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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ヨハネの福音書20:31(信じるという言葉の意味)

投稿者
tbic
投稿日
2023-04-23 19:54
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229
ヨハネの福音書20:31「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じる(believe)ためであり、また信じて(believing)、イエスの名によっていのちを得るためである。」

今日のみことばをもう一度翻訳してみましょう。皆さんは新約聖書がギリシャ語で記録されていることは、もうご存知だと思います。しかしギリシャ語は英語や日本語とは異なります。ギリシャ語の動詞には独特な時制(テンス)があります。

このギリシャ語の独特な時制が英語や日本語の聖書に適用されていないのは悲劇です。もちろん、韓国語の聖書にも、その時制は適用されていません。私はその中でも特に致命的だと思ったのは、ギリシャ語の「現在進行形の時制」が適用されていないことです。つまり現在進行形というのは、あることを続けてやること、やり続けることです。

だからこの時制を英語で翻訳する時は「go on」、つまり日本語で翻訳する時は「継続、続ける」という言葉を入れなければなりません。例えば、マタイの福音書7:7に、「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」ですが、でもイエス様が実際におっしゃったみことばはこれです。「求め続けなさい。そうすれば与えられます。捜し続けなさい。そうすれば見つかります。たたき続けなさい。そうすれば開かれます。

ある人が私にこう言いました。「私は一回聖霊を求めましたが、何も起こりませんでした。」と。私は彼に言ったのです。「それはイエス様が続けて求めなさいとおっしゃったことです(ルカ11:13)。そうすれば(求め続ければ)天の父が求め続ける人たちに聖霊を下さらないはずがない。」と。現在進行形の時制です。そして、私たちが本当に何かを求めるのであれば、私たちはそれが与えられる時まで続けて求めるようになります。

昔、私の子どもたちは携帯電話を求めました。「パパ、携帯を買ってください」私は「うん、後で買ってあげる」と言ったのに、ずっと買ってあげなかったのです。もし彼らが「学校の友達、みんなが携帯を持っているよ」と続けて私に求めたのであれば、彼らはもっと早く携帯を持つようになったはずです。しかし求め続けなかったから、ずいぶん後で携帯を持つようになったのです。

ルカの福音書11章で、イエス様は言われました。「続けて聖霊を求めなさい。」と。文脈で見ますと、11:5-8に、「ある人が友達の家に行って、パンを求め続けました。」いつまでですか?「彼が起き上がって、願うものを与えるときまでです。」その文脈で見ても、11:13は、「聖霊を求め続けなさい。」という意味です。

そうしたら、今日の本文を正しく翻訳すれば、これです。「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じ続ける(believe)ためであり、また信じ続けて(believing)、イエスの名によっていのちを得るためである。」だから、ヨハネの福音書3:16も、こういうふうに変えなければなりません。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じ続ける者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持ち続けるためである。

皆さん、信仰は、「一回信じる」ことで終わりではなく、「信じ続ける」ことです。同じように、エペソ5:18にも同じ時制です。「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」つまり「御霊に満たされ続けなさい。」ということです。私たちを救い出す信仰は、続けて信じる信仰です。昨日まで持っていた信仰が今日私たちを救い出すことはできません。10年前に持った信仰が将来に皆さんを救い出すこともできません。ただ信仰は毎日信じ続けることであり、それが福音書の書かれた目的です。

ヨハネは、ヨハネの福音書で『あなたがたが「イエスは神の御子だ」と一回信じさせるためだ。』と書いていません。それは信じ続けることではありません。ヨハネの福音書は成熟したクリスチャンたちのために書かれた聖書ですが、彼らに信仰にしっかりと立ち続けるように、そしてイエス様を信じる信仰から決して離れないようにと。結局、「信じ続けて、いのちを持ち続けなさい。」ということが、ヨハネの福音書を書いた目的です。

また永遠のいのちは量的面と質的面、両方に全部あることを、ちゃんと覚えてください。つまり、永遠のいのちは永遠であることと同時に、豊かなものです。量的な形容詞と質的な形容詞が永遠のいのちです。それはただ長く生き続けることではなく、まことのいのちを質的に生き続けることです。アイランドの人々は挨拶するとき、こう言うそうです。「May you live all the days of your life!(あなたはあなたの人生を充分に生きるように!)

