メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
ヨハネの黙示録21:1-8 (涙をぬぐい取ってくださる神)
投稿者
tbic
投稿日
2022-12-05 20:34
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ヨハネの黙示録21:1-8. また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」また私に言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」
今日は東京ベイ国際教会にお招きいただき心から感謝いたしております。
インド宣教とこの小さき者どもを、いつも皆様のお祈りの中に覚えていただきお支えいただいておりますこと心から感謝いたしております。
新型コロナの感染拡大により、私たちがインドに戻るためのビザ申請が停止されていた事と共に、妻の健康上の問題も重なり、私たちは2年以上に渡りインドに戻らせていただくことができずにおりましたが、主の憐れみと皆様のお祈りにお支えいただき、7月にインドのビザを得ることができ、8月4日、インドに出発させていただくことができました。
そして10月27日、日本に一時帰国させていただくことができました。
インドのビザとの関係により3カ月弱の短期間でしたが、インドでの歩みを主がお守りくださり心から感謝しております。
1.インド入国管理局との関係の難しさの中でインド入国・出国が守られ感謝
私たちは今回、インドで友人を訪問することを目的にしたインドの旅行者ビザを7月に得ることができました。
しかしそのビザは、日本人である私は最大6カ月間、韓国人である妻は最大3カ月間しかインドに滞在することができません。
日本人と韓国人とで、インドの滞在期間に違いがあるのは、日本と韓国のインドとの国際関係の違いであると思います。
さて、私がインドに入国する時、インドの空港での入国審査を無事通過させていただくことが出来るかどうか?またインドから出国する時、出国審査を無事通過させていただくことが出来るかどうか?これは私たちにとって深刻な問題でした。
3年程前2019年9月、その時の私のインドビザの規定により、私がインドから出国し、隣の国ネパールに行く時、私はインドの空港の入国管理局職員から嫌疑を掛けられ、取調室に連行され、取り調べを受けているからです。
私に対する嫌疑は、「インドでこの6カ月間、何をしていたのか?何が目的でインドに来るのか?インドで何をしているのか?」ということでした。
私は2001年からインドのYMCAで空手指導を行い、スポーツを通して国際協力をさせていただいたこと、そして現在は空手の生徒たちを訪問して国際親善を続けていることをお話いたしました。
しかし福音宣教をさせていただいていることは話しませんでした。
インドはヒンドゥー教の勢力が非常に強く、外国人による福音宣教が許可されません。
私が福音宣教のためにインドに来ていることを知られるならば、即座にインドから国外追放にされてしまうことでしょう。
しかし、ただ主の憐れみにより、私はその取り調べから解放され本当に感謝でした。
3年程前にこのような出来事がありましたので、私がインドの空港での入国審査、そして出国審査を、今回も無事通過させていただくことが出来るかどうか?これは私たちにとって深刻な問題でした。
しかしただ主の憐れみにより、入国審査・出国審査が今回も守られましたことを心から感謝しております。
私のビザは、本来は最大6カ月間インドに滞在させていただけるのですが、このように私は、入国管理局との関係に難しさがあるため、私も妻と共に3カ月弱でインドから出国し、日本に一時帰国させていただきました。
出来るだけ早くインドに戻らせていただきたく願いますが、入国管理局との関係の難しさを考慮し、新年1月まで待ち、1月上旬頃インドに戻らせていただきたく願っております。
2.交通局の警部に追及され危機一髪のところで主が助け出してくださる
さて、2年以上インドに戻れなかったことで、私のインドの運転免許証を更新することができず、免許証が失効してしまいました。そのため日本で国際免許証を取ってインドに戻りました。
そしてインドの免許証を再び与えていただくために交通局に何度も行きましたが、結局、技能試験を再び受けることになりました。
そして9月30日、技能試験に合格し、免許証はその20日後、郵便で自宅に届くということでした。
しかし一般的にインドの人が20日後と言うならば、一月以上は後になってしまいます。
私たちは10月26日にインドから日本に出発させていただく予定になっていましたので、その事をその試験官の警察官に話しました。
その警察官はとても親切そうな人でガンガダールさんというお名前でした。
彼は、10日から15日後に自分のところに来れば、私の免許証を与えてくださると言ってくださり感謝でした。
そして2週間後、私は、その警察官ガンガダールさんから免許証をいただくため、試験場に行きました。妻も私と一緒でした。
そして試験場の警察官に、私はガンガダールさんの所に来たことを話しますと、彼は私に、警部の所に行くよう告げてきました。
そして私たちは警部の所に行き、私がガンガダールさんの所に来た事情を説明しました。
するとガンガダールさんは明日朝10時に来るとのことでした。
ところがその警部は、私に対して、私の職業と共に、私がインドで何をしているのかを質問してきました。
私がYMCAで空手指導をしていたこと、しかし空手指導で身体を傷め、空手指導を引退し、今は空手の生徒たちを訪問していることをお話しました。
しかしその警部はさらに私を追求しようとしてきました。私のビザを確認しようとするらしくパスポート見せるようにと言われました。
私は危険を感じました。パスポートは自宅内にあることを彼に話しましたが、私たちが宣教活動をしていることを知られるならば、私たちは国外追放にされてしまいます。
私たちは危機一髪の状態に追い詰められてしまいましたが、私はその警部に「明日朝10時に来ます。」と告げ、その場を立ち去ることができました。
ただ主の憐れみにより主が私たちを助け出してくださいました。
しかしその後、私の心には恐れと不安が続きました。その翌日再び試験場に行かなければならず、その警部に再び会うことになるからです。
ただ主の憐れみにすがり、主に祈るばかりでした。しかし私の心には恐れと不安が続きました。私自身の信仰の弱さを感じさせられるばかりでした。
そしてその翌日、私は再び試験場に行きました。
