メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ヨハネの福音書1:1-18 (ロゴスとして来られたイエス様)

投稿者
tbic
投稿日
2022-01-02 21:13
閲覧数
365
ヨハネの福音書1:1-18、『初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。ヨハネはこの方について証しして、こう叫んだ。「『私の後に来られる方は、私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。』

聖書ではないのですが、聖書の続編として外経というものがあります。その外経の中でマカバイ記があるのですが、そのマカバイ記Ⅱ7章には七人兄弟の殉教という内容が出て来ます。アンティオコス・エピファネス皇帝のもとでの激しい迫害が描かれています。その時、7人の兄弟が同じ日に、同じ場所で殉教する場面がありますが、もう既に6人の兄弟が殉教して、最後に末子の息子が残っていました。その時、拷問をして殺す者(死刑執行人)が末子は殺したくはなかったので、どうしても背教させて(裏切り者にして)生かそうとしました。だから、その子のお母さんをつれて来るように命令して、つれられたお母さんが来て見たら、とんでもない状況が繰り広げられていたわけです。もう既に6人の息子は死んで、たった一人末子の息子だけが残っていたわけです。死刑執行人はお母さんに、「あなたの息子を説得しなさい。主イエスを否認すれば、生かしてあげる」と言ったのです。その時、お母さんは末子に、こう言いました。マカバイ記Ⅱ7章29節ですが、「この死刑執行人を恐れてはなりません。兄たちにならって、喜んで死を受け入れなさい。そうすれば、憐れみによってわたしは、お前を兄たちと共に、神様から戻していただけるでしょう。」と励まして、結局末子もお母さんと共に殉教するわけです。皆さん、これが本当にできることでしょうか?自分の強い信念で、これができるものですか?いいえ、生きておられるイエス様が殉教の苦しみと恐れの中でも、なお共にいてくださり、それを乗り越えられるように助けてくださるから、それが可能です。

今日のみことば、本文1節に「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」とおっしゃいます。ここでことばはギリシャ語でロゴスという言葉です。だから、ことばをロゴスに入れ替えて読んでみますと「初めに、ロゴスがあった。ロゴスは神とともにあった。ロゴスは神であった。」になります。そして、このロゴスはイエス様です。つまり、ことばをイエス様に入れ替えて読んでみたら「初めに、イエス様があった。イエス様は神とともにあった。イエス様は神であった。」になりました。

ここで「初めに」は創世記1:1の「初めに、神が天と地を創造した。」とおっしゃった時の「初めに」より、もっと前の「初めに」です。つまり、このヨハネの福音書1:1の「初めに」は天地が創造される前の「初めに」です。創世記よりも早い、前の「初めに」がヨハネの福音書の「初めに」です。だから創世記の前から、もう既に隠されていた初めのことばです。その初めのことば(ロゴス)が時になって、イエス様として来られたということです。

このイエス様であられるロゴスは、いったい何でしょうか?

1)ロゴスはみことばそのものです。

皆さん、声と言葉は異なります。何の意味もないのであれば声となり、意味があれば言葉となります。言葉の中でも重みのある言葉はみことばとなります。誰かがおっしゃった言葉を、私がみことばだと尊く呼んだら、その言葉を私がとても大切に思っているということです。

だから、イエス・キリストをロゴスだと呼んだ理由は、その方に意味があるからです。意味をもって人間を創造して、意味をもって天地万物を創造したということです。だからこそ、私たちが人生の中で自分の命をかけられるほどの意味を見つけるためには、イエス・キリストに出会わなければなりません。

「イエス」という名前の意味は「救い」という意味ですが、ヘブライ語の名前「ヨシュア」から由来しています。その救い主であられるイエス様は神の御子として、この地上に人間として来られました。今日の本文の14節に、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

イエス様は神様なのに、人間となられた(Incarnationした)ということです。本文18節に、「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

だから、イエス様がこの地上に罪のない人間として来られたわけです。2000年前に、あのパレスチナのイスラエルの地、ベツレヘムで聖霊の力によってマリヤの体からお生まれになったということです。なぜでしょうか?人間を救うために来られたわけです。本文の12節に、「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

