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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

マルコの福音書14:21(今、悔い改めれば用いられる)

投稿者
tbic
投稿日
2023-03-20 14:25
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185
マルコの福音書14:21「人の子は、自分について書かれているとおり、去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」

最悪の罪を犯し、どん底の状態に陥っても、まだ間に合います。今悔い改めるなら、赦されます。貪欲を捨て去り、財産を主に使っていただくことです。今日はイスカリオテのユダについて分かち合いたいと思いますが、イスカリオテのユダは呪われた人として有名な弟子です。イエス様に3年間も従って行ったにもかかわらず、イエス様を否認し、裏切りました。そしてイエス様を銀貨30枚で売ったわけです。

イエス様は彼を指して、今日の本文で「しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」と言われました。生まれて来なければよかったと言われた人がイスカリオテのユダです。今現在、順調に信仰生活をしている人も、イスカリオテのユダについて一度分析してみる必要があります。私たちも主に礼拝をささげていると言いながら、このような裏切り者の道を歩む可能性があるからです。

イスカリオテのユダは貪欲のために滅びました。ある人々は、イスカリオテのユダは熱心党員として、ローマと戦った勇敢な人だと言います。イエス様が腐敗した社会を改革なさらないのを見て、革命の場に引き出すために、わざとイエス様を売ったと言います。しかし聖書は、はっきりと語っています。イスカリオテのユダはローマと戦う愛国者ではなく、革命家でもなく、ただ金に目がくらんだ泥棒だったと。ヨハネの福音書12:6、「しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。

イスカリオテのユダは、お金を愛した人でした。お金を愛しただけでなく、お金をかすめ取った泥棒でした。皆さん、イエス様と弟子たちの生活費はどのぐらいかかったかというと、今の計算にして一日の生活費が千円かかるとしましょう。13名だと、少なくとも一万三千円かかる計算になります。計算しやすいように、一万円とすれば、イエス様と弟子たちが生活をするためには、一カ月に30万円ぐらいのお金が必要です。

しかし実際には、もっとお金がかかったはずです。多くの群衆が彼らについて来たからです。イスカリオテのユダは、その弟子たちのお金の管理を任されていました。しかし、その職務をいいことに、お金をかすめ取ったのです。ルカの福音書22:4、「ユダは出かけて行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡そうかと相談した。

ユダは祭司長たちと軍人たちの所に行って、イエス様を売ろうと打診しました。ユダはお金を愛したのです。私たちの周辺にも、イエス様を信じて従うと言いながら、お金を愛し、イエス様を裏切って、イエス様から離れて行く人たちがいます。聖書はこのように警告しています。テモテ第一6:10「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

悪魔が働く一番良い地は、貪欲な心です。30倍、60倍、100倍に悪魔の実を結ばせる豊かな土地、それが貪欲です。今の21世紀はお金が偶像となった時代です。人々は「金持ちになりなさい。」という広告に弱く、お金を好みながらも、そうではないふりをします。「貧しい者を助けなければならない。」と口先では言いますが、一皮むけば誰の心にも貪欲が溢れています。では、どうしたら私たちはこの貪欲に打ち勝つことができるのでしょうか?

お金を偶像とせず、私たちのしもべとするために、神様は重要な戒めを与えてくださいました。それが什一献金です。私たちに与えられたすべてのものは、100%神様のものです。しかし神様は、そのうち10%をご自分に返すようにと言われました。それが什一献金です。だから厳密には、献金ではなく、返金ということになります。その後、残りの90%をどのように使うかについては、私たちに委ねてくださいました。

もし収入が10万円であれば、什一献金は1万円です。しかし1万円を取ってしまうと、何だか半分ぐらいは取られたような感じです。什一献金をしてみた人は分かると思いますが、1万円ぐらいなら、まだ大丈夫です。しかし10万円や100万円をささげるときは、眠れないような気持ちになります。「どうして、こんなことをしなければならないのか」と怒りがわいてきます。もしも収入が1千万円ぐらいあったら、100万円も什一献金をしなければならないのかと悩むはずです。什一献金は大変です。しかし一度、什一献金をしてみると、お金に対して自由になります。これによって、私たちは与えられたお金が自分のものではないことを知るようになり、物質から自由になります。だから什一献金は私たちにとって祝福です。什一献金をすると、絶対にお金の奴隷になりません。什一献金をする人の中でお金に捕らわれる人はいません。金銭の誘惑に負けてしまう人も、そんなにいないはずです。什一献金は本当に霊的祝福です。什一献金ができれば、お金に対して、貪欲に対して、打ち勝つことができます。