試験場の入り口の傍らにいた警察官に、私はガンガダールさんの所に来たことを告げると、ガンガダールさんは今日来ないので、明後日月曜日の朝再び来るように告げられました。
そのため私は試験場の中まで入らず、入り口からそのまま引き返してきましたので、その警部には会うことがなく助かりました。
しかしその後も、私の心には恐れと不安が続きました。その翌々日再び試験場に行かなければならず、そしてその警部に会うことになるからです。
ただ主の憐れみにすがり、主に祈るばかりでした。
主は聖書の御言葉によって私を導いてくださいました。
苦難の日に
わたしを呼び求めよ。
わたしはあなたを助け出し
あなたはわたしをあがめる。(詩篇50:15)
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。
・・・・・・
わたしがあなたの神、主であり、
あなたの右の手を固く握り、
「恐れるな。わたしがあなたを助ける」
と言う者だからである。
恐れるな。虫けらのヤコブ、
イスラエルの人々。
わたしがあなたを助ける。(イザヤ書41:10,13,14)
信仰が非常に弱い私であり、恐れと不安が続きましたが、ただ主の憐れみにすがり、主を見上げていきました。
そして翌々日、私は再び試験場に行きました。妻も私と共に行きました。
試験場の手前にある広い駐車場に、既に自動車がたくさん停められていましたが、ちょうどよく停められる場所が見つかり、そこに自動車を停めることができました。
そしていよいよ試験場に行く前に主に祈り、前を見ると、なんとガンガダールさんが私たちの自動車の真ん前に立っていました。
本当に驚きました。ガンガダールさんが、なぜその時、駐車場まで出て来ていたのかわかりません。本当に不思議でした。その駐車場から試験場までは百数十メートルの距離があるからです。
私はすぐにガンガダールさんの所に行きお話しすると、彼はその場ですぐに、免許証を発行する係に携帯電話からお電話してくださいました。
そして私は、その係りの所に行き、免許証を受け取ることができました。
そのため私は、警部の所には行く必要がなく、その警部に再び会うことなく免許証を受け取ることができました。
本当に不思議な出来事でした。ただ主の憐れみと、生きて働いておられる主のご介入に心から感謝して主を崇めました。
3.インドでの新型コロナ感染爆発と私たちの教会、関係者
ところでインドでの新型コロナ感染爆発により、私たちが所属する教会でも感染者が大勢出ました。
また私がかつて空手を教え伝道させていただいてきた生徒とその親族の中でも感染者が大勢出ました。
その中には、ご逝去された方々もおられます。
また我が家と同じ敷地内のお隣のご主人(スブラマニヤムさん)も、コロナ感染により昨年5月22日ご逝去されました。70歳でした。
私たちの関係者の中には、コロナ感染とは別の問題によりご逝去された方々もおられます。
*サビタ姉妹の召天(2020年9月4日、34歳)
私たちが現地の教会を通して深く関わらせていただいたサビタ姉妹が、2020年9月4日、天に召されました。34歳でした。
サビタ姉妹は夫ラージュー兄弟と結婚後1年位の時(2010年)、夫と共にバイクで走行中、自動車に衝突され脊髄損傷という重傷を負い、下半身不随になり排尿排便の感覚も失ってしまいました。
そしてご両親の介護を受けながらベッド上の生活を続けていました。
*エステル姉妹の召天(2021年7月6日、38歳)
YMCAで私が出会い親しくさせていただけるようになったモーセ兄弟の奥様エステル姉妹が、昨年7月6日、天に召されました。38歳でした。エステル姉妹は腎臓に病気を抱えていました。
ご主人のモーセ兄弟(40歳)、長女ニッシー(18歳)、次女ジョイシー(17歳)、長男クルパナンダ(14歳)、家族全員クリスチャンであり、スラムの中のとても小さな家の一部屋(インドには畳はありませんが畳の大きさならば3〜4畳位の部屋)で生活しています。
エステル姉妹は入院し、賛美歌を歌い続け、お祈りし、ご主人と子供たちに様々なアドバイスを与え、自分はもうすぐイエス様と一緒になれることを語り、最後にご家族に「さようなら」と挨拶し、その30分後、天に召されたそうです。
*ラメーシュ君のご逝去(2022年6月6日、24歳)
また2006年〜2007年に、我が家で、地域の貧しい子供たちのために行っていた子供集会に、弟・妹と共に集っていたご近所のラメーシュ君という当時小学生の少年がおりました。
そのラメーシュ君が、バイクで走行中の事故により、今年6月6日お亡くなりになったことを今回インドに戻って知らされ、深い悲しみを受けております。
彼はまだ24歳でした。
*ゴーパルさんのご逝去(2022年10月12日、52歳)
またご近所に住む関係者の一人ゴーパルさんが心臓疾患のため9月に入退院され、10月12日、心臓の手術を受けました。
しかし手術中危篤状態に陥り、手術終了後、間もなくお亡くなりになりました。
手術前には体調が安定していたにもかかわらず、このような結果になってしまい残念で仕方ありません。
集中治療室内のゴーパルさんの死亡が伝えられた時、奥様と子供たちが泣き崩れる姿を見て、非常に切なくなりました。
奥様と子供たちは私たちと共に、教会のクリスマス伝道集会、礼拝に出席されたことがあります。
4.不慮の死を遂げた人々に何もさせていただけなかった後悔
2001年からのインドでの歩みの中で、私たちが関わらせていただいた関係者の方々の中で、多くの方々がお亡くなりになりました。
その中には不慮の死を遂げた人々もおられます。
私たちはその方々に対して何もさせていただけなかったことを本当に申し訳なく思うばかりです。
*サンニー君のご逝去(2012年10月、15歳9カ月)
その中の一人に、サンニー君という少年がおります。
サンニー君は、私の空手の生徒の従弟で、サンニー君の家族は、私の生徒の家族と同じアパートに住んでいました。そこはスラムエリヤです。
彼は小学校にも通わずにいましたが、とても愛嬌のある少年でした。
2012年10月、サンニー君はスラムの中で喧嘩をし、ガソリンを掛けられて焼かれ、病院に入りましたが死亡したそうです。彼はまだ15歳9カ月でした。
私たちが日本に一時帰国中の出来事でした。
サンニー君の父親が2007年に、突然の心臓発作でお亡くなりになりましたので、遺された奥様と4人の子供たちを、私たちは時々訪問していました。
サンニー君のご家族は、私の空手の生徒のご家族と共に、私たちが所属する教会のクリスマス伝道集会に集いました。
しかし集会に集中せず、他の人々に迷惑を掛けることが多く、教会の集会への招待は難しい状態でした。