皆さん、誰でもイエス様を受け入れれば神の子どもとなり、イエスの御名によって私たちの原罪と、自分が犯した罪が赦されます。その救い主ロゴスであられるイエス様が、この地上に来られたのです。だから、みことばに従ってイエス様を信じる者は、誰でも救われます。このロゴスが、まさにイエス様であり、みことばそのものです。

2)ロゴスは原理です。

ロゴスは原理という意味があります。ギリシャの哲学の中で、ストア学派ではロゴスが宇宙と人間社会の根本となる原理を意味します。だから、創造主であられるイエス・キリストをロゴスだと呼んだ理由は、その方に根本となる原理があるからです。宇宙の中で動いている原理がその方から出て来て、人間が生きる原理もその方から出て来ました。だからこそ、原理に従って真の人生を生きるためには、イエス・キリストに出会わなければなりません。こういう理由でロゴスを漢字で表現するとき、「道」だと翻訳した本も多いわけです。

イエス様はヨハネの福音書14:6節で、こう言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」すべての道、すべての原理は、このみことばであられるイエス・キリストから出て来ました。天地万物を創造したときも、このみことばによって創造したように、ロゴスであられるイエス・キリストのみことばによって宇宙は動き続け、人間も生きられるわけです。

しかし、みことばに逆らうとき、災いが起きるし、人間は滅ぼされます。

皆さん、神様は初めに、天地万物を創造しましたが、それは六日間の創造でした。それも、ことばで日(太陽)を造り、月、火、水、木、金、土(つき、ひ、みず、き、てつ、つち)を造られました。全部ことばで造られました。まさに、ロゴスの原理です。

近代に入って、アメリカでは自然を保存し、環境を豊かにする目的で狼を始め、猛獣たちを制限する政策をとり、集中的に猛獣たちを捕らえ、殺しました。アメリカのルーズヴェルト大統領が引っ張っていった政策でした。しかし、結果は最悪だったわけです。猛獣たちの暴力が自然界から消え去って、自然がもっと豊かになり、競争が消えるだろうと思ったのですが、むしろ自然をめちゃくちゃに壊す結果となりました。鹿をとって食べた狼やヒョウなどが少なくなってから、鹿の数が爆発的に増えてしまったのです。その結果、草や植物などが消え去り、森は荒れ果てていったわけです。自然は鹿の数を支えられなくなって、鹿はお互いに生存のための激しい競争に入ったのですね。しかし、彼らの競争は、長続きはしませんでした。小さな木の葉っぱまで食べつくした鹿たちは結局、深刻な食べ物不足で急激に数が減ってしまったのです。

皆さん、自然のすべては全部つながっています。だから、このロゴスは調和をもって万物を支える神様の原理であることを覚えて、みことば通りに生きなければなりません。

3)ロゴスは真理です。

ロゴスは真理、あるいは知恵という意味をもっています。

イエス様を裁判にかけるとき、ピラトはイエス様に聞きました。ヨハネ18:37節に、「それでは、あなたは王なのですか。」その時、イエス様は答えられました。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」そうしたら、ピラトはイエス様に聞き返します。次の38節に、「真理とは何ですか。

ピラトのこの質問は、特に哲学が大好きだったギリシャ人とローマ人たちが、一番よく分かち合った(ディスカッションした)質問の内容です。だから真理であられるイエス・キリストをロゴスだと呼んだ理由は、その答えがイエス・キリストにあるからです。

だからこそ、真理を探し求める人がいるのであれば、イエス・キリストに出会わなければなりません。ヨハネ14:6節に、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

イエス様は自ら、ご自分が真理だとおっしゃいます。つまり、イエス様は道であり、真理そのものです。

孔子は「朝に道を聞けば、夜に死んでも良い。」と言って、お釈迦様は、その道(みち)を探し求めて、家を出てから10年以上に、さ迷ったそうです。すべての人間、特に聖人たちは道を探し求め、それを伝えるのに精一杯でした。しかしイエス様は自ら、ご自分が道であり、真理であり、いのちそのものだとおっしゃいます。これこそ、イエス様の神性、神様としての宣言だと思います。

真理であられるイエス・キリストのこの告白は、神様の自己啓示だと思います。だから今日のみことばの本文、ヨハネの福音書1:18節で、こうおっしゃいます。「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

