メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

イザヤ書55:7-13(主の道、主の思いは高い)

投稿者
tbic
投稿日
2023-02-05 18:43
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173
イザヤ書55:7-13『悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──主のことば──天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、平安のうちに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。茨の代わりに、もみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」』

イエス様の道は私たちの道より高く、イエス様の思いは私たちの思いよりも高いです。そのことは知っているはずですが、考えもしなかった主の高い思いと高い道が、この地上に現されようとするときに、驚かされることがあります。近年では世界的な規模の災害も多く、本当に今は終わりの時代であり、私たちはこの時代に生かされている者として、時を知り、時を悟り、主の業に励む者でなければなりません。今、終わりの時代へと突入し、いよいよイエス様の帰られる日が間近な時であると感じるわけですが、この時であるからこそ、イエス様ご自身が大いなるリバイバルへの道と思いを現されるために、そのリバイバルの計画を急いでおられると思います。それは私たちクリスチャンだけでなく、すべての方々がそのことを肌で感じているのではないかと思います。理屈以上に、何か終わりが近づいているのではないかということを、人類全体が感じているような今日この頃ではないかと思います。

今は日本だけでなく、全世界に自然災害がますます激しくなって行きます。もちろんこれは自然の摂理であって、神の裁きではありません。しかしながらも、自然の動きは人間の罪と関係があることを、私たちは聖書を通してよく知っています。今、自然が狂って行く中、本当に「悪い時代」になってしまったということを実感しています。そんな中ですが、神様は必ずリバイバルの祝福の御業を成してくださると信じます。マタイの福音書24:14には『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』と書かれています。

つまり、イエス様が来られる終わりの日の前に、この福音、「イエス様ご自身を信じると天国に行ける、信じないと地獄に行ってしまう」という、この福音を全世界に宣べ伝えて、そしてすべての国民に証しされて、それから世界の終わりが来るということです。ですから、この時代の私たちの使命はすべての方々にイエス様のことを「宣べ伝える」という、その働きをさせていただかなければならないと思います。私たちの身の回りの人たちに、イエス様のすばらしさ、イエス様の他に救いがないことを宣べ伝えていくと同時に、また祈りと奉仕、様々な伝道活動を通して、その業がすべての国民に、すべての民族に拡大していくことに励んでいかなければなりません。テモテ第二4:2に『みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。』とありますので、みことばを宣べ伝え続けることを私たちはしていかなければならないと思います。

これからの時代、イエス様の計り知れない思いと道がもっともっとあらわにされて、主のリバイバルのご計画の道がどんどんこの地に下ろされるのではないかと思います。その主の御思いに私たちもついて行って主の御業のために、特にすべての方々に福音を宣べ伝えなかったら終わりは来ない、このような時代の中にあるので、すべての方々に福音を宣べ伝えていきたいと願っています。

日本ではいろいろな施設があるのですが、私は以前、東京にある一つの施設に行きました。その施設は虐待を受けている人たちが行政によってかくまわれている場所ですが、子どもたちが虐待を受けてかくまわれている場所ではなく、主に20代から60代のご婦人たちがかくまわれている、「シェルター」と呼ばれている場所でした。ご主人であったり、親であったり、いろいろな人から口で言い表せないほどの虐待を受け、家庭から逃げ出すようにその場にかくまわれて、そこにいることを肉親にさえ知らされずにいるのです。みんなすごく傷ついておられて誰にも心を開かずに、そんな状況の中で今後の生き方に対して前向きに進めようと励ます所でした。その時、今の時代の実態というのがあまりにもひどくて大変な方々が、この日本に身近にもたくさんいらっしゃるんだなと感じました。

その施設の中では毎月バイブルクラスというのが行われていて、その中で毎回賛美を歌っているのです。「主の愛が今」とか、「主はあなたを守る」とか、そういった賛美をみんな歌っているので、「ぜひ一緒に歌ってください」と言って下さいました。そこの施設には35名くらいの方々が入所されているのですが、その日は施設の方々と宣教チーム、その施設長のお友達のクリスチャンの方々、合わせて40数名の集会でした。本当に祝福されました。神様が働いて下さって、賛美の中でみなさんが涙を流しておられました。最初から最後まで、ただただ泣くのです。こんなにも神様がここに訪れようとされておられるのかと思わされました。

イザヤ書61:1に『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。』とありますが、イエス様はご自身が心の傷ついた者たちのために、そこに行こうとされているのだと感じました。

主は賛美の中で一人一人に触れていかれて、本当に深い神様の愛って私たちには届きようのないすごく大きな力強い愛だということを肌で感じた集会でした。みなさん最初は目も合わせずにいた方々がみなさん泣かれて、最後は喜んでいろいろな話をされました。

そしてそれから、そこで6年間ずっと入所していてバイブルクラスをしていた人が、「私イエス様を信じます。バプテスマを受けます。」と言ったのです。本当に堅かった人が、その時を機に変わって、心を開いて下さったのです。イエス様ご自身がそこに訪れた時に、イエス様ご自身の愛が届いた時に神様の御業が人々の心の中に表されるということをそこで知らせていただいて、すごく感謝しました。『永遠の愛を持って、わたしはあなたを愛した。』というみことばがありますが、神様の永遠の愛は、私たちに届かないようなところにも届こうとしておられるんだなということを覚えて、心から感謝しました。

今3年目のコロナ禍の中で、東日本大震災からは12年近くに経っているのですが、災害は今までずっと後を絶ちません。災害があるたびにクリスチャンは被災地や助けを求める人々の所に行って奉仕をし、仕え続けています。私も大震災の後、仙台や気仙沼、石巻市に行って何日間もヘドロの作業をしながら、ボランティア活動をしました。その時、私は「本当にこんなことしていて、いいんだろうか、これで何が変わるんだろう」と思っていたのですが、しかし神様はそれによって何かを始めておられることを、すごく感じました。