しかし彼らはクリスマス伝道集会に集うことをとても楽しみにしていました。
5.ヒンドゥー教の束縛
(カースト制度、貧しい人々の生命の重さが軽んじられる)
まだ15歳のサンニー君が、喧嘩でガソリンを掛けられて焼かれて死亡しました。なぜそのような残虐な事が行われるのでしょうか。
人間の生命の重さ(生命の尊厳)が軽んじられているからではないでしょうか。
ヒンドゥー教の中にはカースト制度という苛酷な差別制度があります。これは宗教の中にある差別制度なので、非常に根強い差別制度であり、低いカースト階級の人々に対する根強い差別が現在でも続いています。
そして低いカースト階級の人々に対する苛酷な差別意識により、低い階層の貧しい人々の生命の重さが軽んじられます。
同じ人間であるにもかかわらず、その人のカースト階級と社会的階層により、生命の重さに違いが生じることは、人間の尊厳に関わる重大な問題です。
しかし、そのような残虐な事件が起こされていても、ヒンドゥー教徒の人々は、ヒンドゥー教から抜け出すことができません。
彼らは、家族・親戚が皆、ヒンドゥー教の同じ偶像の神々を信じ、その宗教の儀式を共に行うことで、強く結合し結束しています。
ですからイエス・キリストを唯一の神として信じ、他の神々への偶像礼拝を止め、ヒンドゥー教からキリスト教に回心するということは、自分の家族・親戚との関係から断ち切られるようなこととなります。そして家族・親戚から激しい迫害を受けます。
ですからカースト制度により、苛酷な差別を受け、貧困と劣悪な生活環境の中に置かれている低い階層の人々であっても、ヒンドゥー教という宗教の束縛から抜け出すことは非常に難しいことです。
しかし彼らがイエス・キリストを信じて、罪を悔い改め、偶像礼拝を止め、回心することができなければ、彼らの将来はどうなるのでしょうか。
ヨハネの黙示録21章8節にはこのように書かれています。
しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。(黙示録21:8)
偶像の神々を拝み、罪の中を歩み続ける人々は、火と硫黄の燃える池の中に投げ込まれ、第二の死を迎えなければならないことが書かれています。これは永遠の地獄です。
私たちは、その人々の救いのために、イエス・キリストの救いの福音をお伝えしていかなければなりません。
6.日本の宗教の束縛
さて、それでは日本の人々はどうでしょうか?
日本においても、その宗教行事に家族・親戚が共に集い、その宗教の儀式を共に行うことにより、その人々はその一族として強く結合し結束しているところがないでしょうか。
ですからイエス・キリストを唯一の神として信じ、他の神々への偶像礼拝を止め、仏教・神道からキリスト教に回心するということは、自分の家族・親戚との結合関係から断ち切られるようなことになる場合もあるでしょう。
そして家族・親戚から迫害を受けることにもなるのではないでしょうか。
日本人の国民性は、集団主義であり、自分が所属する集団と同じにすることが要求されます。
この日本の集団主義から抜け出し、イエス・キリストに固く結びつき、キリストにつき従うことは、日本人にとっては難しいことなのかもしれません。
私がクリスチャンになる時にも家庭内で非常に難しい問題がありました。私は両親と話し合いました。
私はクリスチャンになるので、他の神々を拝むことは出来ないこと、仏壇にも神棚にも一切拝むことは出来ないことを両親に話しました。
すると私の母は、私に、「お前はクリスチャンになったら、親が死んでも親にお線香1本あげてくれないのかい」と言い、非常に悲しみました。
しかし私の両親は最終的に、私がクリスチャンになることを受け入れてくれました。
私たちが2001年にインドに派遣していただいた後、父も母も癌になりましたが、癌の末期になった時、父にも母にもキリストへの信仰が与えられ、偶像礼拝を止め、キリストの救いに与り、天国に召していただくことができました。
私たちの救い主イエス・キリストの愛と憐れみに心から感謝しております。
7.苦難(重荷)を負い続け召天された方々
さて、インドで私たちが関わらせていただいた方々の中には、重いご病気や重傷を負われ、その重荷を負い続けておられた方々がおられます。
先程ご紹介させていただきましたサビタ姉妹は、交通事故での脊髄損傷により下半身不随になり、排尿排便の感覚も失い、ベッド上の生活を続けておられました。
しかしサビタ姉妹は、訪問させていただく私たちをいつも喜んで迎えてくださり本当に感謝でした。
エステル姉妹は、腎臓に病気を抱えておられました。生活環境が悪いスラムエリヤでの生活の中で、多くの苦難を経験されたことでしょう。
*ハリーシュ兄弟の召天(2016年1月7日、22歳)
また私たちが所属する教会に、遺伝性の難病を抱えたハリーシュ君という兄弟がおりました。
日本にはその病気に対する良い治療薬がありますが、インドでその治療薬を購入するためには莫大なお金が必要であり、1度しか購入できませんでした。
彼は身体を動かすことも話すことも、徐々に難しくなっていきました。また肝硬変にもなってしまいました。
しかしそのような困難な病状にあっても、彼は訪問する私たちに対し、いつも心遣いをしてくださり、笑顔を見せてくださり、とても良いお交わりを持たせていただくことができ本当に感謝でした。
私たちは彼から、どれほど大きな愛と励ましを与えていただいたことかわかりません。
2015年12月、私たちはインドビザの期限によりインドから出国し、新たなビザを得るためタイ国とラオスに行きましたが、ハリーシュ君は、私たちのことを常に心配してくださり、パソコンで続けて私たちにメッセージを送ってくださり本当に感謝でした。
彼はその12月の25日、教会のクリスマス礼拝に出席したそうです。そして帰宅後、パソコンを続けていたそうです。
しかし翌日26日朝、彼は起き上がることが出来ず、食事もせず、ただ泣いていたため、入院し集中治療室に入ったそうですが、回復して集団室に移り食事を取ることも出来たそうです。
ところがその翌日12月27日、彼は病室内で泣き続けていたため、他の患者さんの迷惑になるということで、医師が彼に麻酔薬を注射したそうです。
麻酔薬注射後、彼は無意識・無感覚の昏睡状態となり、再び集中治療室に入り、そのままついに意識が戻らずお亡くなりになったそうです。彼は22歳でした。
私たちはインドに帰国後、病院内で彼に起こった出来事の詳細をご家族から伺い、彼が泣いていると他の患者さんの迷惑になるということで、彼に麻酔薬を注射するという、その医療行為に大きな疑問を感じました。
