信仰の証
主の恵みを交わし。

キリストとの出会い(N.D)

投稿者
tbic
投稿日
2021-08-01 21:17
閲覧数
489
私がキリスト教と出会ったのは、初めての海外駐在で、アメリカのケンタッキー州にあるルイビルという町に赴任した時のことです。ケンタッキーは、ワシントンDCの南に隣接するバージニア州のさらに西隣の州です。ルイビルはケンタッキー州の最大の町ですが、それでも周辺地域も入れた、いわゆるグレート・ルイビルでさえ人口が20万人強、ちょうど私たちの教会のある市と同じ位の規模でしょうか。とは言っても面積はその10倍以上はあると思いますし、その周りは農場と牧場、さらにその周りは森林ですから、典型的なアメリカの田舎町です。ニューヨークの人間に言わせると、「人間よりも馬や牛の数が多い町」ですし、実際に私もそう思いました。
このルイビルも年に1回だけ全国レベルのメジャーになる時があります。それは春のケンタッキーダービーの時です。この時だけはアメリカ中から人がやって来て、ホテルの宿泊代も10倍にはね上がります。ダービー会場のチャーチルダウンズ競馬場には三大ネットワークを初めとする全てのメディアが、そして全米の有名人が集まります。しかし、従って入場券はなかなか手に入らず、結局私たちは、テレビでしかレースを見たことがありません。
そのルイビルの事務所の上司、Asa Hordに、彼の所属するサザンバプティスト教会に連れて行かれ、私ははじめて教会の礼拝に参加しました。私の英語がそれほど上手でないうえに、牧師が南部訛りで話すものですから、メッセージの内容は途切れ々にしか分からなかったのですが、それでも賛美や黙想の時をもつこと自体が、仕事のことばかり考えていた私にはとても新鮮に感じられました。しかしキリスト教により深い関心を持つようになったのは、同じアパートに住んでいた、エスターとエレンという二人の老婦人との交流を通じてでした。
二人とも高校の教師で、私たちと同じアパートで二人で共同生活をしていました。アパート内の小道を散歩していた家内に、偶然出会ったエスターが声を掛けてくれたのが、二人と知り合ったきっかけです。二人は、初めての海外生活で右も左も分からない私たちに、いろいろなことを教えまた助けてくれ、ルイビルでの私たちの生活の支えとなってくれました。たとえば、ルイビルの日本人の家族は数家族しかおらず、極めて小さい日本人社会を作っていたのですが、そんな狭い日本人世界の軋轢の中で、家内が悩み打ちひしがれている時に、そばにいてやさしく慰め励ましてくれたのが、アメリカ人である彼女たち二人でした。仕事と会社中心で、全てを利害関係でしか判断できなかった私には、肩肘張らずに自然に他の人の世話をする彼女たちの姿がとても新鮮に思われました。相手に負担を感じさせずに、日常生活の一部として、当然のように行う他の人に対する親切や奉仕の姿に心を打たれました。食事をしたり、買い物に行ったりと、二人と共に過ごす日常生活の中で、教会のいろいろな催し物にも参加するようになり、自然に彼女たちの生活の中心となっているキリスト教に触れるようになりました。しかし、当時の私はキリスト教を、まだ、あくまで、世の中を生きていくための手段、悪く言えば世渡りの道具としか考えていなかったように思います。