そうしたら、残りの90%のお金をどのように使えばいいのか?お金はしっかり使わなければなりません。ヤコブの手紙5:3「あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。」これはどういう意味でしょうか?終わりの日を意識しながら生きなさいということです。明日死んだら、明日が終わりの日です。あさって死んだら、あさってが終わりの日です。終わりの日に財産を蓄えていることは、お金を使う時間がもう残っていないということです。神様の時間で見る時、私たちはお金を有効に使える時間があまり長くありません。良いことをする時間も、そんなに長くありません。私たちはお金をしっかり用いる準備をしなければなりません。終わりの時に、物をためておいた愚かな金持ちのたとえ話を、私たちはよく知っています。ルカの福音書12:19-20「そして、自分のたましいにこう言おう。たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。しかし神は彼に言われた。愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。

貪欲に打ち勝つ方法はどんどんお金を用いることです。いつ神様に呼ばれるか分からないから、早く使わなければなりません。

皆さん、お金は私たちに三種類の喜びをもたらします。稼ぐ喜びと蓄える喜び、与える喜びをもたらします。「お金を稼ぐことは面白い」と、稼いでみた人たちは、みんなそう言います。蓄えることも面白いですが、しかし一番大きな喜びは与える喜びです。

アメリカの大金持ちの一人ジョン・ロックフェラーは、50代までにたくさんのお金を稼ぎました。彼の什一献金を計算してくれる会計士が10名もいたそうです。しかし50代前半のある日、彼は不治の病にかかり、一年以内に死ぬと宣告されました。この宣告に衝撃を受けたロックフェラーは「私は死ぬほどお金を稼ぎまくったのに、使うこともできないで死んでしまうんだ。よし、残った一年間で全部使おう。」と決心し、アメリカの全地域を回りながら、多くの財産を寄付し、図書館を建てたり、孤児院を建てたりしました。ロックフェラーセンターやリバーサイド教会なども、その時に建てられたものです。

建物を建てたり、良いことをするためには、多くの時間を投資しなければなりません。お金を使うことに忙しかった彼は、一年が過ぎても死にませんでした。そして98歳まで生きたのです。長生きする秘訣は簡単です。熱心に、他の人を助けながら生きればいいのです。そうすれば、神様は他の人々を十分に助けるときまで、その人を生かしてくださると思います。これが貪欲に打ち勝つ方法です。ロックフェラーは、助けることに専念して長生きしました。お金を稼ぐという強迫観念にかられていた彼が他の人に仕えたとき、その束縛から自由になったわけです。これがロックフェラーに臨んだ神様の祝福です。

自分のために物を得ようとしていくと、満足度はどんどん下がっていきます。増えれば増えるほど、満足度は下がります。だからもっと満足を求め、更に得ようとします。例えば「10億円になるまでは」と頑張っても、10億円を手にすると満足できなくなり、更にその上の満足を求めるようになります。結局十億であろうが、20億であろうが、満足することができません。それでも、そこに命をかける人たちがいます。終わりの時にこそ、私たちは分かち合って仕える人生を生きなければなりません。私たちが神様の前に立つ時、使わなかった財産がたくさん残っていたら、神様は本当に悲しまれると思います。

皆さん、福音書の中で一タラントを預かっていた人が主人に𠮟られる理由は何ですか?彼がそれを使わず、地に埋めておいたからです。私たちは神様のしもべです。だから、神様から委ねられた、あらゆるものを用いなければなりません。お金だけでなく、賜物を始めとするすべてのものを活用して、主のために忠実に働かなければなりません。私たちの人生は、長くはありません。伝道できるチャンスも、そんなにあるわけではないのです。チャンスが来た時、しっかり活用すること、それが知恵です。イスカリオテのユダはイエス様について行きましたが、貪欲を捨てなかったために滅びました。私たちは、主がくださったものをしっかり用いて活用し、貪欲から自由になることを、常に心掛けましょう。

二番目、イスカリオテのユダは、悔い改めなかったから滅びました。彼は罪を犯したから滅びたのではなく、悔い改めなかったから滅びました。これが、聖書が伝える大切なメッセージです。イエス様は、イスカリオテのユダに何回も警告なさいました。

