メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ダニエル書10:18-19 ( 恐れるな。安心せよ。強くあれ。)

投稿者
tbic
投稿日
2022-06-19 21:13
閲覧数
816
ダニエル書10章18-19節

今日は「恐れるな。安心せよ。強くあれ。」というタイトルで学びたいと思います。特に預言者ダニエルが主と出会った箇所から学びます。もう一度ダニエル書10章18節から19節を読みます。

すると、人間のように見える者が、再び私に触れ、私を力づけて、言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」

皆さん、「人間のように見える者」とは誰でしょう。これは旧約聖書にあるストーリーですが、人間として来られる(受肉する)前のイエスさまではないか、と思います。イエスさまがダニエルに現れ「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」と励ましました。ダニエルは預言者で、神から不思議な預言を多く告げられました。その中で、彼が理解できる事柄もあれば、全く理解困難な預言も含まれていました。だから、彼は悩んでいました。どう理解したら良いのだろうかと。しかしそんな時、彼は「神に愛されている者よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」と励ましを受けたのです。これはダニエル自身に語られた言葉ですので、聖書を読む人によっては「これはダニエル個人に語られた言葉なので、私には関係ない」と解釈する人もいます。しかし聖書は全体的結論に従って、前半のストーリーも解釈しなければなりません。

ヨハネの福音書3:16には「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と、あります。イエスさまがこの地上に来られた目的は、「世を愛する」ためでした。神は人類全体を愛しているという御言葉とともに、ダニエル書の御言葉を理解するならば、「神に愛されている者よ」という記述は、ただダニエルだけではなく、私たちも含まれることがわかります。

またローマ人への手紙1:7では、パウロがローマにいる兄弟姉妹に対して挨拶を送っています。「ーマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。

神は人類全体を愛されていますが、「主を信じる者たち」には、更に強く愛を示しておられるのです。「ローマにいるすべての神に愛されている人々」とパウロが挨拶を送っていますが、これを、「TBIC教会にいるすべての神に愛されている人」と、置き換えることができると思います。そして、私たち個人にも置き換えることが出来ます。こうして聖書全体を見ると、「神に愛されている人」とは、「自分のこと」であると信仰を持って受け取ることができます。

この御言葉を神が皆さんに語っている言葉として受け取りましょう。私ならば、「神に愛されている田よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」と受け取ることができます。時々人生の中には「どうしたら良いのだろうか」と理解できない事件が起こります。今後どのように展開していくのだろうかと不安のどん底に陥ることもあります。そんな時にあっても、私たちは神の御言葉を信頼し、神に愛されていると信じましょう。「神に愛されている者よ。安心せよ。強くあれ。雄々しくあれ。」と、主が語ってくださっています。主が私たちの目の前におられ、この御言葉を語ってくださっていると信じましょう。

恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」今日は特に、この御言葉がダニエルに臨んだ背景について学んでいきたいと思います。ダニエル書10章を見ると、ダニエルのところに主が訪れ、「神に愛されている人よ。恐れるな。強くあれ。強くあれ。」という言葉を受けるまでに、時間がかかったことがわかります。

本文の前の個所の、ダニエル書10:12-14に『彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」

実はダニエルは二十一日前に、神から一つのことを教えられました。ダニエルはそのことに対して、完全な理解ができず、悩みながら断食して、主からのはっきりとした答えを待ち望んでいました。けれども、二十一日経ったとき、突然主がダニエルの前に立って、「神に愛されている人よ。恐れるな。強くあれ。強くあれ。」と語りました。主は私たちに、このような励ましの言葉を常に語ってくださっています。しかし、実際にこの励ましの言葉が届くまでには、プロセスがありました。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。

私たちは毎日のように主に祈りをささげています。しかし、その祈りの答えがすぐに来る場合もありますが、なかなか答えが来ない場合もあります。一生懸命祈ってもなかなか祈りの答えが届かないのです。神さまは、私たちの祈りを聞いていないのか、または聞いても忘れてしまっているのではないかと疑いたくなります。特に私たちは、長い間、TBICと日本のリバイバルのために祈っています。しかし神様はTBICと日本を見捨てられたのではないか、日本にはリバイバルは起こらないかもしれないと、不信仰になってしまうこともあります。

しかしこの御言葉から、祈りはどのように機能するかがわかります。ダニエルが心を定めた日から、祈りは聞かれていたとあります。祈りは祈ったその瞬間、神の御前に届いていると教えています。私たちクリスチャンの祈りは、「イエス・キリストの御名」による祈りです。イエス・キリストの名前での祈りは、瞬時に父なる神の御前に届くのです。イエスの名前を使っての祈りは、誰も阻止することが出来ません。それは直接、父なる神のもとに届くのです。

