メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

マルコの福音書 11:22-24 (あなたの言ったとおりになる)

投稿者
tbic
投稿日
2022-04-25 00:44
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1196
マルコ 11:22-24、イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

今日のみことばはマタイ 24:35、「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」と言われたイエスさまご自身のみことばです。だから、絶対に間違いのない永遠の真理です。これは「山をも動かす信仰」(Mountain Moving Faith)」 と言われていますが、その原理は全く単純です。

つまり「私たちが信仰をもって言ったことは、私たちの言ったとおりになる」ということです。これは神を信じる私たちクリスチャンに与えられた、すばらしい特権です。神を信じていなくても、私たちが言ったことは多くの場合そのとおり実現しています。更に、神を信じているならば、その確率はもっと高くなります。だからこそ、神を完全に信頼している人は、その人の言ったことは、100%実現することになります。

1. イエス・キリストが言われたこと

人類の歴史上、その生涯にわたって神を完全に信頼した人はだれでしょうか。その方は、神の御子・イエス・キリストです。新約聖書の福音書をよく読んでみてください。福音書は、イエス・キリストの生涯と言動を詳しく書いた本ですが、イエスさまはその生涯において、たくさんのことを語られました。そして驚くべきことに、イエスさまの語られたことは、ことごとく実現しているのです。

・イエスさまが嵐に、「静まれ」と命じると、嵐は静まりました。(マタイ 8:26

・人にとりついている悪霊に、「出て行け」と言うと、悪霊は出て行きました。(マルコ 1:25

・死んで墓に葬られ4日もたっていたラザロに、「ラザロよ、出てきなさい」と大声で叫ぶと、ラザロは生き返って墓から出てきました。(ヨハネ 11:43

・実が成っていないイチヂクの木に向かって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言うと、そのイチヂクの木は枯れてしまいました。(マタイ 21:19

・ペテロがガリラヤ湖の水の上を歩きたいと言ったとき、イエスさまが「来なさい」と言うと、ペテロは水の上を歩くことができました。(マタイ 14:29)全て、言われた通りになりました。

2. 神が言われたこと

神ご自身が言われたことはどうでしょうか。創世記第1章には、神が天地万物を造られた様子が具体的に書かれています。神さまは、天地万物をどのように創造されたのでしょうか。神はことばを語ることによって、天地万物を創造されたのです。神が「光よあれ」と言われると、光ができたのです。(創世記1:3)

地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」(創世記1:11)と言われると、そのとおりになりました。「水には生き物が群がれ。鳥が地の上、天の大空を飛べ。」(創世記1:20)と言われると、そのとおりになりました。このように、神が言われたそのことばが、そのまま現実になっているのです。

神は預言者イザヤをとおして次のように語られました。イザヤ書 55:10-11、「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種まく者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

神の口によって語られたことばは、必ずそのことばどおりに実現する」と神ご自身が言っておられます。人類の歴史(特にイスラエル民族の歴史)をふり返って見ると、神が聖書の預言者たちによって語られたことは、ことごとく実現しています。まだ実現していないことは、これから実現して、聖書の正しさを証明していくと思います。

3. 人が言ったこと

神は天地万物を創造するほどの全知全能のお方ですから、神の言われたとおりになることは当然です。また、イエス・キリストは神の御子であり、神が人となられた方ですから、イエスさまの言われたことはそのとおりに実現することも理解できます。

それでは、私たちが言ったことはそのとおりになるのでしょうか。イエスさまは、「そうだ」とおっしゃいました。今日の本文、マルコ 11:22-24 を、もう一度読んでみましょう。

イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

イエスさまは「だれでも」と言われました。「だれでも」ですから、「あなたも、私も」です。「あなたの言ったことも、私の言ったことも、信じて言ったことは、そのとおり実現する」とイエスさまはおっしゃいます。そのため、まず、「神を信じなさい」と言われました。「天地万物をご自身のみことばによって造られた全知全能の神を信じなさい」ということです。ご自身の言ったことを必ず実現される父なる神を信じることです。

この「神を信じなさい」というみことばは、ギリシャ語の原文を訳すと、「神の信仰を持ちなさい」ということです。「神の信仰」とは何でしょうか。それは、神はその言われたことばによってご自身の意思を表わし、その言われたとおりに実現させますが、そのような信仰のことです。