イエス様が弟子たちの足を洗われるとき、ユダだけ洗われなかったわけではありません。12弟子全員の足を洗われました。もしかしたら、イエス様はイスカリオテのユダの足を、一番きれいに洗われたかもしれません。イエス様は、ペテロが「体も洗ってください。」と言った時、こう言われました。ヨハネの福音書13:10、「イエスは彼に言われた。水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。

イエス様はイスカリオテのユダに、胸を突く一言を投げられました。「お前たちはきれいだ。でも、みんながそうではない。」と。そのとき、ユダは「あ、私のことをおっしゃっているな。」と内心うなずいたと思います。11節に、「イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、みながきよいのではないと言われたのである。」という註解までついています。イスカリオテのユダがこの時に悔い改めて、立ち返ったら良かったのに、彼は悔い改めませんでした。過ぎ越しの祭りの食事を共にしていた時、イエス様は二回目の警告をなさいました。

マタイの福音書26:21、「みなが食事をしているとき、イエスは言われた。まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」この言葉を悲しんだ弟子たちは、みんな「私ではないでしょう。」とイエス様に尋ねました。イスカリオテのユダも、同じように尋ねたようです。マタイの福音書26:25、「すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。先生。まさか私のことではないでしょう。イエスは彼に、いや、そうだと言われた。

イエス様はユダに「お前だ。」と直接言われました。しかし他の弟子たちは、この言葉が何の意味か分からなかったようです。みんな自分ではないと安心して、その声が耳に入りませんでした。三度目の忠告は、ペテロがイエス様の右側にいたヨハネに「誰が裏切り者なのか尋ねてくれ。」と言った時、ヨハネは直接イエス様に尋ねました。それで、ヨハネの福音書13:26、「イエスは答えられた。それはわたしがパン切れを浸して与える者です。それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。

最初はイエス様も、ひそかに語られました。次第に「お前だ。」と直接お示しになり、それでも悟れないのを見られると、今度はパンを口に入れてくださるのです。ここまでされたら、悔い改めずにはいられませんが、既にかたくなになっていたユダは悔い改めませんでした。

神様は何度も悔い改めるチャンスを与えてくださいました。悔い改めるチャンスは、一度しかなかったわけではありません。本当にたくさんのチャンスが与えられたのです。それでも、ユダはすべて拒んだから救われませんでした。つまり悔い改めなかったから、救われなかったということです。

ペテロ第二3:9、「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」主がこんなにも長く忍耐される理由は何でしょうか?誰も滅びないで、みんなが悔い改めて救われるためです。イスカリオテのユダのことを見ても、それをはっきり知ることができます。

イスカリオテのユダが銀貨30枚でイエス様を売ったことによって、イエス様は十字架で死なれました。それでもユダが悔い改めたら、救われたのでしょうか?私は、イエス様が十字架にかかられた後でも、彼が悔い改めたのであれば、救われたと思います。

ペテロも三度イエス様を否認して、呪いの声を上げました。でも彼は、すぐに立ち返って悔い改めたのです。しかし、イスカリオテのユダは立ち返って悔い改めるより、後悔をしました。後悔(絶望)と悔い改め(希望)は大きな差があります。祭司長のもとにいた彼は、初めて自分がどんな罪を犯したのかを知りました。マタイの福音書27:4、『「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言った。

この言葉を聞いたユダは出て行って、首をつって死にました。銀貨30枚で命を落としたのです。イスカリオテのユダは自分の思いによって行動しました。私たちの周りにも、このような自分勝手なヒューマニストたちがたくさんいます。自分が間違ったからといって自殺をしてしまう人々、彼らはイスカリオテのユダと同じ人生です。

皆さん、絶対に忘れてはなりません。聖書が語られる通りにしなければなりません。私たちはどういうふうに悔い改めれば、良いのでしょうか?イエス・キリストの十字架を握りしめることです。ローマ人への手紙10:13、「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。ユダは罪を悟ったとき、主の御名を呼ばなければなりませんでした。「主よ。私は罪を犯しました。私も救われることができるのでしょうか。私はあまりにも遠くあなたから離れてしまったのです。」こう告白したのなら、イエス様はきっと、こう言われたと思います。「遅いことはない。早く戻りなさい。」その時でも、主の御名を呼んだら、ユダは救われたはずです。ヨハネ第一1:9「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

イスカリオテのユダはイエス様の前に罪を告白しなければなりませんでした。聖書が語っている十字架の道、救いの方法を無視して自分の思いに従って首をつってはいけません。教会の中にも、このような人がいます。反省すると言いながら、自分勝手に行動します。聖書に従わない、イエス様の御声を聞かない、自分の思い通りに反省し、神のみこころだと確信して、自分勝手なやり方を取ります。一体誰がそのように命じたのでしょうか?

