信仰の証
主の恵みを交わし。

人生を千倍楽しむ方法(持田 明広)

投稿者
tbic
投稿日
2020-11-16 18:10
閲覧数
229
人間死んだら終わり

私は、山陰の山紫水明の地、松江市で生まれ育ちました。小さいときから勉強が大嫌いで、人一倍よく遊んでいたため、学校の成績はいつも下位の方でした。親や先生は、私にもっと勉強するように言いましたが、私が勉強しないのには理由がありました。

「勉強して何になる?良い大学に入れて何になる?良い企業に就職できて何になる?出世できて何になる?偉くなって何になる?お金設けて何になる?……いずれ死んだらみんな同じじゃないか。なのに、何で嫌いなことのために努力しなければならないの?」

小さいながらも、私の心の奥底に抱いていたこの素朴な疑問に対して答えを与えてくれる人は、誰もいませんでした。

すべての人間にいつか必ず来るところの<死>、このすべてを無に帰してしまう<死>のことを考えると、勉強することが無意味に思えて、そのためにわざわざ努力する意欲が湧いてきませんでした。だからと言って、私は決してペシミスト(悲観主義者)であったわけではありません。勉強こそ大嫌いでしたが、遊ぶことは大好きで多くの親友がいましたし、本当に楽しい思い出ばかりが残った小学校および中学校生活でありました。

さまよえる青春時代

高校時代は硬式テニスに熱中し、インターハイや国体にも出場しました。テニス三昧の日々を過ごしながら、いつの間にか大学受験の時期を迎えました。私は、大学に入ってまで嫌いな勉強をしたくありませんでしたが、テニスで強くなるために「大学に行こう」と決心しました。運良く希望していた関西学院大学に合格し、私はさっそく体育会のテニス部に入部しました。しかし、体育会の体質が私の肌に合わず、半年で退部してしまいました。

テニスという目的を失ってしまった私は、糸の切れた風船のようにさまよったあげく、麻雀に熱中するようになりました。阿佐田哲也氏の「麻雀放浪記」の世界に心酔するほど麻雀に狂いました。麻雀に集中しているとき、それは私にすべてを忘れさせてくれましたが、それが終わると心に穴の空いたような虚無感をいつも感じました。

「私は一体何をしている。このままでいいのか?」その空しさを紛らすためにまた麻雀を打つ、このような刹那主義が私の学生時代の生き方を支配していました。

大学を卒業して、私は、ある司法書士事務所に就職しました。その頃、私は失恋し、そのショックが、私のこれまでの生き方に反省を迫るきっかけとなりました。私は、「確信をもって歩む人生、後悔しない人生を送るにはどうしたらよいか」と、これまで避けてきたこの問題に初めて正面から取り組みました。また、法律を少しずつ勉強するようになって生じてきた疑問がありました。

それは、「絶対的な真理はあるか?何が善で何が悪なのか?人を殺してはいけないのはなぜか?」等という疑問でした。このように、①後悔しない生き方はどうしたらできるか、②真理(善・悪)とは何か、という二つの大問題について、私は真剣に考え続けました。

コペルニクス的転回(創造主という考え方)

このような毎日に疲れ果てたある日、本屋で「何を信じて生きるのか」という題名の本に目が留まりました。手に取って読んでいると、著者は、「無くてならぬものは多くはない。いや一つだけである」という言葉を引用して、「今日の豊かさの中で、私たちは、本当に自分の人生にとって『無くてならぬもの』を見出しているか」と読者に問いかけていました。私は、私にとって『無くてならぬもの』とは何だろうと自問自答し、「命である」という結論を出しました。著者の答えが早く知りたくて次の頁をめくってみると、そこには全く予想外の答えが用意されていました。

「自らの存在を存在たらしめてくれる究極的なもの」、これが著者の結論でした。私は、自分の命よりも自分を存在たらしめるもの、すなわち<創造主>の方が大事だという著者の価値観に大変驚きました。同時に、この<創造主>という発想がとても新鮮に感じました。私は、それまで「自分が造られた存在」などとは考えたことがありませんでした。しかし、よく考えてみれば、私は自分の意志で生まれて来たわけではありません。私の両親も、私が日本人であることも私の意志外で決められたことです。また、呼吸したり心臓を動かしているのも、私の意志や努力によるのではありません。私は、「もし創造主を知ることができたら、私の悩みは解決できるのではないか」と思いました。なぜなら、創造主が本当におられるとしたら、この創造主が私を造られた目的に従って生きていけばよいわけで、それが私にとっては最善の生き方、後悔しない生き方でしょうし、真理の問題についても、この全世界・全宇宙の創造主が善と言われることが善であり、悪と言われることが悪であるとして、簡単に解決可能だからです。

この本をよく読むと、先ほどの言葉は、聖書(ルカによる福音書10:42)からの引用であり、著者のいう創造主とは、<聖書の神>のことであることがわかりました。この頃の私は、自分がどこをどう歩いているのか、これから先どこへ歩いて行けばよいのか、皆目わからない状態でした。暗闇と混乱が心の中を支配していました。けれども、この<創造主>という考え方を知って、私はようやく一縷の希望が見えたように思いました。長い心の葛藤がありましたが、私は、自分の人生の立て直しを、この創造主なる神に賭けることにしました。そして、この日は私の人生最大のターニングポイントになりました。