五つのパンと二匹の魚を差し出した少年のように、「これで何になるの」というような、そんな気持ちで、そのときボランティア活動をやり始めたのですが、今災害が続いている中、神様が何かをし始めようとしていることを、私はすごく感じています。

当時、私がボランティア活動をしている中、一人の元漁師をしていたおじいさんがいました。彼は漁師でいろいろな養殖をしていて、カキだとかホヤだとか、そういった物をいっぱい養殖していたのですが、津波で全部流されてしまったというのです。それで今は時々海に出るけど、なかなか海に出るのも大変なんだと言っておられました。そのおじいさんが、こう言っておられました。「あのな、キリストさんはやっぱり違うね」と。「キリストさんは違う。ここにいろんな人たちが来て、本当にいろんな人たちが出入りするんだけど、ずっと愛を注ぎ続けているのはキリストさんだ。」と言うのです。「だからキリストさんは違うんだ。」と彼がそう言いました。そして、仙台のベースに帰ってみんなと話している時に、同じことをあちこちで言われました。「キリストさんは違う。」ある人は、「あなたはどうしてそんなにいつも笑顔でいるんですか?何か一本筋が通っているというか、やっぱりクリスチャンって違うんですね。」と言われました。

イエス様ご自身は、言わず語らず、主のために一生懸命奉仕している私たちの中に、イエス様ご自身の御姿を現わしておられるのです。そして、これから本当のリバイバルの御業を始めようとされているのではないかと心から信じています。

今日の本文、イザヤ書55:8-9『わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。─主のことば─ 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。』これに続いて、イザヤ書55:10-11『 雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。

神様のリバイバルの大きなご計画が私たちにすでに言い送られて、その計画の中で様々な問題があるかもしれませんが、その問題の中でも主は共にいてくださって、守ってくださって、支えてくださっています。天から雨が降ったら必ずその地を潤すように、神様のみことばがこの地に、そして、私たちのこの教会に、私たちの心に注がれ、必ず芽を出して多くの実となって御業が成されることを、主のみことばに立って、私たちは信じて進み続けていきたいと心から願うものです。

皆さん、本当に主の言葉は信頼できるものです。「御言葉は生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭いのです。」とヘブル4:12でおっしゃいます。ですから、私たちへの主の願いは、みことばによって養われることで、みことばによって卓越した人生を送ることです。第一ペテロ2:2に「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、御言葉の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」とあります。主は私たちが子供のように、みことばを受けるのを望んでおられます。子どもはよく信じているからです。

イエス様は言われました。マタイ18:3「…まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて、子どもたち[信頼、謙遜、愛、寛容の代名詞]のようにならない限り、決して天の御国に入ることができません。」みことばについて子どものように確信を示していることで、私たちが愚かに見えたり、時代遅れになるというわけではありません。むしろそれは私たちが賢明で、神の知恵に働いていることを意味します。

多くの人がみことばと議論するから、人生の中でみことばの効果を得られません。その人たちは常にみことばを理性と合理化に説明しようとします。子供たちは物事を合理化に説明しようとしません。彼らは純粋な行動で、自分を案内して指導する人を信頼します。このように、私たちもみことばを受け入れる姿でなければなりません。

イエス様はパリサイ人に、マルコ7:13「こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。」と言われました。みことばに反している宗教的意見、信念、思考のパターンを抱くことはだめです。みことばに対して子どものような喜びを持って、みことばの通りに行なわなければなりません。私たちがどこにいるか、何が起こったかは問題ではありません。みことばを信頼して、それを用いて私たちの家族、家庭、財政、そして身体の変化に影響を与え続けてください。病気が私たちを攻撃しようとするなら、みことばにしっかり立って、こう宣言してください。「私の中には神のいのち(聖霊様)があるから、私は健康で力強い!」恐怖の時には、「私は征服者より圧倒的な勝利者である。私の中におられる方は、この世の者よりも強いからだ!」と宣言してください。

みことばは本当に信頼できるものです。ですから、大胆にみことばを宣言してください。そうすれば、常に勝ち続けると思います。また本文のイザヤ書55:12-13に『まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、平安のうちに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。茨の代わりに、もみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。

まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。』この世界は様々な戦いの中にありますが、主はいつも喜びと共に安らかに導いてくださいます。これからのリバイバルの戦いの中に思いもよらないような所に福音宣教のために遣わされるかもしれませんが、その中にも喜びと安らぎと平安があることを信じて歩んでいきたいと思います。

13節に『いばらの代わりに、もみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。』と書かれていますが、雑草やら、いろいろな木が生え茂って前が見えないような大変な状況の森もミルトスが生えるんだそうです。ミルトスというのは祝福の木と呼ばれるのですが、おどろ(雑草)から祝福の木が生えるような人生が私たちの生活の中にも、また、この国にも全世界にも現されることを信じていきたいと思っています。最後に一つのみことばをお読みして終わりたいと思います。エゼキエル書12:28『それゆえ、彼らに言え。「神である主はこう仰せられる。わたしが言ったことはすべてもう延びることはなく、必ず成就する。」‐‐神である主の御告げ‐‐』皆さん、神様ご自身のリバイバルのご計画は必ず現されると。私たちはそのみことばを信じて、そして主ご自身と共に福音伝道に励んでいきたいと思います。

・思いもよらなかった神の経験があれば、分かち合いましょう。
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ルカの福音書5:27-32(天の御国にゴミ箱はない)
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