メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ヨハネの手紙第一 1:1-4(いのちのことば)

投稿者
tbic
投稿日
2023-02-13 11:50
閲覧数
221
ヨハネの手紙第一 1:1-4

1.初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。(ルカの福音書24:39)

2.このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。

3.私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。

4.これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。

ヨハネの手紙第一は、AD1世紀後半に初代教会の精神的支柱として、「愛の使徒」と呼ばれる使徒ヨハネの最初の手紙で、エペソをはじめ、小アジア地域のいろいろな教会に送ったものです。1次的には信仰の基本真理についての判断が正しくなく、いろいろな異端、特に先-霊知(Pre- Gnosticism)によって信仰的大きな混乱を経験していた聖徒たちに、福音に基づいた正しい信仰を立てるために記録した手紙である。特に1,2章では、キリストの受肉についての目撃者としての使徒ヨハネの証と、証の目的が神様との交わりにあることを現わしている。

今日の本文の1に、「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。」このみことばは「私たち」、つまり聖徒はイエス様についての実際的で直接的な経験をもった者たちという意味である。言い換えれば、聖徒は事実とか事件を噓で言いふらす者たちではない

ヨハネがこの手紙を記録したAD90-95年頃は、イエス様が昇天なさってから60年余り経った時である。他の使徒たちはみんな死んで、ただヨハネだけが生き残っていた。その時、キリスト教に対してローマ政府の迫害が激しくなっていた時であった。それで教会は大きな危機に追い込まれていた。しかし教会の本当の危機は、教会の内部に異端の思想が浸透して、正統の信仰を揺さぶって切り崩される危機に直面していたのである。

*霊知主義‐ヘレニズム思想に基づいた二元論的、汎神論的宇宙観とキリスト教の純粋な信仰を混ぜて作り出した思想で、神学的にはイエス様の受肉とか人間性、または神性を否定して、倫理的には極端な快楽主義とか、禁欲主義を標榜することによって、聖徒たちを正統の信仰から離れるように誘惑した。霊知主義は、二元論思想に基づいて物質は無条件悪であり、霊魂だけが善であって、人間がこの悪い物質の世界から救われるためには、この世を超越して存在する超越者から啓示される知識、つまり霊知を所有しなければならない。

これに対して、使徒ヨハネはこの異端者たちの誘惑から正統の信仰を守り、その信仰の外的表現である愛の実践を促して、聖徒たちが正しい信仰の道を歩めるように序論も省略して、すぐキリスト教の信仰の本質であるイエス・キリストについての証から始まるわけである。

皆さん、私たちの信仰の対象であられるイエス様は伝説とか童話に出る作られた人物ではない。実際にこの地に来られた方である。信仰の1世代である弟子たちはその方の誕生と共に福音伝道と教えと十字架の出来事と死、そして復活の出来事を見て、聞いて、注目して、手で触りながら信仰を持つことができたのである。

しかしこの手紙をもらった当時の聖徒の中でも、イエス様を直接見ていない者たちもいた。それにもかかわらず、ヨハネは「私たち」が経験したと言う。言い換えれば、見て、聞いて、注目して、触ったような経験があるということである。これが、どうやって可能であるのか?

今日の本文の2節に、「このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのち」のためである。人間の力で永遠のいのちを得ることができるのか?聖書では、いのちのことばがこの地に現れるとき、いのちを得ることができると言われる。ここで私たちに現れた、いのちは誰なのか?

ヨハネの福音書 1:1.初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

2.この方は、初めに神とともにおられた。

3.すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。

4.この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。

5.光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

14.ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

イエス・キリストはことばが肉となって、この地に来られ、私たちに永遠のいのちの道が開かれたことである。キリストは見えない神の形であり、すべての創造されたものより先に存在する者として神の本体であられる。神様が私たちの目と耳を触ってくださり、人間の力と知恵では到底解決できない罪と罪の勢力を解決してくださったことである。

