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詩篇 119:105

マタイの福音書11:25-30 (心が柔和でへりくだっているイエス様)

投稿者
tbic
投稿日
2023-02-26 20:25
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183
マタイの福音書11:25-30『そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。父のほかに子を知っている者はなく、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかに、父を知っている者はだれもいません。すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」』

さきほど読んだ今日の聖書箇所に『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』と出て来ます。ここで『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。』とは、イエス様が語られた言葉です。これは普通の人間では絶対に語ることができません。試しに今日、帰る時に、駅前とか繁華街に立って、この言葉を叫んでみてください。『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』と叫んだら、きっと「あんたが一番疲れているんじゃないの?」と言われます。これは神様か、疲れた人か、二人に一人です。イエス様はこれを、全世界の人々に語っているわけです。これは信じるに値すべき神の御言葉です。今日もしかしたら「私はいろんな事で疲れている。」という方がいらっしゃるかもしれません。しかしイエス様の所に来たら、休ませて下さるのです。私たちがこの御言葉をしっかりとキャッチしたら、悩みや苦しい事があっても、休ませて下さいます。

皆さん、日本のキリスト教の歴史を見ますと、江戸時代二百数十年、当時はカトリックでしたが、幕府はキリストの「キ」の字が付くものは徹底的に迫害しました。江戸時代にうまれなくて良かったです。江戸幕府はキリシタンを根絶やしにしようとしたわけです。それでもなお、粘り強く迫害に絶えて、今があるわけです。世界の歴史を見たらキリスト教が政治的に利用され、悪い部分もありますが、根本的には、迫害を絶えながら生き抜いて来た者たちによって支えられて来ました。抵抗するわけでもなく、反発するわけでもなく、今や、世界の三分の一以上がイエス・キリストに目を向けています。最高に強い神イエス様は、ただ強いだけではなく、優しい神様、へりくだっている神様です。

日本の国民性は徳川家康によって性格が変えられたと。ある人から聞いたのですが、どうでしょうか?日本の方々はあまり隣近所の人と親しく話をしません。教会に来たら、壁はだんだん取れるのですが、普通ではあまり話さないのです。私はたまに出かける時、電車に乗りますと、全員がスマホを見ています。気がつくと自分もやっているのですが、スマホを出している人に横から「何やってんですか?」と話しかけたらどうでしょうか?「何この人?」とビックリされます。絶対に隣の人に干渉したり、話しかけたりすることはありません。

しかし昔からそうではなかったらしいんです。日本人はもっと好奇心が多く、何か新しい物があったら「なんだ、なんだ」と寄って来て、良くしゃべる明るい国民だったそうです。しかし江戸幕府によって五人組が作られたのです。五人組とは、五人で一チームです。そして互いに監視させるのです。キリシタンになっていないか、お互いに監視させるシステムでした。昔日本は氏族社会で、近所の住んでいる親戚や友人たちと和気あいあいとしていたのが解体され、知らない人たち五人でチームが作られました。そしてお互いに監視です。何か悪い行動をしたら、すぐに御上に告げ口するシステムが、二百数十年間ずっと続いたわけです。それで日本人の心の中に、強烈な恐れが生じたと。それが情報として遺伝子の中に入ったのです。だから日本人の中には何か知らないけれど、とてつもない恐れがあり、「あまり人と話さない、向こう三軒両隣」と言って、五人組くらいの範囲でしか交際しなくなったそうです。これも敵の策略です。

日本からちょっと外に出ると、みんな結構、お互いに話すものです。アメリカに行っても、韓国に行っても、お互いよく話します。私は以前、前の教会のメンバーたちと一緒に韓国のビジョンツアーに行ったことがあります。そのついでに地下鉄に乗って、「南大門」に買い物に行きました。そうしたら途中、一人のおじさんが私に話しかけてきました。「おまえたちは日本人か?」「はい。私以外には全員日本人です。」「どこに行くんだ?」「南大門に買い物に行きます。」と言ったら、「なんで韓国にまで来て、買い物なんかに行くんだ?日本になんでもあるだろ。」と言うのです。余計なお世話だなと思いながらも、ずっと会話していました。