皆さんの家に電話をかける場合、一つの電話番号しかありません。皆さんの携帯も、一桁間違えても相手に電話はかかりません。しかし番号をしっかりと押すならば、本人と通話が出来ます。同様にイエスさまの御名によって祈るならば、父なる神のもとに祈りは確実に届きます。神は私たちの祈りを決してないがしろにはされず、忘れることもありません。 世界中のクリスチャンが同時に祈っても、すべてを瞬時に受け取ることができるお方です。

聖書は「目を造った方が見えないはずがない。耳を造った方が聞こえないはずがない」と告げています。私たちは限定された範囲内で、瞬間的に目で認知することが出来ます。神さまが目を造られたとしたら、すべてをお見通しでないはずがありません。また耳が色々な情報をキャッチすることが出来るとしたら、神さまが完璧な耳を持っておられないはずがありません。皆さんの祈りは、ちゃんと神の御前に届くのです。

しかし、イエスさま以外の名前で祈った祈りは、残念ながら神の前には届いていません。日本の方は祈り深い国民だと思います。神社に行って絵馬を見ると、祈りの課題とともに個人情報が多く含まれています。それは教会の祈りの課題と同じ中身です。けれども、残念ながらその祈りは神に届いてはいないのです。なぜなら、イエスさまの名前で祈っていないからです。心からの祈りではあっても、残念ながら神の御前には届いてはいないのです。しかしイエス・キリストの名前で祈るならば、確実に神の御前に届くのです。

そしてダニエル書10章には祈りに関してもう一つ不思議なことが記されています。祈りは届いていますが、「答えが来るまでに時間がかかることがある」ということです。ここでは既にダニエルの祈りは神の前に届いていました。そして祈りに対する答えも天で用意されていました。しかし答えが来るまでに、二十一日間という時間を要しました。また、その理由も明らかにされています。「ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。

ペルシャの国の君」について調べると、それは神のみこころに対抗し、立ちはだかる存在であり、ペルシャを牛耳っていた「悪霊たち」と理解できます。天において祈りの答えが用意されても、答えが届くのを阻止する力があるようです。ダニエルは二十一日間、断食して真剣に祈っていましたが、彼は計らずして、天における戦いに参加していたのです。やがて二十一日後、彼は答えを受け取りました。してみると、祈りはただ単に、神に願うという領域だけではなく、立ち向かっていくという、戦いの領域をも含んでいるということです。

皆さん、信仰生活の中で何を一番優先すべきでしょうか。第2コリント4章18節に「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」現代人の生活の中で、最も価値あるものとして位置づけられるものは、見える領域の事柄です。私たちは物質が氾濫している世界に住んでおり、物質を手にするために最大限の努力をします。ゆえに、見える領域が一番価値ある領域と錯覚しやすいです。

特に現代は、その錯覚が強い時代です。けれども、千年、二千年、三千年前の人類を見ると、どうでしょうか。現代人は「あの人たちは遅れた人たちだ」と決めつけます。なぜならば、現代人と全く生活形態が違うからです。エジプトに行くと、ピラミッドを作るために、エジプト人たちが真剣に働いた歴史を見ることが出来ます。また日本の歴史も、歴史が古ければ古いほど、生活の中心が宗教行事そのものであったことがわかります。「あれは昔のことだから」と言うかも知れませんが、人間はいつの時代にあっても同じです。なぜなら、神が人を創られたからです。進化してはいません。神は完全な者を創られたので、どの時代の人たちも、同じ能力をもっていたはずです。生活様式が違うのは、未発達というのではなく、単に価値観の違いに過ぎません。

現代人は、「見える領域が最高に価値ある」という価値観を持っています。しかし昔の人たちは「見えない領域が最も大切」という価値観でした。昔の人たちは、方向は悪かったかも知れませんが、価値観としては、現代人よりも正しい価値観を持っていたと思います。それは「見えるものは一時的で、見えないところに本質がある」という、真理をつかんでいたからです。私たちクリスチャンも、ここに中心を置かなければなりません。私たちは物質中心の世界に住んでいるので、見える世界に目を留めてしまいがちですが、見えない世界に関心を払っていなければならないのです。

特に、祈りの世界においては、見えない世界の戦いがあることを知る必要があります。そして、聖書の原則によると、目に見えない世界で勝利するならば、見える世界にも勝利が来ること、しかし見えない世界で敗北するならば、見える世界でも敗北を刈り取らなければならないという原則があります。もちろん、それがすべてだとは言いません。しかしそのような原則があることに、心を留めることが大切です。

私たちは見える世界に関しては、日々十分すぎるほど体験していますから、すべてを見えない世界で解釈することは不可能です。しかし見えない世界に関して、全く関心を持たない生活は、大変危険です。聖書は見えない世界を優先し、見えない世界で勝利を取ったら、見える世界でも勝利がやって来ると告げています。見えない世界で勝利を勝ち取るために、祈る必要があります。