今日の本文の3節に、「私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにもえます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエスキリストとの交わりです。」使徒ヨハネは自分のように皆さんも神様と交わる者になること、このために伝えるのである。交わりは「コイノニア」として聖徒の「交わり」、「付き合い」を意味する。この単語は神様との交わりと聖徒たちの間の交わりを同時に含むことばであるが、ここでは「神様との交わり」に焦点がある。イエス・キリストは神様との交わりのための和解のいけにえとなられた。そして主イエスを信じることによって神様と人間の交わりが始まった。私たちの交わりの対象は、確かに永遠のいのちを与えられる神様、つまりイエス様であられる。

皆さん、皆さんはぜひ神様との交わりをしてください。聖書を読みながら、ことばであられるイエス・キリストとの交わりを通して、いのちであられる神様との交わりができることを願います。祈りながら、その方との交わりとコミュニケーションができることを願います。本文の4節の、「いのちのことば」であられるイエス様を信じる者たちには喜びが必然的である。

ルカの福音書 24:1.週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。

2.見ると、石が墓からわきに転がされていた。

3.そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった。

4.そのため途方に暮れていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。

5.彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。

9.そして墓から戻って、十一人とほかの人たち全員に、これらのことをすべて報告した。

10.それは、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリア、そして彼女たちとともにいた、ほかの女たちであった。彼女たちはこれらのことを使徒たちに話したが、

11.この話はたわごとのように思えたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった。

12.しかしペテロは立ち上がり、走って墓に行った。そして、かがんでのぞき込むと、亜麻布だけが見えた。それで、この出来事に驚きながら自分のところに帰った。

13.ところで、ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エルサレムから六十スタディオン余り離れた、エマオという村に向かっていた。

14.彼らは、これらの出来事すべてについて話し合っていた。

15.話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。

16.しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。

17.イエスは彼らに言われた。「歩きながら語り合っているその話は何のことですか。」すると、二人は暗い顔をして立ち止まった。

イエス・キリストとの交わりは楽しむことです。私の中に喜びがなく、平安もなく、恐れと心配と思い煩いと虚しさだけがあれば、いのちのことばであられるイエス様との交わりの楽しみがあるかを確認しなさい。イエス様を発見した時、私たちはいつも喜ぶことができるのである。神様に感謝しなさい。そして礼拝しなさい。そしてヨハネのように証人となって、他の人に伝えなさい。いのちは成長することである。私たちが伝える時、そのいのちがもっと多く拡散することである。

ルカ24:47.「その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」エルサレムから開始して、

48.あなたがたは、これらのことの証人となります。

イエスをキリストとして信じて従った彼らは、イエスが死んで墓に葬られ、去ったと思った。そして彼らに戻ったのは悲しみであり、心配であって、恐れと虚しさであった。しかし彼らは再び復活なさったイエス・キリストに出会って、喜びと平安を味わい、楽しむようになった。今皆さんは信仰を持っている聖徒である。イエス・キリストとの交わりを通して、喜びを味わっているのか?そうでなければ、墓でイエスを失った者たちのように悲しんで心配と恐れと虚しさの中で生きていくのか?造花と生花を考えてみよう。どれほど本物の花のように良く作られた美しい造花でも、その中にはいのちがない。だから作った技術に驚くことがあっても、それだけである。しかし生花はどうなのか?いのちがあり、神秘と不思議な驚異がある。

生きているものは、いのちのないものと比べられない差がある。私たちは造花のような聖徒でなない。生花のようにいのちを持った聖徒である。いのちがある者たちには心配と恐れと悲しみではなく、喜びがある。永遠のいのちであられるイエス・キリストによって望みがある。

喜びがある者たちは、伝える人生を生きるべきである。伝えるときに、そのいのちが流れていき、そのいのちによって共に聞いている者たちにも喜びがあるはずである。これが私たちの交わりである。私たちすべての者がキリストとの交わりを通して、そしてお互いの交わりを通して、共に平安を味わい、喜びを味わって、望みを味わうことを願い、祝福する。

詩篇 105篇

1.主に感謝し 御名を呼び求めよ。そのみわざを諸国の民の間に知らせよ。

2.主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざを語れ。

3.主の聖なる御名を誇りとせよ。主を慕い求める者たちの心よ 喜べ。
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