そしてあげくの果て「おまえの職業は何だ?」と言うのです。「私は日本から来た牧師(宣教師)です」と答えたら、しんーと暗い顔になってしまいました。これは、初対面の地下鉄の中での会話です。それで、私も聞きました。「おじさんはクリスチャンですか?」すると、深刻な顔をして、「俺はクリスチャンと言われればクリスチャンだけど、いわば、迷える子やぎだな」と言ったから「これはチャンスだ」と思って、「子やぎじゃなくて、子羊でしょ」と切り返すと、彼は深刻な顔をして『俺は先日、最愛の友を亡くしたんだ。親友が死ぬ間際に「俺は死んだらどこに行くんだ。どこに行くんだ。」と泣きながら俺に聞いた。しかし俺は答えることができなかった。』と言いました。こんなことを深刻な顔をして話してくれました。これはすべて、地下鉄の中、初対面の人との会話です。

普通、日本ではありえないことです。「おじさん、イエス様を信じたら、永遠のいのちがもらえるんですよ。イエス様を心に受け入れ告白するだけで、永遠のいのちが与えられると聖書に書いてあります。だから一緒に祈りましょう。」と言うと、「そうか。俺のために祈ってくれ。」と言ったので、私はおじさんの肩に手を置いて、一緒にお祈りしました。おじさんは、満員の地下鉄の中で、一生懸命祈っていました。「アーメン」と言ったら、「アーメン」と大きな声で言いました。日本ではなかなか出来ないことです。しかし韓国では出来るのです。日本の方々も、もう少し心を開いてお互いにコミュニケーションできるといいなと当時思いました。

あれもこれも、キリシタン迫害で五人組を作られ、日本の精神がコントロールされて来た証拠かもしれません。だから日本には、「対人恐怖症」があります。昔は「対人恐怖症、anthropophobia」を英語の辞書で引くと、「Taijin kyofusho」と日本語がローマ字で、そのまま出たそうす。歴史の中で、日本のキャラクターが作り上げられたわけです。ある意味、日本の方々が一番疲れているというか、束縛を受けて苦しんでいる国民かもしれません。

しかし、イエス様は言われます。『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』そればかりではなく『わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。』イエス様は心が柔和で、へりくだっている方だというのです。普通は教祖とか、社長とか、高いポジションにある人たちは高ぶっています。「俺はこういう者だ。一般人とは違うんだ。」と。しかしイエス様は天地万物を創造した方が、人間の姿をとって、この地上に来てくださったお方です。本当にへりくだっている方です。そして私たちと共に歩んでくださるのです。

さらに『わたしのくびきは負いやすい』とあります。「くびき」とはどういうものかというと、二頭の牛とか馬をつなぐ木です。この頃はあまり見かけないのですが、くびきで二頭をつなぐわけです。車のエンジンを馬力と言いますが、馬力とは「馬の力」と書きます。くびきで馬を繋ぐと、二馬力になるのではなく、力が何倍にも増すそうです。普通なら二頭だから二倍と思いますが、四倍にも六倍にも十倍にもなるというのです。くびきがないと、力強い仕事ができないのです。だから私たちも、誰とつないでもらうかが重要です。人間とは、霊の存在だから本能的に霊的存在を求めています。ということは、どこかに本物の神がいるはずだと探しているのです。そして何か霊的な手応えを感じたら、その霊とくびきを共にするのです。世界中の人たちが何らかの霊的存在とくびきを共にしているわけです。でもその霊的存在である相手が誰かというのが重要です。本当の神、心優しい神とくびきを共にしたら、くびきは軽いのです。しかし悪魔・悪霊どもとくびきを共にしたら、そのくびきは重いのです。だから悪霊の領域に属するお祓いを受けたら、助けてくれる側と、悪いことをする側がグルですから、解決にはなりません。右のポケットの物を左に移したり、左の物を右に移したりするのと同じです。何の解決にもなりません。本当に心が柔和で、最も強いイエス様とくびきを共にしなければなりません。

私たちのようなキリスト教会にはお祓いという言葉はありません。払うのではなく、敵をやっつけるのです。皆さんも是非イエス様の側について、イエス様の名前によって祈ってください。きっと素晴らしい自由と安らぎが与えられるはずです。心が柔和でへりくだっているイエス様とくびきを共にしたら、人生は変わります。これを日本中の人々に知らせたいのです。私たちはすでに、そのことを知っているからです。私たちに平安がない理由は、私たちの中にイエス様より、もっと大切なものがあるからです。子どものために平安がなければ、子どもがイエス様より、もっと大切だからです。お金のためにいつも心配であれば、お金がイエス様より、もっと大切だからです。また人々から認められたくて、心に平安がなければ、人々からの評判がイエス様より、もっと大切だからです。ある問題のために心に平安がなければ、その問題がイエス様より、もっと大切だからです。そして自分を苦しめる、ある人のために平安がなければ、その人がイエス様より、もっと大切だからです。私たちはイエス様より、もっと大切なことがあってはなりません。それらは偶像だから、結局私たちから平安を奪い去って行きます。だから問題に視線を奪われることなく、ただイエス様だけに注目して下さい。その時、真の平安が私たちの中で溢れるようになります。