だから「神を信じなさい」すなわち「神の信仰を持ちなさい」ということばと「言ったことは、そのとおり実現する」ということばは、同じことを言っているのです。

だれでも、この山(大きい問題)に向かって、『動いて、海に入れ』と言い、その言ったことは必ず言ったとおりになると、心の中で疑わずに信じるなら、その言ったとおりになるのです。

4. 秘訣:心に疑わないで信じること

これはものすごいことです。言ったとおりになる秘訣は、「必ず言ったとおりになると心に疑わないで信じる」ことです。これがまさに「神の信仰を持つ」ことです。言いかえれば、「神の信仰を持つ」とは、「心に疑わないで信じる」ことです。「心に疑わないで信じる」とは、「心底から」必ず言ったとおりになると確信し、その確信を持ちつづけることです。頭で、すなわち人間の知性で疑ってもよいのです。そのような信仰は通常、人の知性に反することが多いわけですから。でも心の奥底では、確信を持ちつづけることです。

だから「心に疑わないで信じる」ことさえ、できればよいのです。そうすれば、どんなことでも、私たちの言ったとおりになるのです。山をも動かすことができるのですから、私たちが「病よ、いやされよ」と言えば、病気はいやされます。「必要なお金よ、手に入れ」と言えば、必要なお金が手に入ってきます。確信を持って「問題よ、解決せよ」と言えば、問題は解決するのです。

悪霊を追い出せなかった弟子たちに対して、イエスさまはこう言われました。マタイ 17:20、 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。

イエスさまは、同じく私たちに「もしあなたがたにからし種のような信仰があるなら、山に命じてこれを動かすことができる、そのようにあなたがたにできないことは何もない」と言われます。ここで、「もし、からし種ほどの信仰があったら」とありますが、皆さんは「からし種」を見たことがありますか。「からし種」はえごまの種よりも小さく、吹けば飛んでいってしまうような、非常に小さいものです。なぜイエスさまは、この小さなからし種のような信仰があれば、山をも動かすことができると、言われたのでしょうか。

からし種は小さいものですが、土にまかれて成長すると、やがては空の鳥が飛んできて、そこに巣を作るほど大きくなります。(マタイ 13:31-32)このように、からし種はその小さな種の中に、非常に大きな可能性の力を持っているのです。

これと同じように、私たちが言ったことが必ず実現すると確信を持って「ことば」を語るならば、それがどんなに短い「ことば」であっても、信じたとおりの成果をあげるのです。だから、からし種のような信仰とは「神の信仰」すなわち、「心に疑わないで信じる信仰」のことです。

ヤコブの手紙1:5-7には、こう書いてあります。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。」ここでも心で「疑わないで信じる」ことが強調されています。言いかえれば、いくら願い求めても、いくら山に命じても、心で疑っていたら、それは実現しないということです。

5. ある医師が言ったこと

私は子供の頃から結構けがをして、けがに悩まされてきました。いつも体のどこかに、けがをして薬をぬったり病院に運ばれたりするのが、日常茶飯事だったのです。あるときは、けがをしたところを数分後に、またけがをして、骨が見えるほどでした。

中学校2年生の時は、ハンドボールの試合に出て、目の前で相手の選手が思いっきり投げ出したボールに左目が当たって、網膜を破られてしまいました。血がひとみにたまって目が見えなかったのですが、最初は分からず、時間がたったら見えるだろうと思いました。だから見えないまま試合をつづけたわけです。しかし試合が終わっても目が見えなかったので、ちょっと怖くなりました。直ちに保健室に駆けつけて、先生に診てもらったら、「ひとみに血がたまっているよ」と言われ、すぐに先生にタクシーを呼んでもらって、病院に運ばれました。

そして、精密検査をした結果、「網膜破裂」によった瞳の損傷と言われて、直ちに手術をしなければならないと医師から言われた時は呆然としました。更にその手術は非常に難しくて、もしかしたら、失敗に終わり、盲目になる可能性もあると言われ、もう絶望そのものでした。しかし3人の先生の中で1人の先生が「今すぐ手術をするより、一週間待って様子を見てから手術しよう。きっと治るよ。」と言われたので、みんながそれに同意し、一週間を待つことにしました。その先生の声が、まるで神の声のように聞こえました。

