メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

マルコの福音書2:1-5 (単純な信仰)

投稿者
tbic
投稿日
2022-03-27 16:43
閲覧数
283
マルコ2:1-5『数日たって、イエスが再びカペナウムに来られると、家におられることが知れ渡った。それで多くの人が集まったため、戸口のところまで隙間もないほどになった。イエスは、この人たちにみことばを話しておられた。すると、人々が一人の中風の人を、みもとに連れて来た。彼は四人の人に担がれていた。彼らは群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、イエスがおられるあたりの屋根をはがし、穴を開けて、中風の人が寝ている寝床をつり降ろした。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。』

単純性(simplicity)の大切さはどこでも通じると思います。亡くなったアップル社のSteve  Jobs(スティーブジョブズ)が一番強調したのがこの単純性です。つまり、アップルコンピュータ(アイホン)は全てを縮約して単純性を強調したものです。これが世界を変えたわけです。スティーブジョブズは更に複雑なことを悪だと規定しました。これと同じように、信仰も単純性が求められ、一番良い信仰は単純な信仰です。

今日の本文には中風の人(脳梗塞で倒れて全身麻痺の人)と四人の友達の話が出ます。中風の病気は治らない病気だったのですが、イエス様に行けば必ず治ると彼らには「単純な信仰」があったわけです。もちろん、たくさんの人々によってイエス様に近づくことは難しかったのですが、四方八方がふさがっていれば屋根をはがして行けばいいと「単純な信仰」をもっていました。だから、私たちの人生の中でも複雑なことを単純化する必要があります。

つまり、イエス様と共に歩む人生とはとても単純で、みことばと聖霊の導きによって生きる素朴な人生です。そして、イエス様と共に歩めば全てができる、本当に祝福された人生となります。とても単純です。つまり、単純な信仰とは、①いつも可能性を呼び寄せること、②いつもイエス様を見上げること、③神のみことば、この聖書から出てくる知恵を握りしめることを意味します。それでは具体的に、この三つのことを分かち合いたいと思います。
  • 単純な信仰はいつも可能性を呼び寄せます。(神が共にいらっしゃれば、何でもできるようになるということです。)
今日の本文に出る中風の人のように、体が麻痺している人は再び回復できるケースはとてもまれです。つまり、麻痺の状態から元通りに回復することは今日の科学と医学が発達している現代の社会でも、とても珍しい現象です。しかし、彼らはイエス様に出て行けば、必ず治るとその可能性を信じました。信仰のない人は自分の不信仰によって周りを暗くしますが、単純な信仰をもっている人は全てが可能であると、神が共にいらっしゃれば全てができると信じ切る人です。つまり、良いクリスチャンは単純な信仰をもって可能性を見出す人です。

韓国の詩人の中でキムチュンスという詩人がいます。彼が書いた詩「花」という詩がありますが、とても有名です。それを紹介しますと、「私が彼の名を呼ぶ前には彼はただ一つの身ぶりにすぎなかった。私が彼の名を呼んだとき、彼は私に来て花となった。私が彼の名を呼んだように、私の色と香りにふさわしい私の名を誰かが呼んで下さい。彼に行って私も彼の花になりたい。私たちはみんな何かになりたい。あなたは私に、私はあなたに忘れられない一つの目つきになりたい。」

私たちの周りには、たくさんの草があります。しかし、その名を呼ぶ前には単なる雑草にすぎません。ただ名前を付けて呼んだとき、きれいな花になります。同じように、私たちも周りにいる人々に「花」として名前を呼んであげれば、価値ある人になるんだということです。

結局、神の御民はその中にある可能性を見て、名前を呼んであげなければなりません。そして、その可能性を呼んだとき、何倍、何十倍の力を発揮できる人になります。つまり、普通の人でもその名で呼ばれたとき、大切な人、素晴らしい働き人となるんだということです。

私たちが親として子供をうまく育てる方法も同じです。子供の可能性を呼んであげることです。毎日祈りをもって、子供の可能性を見てほしいです。しかし残念ながら、厳しい親たちは子供の可能性をめちゃくちゃにつぶすわけです。