貧しい人々の生命の重さが軽んじられているインド社会の不条理に、本当に悲嘆するばかりでした。
しかしこの世の不条理の中にあっても、私たちの救い主であるイエス・キリストに希望を置き、常に主を見上げていきたいと思います。
そして主の御心が天で行われるように、この地でも行なわれますように祈り続けていきたいと思います。
8.天の御国(涙をぬぐい取ってくださり、すべてを新しくされる神)
ヨハネの黙示録21章3-5節を読ませていただきます。
私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。
「見よ、神の幕屋が人々とともにある。
神は人々とともに住み、人々は神の民となる。
神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から
涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、
悲しみも、叫び声も、苦しみもない。
以前のものが過ぎ去ったからである。」
すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」
(ヨハネの黙示録21:3-5)
ハリーシュ君のこの地上での生涯は22年でした。彼は、遺伝性の難病を抱え、この地上で多くの苦難を経験されました。
しかし私たち夫婦をはじめ多くの人々が、彼から大きな愛と励ましを与えていただきました。
そしてハリーシュ君は、この地上での歩みを終え、永遠の天国に迎えていただきました。
そして神の民となり、神様ご自身がハリーシュ君と共にいてくださり、彼の目から涙をことごとくぬぐい取ってくださいます。
そして神様は、天国においてハリーシュ君のすべてを新しくしてくださり、ハリーシュ君は永遠の祝福の中を永遠に生き続けることが約束されています。
この地上での生涯には様々な苦難があります。ハリーシュ君、サビタ姉妹、エステル姉妹、それぞれの方々が大きな苦難を抱え、年若くして天に召されて行きました。
しかしイエス・キリストの救いに与ったクリスチャンは皆、天国において神の民となり、神様ご自身が彼らと共にいてくださり、彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださいます。
そして永遠の祝福の中を永遠に生き続けることが約束されています。
私たちクリスチャンには、だれにでもこの約束が与えられています。
私たち人間をお造りになられた、天の父なる神様は、私たち人間を愛し続けてくださり、罪深い私たち人間に、罪の赦しを与え、天国に迎えて、神様のもとで、永遠の祝福の中を歩ませたいと願っておられます。
そのために、今から2000年前に、神のひとり子イエス・キリストが、この地上に来てくださいました。それがクリスマスです。
そしてイエス様は、私たち人間のすべての罪を負って、私たちの身代りに十字架で死んでくださいました。
イエス・キリストを自分自身の救い主として信じ、生涯、キリストにつき従う者には、天国での永遠のいのちと永遠の祝福が約束されています。
この地上においては様々な苦難がありますが、私たちクリスチャンには、天国での永遠のいのちと永遠の祝福が約束されています。
神様は、天国において、私たちのすべてを新しくしてくださり、神様のもとで永遠の祝福の中を永遠に歩ませてくださいます。
今日は東京ベイ国際教会にお招きいただき心から感謝いたしております。
インド宣教とこの小さき者どもを、いつも皆様のお祈りの中に覚えていただきお支えいただいておりますこと心から感謝いたしております。
新型コロナの感染拡大により、私たちがインドに戻るためのビザ申請が停止されていた事と共に、妻の健康上の問題も重なり、私たちは2年以上に渡りインドに戻らせていただくことができずにおりましたが、主の憐れみと皆様のお祈りにお支えいただき、7月にインドのビザを得ることができ、8月4日、インドに出発させていただくことができました。
そして10月27日、日本に一時帰国させていただくことができました。
インドのビザとの関係により3カ月弱の短期間でしたが、インドでの歩みを主がお守りくださり心から感謝しております。
1.インド入国管理局との関係の難しさの中でインド入国・出国が守られ感謝
私たちは今回、インドで友人を訪問することを目的にしたインドの旅行者ビザを7月に得ることができました。
しかしそのビザは、日本人である私は最大6カ月間、韓国人である妻は最大3カ月間しかインドに滞在することができません。
日本人と韓国人とで、インドの滞在期間に違いがあるのは、日本と韓国のインドとの国際関係の違いであると思います。
さて、私がインドに入国する時、インドの空港での入国審査を無事通過させていただくことが出来るかどうか?またインドから出国する時、出国審査を無事通過させていただくことが出来るかどうか?これは私たちにとって深刻な問題でした。
3年程前2019年9月、その時の私のインドビザの規定により、私がインドから出国し、隣の国ネパールに行く時、私はインドの空港の入国管理局職員から嫌疑を掛けられ、取調室に連行され、取り調べを受けているからです。
私に対する嫌疑は、「インドでこの6カ月間、何をしていたのか?何が目的でインドに来るのか?インドで何をしているのか?」ということでした。
私は2001年からインドのYMCAで空手指導を行い、スポーツを通して国際協力をさせていただいたこと、そして現在は空手の生徒たちを訪問して国際親善を続けていることをお話いたしました。
しかし福音宣教をさせていただいていることは話しませんでした。
インドはヒンドゥー教の勢力が非常に強く、外国人による福音宣教が許可されません。
私が福音宣教のためにインドに来ていることを知られるならば、即座にインドから国外追放にされてしまうことでしょう。
しかし、ただ主の憐れみにより、私はその取り調べから解放され本当に感謝でした。
3年程前にこのような出来事がありましたので、私がインドの空港での入国審査、そして出国審査を、今回も無事通過させていただくことが出来るかどうか?これは私たちにとって深刻な問題でした。
しかしただ主の憐れみにより、入国審査・出国審査が今回も守られましたことを心から感謝しております。
私のビザは、本来は最大6カ月間インドに滞在させていただけるのですが、このように私は、入国管理局との関係に難しさがあるため、私も妻と共に3カ月弱でインドから出国し、日本に一時帰国させていただきました。
