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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

出エジプト記4:10-17(霊的落ち込みからの回復)

投稿者
tbic
投稿日
2023-01-15 21:49
閲覧数
222
出エジプト記4:10-17『10.モーセは主に言った。「ああ、わが主よ、私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」11.主は彼に言われた。「人に口をつけたのはだれか。だれが口をきけなくし、耳をふさぎ、目を開け、また閉ざすのか。それは、わたし、主ではないか。12.今、行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたが語るべきことを教える。」13.すると彼は言った。「ああ、わが主よ、どうかほかの人を遣わしてください。」14.すると、主の怒りがモーセに向かって燃え上がり、こう言われた。「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼が雄弁であることをよく知っている。見よ、彼はあなたに会いに出て来ている。あなたに会えば、心から喜ぶだろう。15.彼に語り、彼の口にことばを置け。わたしはあなたの口とともにあり、また彼の口とともにあって、あなたがたがなすべきことを教える。16.彼があなたに代わって民に語る。彼があなたにとって口となり、あなたは彼にとって神の代わりとなる。17.また、あなたはこの杖を手に取り、これでしるしを行わなければならない。」』

私たちは神の働き人として呼ばれた時、神様に対して三つの否定的な反応を表す時があります。一番目、送っていないのに、先に走って行く「焦り」です。二番目、失敗して逃げ出す「逃避意識」です。三番目、呼ばれた時、抵抗する「反発、反抗」です。

この三つのことが、全部モーセからも現れました。モーセは40年という荒野での長い時間を、「失敗した傷」によって苦しんでいました。そんな彼に神様が命令なさいます。出エジプト記3:10、「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。

しかしその命令(みことば)が与えられた後に、モーセは神様の命令に抵抗し、拒否する出来事が起きます(本文の13節)。モーセの魂は深刻に萎縮されていたのです。委縮された魂は、無条件に拒否する反応を見せます。選ばれた私たちも最初に呼ばれた時、私たちの姿勢はどうだったのでしょうか?委縮された状態で呼ばれた時、私たちの姿勢はどうあるべきでしょうか?毎日私たちを呼んでおられる主に対する私たちの姿勢を点検しなければなりません。

皆さん、神様を説得してはなりません。神の御前で私たちの態度が問題になるときは、いつでしょうか?むりやりでも、神様を説得して自分の意志を貫こうとするときです。一言でいうと、優しい羊ではなく、頑固なロバのような姿を見せるときです。これは自分の勝手な理屈をもって、神様を説得しようとする姿です。私たちは神様に説得されるより、神様を説得しようとするのです。

常に神様は、私たちに言われます。コリント第二6:14に、「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。」しかし、私たちは神様を説得しようとするのです。特に結婚の場合、「その人を伝道すればいいじゃないですか?その人もいい人です。人間関係がだめになれば、社会生活もできません。私たちは世の光、地の塩だと言われたじゃないですか?」と反問しながら、堂々と不法を行います。まるで「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」と神様から問われた時、「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」と答えたカインの姿を見せるのです。しかし、みことばの前に立ったダビデの姿はどうだったのでしょうか?ダビデは罪を指摘するナタン預言者に、「私は主に対して罪を犯しました。」と悔い改めました。

皆さん、神様を説得しようとしますか?大間違いです。むしろ自分の罪を告白し、悔い改めて、「従順に従えるように力を与えてください。」と祈らなければなりません。私たちは神の御前で、病人の姿で立つべきです。ルカの福音書5:31-32、「そこで、イエスは答えて言われた。医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」だから神様を説得しようとしないで、みことばによって神様に説得される人になってください。これがクリスチャン(聖徒)の正しい姿です。

神様がモーセを用いられる時、モーセの助言を求めたり、モーセに要請をしたり、そんなことは一切ありません。なぜでしょうか?出エジプトの働きはモーセの力ではなく、神の力によって成し遂げられることだからです。ただ神様はモーセに、「行きなさい。」と命令するだけです。この命令の中には、力も共に与えるという約束も含まれています。しかしモーセは、神の道具、神の器という言葉の意味が分かりませんでした。だから神様に聞き返します。出エジプト記3:11に、『モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」』

神様の命令の前で、モーセは自分の弱さ、無能な自分を見つめています。モーセは力を与えて用いられる神のみこころを理解できませんでした。油注ぎを通して神の器、神の道具となることを理解できなかったということです。