サムエル記第一15:22、「するとサムエルは言った。主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。

聞き従うことは、いけにえにまさることを忘れてはなりません。神の御言葉通りにしなければなりません。神の御言葉を離れた信者は、イスカリオテのユダのようになります。自分で罰を与えたり、修行を行ったりしますが、それはイエス様を否定することです。私たちが救われる唯一の道は、ただイエス様の前に出ていくことです。イエス様の前に出るなら、すべての罪は赦され、安らかに休むことができるのです。

へブル人への手紙3:13、『「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。

千年前にも「今日」があり、二千年前にも「今日」がありました。そして今も、「今日」があります。聖書は「今日」と言われる時間を持っているすべての読者たちに、毎瞬間神の御前に「全き姿で立て。」と勧めています。コリント第二6:2、「神は言われます。わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

最近、死にたいと言う人々が非常に増えています。しかし生きる道があります。誰でもイエス様の前に出ればいいのです。使徒の働き2:21、「主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」と主は言われます。私たちの人生の中には苦難があります。しかし、どんなに堕落しても、ひどい失敗をしても、かまいません。それが人間です。ただその中で、主の御名を呼べば救われます。今「イエス様!」と叫ぶなら、主が私たちを救ってくださいます。皆さん是非、イエス様だけを握りしめて救われる、信仰の人になってください。

結論、今日イスカリオテのユダを通して学んだ、神様に用いられるための原則。
  • 貪欲は悪魔の実を結ぶ畑です。
イスカリオテのユダは貪欲のゆえに金銭を愛し、滅びました。お金を愛することが、あらゆる悪の根です。貪欲を放置して悪魔が働くチャンスを与えてはなりません。
  • 主のためにお金を有効に使うことです。
終わりの時、私たちは分け与え、仕える人生を生きなければなりません。私たちが神の御前に立つ時、自分のために蓄えておいた財産が多ければ駄目です。
  • 悔い改めるチャンスが与えられた時に、悔い改めることです。
イスカリオテのユダは罪を犯したから滅びたのでなく、悔い改めなかったから滅びました。ユダはイエス様が何回も下さった悔い改めのチャンスを、すべて拒否して滅びました。神様は、私たちにも幾度も悔い改めのチャンスを与えてくださいます。今が悔い改めの時、救いのチャンスです。
合計 133
手順 タイトル 投稿者 投稿日 推薦 閲覧数
133
ヨハネの福音書1:47-51(正直なら、天が開く)
tbic | 2024.02.25 | 推薦 1 | 閲覧数 17
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132
ヨハネの福音書15:15(最後の瞬間まで主を求めなさい)
tbic | 2024.02.18 | 推薦 2 | 閲覧数 21
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131
ヨハネの福音書1:43-46(美しいウソより、ありのままの真実が強い)
tbic | 2024.02.11 | 推薦 1 | 閲覧数 38
tbic 2024.02.11 1 38
130
ヤコブの手紙5:16(クリスチャンが祈らない理由)
tbic | 2024.02.04 | 推薦 2 | 閲覧数 38
tbic 2024.02.04 2 38
129
エレミヤ書2:21-25(欲情に打ち勝つ力)
tbic | 2024.01.28 | 推薦 2 | 閲覧数 56
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128
使徒の働き20:24(ビジョンは使命と賜物)
tbic | 2024.01.21 | 推薦 1 | 閲覧数 61
tbic 2024.01.21 1 61
127
エレミヤ書29:10-11(将来と希望を与える主)
tbic | 2024.01.15 | 推薦 1 | 閲覧数 61
tbic 2024.01.15 1 61
126
イザヤ書60:1-7(起きよ、光を放て。)
tbic | 2024.01.08 | 推薦 1 | 閲覧数 71
tbic 2024.01.08 1 71
125
ルカの福音書9:23(日々自分の十字架を負う)
tbic | 2023.12.31 | 推薦 1 | 閲覧数 65
tbic 2023.12.31 1 65
124
マタイの福音書1:18-23(イエス・キリストについての様々な証言)
tbic | 2023.12.24 | 推薦 1 | 閲覧数 67
tbic 2023.12.24 1 67

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