一枚のカードをくれた。ご丁寧にも、私が好きな黄色いバラのカードで、英語で御言葉が書いてあった。自分の席に戻って日本語の聖書で、その箇所を確認した。それは、ヨエル書二章二五節だった。ああ、神は私を見捨てていない。私が自分自身に嫌気がさしても、諦めてしまっても、神は私を決して離さないでいてくださる方なのだ。私は自分の罪で、自分から神を離れていたのに、そんな私を神は引き寄せてくださろうとしている。ありがたくて、ありがたくて、涙が止まらなかった。

帰国して、精神病院は退院したが、家に帰っても人が怖くて外に出られなかった。その頃、東京に住んでいたケイティのところに三カ月預かってもらえるように、牧師夫妻が頼んでくれた。そこで、私は御言葉によるいやしを経験した。もっと、いやされたい。

そう思うようになった。牧師が「北海道にとても良い聖書学校がある」と薦めてくれたCFNJ聖書学校に、入学することになったのだが、それを決意するまでの間、ひどく悩んだ。私のような精神病の人間がいっていいのだろうか、牧師や宣教師になりたいというのではなく、いやされたいという動機でいっていいのだろうか。ケイティはそんな私のために断食をして祈ってくれた。彼女の祈りがなければ、行けなかっただろう。その学院生活で、私はいやされていった。神の愛に漬かれば漬かるほど、神に近づきたくなる。そうすると、自分の罪が、神に喜ばれないものが、邪魔に思えてくる。

いやされたい、というよりも、聖くされたい、と思うようになる。学院の寮生活の中で、厭というほど自分の醜さを見せ付けられ、絶望し、それでも、和解を得て生活していく中で、神はすばらしい幻を与えてくださった。これは私の宝物である。私は神の御座の前にいる。真っ白い服を着ていて、神の栄光を反射して輝いている。私は手に何か葉っぱのようなものを持って、ピョンピョン飛び跳ねながら踊って、神を讃美している。決して芸術的とはいえず、はっきりいって馬鹿みたいだ。でも、神はその私のピョンピョン踊りを喜んでおられるのが分かる。そこには何千万、いや、何千億ものひとがいるのだが、その一人ひとりを神は愛しているということを感じる。私は讃美し続けていて、やめようとしない。踊っているけれど、もし、私に両足、両腕がなくても、踊れなくても、歌えなくても、神は私を、私の魂の存在それ自体を、とてもとても喜んでくださっているというのを強く感じる。

神の美しさに憧れても、神に仕えたいというこっ恥ずかしいほど真摯な気持ちをもっても、所詮、私の人生、御座の前のピョンピョン踊りにすぎないかもしれない。それでもいい、私はピョンピョン踊りを捧げたい。

ところで、こんな私が昨年結婚してしまった。しかも、相手はスズキ・イチローである。シアトル・マリナーズのイチローよりずっと上等のイチローだ。結婚して良かったと思うことの中で、ザ・ベストは、私の鼻のことだ。小さい頃から形の悪い、団子鼻がコンプレックスだった。若草物語を読めば、洗濯ばさみを鼻にはさんだし、芥川の『鼻』も、妙に心に突き刺さったし、シラノ・ド・ベルジュラックを観たときは、他人事と思えなかった。プロポーズに承諾した後のはじめてのデートでイチローに訊いてみた。私の鼻をどう思うか。イチローは、「丸くてかわいいよ」といって、その問題の鼻の上にキスしてくれた。蓼食う虫も好きずき、いや、神の恵みは素晴らしい。
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