例)アメリカで家出をした13歳の子供の話ですが、「両親が自分を愛していない」と告白しました。しかし親(両親)はものすごく子供を愛し、祈る人々でした。しかし子供はそれを感じなくて、家出をしたのです。行くところがなく、その子は家に戻りたいんだけど家ではお父さんが厳しすぎて地獄のような家には戻れないと考えてしまうんです。しかも家出したとき、お父さんの頭に銃を差し込んで「殺すぞ」と叫びなから大騒ぎを起こして出たわけです。しかし結局は家に戻ったのですが、どうしてそこまで(銃で大騒ぎをする)したの、と聞いたら、「こうしなければ、また家に戻ってしまうからだ」と告白しました。

実は、両親は息子をとても愛していたのですが、それを表現し、受け入れ方が下手でした。ちゃんと息子を抱くことができなかったのです。つまり、毎日正解だけ言って、息子に対する真の愛の表現ができませんでした。恋愛関係も同じです。私たちはちゃんと相手に自分の感情を表現しなければなりません。その感情を第3者に、別の人(相談相手や友達)に表現するのではなくて、当事者(愛する相手)にちゃんと表現しなければなりません。

信仰というのは、その人(相手)の可能性を呼んであげることです。つまり、自分ひとりではできませんが、神様が共にいらっしゃればどんなことでもできる、と相手に言い続けてあげることです。例えば、復活なさったイエス様がペテロと再会した後、ペテロを責めるのではなく、ペテロの可能性を言ってくださったのです。再びチャンスを与えたわけです。「わたしを愛しますか。わたしの羊を飼いなさい。」だから、ペテロは主のために献身し、忠実な人生を生きることができました。結局、ペテロの献身の背景にはイエス様の可能性を引き出す力、ペテロの可能性を呼んで下さったイエス様の愛があったわけです。

ある兄弟(朴ハソンさん)は以前、試練の中でもTBICが必ず祝福され、リバイバルされると可能性を言ってくれました。この兄弟はいつもすべての人々に可能性を言ってあげるので、周りの人々はみんな彼のことが好きです。つまり、彼は信仰の本質が何か、はっきり分かっている人でした。本物のクリスチャンだと思います。

特に、女性には年を取って行っても可能性を言ってあげなければなりません。60歳を超えれば、女性は体重が増え、関節に問題が生じ、よく歩けないケースが多いです。だから一般の人々はそんな女性をきれいに見ることはとても難しいです。しかし老人ホームにいる70歳位の男性たち(おじいさんたち)は、その女性もきれいに見えるわけです。

ある独身の男性(70代の老人)がその60歳の独身の女性とデートをするチャンスがあってデートをしました。彼は彼女に「今日、とてもきれいだよ。昨日はどんな服を着てたの?」と聞いたら、その60歳の女性は泣き始めました。彼女は夫が亡くなってからそれ以来、誰かから「どんな服を着たのか」と聞かれるのは初めてだ、と告白しながら喜びました。

つまり、誰でも可能性を呼んであげて期待をもっていれば、生命力が生き返るのが信仰です。結局、信仰の目は「神の目線」で自分の美しさと周りの美しさを見る目です。だから、現在を見るのではなく、未来の可能性を見る目が信仰の目です。
  • 単純な信仰はイエス様を見上げる目線です。
信仰は、ただ主だけを見上げることです。私たちは答えを必死で探しているのですが、信仰とは、ただ主だけを待ち望み、主だけを見上げることです。「目を上げ主を見なさい、主の栄光を見なさい。」という賛美のように、大切なのは主を見上げることです。

つまり、信仰というのは何かをやるのではなく、すべての状況の中で主を見上げることです。ダビデの詩篇がほとんどその内容です。しかし、創世記のカインの問題は何ですか?神様が、「あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる。」(創世記4:12)とおっしゃったとき、「私は神様なしには生きられません。」と粘り強く主に頼り、主だけを見上げたのであれば、神様は決してカインを捨てなかったと思います。しかし、カインは神様を見上げるんじゃなくて、自分一人で生きようと高慢になって信仰を捨てました。

私たちは人生の中で神様に残念な思いをするときがたびたびあります。詩篇22篇のダビデのように、「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。」しかし、こういう告白の中でもダビデの目はいつも神様に向かっていました。

