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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ゼパニヤ書3:14-20 (わざわいを恐れるな)

投稿者
tbic
投稿日
2022-03-13 17:56
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551
ゼパニヤ書3:14-20 「シオンの娘よ。喜び歌え。イスラエルよ。喜び叫べ。エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ。主はあなたへの宣告を取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れない。その日、エルサレムはこう言われる。シオンよ。恐れるな。気力を失うな。あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。例祭から離れて悲しむ者たちをわたしは集める。彼らはあなたからのもの。そしりはシオンへの警告である。見よ。その時、わたしはあなたを苦しめたすべての者を罰し、足なえを救い、散らされた者を集める。わたしは彼らの恥を栄誉に変え、全地でその名をあげさせよう。その時、わたしはあなたがたを連れ帰り、その時、わたしはあなたがたを集める。わたしがあなたがたの目の前で、あなたがたの捕われ人を帰すとき、地のすべての民の間であなたがたに、名誉と栄誉を与えよう、と主は仰せられる。」

今日はゼパニヤ書3章の御言葉を、皆さんと一緒に分かち合いたいと思います。

本文の14,15節をもう一度読みますと、「シオンの娘よ。喜び歌え。イスラエルよ。喜び叫べ。エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ。主はあなたへの宣告を取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れない。」ここで14節に「シオンの娘よ。喜び歌え。イスラエルよ。喜び叫べ。エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ。」と記されています。シオンの娘、イスラエル、エルサレムとありますが、エルサレムは今のイスラエルの首都で、シオンはエルサレムの端っこに位置します。イスラエル、エルサレム、シオンと言っても、よくわからないと思いますが、これは私たちクリスチャンに対する言葉です。つまりイエス様を信じたら、私たちは喜びの歌を歌い、喜びの叫び声を上げることができ、喜び勝ち誇ることができるということです。

私は今週、イエス様の前にひざまずき、この御言葉を考え、私は今、本当に喜んでいるのか、歌っているのか、勝ち誇っているのかと考えました。イエス様を信じて、どのように喜びが与えられたのかと思いを巡らし、イエス様を信じたときのことを思い起こしました。

私は4代目のクリスチャンですから、ずっと日曜日に教会に行き、普通の教会生活を送っていました。しかしある日、私を導いてくれた学生会担当の先生が、ヨハネ1:12「しかし、この方を受け入れた人々その名を信じる人には神の子となる特権が与えられる」という御言葉を語って下さり、私は心の中で「イエス様を受け入れます。」と祈りました。その時は本当にイエス様を信じたわけではなく、聞いたことをただ受け入れて祈りました。それから先生のメッセージはこうでした。「リンゴは見ただけでは味がわかりません。食べてみないと味はわかりません。神様も頭だけではわかりません。信じてみたらわかります。なぜ、神様がわからないかというと、罪があるからです。大きな太陽でも、目の前に十円玉を当てると見えなくなります。それと同じように、罪があると神様がわかりません。だからイエス様を信じて罪を悔い改めて生活しなさい。聖書にはみんな罪人だと書かれているから。」と言われました。その時、納得しました。

それで、1981年8月(中1)の始めごろだと思いますが、私は一人で森の中に入り、本当にイエス様がおられるのかを知るためにひざまずいて、「神様はおられますか。罪があったら、あなたがわからないと言われました。もし、神様がおられるならば、私が生まれてから、どんな悪いことをしたのかを教えて下さい。そうすれば、今日から本当に悔い改めて信じます。」と祈りました。まじめに、神様が本当におられるかを、知りたいと願い求めたのです。

祈っているときに、誰かが私の側にいるかのように私の心に語りかけました。静かに「お前は泥棒だ。」と言われました。「ドキッ」としました。その時、私は過去に万引きをしたことを思い出しました。私はスーパーで20円のものを10円だけを出して持ち帰ったことを思い出しました。その時までは、まー10円位はいいだろうと思っていました。すると神様が、「10円も20円も泥棒は泥棒だ。」と言われました。その時、私の心の目が開かれました。まさか、10円で泥棒になるとは、私の人生はそんなにまじめではないと思うと同時に、過去のことが目の前を巡りました。小学生時代に梨畑で梨を取って食べたり、大根の畑で大根を取って食べたり、色々な罪が巡り「わかりました。私は罪人です。あなたを信じます。」と心から、神の前に悔い改めました。