出来るだけ早くインドに戻らせていただきたく願いますが、入国管理局との関係の難しさを考慮し、新年1月まで待ち、1月上旬頃インドに戻らせていただきたく願っております。
2.交通局の警部に追及され危機一髪のところで主が助け出してくださる
さて、2年以上インドに戻れなかったことで、私のインドの運転免許証を更新することができず、免許証が失効してしまいました。そのため日本で国際免許証を取ってインドに戻りました。
そしてインドの免許証を再び与えていただくために交通局に何度も行きましたが、結局、技能試験を再び受けることになりました。
そして9月30日、技能試験に合格し、免許証はその20日後、郵便で自宅に届くということでした。
しかし一般的にインドの人が20日後と言うならば、一月以上は後になってしまいます。
私たちは10月26日にインドから日本に出発させていただく予定になっていましたので、その事をその試験官の警察官に話しました。
その警察官はとても親切そうな人でガンガダールさんというお名前でした。
彼は、10日から15日後に自分のところに来れば、私の免許証を与えてくださると言ってくださり感謝でした。
そして2週間後、私は、その警察官ガンガダールさんから免許証をいただくため、試験場に行きました。妻も私と一緒でした。
そして試験場の警察官に、私はガンガダールさんの所に来たことを話しますと、彼は私に、警部の所に行くよう告げてきました。
そして私たちは警部の所に行き、私がガンガダールさんの所に来た事情を説明しました。
するとガンガダールさんは明日朝10時に来るとのことでした。
ところがその警部は、私に対して、私の職業と共に、私がインドで何をしているのかを質問してきました。
私がYMCAで空手指導をしていたこと、しかし空手指導で身体を傷め、空手指導を引退し、今は空手の生徒たちを訪問していることをお話しました。
しかしその警部はさらに私を追求しようとしてきました。私のビザを確認しようとするらしくパスポート見せるようにと言われました。
私は危険を感じました。パスポートは自宅内にあることを彼に話しましたが、私たちが宣教活動をしていることを知られるならば、私たちは国外追放にされてしまいます。
私たちは危機一髪の状態に追い詰められてしまいましたが、私はその警部に「明日朝10時に来ます。」と告げ、その場を立ち去ることができました。
ただ主の憐れみにより主が私たちを助け出してくださいました。
しかしその後、私の心には恐れと不安が続きました。その翌日再び試験場に行かなければならず、その警部に再び会うことになるからです。
ただ主の憐れみにすがり、主に祈るばかりでした。しかし私の心には恐れと不安が続きました。私自身の信仰の弱さを感じさせられるばかりでした。
そしてその翌日、私は再び試験場に行きました。
試験場の入り口の傍らにいた警察官に、私はガンガダールさんの所に来たことを告げると、ガンガダールさんは今日来ないので、明後日月曜日の朝再び来るように告げられました。
そのため私は試験場の中まで入らず、入り口からそのまま引き返してきましたので、その警部には会うことがなく助かりました。
しかしその後も、私の心には恐れと不安が続きました。その翌々日再び試験場に行かなければならず、そしてその警部に会うことになるからです。
ただ主の憐れみにすがり、主に祈るばかりでした。
主は聖書の御言葉によって私を導いてくださいました。
苦難の日に
わたしを呼び求めよ。
わたしはあなたを助け出し
あなたはわたしをあがめる。(詩篇50:15)
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。
・・・・・・
わたしがあなたの神、主であり、
あなたの右の手を固く握り、
「恐れるな。わたしがあなたを助ける」
と言う者だからである。
恐れるな。虫けらのヤコブ、
イスラエルの人々。
わたしがあなたを助ける。(イザヤ書41:10,13,14)
信仰が非常に弱い私であり、恐れと不安が続きましたが、ただ主の憐れみにすがり、主を見上げていきました。
そして翌々日、私は再び試験場に行きました。妻も私と共に行きました。
試験場の手前にある広い駐車場に、既に自動車がたくさん停められていましたが、ちょうどよく停められる場所が見つかり、そこに自動車を停めることができました。
そしていよいよ試験場に行く前に主に祈り、前を見ると、なんとガンガダールさんが私たちの自動車の真ん前に立っていました。
本当に驚きました。ガンガダールさんが、なぜその時、駐車場まで出て来ていたのかわかりません。本当に不思議でした。その駐車場から試験場までは百数十メートルの距離があるからです。
私はすぐにガンガダールさんの所に行きお話しすると、彼はその場ですぐに、免許証を発行する係に携帯電話からお電話してくださいました。
そして私は、その係りの所に行き、免許証を受け取ることができました。
そのため私は、警部の所には行く必要がなく、その警部に再び会うことなく免許証を受け取ることができました。
本当に不思議な出来事でした。ただ主の憐れみと、生きて働いておられる主のご介入に心から感謝して主を崇めました。
3.インドでの新型コロナ感染爆発と私たちの教会、関係者
ところでインドでの新型コロナ感染爆発により、私たちが所属する教会でも感染者が大勢出ました。
また私がかつて空手を教え伝道させていただいてきた生徒とその親族の中でも感染者が大勢出ました。
その中には、ご逝去された方々もおられます。
また我が家と同じ敷地内のお隣のご主人(スブラマニヤムさん)も、コロナ感染により昨年5月22日ご逝去されました。70歳でした。
私たちの関係者の中には、コロナ感染とは別の問題によりご逝去された方々もおられます。
*サビタ姉妹の召天(2020年9月4日、34歳)
私たちが現地の教会を通して深く関わらせていただいたサビタ姉妹が、2020年9月4日、天に召されました。34歳でした。
サビタ姉妹は夫ラージュー兄弟と結婚後1年位の時(2010年)、夫と共にバイクで走行中、自動車に衝突され脊髄損傷という重傷を負い、下半身不随になり排尿排便の感覚も失ってしまいました。
そしてご両親の介護を受けながらベッド上の生活を続けていました。
*エステル姉妹の召天(2021年7月6日、38歳)
YMCAで私が出会い親しくさせていただけるようになったモーセ兄弟の奥様エステル姉妹が、昨年7月6日、天に召されました。38歳でした。エステル姉妹は腎臓に病気を抱えていました。
ご主人のモーセ兄弟(40歳)、長女ニッシー(18歳)、次女ジョイシー(17歳)、長男クルパナンダ(14歳)、家族全員クリスチャンであり、スラムの中のとても小さな家の一部屋(インドには畳はありませんが畳の大きさならば3〜4畳位の部屋)で生活しています。
