メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ヨハネの福音書3:1-8 (生まれ変わりの旅程)

投稿者
tbic
投稿日
2022-01-31 00:44
閲覧数
310
  1. 導入(どうにゅう):イエス様を信じるようになった経緯
  • 初めまして。パクサンミンと申します。TBIC教会で皆さんにお会いして、証(あかし)や説教(せっきょう)ができることは私には光栄(こうえい)で、ただ神様の恵みです。今日は私がどうやってイエスキリストを信じるようになったか経緯(いきさつ)と私の信仰(しんこう)の歩みで一番大切なことについてお話致します。
  • 私は、1995年に初めて日本に来ました。その時私はイエス様を信じていませんでした。しばらくの間、日本の横浜に住んでいた母と兄を訪問しました。当時(とうじ)、母と兄はイエス様を信じ、一生懸命教会を支(ささ)えていました(奉仕(ほうし)する)。また、兄は神学校(しんがっこう)に行くために準備(じゅんび)をしていました。
  • ある日、母が私に静かに話しました。
母:“私には一つの願いがあるの。”

私:“何ですか。”

母:“それは私と一緒に教会に行くことなの。”という会話(かいわ)でした。

それで、母の一つの願いである教会へ行くことにしました。
  • この時は、神様を信じていなかったので、教会へ行っても、礼拝(れいはい)が終わったら、食事の交(まじ)わりもしないで、一時間半ほどで すぐ一人で家(いえ)に帰りました。そのまま2-3か月くらい過ごした時、よくわかりませんが急に聖書が読みたくなりました。このことは不思議な出来事で、その考えが頭の中から去(さ)りませんでした。
  • それで、私は兄に、「聖書が読みたいです。」というと、兄は、聖書を読むならマタイの福音書から読んだ方がいいよ”とお勧めしてくれました。そして、兄は教会の牧師(ぼくし)に許可(きょか)をもらい、教会で一人で過ごす機会をくれました。私は兄のおすすめの通りにマタイの福音書を読み始めました。
  • ある日、聖書を読む中でイエス様の存在(そんざい)を信じ、私の罪を悔(く)い改(あらた)めながら泣き始めました。また、どうしてそんなにたくさん泣いたのか今もわかりません。ただ、泣きながら私の罪がわかり、イエス様にその罪を告白(こくはく)しました。そして、イエス様をわたしの主として信じ始めて、信仰生活が始まりました。
2.本論導入(ほんろんどうにゅう):イエス様を信じる前と後の違い
  • イエス様を信じ始めた時、以前と比べ 変わり始めたことは先ず、私が
興味があったものや、好きなもの、追(お)い求(もと)めていたものが どんどん嫌いになっていきました。例えば、世の中の名誉(めいよ)や、有名な人になるとか、世俗的(せぞくてき)なものです。そして、人生の関心(かんしん)の中心(ちゅうしん)が神様になったのです。それが私の人生の変わり始めだと思います。 しかし、私の人生の変化とと共に、ある葛藤(かっとう)(もつれ)が始まりました。

3.本論1:イエス様が十字架で完了したと言われて、私も私の苦しみが終わったと思たが、そうではなかった。
  • イエス様を信じてよい変化と共に、私の心に起きた葛藤(かっとう)と悩(なや)みを簡単に言うと、次のイエス様の御言葉によるものからでした。
ヨハネの福音書(ふくいんしょ)19章(しょう)30節(せつ) “イエスは,酸(す)いぶどう酒(しゅ)を受けると,

「完了(かんりょう)した」と言われた。そして,頭を垂(た)れて,霊をお渡(わた)しになった。”
  • イエス様は“完了した”と言われて、十字架で神様の計画(けいかく)と、人間の罪を贖(あがな)い すべて成(な)されたということを宣言(せんげん)して 息(いき)を引き取ったのです。それで、私はイエス様を信じたので,自分自身の葛藤(かっとう)、苦しみ、過去の悪い自分とは終わって新しく始まると思いました。また、しばらくすると、完全(かんぜん)に変えられた人になって,自由と平安、解放(かいほう)を満喫(まんきつ)しながら生きていけると考えました。特に、罪のためにこれ以上苦しんだり、押しつぶされたりすることはなく、罪を犯(おか)さないで生きれるようになったと思ったのです。
  • 御言葉を見ると、
ロ―マ人(じん)への手紙6:6“私たちは知っています私たちの古い人がキリストととも