神様は私たちが誰なのか、私たちがどれほど弱い存在なのか、すべてをご存知です。それにもかかわらず私たちを選び、呼んでくださっていることは、呼びかけと同時に力も与えてくださるという約束が含まれている、そういう呼びかけ、そんな召しだということです。

皆さん、悪魔はいつも自分自身に注目するように誘惑します。そして自分の弱さを、自分の限界を見つめさせるのです。結局、私たちから勇気と、やる気を全部奪って行きます。しかし、神様は私たちの弱さではなく、私たちの可能性を見つめるように、神様が直接注ぎ出す力を見つめるように働きかけます。結局、私たちが神の道具、神の器であることを悟らせてくださいます。コリント第二4:7に、「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかにされるためです。

力が自分にあるわけではありません。力は神のものです。私たちは、ただ道具、ただ器に過ぎません。だから私たちの人生の中で、自分の力を下ろさなければなりません。筆書きがうまくできる秘訣は何ですか?自分の手を握っている名筆の手に委ねて、自分の手から力を抜くことです。その時、自分の手の力を抜くほど、素晴らしい字が書けるわけです。だから自分の力だけに頼って、うまくできるように頑張らないでください。ただ神様に委ねる人生、単純に神の道具、神の器であることを覚えること、これがとても大切です。私の従順を通して働かれる神様を見ることが一番大切です。単純に祈り、単純に伝え、単純に従えば、たくさんの実を結ぶ人生となります。そういう人に神様はもっと多くの働きを成してくださいます。

それが落ち込んでいる魂が回復する、一番最初の一歩です。主の中に実があり、主の中にいのちがあります。ヨハネの福音書15:5-6に、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

落ち込んで委縮された魂が回復すれば、自分が自分の力で働くことではないということを、確信するようになります。そして求める者になります。結局、上から力を受ける者が素晴らしい神の道具、神の器になるのです。だからその人は祈ります。落ち込んだ魂の回復は新しい望みを抱くようになります。それはもっと力強く、もっと豊かな実を結ぶ器になりたいという心を与えてくれます。その時、自分は何もない存在ですが、自分の中で働く神の力が本当に素晴らしいことを悟ります。そして今の姿で満足せず、もっと力強い器として用いられたいという心を抱くようになります。

だからある人の祈りの時間がますます増え、その深さも深くなる理由が、ここにあります。それは霊的金脈を発見したからです。私たちが祈れば、この世の流れが変わり、もっと祈れば、魂の変化を体験します。そして、祈る人は尊い霊的渇望(ビジョン)が与えられます。結局、霊的祈りの場から離れられなくなります。求めた通りに与えられるからです。

今日の本文の10節に、モーセは自分の口は重く、舌も重いと嘆いています。その時、神様は11-12節で、こう言われます。『主は彼に言われた。「人に口をつけたのはだれか。だれが口をきけなくし、耳をふさぎ、目を開け、また閉ざすのか。それは、わたし、主ではないか。今、行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたが語るべきことを教える。」』と。皆さん、神様にできないことは、この世にありません。ただそれを求めない人間の愚かさがあるのみです。結論出します。
  • 私たちは神様に説得されるべきであって、自分の論理(理屈)で神様を説得しようとしてはいけません。神様が私たちに語りかけようとされる時、神様に言い訳したり、問い詰めたりしないでください。神様がみことばを通して私たちの考えや行動にブレーキをかけられる時、そこから逃げようと隙間を探していてはいけません。もしそれがあったら、悔い改めてください。
  • 神様は御民が弱いことを御存じですが、彼らを道具として、器として用いられます。神様は私たちの弱さ、未熟さの中でも、私たちを選び、呼んでくださって、呼びかけと同時に力も与えてくださいます。悪魔は常に、私たちが自分の弱さを見つめるように誘惑し、神様は常に、私たちの可能性を見つめさせてくださいます。
  • 神の人(クリスチャン)は自分の力で働く人ではありません。ただ上から与えられる力によって働く人です。だからもっと豊かに、もっと力強く、求める人になります。神には不可能なことが一つもありません。ただそれを求めない人間の愚かさがあるのみです。だから私たちはただ祈りをもって、尊い渇望(ビジョン)を抱く者にならなければなりません。
 

・ 自分の理屈で神様を説得した失敗の経験があれば、分かち合いましょう。
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