エステル姉妹は入院し、賛美歌を歌い続け、お祈りし、ご主人と子供たちに様々なアドバイスを与え、自分はもうすぐイエス様と一緒になれることを語り、最後にご家族に「さようなら」と挨拶し、その30分後、天に召されたそうです。
*ラメーシュ君のご逝去(2022年6月6日、24歳)
また2006年〜2007年に、我が家で、地域の貧しい子供たちのために行っていた子供集会に、弟・妹と共に集っていたご近所のラメーシュ君という当時小学生の少年がおりました。
そのラメーシュ君が、バイクで走行中の事故により、今年6月6日お亡くなりになったことを今回インドに戻って知らされ、深い悲しみを受けております。
彼はまだ24歳でした。
*ゴーパルさんのご逝去(2022年10月12日、52歳)
またご近所に住む関係者の一人ゴーパルさんが心臓疾患のため9月に入退院され、10月12日、心臓の手術を受けました。
しかし手術中危篤状態に陥り、手術終了後、間もなくお亡くなりになりました。
手術前には体調が安定していたにもかかわらず、このような結果になってしまい残念で仕方ありません。
集中治療室内のゴーパルさんの死亡が伝えられた時、奥様と子供たちが泣き崩れる姿を見て、非常に切なくなりました。
奥様と子供たちは私たちと共に、教会のクリスマス伝道集会、礼拝に出席されたことがあります。
4.不慮の死を遂げた人々に何もさせていただけなかった後悔
2001年からのインドでの歩みの中で、私たちが関わらせていただいた関係者の方々の中で、多くの方々がお亡くなりになりました。
その中には不慮の死を遂げた人々もおられます。
私たちはその方々に対して何もさせていただけなかったことを本当に申し訳なく思うばかりです。
*サンニー君のご逝去(2012年10月、15歳9カ月)
その中の一人に、サンニー君という少年がおります。
サンニー君は、私の空手の生徒の従弟で、サンニー君の家族は、私の生徒の家族と同じアパートに住んでいました。そこはスラムエリヤです。
彼は小学校にも通わずにいましたが、とても愛嬌のある少年でした。
2012年10月、サンニー君はスラムの中で喧嘩をし、ガソリンを掛けられて焼かれ、病院に入りましたが死亡したそうです。彼はまだ15歳9カ月でした。
私たちが日本に一時帰国中の出来事でした。
サンニー君の父親が2007年に、突然の心臓発作でお亡くなりになりましたので、遺された奥様と4人の子供たちを、私たちは時々訪問していました。
サンニー君のご家族は、私の空手の生徒のご家族と共に、私たちが所属する教会のクリスマス伝道集会に集いました。
しかし集会に集中せず、他の人々に迷惑を掛けることが多く、教会の集会への招待は難しい状態でした。
しかし彼らはクリスマス伝道集会に集うことをとても楽しみにしていました。
5.ヒンドゥー教の束縛
(カースト制度、貧しい人々の生命の重さが軽んじられる)
まだ15歳のサンニー君が、喧嘩でガソリンを掛けられて焼かれて死亡しました。なぜそのような残虐な事が行われるのでしょうか。
人間の生命の重さ(生命の尊厳)が軽んじられているからではないでしょうか。
ヒンドゥー教の中にはカースト制度という苛酷な差別制度があります。これは宗教の中にある差別制度なので、非常に根強い差別制度であり、低いカースト階級の人々に対する根強い差別が現在でも続いています。
そして低いカースト階級の人々に対する苛酷な差別意識により、低い階層の貧しい人々の生命の重さが軽んじられます。
同じ人間であるにもかかわらず、その人のカースト階級と社会的階層により、生命の重さに違いが生じることは、人間の尊厳に関わる重大な問題です。
しかし、そのような残虐な事件が起こされていても、ヒンドゥー教徒の人々は、ヒンドゥー教から抜け出すことができません。
彼らは、家族・親戚が皆、ヒンドゥー教の同じ偶像の神々を信じ、その宗教の儀式を共に行うことで、強く結合し結束しています。
ですからイエス・キリストを唯一の神として信じ、他の神々への偶像礼拝を止め、ヒンドゥー教からキリスト教に回心するということは、自分の家族・親戚との関係から断ち切られるようなこととなります。そして家族・親戚から激しい迫害を受けます。
ですからカースト制度により、苛酷な差別を受け、貧困と劣悪な生活環境の中に置かれている低い階層の人々であっても、ヒンドゥー教という宗教の束縛から抜け出すことは非常に難しいことです。
しかし彼らがイエス・キリストを信じて、罪を悔い改め、偶像礼拝を止め、回心することができなければ、彼らの将来はどうなるのでしょうか。
ヨハネの黙示録21章8節にはこのように書かれています。
しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。(黙示録21:8)
偶像の神々を拝み、罪の中を歩み続ける人々は、火と硫黄の燃える池の中に投げ込まれ、第二の死を迎えなければならないことが書かれています。これは永遠の地獄です。
私たちは、その人々の救いのために、イエス・キリストの救いの福音をお伝えしていかなければなりません。
6.日本の宗教の束縛
さて、それでは日本の人々はどうでしょうか?
日本においても、その宗教行事に家族・親戚が共に集い、その宗教の儀式を共に行うことにより、その人々はその一族として強く結合し結束しているところがないでしょうか。
ですからイエス・キリストを唯一の神として信じ、他の神々への偶像礼拝を止め、仏教・神道からキリスト教に回心するということは、自分の家族・親戚との結合関係から断ち切られるようなことになる場合もあるでしょう。
そして家族・親戚から迫害を受けることにもなるのではないでしょうか。
日本人の国民性は、集団主義であり、自分が所属する集団と同じにすることが要求されます。
この日本の集団主義から抜け出し、イエス・キリストに固く結びつき、キリストにつき従うことは、日本人にとっては難しいことなのかもしれません。
私がクリスチャンになる時にも家庭内で非常に難しい問題がありました。私は両親と話し合いました。
私はクリスチャンになるので、他の神々を拝むことは出来ないこと、仏壇にも神棚にも一切拝むことは出来ないことを両親に話しました。
すると私の母は、私に、「お前はクリスチャンになったら、親が死んでも親にお線香1本あげてくれないのかい」と言い、非常に悲しみました。
しかし私の両親は最終的に、私がクリスチャンになることを受け入れてくれました。
私たちが2001年にインドに派遣していただいた後、父も母も癌になりましたが、癌の末期になった時、父にも母にもキリストへの信仰が与えられ、偶像礼拝を止め、キリストの救いに与り、天国に召していただくことができました。