に十字架につけられたのは,罪のからだが滅(ほろ)ぼされて,私たちがもはや罪の奴隷(どれい)でなくなるためです。”

このようにおっしゃっています。また次の御言葉のようにも思っていました。

コリント人への第二の手紙5:17“ですから、だれでもキリストのうちにあるなら,その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って,見よ,すべてが新しくなりました。”
  • この御言葉のように私は以前の自分ではなく 完全に変えられた新しい姿で生けて行くと思いました。しかし、現実は全然違いました。つまり、聖書の御言葉によるとイエス様の贖(あがな)い、すなわち、キリストが十字架で血を流(なが)され すべての人の罪をあがない救(すく)ったことで、私の罪の問題、過去(かこ)の問題、死(し)への問題などが解決(かいけつ)されたので、罪の奴隷(どれい)になったり、押しつぶされたりすることなどはもう終わったと思いました。
  • しかし、わたしの実際(じっさい)の暮らしはそうではなかったということです。これが問題だったのです。なぜ神様の御言葉と自分の人生が、聖書の内容とイエス様を信じている人の暮らしが 一致(いっち)しないかということでした。
  • “どうして私はだめか” “私は 愚(おろ)かか” “どうして私はできないのか”と思い、そのため生きることはとても大変でした。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   4. 本論2:イエスを信じることは何か?
  • では、イエス様を信じるというのはどういうことでしょうか。それは様々な表現で言えます。 クリスチャンになることや、神の子どもになる、天国民(てんこくみん)になることなどと言われます。そして、もう一つの表現は‘新しく生まれる’と言われます。皆さんはこの言葉についてどう理解されていらっしゃるのでしょうか。
  • 私には“新しく生まれたのですか”という言葉が非常に難しいお話でした。確かに‘新しく生まれる’という一つの名詞が私の信仰生活(しんこうせいかつ)で一番重くて重要な人生の宿題だったと言えます。なぜならば、その問題に対する答えを捜(さが)してこそ、私自身の悩(なや)みと葛藤(かっとう)が解決(かいけつ)されることだと 長年(ながねん)がかかって分かるようになったからです。
  • 新しく生まれるの意味は分かってきましたが、実際のわたしの人生ではなく、知識(ちしき)だけで分かっていると言う意味です。今日の聖書の本文(ほんぶん)では、主の御言葉は新しく生まれることに対して直接的(ちょくせつてき)に、お話になっておられます。これから、それについて申(もう)し上(あ)げます。
5. 本論3:どのようにして新しく生まれるか?
  • 新しく生まれることに対する具体的な内容は 聖書の中で今日(きょう)の本文(ほんぶん)にだけで出ています。まず、
ヨハネの福音書3:3“イエスは答えられた。「まことに,まことに,あなたに言います.人は,新しく生まれなければ,神の國を見ることはできません。」”
  • この3節(せつ)にはただ新しく生まれることだけが天国へ行けるという情報(じょうほう)しか書いていません。ところが5節には新しく生まれるために もっと重要(じゅうよう)な情報(じょうほう)を示(しめ)しています。
“イエスは答えられた。「まことに,まことに,あなたに言います。人は,水と御(み)霊(たま)によって生まれなければ,神の国に入ることはできません。」”
  • イエス様は今度は 何によって生まれることができるかをおっしゃっています。
それは水と御霊で新しく生まれると言われます。 御霊については皆さんが御存(ごぞん)じしていますと思います。 それで今日は私たちが考えてみたいのは 水に対することです。水に対して普通は洗礼(せんれい)、バプテスマ、悔(く)い改(あらた)めなどと言われます。その解釈(かいしゃく)も間違いないですが、水は神様の御言葉という解釈(かいしゃく)がもっといいと思います。次の聖書の聖句(せいく)もその解釈(かいしゃく)を裏付(うらづ)けます。

ペテロの第一の手紙1:23“あなたがたが新しく生まれたのは,朽(く)ちる種(たね)からではなく, 朽(く)ちない種(たね)からであり,生きた,いつまでも残る,神のことばによるのです。”この御言葉を見ても新しく生まれるのは神様の御言葉によってなると言われます。

•  生まれ変わりの元の意味には「上から出る」という意味があります。「天から出る」の意味です。つまり「御言葉と聖霊によって神様から出る」という意味です。そのように生まれ変わるとき天国に入ることができるし、もっと大切なことはそれが自分に実際に起きなければなりません。

6. 本論整理: あなたは生まれ変わりましたか?