弁護士への道

私は、聖書を貪るように読みました。

「空の空。すべては空。日の下で、どんなに苦労しても、それが人に何の益になろう。」(伝道者の書1:2-3)。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マタイによる福音書16:26)。

私の長年の疑問を、聖書はずばり指摘していました。さらに、聖書には、このような疑問が生ずる原因とその解決方法も書かれていました。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに。また『何の喜びもない』という年月が近づく前に。」(伝道者の書12:1)。

「わたし(イエス)がいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(ヨハネによる福音書6:35)。

このような御言葉の光に照らし出されるように、私の心の中を覆っていた暗闇も次第に駆逐されていきました。そして、私の生き方も、自分中心の発想・考え方から、創造主=イエス中心の発想・考え方に少しずつ変えられていきました。私は、「私の歩むべき道を教えてください」と神にお祈りしました。この祈りの答えとして、神は私に<司法試験の道>を示して下さいました。私のような勉強嫌いな者、能力なき者、大学を卒業してすでに二年が過ぎようとしている者に、神は、よりによって国家試験の中でも最難関と言われる司法試験を受けるように導かれたのです。人間的に見れば、私がそれに不適格であることは誰の目にも明らかでした(証人もたくさんいます)。しかし、創造主に従えば後悔しない生き方ができるというのが、私が信仰を持つに至った原点でした。そして、それが司法試験の道であるとわかった以上、私はその道に進まないわけにはいきませんでした。

約八年間、受験生活が続きました。その間、孤独との戦い、劣等感との戦い、病気との戦いなど多くの試練があり、何度「やめよう」と思ったかわかりません。しかし、そのたびに神は、「あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。」(へブル人への手紙10:35)と語りかけ、私に勇気を与え、決して諦めることがないように励まして下さいました。

何よりも驚くべきことは、あれほど勉強嫌いであった私が、八年間もほとんど毎日のように勉強を続けることができたということです。勉強することに意味が与えられたこと、これがその最大の理由でした。辛く苦しい八年間でしたが、あの麻雀をしていた頃に何度も味わった虚無感は全くなく、代わって「私がすべきことはこれなんだ」という充実感がありました。神が定められた試練の期間が終わった時、私は司法試験に合格しました。私の両親や旧友から見れば、まさに奇跡的な出来事でした。

人生を千倍楽しむ方法

私の人生は、創造主を知り、この方に従おうと決心したときから、一八〇度変わりました。それまでの私は全て自分中心であり、自分の力だけが頼りで、自分を楽しませることが人生の目的でした。そのために嫌いな勉強こそしたくありませんでしたが、お金や地位、権威等はほしいと思いました。反面、自分の力ではどうしようもないこと、たとえば、将来のこと、死のこと等に計り知れない不安を覚えました。死の前にはすべてが<空>に感じました。

しかし、このように創造主を認めず、自分を中心にした生き方は、地球が宇宙の中心に静止し、太陽や月、星がその周囲を回っているという天動説の狭い視点に立つ限り、宇宙の真理が見えてこないのと同様に、私たちが被造物にすぎない自分を中心にして物事を見ていく限り、人生の真理は見えて来ず、不安は消えることがないのです。

地球が太陽の周りを回っている状態が正常なように、また、子供は親元で暮らすのが自然なように、人間は、創造主なる愛の神の下で生きるのが本来の姿です。ここに私たちの<魂の故郷>があります。ここに帰るとき、私たちの人生には意味が出てきて、今までに経験したことのない大きな喜びと平安に満たされるのです。私たちを造られ、愛して下さる方がともにいて下さいますから、どのような厳しい試練や環境におかれたとしても、人生の土台は揺るぐことなく平安を保つことができます。

予想しがたい将来のことについても、恐れないでゆだねることができます。また、創造主なる神は、イエス・キリストを通して私たちの罪の重荷を取り除き、永遠のいのちが与えられる道を開いて下さいました。ですから、<いのちのパン>(前記のヨハネの福音書)であると言われたイエスのもとに来る者は、死を恐れる必要もなくなりました。

聖書の中に、次のような言葉があります。「まことに、あなた(神)の大庭にいる一日は千日にまさります。」(詩篇84:10)。

神とともに歩む一日は、神との出会いなくして歩む千日(それが漠然と過ごした日々であっても、多忙な日々であっても)よりもはるかに勝っていると言うのです。

私たちがどんなに努力して勉強しても、有名大学に入っても、大企業に就職しても、平和な家庭を築いても、出世して偉くなっても、お金持ちになっても、世界の支配者になっても、私たちが<まことのいのち>(前記のマタイの福音書)を得ていなければ、それらの喜びは一時的で空しいものです。しかし、私たちが創造主なる神のもとに立ち帰り、<まことのいのち>を得ているならば、私たちの人生は千倍も楽しくなります。あなたも、ぜひこの千倍も楽しくなる人生を体験してくださいますように。
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