私たちの救い主イエス・キリストの愛と憐れみに心から感謝しております。
7.苦難(重荷)を負い続け召天された方々
さて、インドで私たちが関わらせていただいた方々の中には、重いご病気や重傷を負われ、その重荷を負い続けておられた方々がおられます。
先程ご紹介させていただきましたサビタ姉妹は、交通事故での脊髄損傷により下半身不随になり、排尿排便の感覚も失い、ベッド上の生活を続けておられました。
しかしサビタ姉妹は、訪問させていただく私たちをいつも喜んで迎えてくださり本当に感謝でした。
エステル姉妹は、腎臓に病気を抱えておられました。生活環境が悪いスラムエリヤでの生活の中で、多くの苦難を経験されたことでしょう。
*ハリーシュ兄弟の召天(2016年1月7日、22歳)
また私たちが所属する教会に、遺伝性の難病を抱えたハリーシュ君という兄弟がおりました。
日本にはその病気に対する良い治療薬がありますが、インドでその治療薬を購入するためには莫大なお金が必要であり、1度しか購入できませんでした。
彼は身体を動かすことも話すことも、徐々に難しくなっていきました。また肝硬変にもなってしまいました。
しかしそのような困難な病状にあっても、彼は訪問する私たちに対し、いつも心遣いをしてくださり、笑顔を見せてくださり、とても良いお交わりを持たせていただくことができ本当に感謝でした。
私たちは彼から、どれほど大きな愛と励ましを与えていただいたことかわかりません。
2015年12月、私たちはインドビザの期限によりインドから出国し、新たなビザを得るためタイ国とラオスに行きましたが、ハリーシュ君は、私たちのことを常に心配してくださり、パソコンで続けて私たちにメッセージを送ってくださり本当に感謝でした。
彼はその12月の25日、教会のクリスマス礼拝に出席したそうです。そして帰宅後、パソコンを続けていたそうです。
しかし翌日26日朝、彼は起き上がることが出来ず、食事もせず、ただ泣いていたため、入院し集中治療室に入ったそうですが、回復して集団室に移り食事を取ることも出来たそうです。
ところがその翌日12月27日、彼は病室内で泣き続けていたため、他の患者さんの迷惑になるということで、医師が彼に麻酔薬を注射したそうです。
麻酔薬注射後、彼は無意識・無感覚の昏睡状態となり、再び集中治療室に入り、そのままついに意識が戻らずお亡くなりになったそうです。彼は22歳でした。
私たちはインドに帰国後、病院内で彼に起こった出来事の詳細をご家族から伺い、彼が泣いていると他の患者さんの迷惑になるということで、彼に麻酔薬を注射するという、その医療行為に大きな疑問を感じました。
貧しい人々の生命の重さが軽んじられているインド社会の不条理に、本当に悲嘆するばかりでした。
しかしこの世の不条理の中にあっても、私たちの救い主であるイエス・キリストに希望を置き、常に主を見上げていきたいと思います。
そして主の御心が天で行われるように、この地でも行なわれますように祈り続けていきたいと思います。
8.天の御国(涙をぬぐい取ってくださり、すべてを新しくされる神)
ヨハネの黙示録21章3-5節を読ませていただきます。
私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。
「見よ、神の幕屋が人々とともにある。
神は人々とともに住み、人々は神の民となる。
神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から
涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、
悲しみも、叫び声も、苦しみもない。
以前のものが過ぎ去ったからである。」
すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」
(ヨハネの黙示録21:3-5)
ハリーシュ君のこの地上での生涯は22年でした。彼は、遺伝性の難病を抱え、この地上で多くの苦難を経験されました。
しかし私たち夫婦をはじめ多くの人々が、彼から大きな愛と励ましを与えていただきました。
そしてハリーシュ君は、この地上での歩みを終え、永遠の天国に迎えていただきました。
そして神の民となり、神様ご自身がハリーシュ君と共にいてくださり、彼の目から涙をことごとくぬぐい取ってくださいます。
そして神様は、天国においてハリーシュ君のすべてを新しくしてくださり、ハリーシュ君は永遠の祝福の中を永遠に生き続けることが約束されています。
この地上での生涯には様々な苦難があります。ハリーシュ君、サビタ姉妹、エステル姉妹、それぞれの方々が大きな苦難を抱え、年若くして天に召されて行きました。
しかしイエス・キリストの救いに与ったクリスチャンは皆、天国において神の民となり、神様ご自身が彼らと共にいてくださり、彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださいます。
そして永遠の祝福の中を永遠に生き続けることが約束されています。
私たちクリスチャンには、だれにでもこの約束が与えられています。
私たち人間をお造りになられた、天の父なる神様は、私たち人間を愛し続けてくださり、罪深い私たち人間に、罪の赦しを与え、天国に迎えて、神様のもとで、永遠の祝福の中を歩ませたいと願っておられます。
そのために、今から2000年前に、神のひとり子イエス・キリストが、この地上に来てくださいました。それがクリスマスです。
そしてイエス様は、私たち人間のすべての罪を負って、私たちの身代りに十字架で死んでくださいました。
イエス・キリストを自分自身の救い主として信じ、生涯、キリストにつき従う者には、天国での永遠のいのちと永遠の祝福が約束されています。
この地上においては様々な苦難がありますが、私たちクリスチャンには、天国での永遠のいのちと永遠の祝福が約束されています。
神様は、天国において、私たちのすべてを新しくしてくださり、神様のもとで永遠の祝福の中を永遠に歩ませてくださいます。
合計 184
手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
184 |
ピりピ人への手紙4: 13 (天路歴程)
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2025.02.02
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推薦 1