① ある人が私に「あなたは生まれ変わりましたか?」と聞いたら、私はこう答えるでしょう。「はい、そうです。私は生まれ変わりました。」そうしたら、「それはあなたの話で、あなたが生まれ変わった証拠がありますか?」と聞いたら、私は「はい、私は教会に通っているし、聖書も読み祈りもしています。」では、彼は「それは生まれ変わらなくてもできることです。」と言ったら、私は「宣教師として福音を伝えるために、神の働きをするために日本に住んでいます。」と答えると思います。しかし、それも生まれ変わった証拠にはなりません。イエス様もそれについて詳しく語ってくださいます。

マタイの福音書 7:22,23 “その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』 しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』”

② この御言葉のキーポイントは、主のためだと言いながら何かをしようとすることが一番優先で大切ではないということです。一番大切で優先なのは、自分は主を知っていると言っても主が自分を知っているのかということです。つまり私はイエス様を知っていると、信じて生まれ変わったと思っているのだが、イエス様もそうだと認めるかということです。

③ イエス様がそうだと認める者は証拠があると言われます。

[ヨハネの手紙 第一 5:11,12]

その証しとは、神が私たちに永遠のいのちを与えてくださったということ、そして、そのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。

皆さんはイエス様がいらっしゃいますか?イエス様がいる人といない人を区別するとき、次のような質問ができます。御言葉をただ読むのではなく、御言葉の中でイエス様と実際に交わっていますか?ただ祈るのではなく、祈りの中でイエス様と実際の交わりがありますか?イエス様が私の本当の主人になっていますか?イエス様が私の人生の中で一番大切ではなく、全部ですか?もし、そうだと答えてそのように生きると確信すれば、その御言葉を確認しなさいとおっしゃいます。

④ つまり、もし自分はまだ生れ変わっていないのに、生まれ変わったと自ら錯覚して確信の中にいないのか、自分を確認してみなさいということです。これは直接、聖書を確認してみます。

[コリント人への手紙 第二 13:5]

あなたがたは、信仰に生きているかどうか、自分自身を試(ため)し、吟味(ぎんみ)しなさい。それとも、あなたがたは自分自身のことを、自分のうちにイエス・キリストがおられることを、自覚(じかく)していないのですか。あなたがたが不適格(ふてきかく)な者(もの)なら別(べつ)ですが。

⑤ 「信仰の中にいるのか」の意味は生まれ変わったのか?という御言葉であり、「自分自身を試(ため)し、自分自身を確証しなさい」という御言葉は錯覚していないのかを確認してみなさいということです。そして自分にイエス様がいらっしゃることを知らなければ、まだ生まれ変わっていないということです。私たちはどうやって自分自身を試(ため)し、自分自身を確証できますか?

⑥ 昨日の自分の一日を見てください。そして今日の 自分の一日を見てください。何のために生きていますか?何を願っていますか?何を考えていますか?そのすべてのところに、そして毎瞬間にイエス様が自分にいらっしゃいますか?これを確認すれば、自分がイエス様の中にいるのか、自分の中にいるのか、確認できると思います。

結論

① メッセージをまとめます。私は長い年月を自分の生まれ変わりについて悩み、確認しようと努力しました。この信仰の旅程は簡単ではありません。そして今も私の救いを完成するためのこの旅程は続いています。(ピリピ人への手紙2:12)

② いくら聖書全体を見ても私たちにはこの旅程しかありません。私たちはこの旅程のために生まれて、神様も私たちにこの旅程の人生を与えて下さいました。この旅程に自信があれば、生まれ変わったと信じることが出来ます。従って、私と皆さんが救いの旅程に共にし、再び来られる主に出会う日まで勝利する私たちみんなになることをキリストの御名によって祝福します。

祈ります。神様、私たちが生まれ変わるように助けてください。イエス様が私たちを知るように導いてください。それによってイエス様と共に永遠に生きるようにしてください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。
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