それから立ち上がり、10円をごまかした、そのスーパーに10円を返しに行きました。私はスーパーの人に、「長い間10円借りていて、すみませんでした。」と正直に言いました。スーパーの人から、「良いよ。大丈夫ですよ。」と言われた言葉で、何となく心に喜びが湧いてきました。

それから私は早速、農場で盗んだことを農場の人に告白に行きました。そして、「私はお腹が空いて、色々なものを泥棒して食べましたが、クリスチャンになったのでお詫びにきました。赦して下さい。」と言いました。その農場の人も赦して下さいました。

また、私は一度だけ、カンニングをしたことがありました。それで先生に手紙を書きました。「先生、カンニングで百点を取りましたが、赦して下さい。」先生からすぐに返事が来て「これからは、まじめな良い人生を歩みなさい。」と書かれていました。私はそれで嬉しくなり、罪が思い出されるたびに一軒一軒廻って謝りました。その時に、ものすごく嬉しかったです。

その当時、私は口が悪かったので、足の障碍者を見たら「お~い、足なえ!」と言っていました。そう言うと彼が追いかけてくるので、それが面白くってもっと「足なえ!」とからかっていました。私はそのことを思い出して、謝りに行きました。特に彼の母親に、「彼のことを、足なえと言って悪かった。」と言いました。すると、急に母親の顔色が変わり「私はあんなに悲しいことはなかった。謝りにきてくれたから良いけど、息子のことを足なえと言われたのはお前だけだ。」と言われました。だから私は徹底的に悔い改めて一つ一つ謝りました。それ以来、私の心に喜びがわき上がってきて、喜びが続いたのを未だに覚えています。

皆さん、喜びの源について、ダビデ王はこう言っています。詩篇32:1「その咎が赦され、その罪が覆い消された者は幸いです。」イエス様に出会い、罪を赦していただいたというのが喜びです。「神のものは神に、人のものは人に」と聖書に書かれているので、神のものは神に、人のものは人に、ちゃんと謝って悔い改めることはとても大切です。今日の本文で、「あなたはもうわざわいを恐れない。」とありますが、私はイエス様を信じるまでは、気が小さくていつでも人のことばかり考えていました。「僕がこう言ったら、人は何と言うだろうか」と人のことばかり恐れていました。しかし、本当に神様と人の前に悔い改めてから、神の前に赦されたということで、私は変わりました。人があまり怖くなくなりました。

今朝も私は、ひざまずいて祈った時に「イエス様にお会いしたときに罪は赦された。それもイエスさまが身代わりとなって死んで下さったことによって、赦されている。」と信じました。これまで守られてきたことは本当に感謝です。皆さんもぜひ、悔い改めて喜びに満ちた生活を送って下さい。

今日の本文の15節に、「主はあなたへの宣告を取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れない。」と記されています。

イエス様を信じると「あなたはわざわいを恐れない。」と書かれています。罪があると、色々な恐れがあります。特に聖書を見ると「主はあなたへの宣告を取り除き、あなたの敵を追い払われた。」とあります。これは口語訳聖書では「あなたを訴えるものを取り去り、」と書かれています。罪を悔い改めて、喜びが来ることは素晴らしいですが、なぜ罪を悔い改めなければならないかというと、私が誰かのものを盗んだとすると、その「誰か」との関係があります。その関係の回復が必要だからです。