その日の夜、夢の中でイエスさまが現れ、私を抱いてくださいました。イエスさまは何も言われなかったのですが、私はイエスさまに抱かれたまま、ぐっすり眠りました。そして、朝起きたら、恐れが一切なくなって、平安そのものでした。だから手術をしても、しなくても、盲目になっても、イエスさまが共にいらっしゃれば、どうでもいいという感じがして、本当に感謝の心であふれました。感謝の心は奇跡を起こします。私は何度も何度も体験していますが、もし皆さん、悪いことが起きたら、まず神に感謝してください。そうすれば、必ず感謝の通りになります。

私は両目を包帯で巻いて(神経がつながっているから保護のため、そうしました。)、病院で一週間を過ごしましたが、感謝の心をもってイエスさまと一緒に入院生活をしたので、喜び溢れる一週間でした。そして一週間後、手術するためにお医者さんたちがやって来て、私の両目を巻いていた包帯をほどいたら、なんと綺麗に見えたのです。手術も何もしなかったのに、ただ包帯を巻いたままにしただけなのに、鮮明に見えたのです。神の恵みによって、自然に治りました。若くして危うく左目を失うところでしたが、神の守りと導き、その病院のお医者さんのひと言「一週間待とう、きっと治るよ」というひと言によって、手術も何もしないでいやされたのです。私は、そのお医者さんのひと言を心に疑わないで信じました。そして、そのお医者さんの言ったとおりに、一週間待っていたら、治っていたのです。

6. 牧師の仕事と信仰

私は今、毎日神と人間の間に起きる難しい問題を抱えて取り組んでいます。お医者さんは、人の体という比較的客観的なものを対象としていますが、牧師は人間関係や社会問題、天上の霊的問題に至るまで、様々な未知の要素の絡み合った事柄を対象としています。そのため、一つの問題が起きたら、問題の解決の見通しは非常に難しいのです。それこそ「神のみぞ知る」の世界なのです。

しかし、私は神を信じる牧師として、今日のみことばにありますように、初めから問題が必ず、解決されることを信じて、疑わないようにしています。そして、前もって問題の解決を感謝するのです。そうすると不思議なことに、結果は確信をもって言いつづけてきたとおりになります。このように、神のみことばは生きていて力があることを、毎日毎日体験しています。

7. 「ことば」は表面、中味は「信仰」

皆さん、「ことば」とは一体なんでしょうか。それは人の意志を音声に、または文字によって、表現したものです。つまり、人の信仰は音声に、また文字によって表現したものです。「ことば」は「人の意志(信仰)」を他の人に明確に伝える手段でもあります。だから「ことば」は外側の形であり、その中味は「信仰」です。だからこそ、中味である「信仰」が強ければ強いほど、それを表現した形である「ことば」も強いのです。そして現在一冊の聖書のみことばが、全世界の歴史を動かし、全世界の人々の人生を動かしているのです。まさに聖書は、神の意志(信仰)が文字のことばとして書かれている書物です。

ヨハネの福音書1章で、イエス・キリストは「神のことば」だと書かれていますが、それは目に見えない霊なる神が、イエスという人間の形に住まわれたということです。また、聖書全体がイエス・キリストについて語っているということです。(ヨハネ 5:39)その神を内に宿した人間イエス・キリストが、またイエス・キリストをことばとして表現している聖書が、今全人類という山々を動かしているのです。

愛する皆さん、聖書のみことばをとおしてイエス・キリストを信じている私たちの内には、神の霊、すなわち聖霊が宿っておられます。そうすると、私たち一人ひとりは「神の表現としてのことば」でもあるわけです。つまり、私たちは「小さなキリスト」です。だから私たちは各々に与えられた世界で、その信仰に応じて語ることばによって、山々を動かしているのです。家庭を動かし、学校を動かし、職場を動かし、社会を動かしているのです。

山を動かす」のは表面的には人であり、その人の語ることばですが、その実質はその人の信仰(意志)であり、その人に宿っておられる神ご自身なのです。だからこそ、私たちはいつもこの口(心)で神をほめたたえながら、礼拝しなければなりません。

最後に、ゼカリヤ書4:6-7を読んで終わりたいと思います。

すると彼は、私に答えてこう言った。これは、ゼルバベルへの主のことばだ。「権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と万軍の主は仰せられる。大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、「恵みあれ。これに恵みあれ」と叫びながら、かしら石を運び出そう。
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