皆さん、今日読んでいただいた『すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。』という箇所は、マタイの福音書11章28節ですが、その前のマタイの福音書11章25-27節、『そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。父のほかに子を知っている者はなく、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかに、父を知っている者はだれもいません。』その後に、マタイの福音書11章28-30、『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』と続いています。

聖書はそれぞれの書が、お互いに補完し合っています。補完し合い、一つのメッセージを告げています。マタイの福音書11章25-27節と同じ内容が、ルカの福音書にも出ています。

ルカの福音書10章21-22、『ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、子がだれであるかは、父のほかには知る者がありません。また父がだれであるかは、子と、子が父を知らせようと心に定めた人たちのほかは、だれも知る者がありません。」

こういうふうに、マタイの福音書11章とルカの福音書10章の内容は同じです。ということは、マタイの視点とルカの視点を合わせると、全体像が見えるのです。著者は同じものを見ても、違う情報をピックアップしています。しかしまとめると、全体が見えます。

ルカの福音書10章17-20と、マタイの福音書11章25-30を合わせて読みますと、

ルカの福音書10:17-20、『 さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」

それで今日の本文、マタイの福音書11:25-30、 『そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。父のほかに子を知っている者はなく、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかに、父を知っている者はだれもいません。すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」』となるわけです。

マタイの福音書11章とルカの福音書10章をつなげると、全体像が分かります。『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。』という御言葉は誰に語られたかというと、「七十人の弟子たち」に語られたのです。七十人の弟子たちはびくびくしながら、宣教に出て行きました。しかし結果は大きな勝利でした。その時イエス様は言われました。『あなた方に蛇やさそりを踏みつけ、あらゆる力に打ち勝つ権威が授けられている。…あなた方に害を加えるものは何ひとつない』と。私たちがイエス様の弟子として、現場に出て行く時、大きな勝利があります。しかし同時に、疲れもあります。弟子たちは、「イエス様の弟子として行動し、戦っていくのは、勝利もありますが、疲れるな。」という心境も一方ではあったと思います。大きな勝利もあるし、現実には疲れもあります。

しかしイエス様は、その疲れを見過ごしにされなかったのです。「疲れたら、わたしのもとに来なさい。あなたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、わたしから学びなさい。」と語って弟子たちをいやし、励ましたことがここから分かります。ここからイエス様がどのようなお方であるかが、はっきり分かります。それはすべての敵を打ち砕く「最も強い神様」は、「心が柔和でへりくだった神だ」という、今日のタイトルに相当するお方です。逆に言えば、心が柔和でへりくだっているイエス様は最も強い神様だというのが、マタイとルカの福音書をつなげる時、浮き彫りにされるわけです。

愛する皆さん、今日も、私たちは、最も強い神様と共にいます。しかし、ただ強いだけではなく、心優しいお方です。私たちは、イエス様の両面を理解して、弟子として遣わされる事が重要です。イエス様は、『わたしから学びなさい。』と言われます。つまり聖書から、イエス様について学ぶことができます。この「心が柔和で最も強いお方、イエス様」を、より多くの人々に紹介しましょう。皆さん是非イエス様の弟子として、平安と安らぎをいただき、主の働きをしていただきたいと思います。

・もし自分の中に平安がなければ、イエス様よりもっと大切なものがあるからです。それが何か、分かち合いましょう。

最後に、一言お祈りします。

愛する天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。あなたが私たちにすばらしいプレゼントを与えてくださっていることを、心から感謝します。心が柔和でへりくだって、最も強いお方であられるイエス様を受け入れることができ、心から感謝します。私たちはあなたと共にくびきを一つにして働いていきたいと願っています。私たちの人生の中に入って、重荷を負ってください。共に戦ってください。今日のこの時を心から感謝します。心が柔和でへりくだった方として、あなたは十字架にかかってくださいました。私たちの罪の身代わりとなってくださいました。そればかりか、よみがえってくださいました。心から感謝します。今日も恵みと祝福を与え、疲れている方がおられたら、休みを与えてください。すべてをお委ねし、尊いイエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。
合計 139
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