聖書は情報の書なので私たちがどのように情報を受け取り、適用するかで実生活がかわります。ダニエルが天で勝利を勝ち取った時、彼は地上においても神からの励ましを受け、現実においても勝利を受け取ることができました。ダニエルが活躍した時代は、イスラエルがイスラエルとユダに分かれ、ユダはバビロンに70年間捕囚され、やがて故郷イスラエルへ帰って来ました。この時代は、バビロンからの帰還という、歴史的出来事との強い関連性があります。その周辺のことを見ていくと、他の事柄も浮かび上がってきます。

エズラ記にはイスラエルの人たちが故郷に戻り、何を優先したかについて記されています。彼らは長い間バビロンで生活していましたが、解放され、故郷に帰ってきました。かつて自分たちが住んでいた町は荒れ果て、使いものにならない状況になっていました。しかし彼らは、まず神の宮を建て直そうとしました。そんな時、事件が起こりました。エズラ記4:1-2に『ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々が、イスラエルの神、主のために神殿を建てていると聞いて、ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て、言った。「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです。アッシリヤの王エサル・ハドンが、私たちをここに連れて来た時以来、私たちは、あなたがたの神に、いけにえをささげてきました。」

ユダの人々が神殿を建て直し始めると、敵がやって来て「あなたがたと一緒に神殿を建てさせてくれないか」と言いました。これは、イスラエルを陥れるための敵の策略でした。続けて3-4節に『しかし、ゼルバベルとヨシュアとその他のイスラエルの一族のかしらたちは、彼らに言った。「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。ペルシヤの王、クロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりだ。」すると、その地の民は、建てさせまいとして、ユダの民の気力を失わせ、彼らをおどした。』そして4:24節に『こうして、エルサレムにある神の宮の工事は中止され、ペルシヤの王ダリヨスの治世の第二年まで中止された。』とあります。

せっかくバビロンから帰ってきて、神の宮を建て始めましたが、敵がやってきて妨害され、ダリヨスの治世の第二年まで、工事ができなくなってしまいました。十数年間にも渡って、工事は中止させられてしまいました。私たちも時々、何か新しいことを始めようとするとき、妨害があり、出来なくなってしまうことがあります。「なぜ、こんなに多くの敵が現れるのだろうか、うまくいかないのだろうか」という時があります。

上記の事件も、それは見える形での現実的妨害でした。イスラエルの人々は、土木・建築工事を行っていましたが、敵が来て、それを妨害したのです。しかしそれが、見えない世界との関連性があったわけです。この工事はダリヨスの治世の第二年まで中止され、再度、工事が再開されたことが記されています。

エズラ記5:1-5節に、『さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの、ふたりの預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に、彼らとともにおられるイスラエルの神の名によって預言した。そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちも彼らといっしょにいて、彼らを助けた。そのとき、川向こうの総督タテナイと、シェタル・ボズナイと、その同僚とがやって来て、こう言った。「だれがあなたがたに命令を下して、この宮を建て、この城壁を修復させようとしたのか。」そしてまた「この建物を建てている者たちの名は何というのか。」と尋ねた。しかし、ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていたので、このことがダリヨスに報告され、ついで、このことについての書状が来るまで、この者たちは彼らの働きをやめさせることができなかった。

第一回目は、敵によって妨害され、すぐに止められました。しかし十数年後、ダリヨスの治世の第二年、もう一度人々は宮を建て始めると、前回も動いた敵たちが同じようにやって来て「なぜ、工事を再開するのか。やめてしまえ。」と妨害しました。しかし第二回目に関しては、敵は工事を止めさせることができなかったのです。仕事がうまくいき、神殿は建て直されました。第一回目は止められ、二回目はうまくいった理由は何でしょうか。第二回目は偶然に運が良かったのでしょうか。そこには霊的原因があったのです。

工事現場のただ中で、ゼカリヤは神から一つの幻を見せられました。現実の世界は、敵たちが来て、「工事を止めてしまえ。」と脅している最中、ゼカリヤは幻を見せられました。それが、ゼカリヤ書3:1-5にあります。『主は私に、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアと、彼を訴えようとしてその右手に立っているサタンとを見せられた。主はサタンに仰せられた。「サタンよ。主がおまえをとがめている。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめている。これは、火から取り出した燃えさしではないか。」ヨシュアは、よごれた服を着て、御使いの前に立っていた。御使いは、自分の前に立っている者たちに答えてこう言った。「彼のよごれた服を脱がせよ。」そして彼はヨシュアに言った。「見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう。」私は言った。「彼の頭に、きよいターバンをかぶらせなければなりません。」すると彼らは、彼の頭にきよいターバンをかぶらせ、彼に服を着せた。そのとき、主の使いはそばに立っていた。