聖書を見ると、ダビデ王があるとき罪を犯しました。ある奥さんのご主人が戦争に行っている間にダビデは、城壁の上から、水浴姿のその奥さんを見て「きれいな女だ」と思いました。そして自分のところに呼び、その女と寝て子どもができました。それで彼女の主人に対して困り、彼を敵陣の近くまで送って殺しました。その後、ダビデは彼女を自分の妻としました。人から見ると、わかりません。しかし続く聖書を見ると、ある時にダビデ王のところにナタンという預言者が来て言いました。「ある村に貧しい人がいて、彼は可愛い一匹の小さなメスの子羊を飼っていて愛しており、同じ皿からご飯を食べ、夜は羊を抱いて寝ていました。しかし、隣に金持ちがいて、たくさんの羊がありましたが、ある時ひとりの旅人が来たので、金持ちは考えました。旅人が来たけど、家の羊をほふるのはもったいない。そこで金持ちは隣の一匹しかいない羊を奪い、殺して旅人に食べさせました。」その話を聞いてダビデは怒りました。「何だと。そんなやつは殺せ。死刑だ」と言いました。「四倍にして償いなさい」と言いました。すると、預言者ナタンが王に向かって、「王よ。それはあなたです。」と言いました。人を騙しても、神は騙せないのです。全部神の前には明かです。その時、ダビデは率直に罪を認めました。ダビデ王は、その罪を犯してから骨が腐るほど苦しんだ、と書かれています。彼の良心は苦しみました。その時、神様がこう言われました。第二サムエル記12章14に「しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」と記されています。

罪を犯すことは「主の敵、悪魔」に大いに侮りを起こさせるのです。私たちがなぜ罪をしっかりと、悔い改めなければならないかと言うと、悪魔に罪を握られるからです。ジョン・バニヤンに「天路歴程」という著書があります。そこには挿絵があり、多くの悪霊がひとりの男性を縛り、「行け、こっちに行け」と支配している絵があります。悪いことをすると悪魔が罪を訴えます。しかし罪を悔い改めると、その縄が解かれるのです。自由と赦しが与えられます。悪魔は訴えるものだと聖書には書かれています。過去の罪を訴えてきます。しかし、イエス様を信じたら、訴えから解放されます。イエス様が私のために身代わりとなって死んで下さったので、私たちが信じて告白したら赦されます。

ゼカリヤ書3:1-4節に『主は私に、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアと、彼を訴えようとしてその右手に立っているサタンとを見せられた。主はサタンに仰せられた。「サタンよ。主がおまえをとがめている。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめている。これは、火から取り出した燃えさしではないか。」ヨシュアは、よごれた服を着て、御使いの前に立っていた。御使いは、自分の前に立っている者たちに答えてこう言った。「彼のよごれた服を脱がせよ。」そして彼はヨシュアに言った。「見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう。」』と書かれています。

皆さん、汚い生活をしていると悪魔が訴えます。「あいつは農場の梨や大根を盗みました。学生の時に百点を取ったけど、カンニングをしました。あいつの過去はこうです。」と訴えています。訴えられると、良心が苦しみます。「さあ、ヨシュアに新しい洋服を着せなさい。」とあります。イエス様を信じてバプテスマを受けると、新しい服を着るのです。どんなに過去に失敗があっても、イエス様が身代わりとなって死んで下さったことを信じたら、赦されない罪は一つもありません。神の前に罪を悔い改めるときに、素晴らしい人生を送ることができます。

だから今日の本文、ゼパニヤ書3:15に「主はあなたへの宣告を取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れない。」と記されています。罪を悔い改めて心にイエス様をお迎えしたら「あなたの主はあなたのただ中におられる。」と約束なさったので、クリスチャンは神が共にいて下さいます。古いものは過ぎ去り、すべてが新しくなるのです。だから、「あなたはもうわざわいを恐れない。」と書かれているわけです。

皆さん、私たちは色々な恐れで縛られています。人に対する恐れ、病気や伝染病、先祖の呪いや偶像による恐れなど、たくさんあります。しかし私たちはイエス様がおられるので、もう恐れることはないのです。「主われを愛す 主は強ければ われ弱くとも 恐れはあらじ わが主イエス わが主イエス わが主イエス われを愛す」と賛美があります。

どんなに弱い人でも、主が共にいて下さるので大丈夫です。皆さんの家庭に主が共におられることは素晴らしいことです。私は妻とともに食事する時は感動して祈ります。「イエス様。今日この日までの食卓を感謝します。これからもよろしくお願いします。」と心を込めて祈ります。私の家庭に、主が共にいて下さいます。