個人的に私の祖父は殉教者ですが、この世の目で見ると失敗者です。しかし聖書では殉教者(martyr、信仰のために命を投げ出した人)と表現します。殉教すれば家庭(家族)は苦しみを経験します。祖父が殉教した当時、祖母はソウル駅の周辺で餅を売りながら、4人の子供たちを養い、育てました。つまり、神の栄光はあるのですが、現実的には苦しみが伴います。結局、殉教の信仰は大変さの中でも、苦しみの中でも、ずっと主を見上げることです。

ダビデは喜び溢れた従順のときも主を見上げましたが、苦しみの中でも、罪を犯したその現場でも主を見上げたので、素晴らしいクリスチャンであり、神の心にかなった者でした。しかしサウルは神を見上げたのではなく、人の人気だけを意識して人々ばかり気にしていました。つまり、サウルは倫理的に、道徳的に大きな問題はなかったのですが、彼の目線はずっと神様に向かっていなかったということです。それが問題でした。だから、私たちのすべての目線も何かを捜し求めるのではなく、ただ神様だけを見上げながら生きるべきです。苦難の中でも、貧しさの中でも、豊かさの中でも、私たちはただ主を見上げながら生きる存在です。

だから、恵みというのは主だけを見上げることです。つまり、原因は自分にあるのではなく、いつも神様にあるんだという告白ができる存在、彼らが本当に恵みの人々です。今日の本文に出る中風の人の4人の友達も、どうやって病気を治せるかを考えたのではなく、主だけを見上げて出て来たわけです。結局、主だけ見上げれば、必ず答えがあります。そして、その見上げる目線が神の心を動かし、神から答えられる人生となります。つまり、単純な信仰は、ただ主だけを見上げることだということです。
  • 神のみことばが知恵であり、その通りに行動する人が知恵ある人です。
知恵というのは物事をちゃんと処理できる方法を意味するのですが、それは犠牲と譲歩(譲ること)を意味します。つまり、すべての物事を処理するとき、他人のために犠牲すれば(譲ってあげれば)、その人を私たちは知恵ある人だと言うわけです。

例えば、3人が10ドルを分け合うとしたら、普通の人(知識のある人)は、一人当たり3.333ドルに分けるはずです。しかし、本当に知恵ある人は自分は3ドル、残りの7ドルを二人が分け合うように譲ってあげます。もしそれも難しかったら、自分は2ドルを持って、残りの8ドルを、二人にそれぞれ4ドルずつ持たせるはずです。でも、ここで主導権を握るのは、自分を犠牲にした(譲ってあげた)人になります。3.333の分配から1.333だけあきらめれば、問題を解決し、主導権を握ることになります。それが知恵です。

神様だけを見上げれば(頼れば)、知恵が出てくるはずです。そして、神様は愛そのものです。ソロモンの裁判だけを見ても、愛する人が結局、負けるのです。本物のお母さんが赤ちゃんをあきらめるわけです。黙示録を読みますと、悪魔はいつも勝とうとするのがよく分かります。だから、刀で赤ちゃんを分けようとしたら、本物のお母さんは愛のため、命を大事にして、赤ちゃんをあきらめるわけです。しかし偽物のお母さん(悪魔)は、公平の論理を主張しながら、殺す方法で出て来ました。

だから、世の中で一番愚かな人は自分の欲によって生きる人です。結局、一番人間的な姿が一番愚かな姿になるわけです。しかし、神様の知恵をもって、愛でアプローチすれば、つまり自分が犠牲し、自分が死んだら、問題は解決され、みんなが一つになります。これが知恵であり、真理そのものです。聖霊が望んだら、聖霊はイエスの霊、愛の霊です。それが望んだら、いつも犠牲ができるようになります。

だから、単純な信仰は全てOKの信仰です。つまり、神のみことばに直ちに反応し、無条件に従うことが単純な信仰です。神の召しがあれば、直ちに行動すること、それが本物の信仰です。そして、これを通して信仰の成長が与えられます。だから、この単純な信仰を通して、もっと大きなことを、素晴らしい神のみわざを体験する人になってください。この本物の信仰を持って、この一生涯を過ごしたいと思います。
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