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閲覧数 12
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tbic | 2025.02.02 | 1 | 12 |
183 |
ピリピ人への手紙4:6 (何も思い煩うな)
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2025.01.27
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推薦 2
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閲覧数 32
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tbic | 2025.01.27 | 2 | 32 |
182 |
サムエル記第二15:1-37、(アブサロムとダビデ)
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2025.01.20
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推薦 1
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閲覧数 38
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tbic | 2025.01.20 | 1 | 38 |
181 |
ローマ人への手紙8:18-23(今の時のいろいろの苦しみは)
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2025.01.12
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推薦 0
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閲覧数 44
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tbic | 2025.01.12 | 0 | 44 |
180 |
ルカの福音書10:38-42(必要なことは一つだけです)
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2025.01.06
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推薦 1
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閲覧数 72
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tbic | 2025.01.06 | 1 | 72 |
179 |
へブル人への手紙4:10(神の安息に入った者)
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2024.12.29
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推薦 1
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閲覧数 69
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tbic | 2024.12.29 | 1 | 69 |
178 |
マタイの福音書22:35-40(イエス様の誕生、十字架の愛)
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2024.12.24
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推薦 1
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閲覧数 84
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tbic | 2024.12.24 | 1 | 84 |
177 |
ルカの福音書6:20-21(貧しい人々のクリスマス)
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2024.12.24
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推薦 1
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閲覧数 85
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tbic | 2024.12.24 | 1 | 85 |
176 |
マラキ書4:1-3(義の太陽であるイエス様)
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2024.12.15
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推薦 2
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閲覧数 96
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tbic | 2024.12.15 | 2 | 96 |
175 |
ルカの福音書10:1-9 (さあ、リバイバルの町へ出よう)
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2024.12.08
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推薦 1
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閲覧数 106
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tbic | 2024.12.08 | 1 | 106 |