私は結婚の時に約束しました。私の第一は妻や子供ではなく、イエス様であると約束しました。「主が共におられる。わざわいを恐れない。」時々病気やわざわいがありますが、主はともにいて下さり、すべてを益として下さるので、私は恐れずに進みます。

今日の本文16節に「その日、エルサレムはこう言われる。シオンよ。恐れるな。気力を失うな。」と記されています。口語訳聖書では、『その日、人々はエルサレムに向かって言う、「シオンよ、恐れるな。あなたの手を弱々しくたれるな。」』と書かれています。私も時々、手をあげて祈ります。祈っていても祈りが聞かれるだろうか、と弱くなる時もあります。すると、祈りができなくなります。しかし祈るときは、罪が赦されていたら確信を持って、「主よ!」と力強く何でも祈るのです。私たちと共に、主がおられたら素晴らしい人生を持つことができます。

引き続き17節に「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」と記されています。

皆さん、皆さんの家庭にイエス様がおられますか?そうしたら「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。」と約束なさいました。いつも信じることは何でしょうか?それはいつも神によって私は愛されていると信じることです。イエス様が十字架にかかって死んで下さったほど、私を愛して下さったということを信じることです。

私は時々、私の事をあまり知らない人からも「あの人は、わたしの愛するしもべなので、祈ってあげなさい。」と神から言われたという話を聞きます。私はまじめに考えました。そして知らない人にも神は、私のことを言われる時があるんだと、私ははっきり分かりました。

皆さんに対しても神様は「愛されている人」と言われます。「あいつは大したことがないから、祈らなくて良い」とは言われません。皆さん一人ひとりが愛されている人だからです。イエス様が身代わりになって死んで下さったほど、愛されているのです。このことを信じましょう。その愛によって、安らぎを与えて下さいます。神様が私を愛して下さっていると信じたら、平安がきます。

皆さん、私は罪を悔い改めてから、安らぎが来ました。外に出て家に帰ったら、私は祈ります。「もしも、高慢な気持ちがあったら赦して下さい。汚れた思いに捕らえられていたら、きよめて下さい。十字架の血潮で洗って下さい。イエス様の平安で満たして下さい。」と祈ります。

主が共にいる、あなたのただ中にいる。」ということが、人生におけるわざわいを恐れないで進む秘訣です。イエス様をしっかりと信じて下さい。まだイエス様を信じられていない方は、神の前に悔い改めることです。この素晴らしいいのちを得るために、聖書はこのように語っています。

ゼパニヤ書3:11節に「その日には、あなたは、わたしに逆らったすべてのしわざのために、恥を見ることはない。そのとき、わたしは、あなたの中からおごり高ぶる者どもを取り去り、あなたはわたしの聖なる山で、二度と高ぶることはない。」と記されています。信じるからには、おごり高ぶりはいけません。神の前に出るときは過去にどんなに素晴らしいことがあっても、へりくだるべきです。

引き続き3:12節に「わたしは、あなたのうちに、へりくだった、寄るべのない民を残す。彼らはただ主の御名に身を避ける。」と記されています。へりくだり、イエス様に拠り所を設けることです。そして13節に「イスラエルの残りの者は不正を行なわず、偽りを言わない。彼らの口の中には欺きの舌はない。まことに彼らは草を食べて伏す。彼らを脅かす者はない。」と記されています。これからのクリスチャン生活は不正をせず、嘘を言わないことです。

その時に、14節に「シオンの娘よ。喜び歌え。イスラエルよ。喜び叫べ。エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ。」と記されていますので、真実にイエス様を求めたら、喜び勝ち誇った素晴らしい生活ができます。弱い者も強くされます。どんなに失敗がある人も、きよめられます。恐れている方も恐れることはありません。「ただ中に神がおられる」とありますので、イエス様を信じて下さい。そうすれば、必ずそうなります。
合計 139
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139
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ヨブ記6:21-27(慰めの秘訣)
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ヨハネの福音書15:15(最後の瞬間まで主を求めなさい)
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ヨハネの福音書1:43-46(美しいウソより、ありのままの真実が強い)
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ヤコブの手紙5:16(クリスチャンが祈らない理由)
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