真理、それ自体が神様の性質(品性)を表わしています。詩篇86:11節、「主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。」引き続き119:30節、「私は真理の道を選び取り、あなたのさばきを私の前に置きました。」このように、イエス様は真理そのものです。

こういう風に、イエス・キリストを自分の主として受け入れて、その方から生きる理由と目的、真理を見つけたら、私たちは命をかけるほどの大きな何かを発見すると思います。もし、神にかたどって造られた私たちが命より、もっと大きな何かを発見できず、私たちより小さな何かのために生きるのであれば、私たちは満足できず、暗闇をさ迷う人生となります。まるで、自分の体より小さな空間の中に閉じ込められたように、不自由さと圧迫感、むなしさが心をとらえると思います。

その暗闇から逃れる方法はただ一つ、私たちを造られた神様、イエス・キリストの中で、私たちの命をささげられる、もっと大きな何かを探し出すことです。その時、まるで、暗い部屋に入って灯をつけたように、私たちの人生が明るく輝いているのを経験すると思います。私たちがイエス・キリストを光だと呼んでいる理由が、まさにここにあります。ヨハネ8:32、「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

私たちは真理の中で完全にとらわれた人生を生きるとき、本当の自由と平安が訪れると思います。まさに、スカルのサマリヤの女がそういう人であり、マグダラマリヤがそういう人でした。彼女たちは真理であられるイエス様に完全にとらわれ、自分の人生をすべてささげた知恵ある人々でした。

彼らはこのみことば、ヨハネの福音書15:5節のみことばの意味が分かったのです。ヨハネの福音書15:5節に、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

愛する皆さん、私たちも、こういう風に、イエス様にとらわれた完全な人生を歩もうではありませんか。このイエス・キリストこそ、ロゴス、つまり、みことばであり、万物の原理であり、すべての人生の真理であることを、ちゃんと覚えていただきたいと思います。
合計 144
手順 タイトル 投稿者 投稿日 推薦 閲覧数
144
ヨハネの黙示録14:14-20(愚かな人生を生きてはならない)
tbic | 2024.05.12 | 推薦 1 | 閲覧数 21
tbic 2024.05.12 1 21
143
ヨハネの黙示録12:10-12(終末の時は悪魔がもっと賢い)
tbic | 2024.05.06 | 推薦 2 | 閲覧数 22
tbic 2024.05.06 2 22
142
ヨハネの黙示録7:9-14(神様から祝福より、認められよう)
tbic | 2024.04.28 | 推薦 2 | 閲覧数 31
tbic 2024.04.28 2 31
141
マタイの福音書8:5-13(百人隊長の信仰)
tbic | 2024.04.21 | 推薦 2 | 閲覧数 34
tbic 2024.04.21 2 34
140
ルカの福音書5:27-32(天の御国にゴミ箱はない)
tbic | 2024.04.15 | 推薦 2 | 閲覧数 37
tbic 2024.04.15 2 37
139
創世記22:1-8「苦しみ(十字架)を受け入れれば、素晴らしい逆転(復活)がある。」
tbic | 2024.04.07 | 推薦 1 | 閲覧数 47
tbic 2024.04.07 1 47
138
テモテへの手紙第二1:7(無力からの解放)
tbic | 2024.03.31 | 推薦 1 | 閲覧数 49
tbic 2024.03.31 1 49
137
ヨブ記6:21-27(慰めの秘訣)
tbic | 2024.03.24 | 推薦 1 | 閲覧数 56
tbic 2024.03.24 1 56
136
ヨハネの福音書16:25-33(わたしはすでに世に勝ちました)
tbic | 2024.03.17 | 推薦 1 | 閲覧数 58
tbic 2024.03.17 1 58
135
ヨハネの福音書 14:1-5(変えられた言葉が新しい人生を造る)
tbic | 2024.03.10 | 推薦 1 | 閲覧数 60
tbic 2024.03.10 1 60

主の御名によって 歓迎いたします。

TOP

東京ベイ国際教会

〒279-0042 浦安市東野1-6-18

Tel :090 – 8116 – 9372 / jeenbd9994@yahoo.co.jp

Copyright (C) 2019 www.tokyobaychurch.com All Rights Reserved.