1年半の駐在期間を終え、私たちは東京へ帰り、家内は横浜の教会で洗礼を受けました。そして更にその2年後、私たちは、今度はニューヨークへ駐在することになりました。

それは1987年ですから、ちょうど日本はバブルの真っ盛り、有り余るお金の使い道を探してたくさんの日本人がアメリカを始めとする海外に投資のチャンスを探しに出て行った頃の事です。ニューヨークは米国投資の窓口であり、税務を利用した投資家向け金融商品の開発の中心地でもありました。私も日米のクロスボーダー国際税務を学びたいと自ら志願した駐在でした。ニューヨークにいた私たちのところには、ほとんど毎日のように日本から新しい投資家が財務、会計、税務上の相談のためにやってきました。私も忙しい毎日におわれるようにして必死になって働きました。深夜までの残業が続き、2、3日の連続徹夜も頻繁にありましたが、私自身は集中していたのでそんなに苦になりませんでした。しかしそういった状態が1年も続くと、ある時ふと自分自身を振り返ってみて、目先の仕事に追われるばかりで、当初に自分が希望していた種類の仕事や勉強が全くできていないことに気付きました。同時に、まわりの同僚や仲間に置いて行かれるのではないかという焦りが生じてきたのです。
上司に何とかならないかと掛け合い、その上の上司に、更にはまた私の送り元である東京の上司と交渉していくと、逆に、次第に今いる部門の中で自分が浮き上がり、孤立するようになってきました。それがまた焦りを助長し無理な交渉をしている中で、とうとうNYで私をサポートしてくれていた人にも見放され、突き放されてしまいました。遠い海外まで来て一人ぼっちになってしまった自分に気付きました。異国の大都会ニューヨークで何もできない自分の小ささ、無力さに打ちひしがれる思いでした。
そのような時でした。忙しい中も家内に無理に連れて行かれて、いやいやながらすみに座って参加していた、教会のバイブルスタディーや礼拝で、語られた聖書の言葉が少しずつ私の心の中に入り込んできました。少しずつではありますが、次第に自分から聖書を読むようになり、礼拝のメッセージや読む聖書の言葉から、自分をありのままの姿で受け入れ、愛してくれる主を感じることができるようになりました。無力感、孤独感に覆われている私のそばで、尚見捨てず共にいて傷ついた私の心に、ささやきかけ慰めて下さるイエスの存在を感じるようになったのです。

その年の秋には家族で教会のリトリートキャンプに参加しました。キャンプの集会に参加し、アブラハムの信仰の姿勢を学びながら、そのテーマソング、賛美歌539番、IIコリント5章7節を「見ゆるところによらずして信仰によりて歩むべし」と繰り返し賛美する中で、まだ私の心の中に残っていた最後の壁が崩されたように思います。それは「他に自分をゆだねることが、自主性の無さや現実のプレッシャーからの逃避なのではないか」という思いでした。しかし逆に「目の前にどんな誘惑や困難があったとしても、自分に正しいと示されたことに最後まで従いきる、勇気であり誠実さ、それが信仰であること」が示されました。自分の欲望を達成するためには何でもする優柔不断な私には、全くそのような意味での真の強さが無いことを知り、信仰への決心に導かれました。
キャンプの閉会式が終わり、皆が互いに最後の挨拶を交わしている中、誰かに背中を押されるようにして、演台の横で参加者と挨拶を交わす正木牧師の前まで進み出て、先生に信仰の決心へ導かれたことを告白しました。その後に起こったことは私にとって思いもよらぬことでした。「皆さん、新田さんが信仰の決心へ導かれました」と喜びのあまり大声で叫ぶ先生の声。拍手と歓声。次々と握手を求めてやってくる教会員の皆の涙顔。自分一人で悩み苦しんできたと考えていた私ですが、これだけたくさんの方々が祈りで支えていてくれたこを初めて知りました。そして今、自分のことのように祝ってくれているのです。後に、ルカ15章で一人の罪人が悔い改めたときに、天にある神の天使たちの間で大きな喜びがある。お祝いの大宴会が催されるんだと学びましたが、当時のことを振り返って、まさにその祝福が地上にまでこぼれおちてきたようだったなと思いました。
その年のクリスマスに洗礼を受けましたが、洗礼までの聖書の学びの時を通じて、次第にそれまでの私がいかに自分勝手だったかを示されたように思います。それは、自分の立場や希望を主張するばかりで、上司が自分に何を期待しているかという事に全く心を配らない、自分の目的を達成するためには手段を選ばない自己中心の私です。また家族に対しても、自分の都合で遠いNYまで連れて来ておいて、全く言葉や文化・習慣が異なる地にほっておき、体調もすぐれないまま不安と孤独の中で日々を送っていた家内や子供に対し、仕事が忙しいからと言って見て見ぬふりをしていた愛情のかけらも無いエゴの塊のような自分の姿でした。そんな欠点だらけの私を、主はそのままの姿で、認めまた愛して下さること、しかもその主こそがこの地球を、全宇宙を作られた創造主であることを、自分のこととして知ることができるようになりました。

帰国後、それ以前から親しんでいた教会に導かれ、家族全員で(長男はアメリカの大学を卒業し、そのままアメリカで就職しましたが)、教会を中心にした充実した生活をおくらせて頂いています。

最後に、このことをお話しして私の証を終えたいと思っています。それはクリスチャンとなってしばらく経ったときにふと気づきました。あの幼い頃から私に付き纏っていた死に対する恐怖の心がいつのまにか完全に拭い去られ、そして、永遠の命の確信と、いつも共にいて下さる主に対する感謝の思いとに替えられていた事を。
心から主に感謝致します。アーメン
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