現実の世界においては、川向こうから敵がやってきて妨害していました。しかしヨシュアは天におり、その側にサタンが立っており、サタンが彼を神の前で訴えていたのです。けれども、現実の世界に目を移すと、ヨシュアを敵が「仕事を止めてしまえ」と脅していたのです。ここから、見える世界と見えない世界がつながっていることがわかります。しかしその日、天でのサタンの訴えが退けられたのです。ヨシュアは汚い衣を着て立っていたようです。それがきれいな衣に着せ替えられ、きよいターバンをかぶらせられた時、それまで訴えていたサタンの訴えが下げられたのです。その結果、地上においては、工事を止められることなく、宮は建て直されていきました。見える世界と見えない世界がたくみにつながっていることを、ここから見ることができます。私たちも信仰生活の枠組みの中で問題を体験する時、天において訴えられているかも知れないという、見えない世界を優先的に考えなければなりません。

サタンがヨシュアを訴えていたポイントは「衣が汚い」ということでした。それは、イスラエル全体の罪を現していました。悪魔が訴える唯一のポイントは「」です。教会に来ると罪から離れるきよい生活について話されます。教会は罪について指摘するからあまり行きたくない、と言う人がいますが、なぜ罪について指摘するのでしょうか。それは、悪魔に訴えられるからです。少しは窮屈かも知れませんが、身の安全のために罪から離れるようにと教えます。教会に来て、きよい生活について知ることは大変重要です。何が罪で、何が罪ではないか。何が神に喜ばれることで、何が神に喜ばれないかについてよく知り、理解を持つならば、天においてサタンに訴えられることはありません。何らかの問題があったら、イエス・キリストの十字架の血潮を仰ぎ、もう一度、衣を洗っていただくことが大切です。

ここでは、ゼカリヤが「彼にきよいターバンをかぶらせてください」と、とりなしをしました。周りからのとりなしの祈りがある時に、天における戦いに勝利できます。特にヨシュアが天で訴えられていたのは、イスラエルの国家的な罪「偶像礼拝」でした。色々な問題の根源に、偶像礼拝があります。その罪がサタンの訴えの主な原因となっています。目に見えない世界で悪魔に訴えられると、地上においては色々な問題として反映されることがあります。ダニエルも二十一日間に渡り、ペルシャの君に訴えられました。しかし、最終的に天における戦いに勝利したとき、励ましの言葉が届きました。祈りを通して天における戦いに勝利しなければならないことを教えられます。

主の働きはパーフェクトです。ダニエルを通して、ペルシャの国の君が打ち破られました。国々を支配している敵の力を打ち破るために、私たちを用いてくださるようにと、主に祈りましょう。時々、人生に色々な問題が起こり、意気消沈することがあります。しかし、見える世界に目を置くのではなく、見えない世界に目を向け、立ち向かっていくときに、信じられない展開で大勝利につながります。主はどんな時にも、私たちに声をかけてくださいます。

神に愛されている者よ。恐れるな。強くあれ。強くあれ。

私たちは神に愛されている者たちです。戦いのただ中にある人も、決して意気消沈しないで下さい。見える世界ではなく、目に見えない世界を優先し、戦っていきたいと思います。

教会は見えない世界の働きです。見えない神を礼拝するために集まっています。目に見えない世界を中心に毎日を過ごし、見えない領域での戦いを意識しましょう。TBIC教会のメンバー一人ひとりの問題は、全体の問題です。キリストのからだの機能が一つとなるとき、勝利に向かって行きます。今週も一人ひとりに任された領域を果たして行きたいと思います。

(告白の祈り)

イエス様、あなたの血潮を心から感謝します。イエス様だけが救い主であることを宣言します。私たちの罪を赦してください。私たちの霊的な罪、肉的な罪、魂の罪を、すべて赦してください。悪しき力との関係を断ち切ってください。見えない世界での勝利をイエスの御名によって宣言します。見える世界でも、勝利を与えてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
合計 148
手順 タイトル 投稿者 投稿日 推薦 閲覧数
148
使徒の働き20:23-24(使命に命をかけなさい)
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ルカの福音書6:12-16(変えられない人は誰もいない)
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ヨハネの黙示録3:1-13(ダビデの鍵を持っている方)
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コリント人への手紙第二3:6-18(文字は殺し、御霊は生かす)
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tbic 2024.05.19 1 130
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ヨハネの黙示録14:14-20(愚かな人生を生きてはならない)
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ヨハネの黙示録12:10-12(終末の時は悪魔がもっと賢い)
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ヨハネの黙示録7:9-14(神様から祝福より、認められよう)
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マタイの福音書8:5-13(百人隊長の信仰)
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ルカの福音書5:27-32(天の御国にゴミ箱はない)
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創世記22:1-8「苦しみ(十字架)を受け入れれば、素晴らしい逆転(復活)がある。」
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