まさにこれが、イエス様が来られてなさったことです。イエス様は明確にその働きをするために来られました。だから私たちが私たちの人生を充分に生き、まことの人生を送るように、つまり豊かな人生を過ごせるように、イエス様は質的永遠のいのちを与えてくださいました。それを受け取るためには信じ続けなければなりません。真実な信仰の状態を維持し続けるということです。

それは10年前に一回信じたことで起こりません。私たちはその永遠のいのちを、今日自分のものにすることができるのですが、それは今日イエス様を信じ続けることによってです。私たちは明日も永遠のいのちを、自分のものにすることができます。しかし、それも明日自分が信じ続ける時だけです。こういうふうに私たちが信じ続けるのであれば、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持ち続けるようになります。(ヨハネの福音書3:16)

これはとても大切な真理です。なぜかというと、「一回だけ信じれば続けて(永遠に)救われる」という異端の主張があるからです。この代表的な異端は韓国にある救い(救援)派です。一回だけ信じれば永遠に救われるというのは、彼らの決まり文句ですが、新約聖書には出てこない真理です。しかし、多くの人々はその言葉に安住しています。数年前に自分の口でちゃんと告白したと。こういうふうに彼らはいつも数年前の話をしています。そうしながら、うその平安、うその安定感の中で過ごしています。

しかし皆さん、私を救い出す信仰は今日の私の信仰だけです。明日は、明日の私の信仰が私を救い出します。信じ続けること、その時、永遠のいのちを持ち続けるようになります。これがヨハネが書いたヨハネの福音書の中心テーマであり、ヨハネの福音書の目的です。

それでは「信じること」について、具体的に分かち合いたいと思います。ヨハネの福音書には信仰について三つの側面が出てきます。ヨハネの手紙も同じです。

信じる」という動詞はヨハネの福音書に98回出てきます。これは他の三つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ)を全部合わせても多い数です。マタイの福音書の特徴も「信仰」ですが、ヨハネの福音書よりは少ないです。ほとんど100回に渡ってヨハネは「信じること」について話しています。ヨハネは名詞の信仰(faith)を使わず、動詞の信仰(believing)を使いました。彼は名詞の信仰(faith)については、ほとんど言わなかったのです。いつも動詞のbelievingを使って、信仰を説明しています。なぜならば、信仰は何か「行動を起こすこと」だからです。

皆さん、信仰は行動することです。それは動詞であって、名詞の概念ではありません。それは私たちの中に何かあるのではなく、外に現れることです。だから、ヨハネは動詞のbelievingを使ったわけです。こういうふうに、ヨハネの福音書には「信仰」の三つの側面が出てきます。しかし不幸なことに今日の多くのクリスチャンは、この三つの側面を持っていません。そうしたら、信仰の三つの側面は何ですか?

一番目は、事実を信じる信仰です。

つまり信条、あるいは教理を信じる信仰です。もちろん、その事実は大切です。イエス様が十字架の上で死なれたこと、その事実を信じて、再びよみがえられた事実を信じることです。こういうふうに、ある歴史的事実を信じる信仰があります。これは、福音書が歴史的事実であることを信じることです。これを真理として信じるのです。しかし、これは救いをもたらす信仰ではありません。なぜならば、誰でも歴史的事実を信じると告白できるからです。

私は賛美歌を歌うオウム(インコ)を見たことがあります。私たちが歌っている「つみとがをにのう(いつくしみ深きともなるイエスは)」を、一節全部を歌えるのです。そこに訪問した人々は周りを見回しても鳥かごの中にいるオウムしかいません。だから彼らは喜びながら鳥かごの中にお金を入れるわけです。そうしたら、その飼い主はそのお金を集めて、アフリカにいる宣教師に、それを宣教費として送ります。そのオウムは普通の信者より、もっと素晴らしい働きをしていました。毎日神を賛美し、アフリカの宣教師を支援しているからです。もうすでに175ポンドを送ったそうです。

皆さん、よく考えてみてください。賛美をするのですが、オウムは信者ではありません。しかし、神の教会には大勢のオウムたちがいます。ただ唇だけで「私は信じます」と言っているだけです。何か信条(教理)を信じると言っていますが、その知識的な信仰は真実な信仰ではありません。それは信仰の出発点として、ただ真理を事実として受け入れるだけです。その真理は悪魔(サタン)さえも信じています。悪魔はそれを受け入れて、おののいているのです。しかしその知識を持っていても、本当に信じることではありません。だから本当に信じることは、最初にその真理を受け入れて、イエス様が言われたみことばと、その行ったすべての働きを事実として認めて、そして次の段階では誰を信じているのかという「信頼関係」へ移らなければなりません。

だから、二番目の信仰の側面は、信頼関係の信仰です。

「皆さん、私を信じる人は手を挙げてみてください!」あまりいないですね。そうしたら、今度は「私が今ここに、存在するという事実を信じる人は手を挙げてみてください!」こういうふうに言葉を変えたら、手を挙げる人が増えました。

皆さん、信頼関係の信仰は簡単ではありません。もちろん、「私がここに、存在することを信じること」は事実的信仰です。しかし「私を信じること(信頼関係の信仰)」は何か行動によって証明しなければなりません。例えば、皆さんが私を本当に信じるのであれば、何か大切なものを私に預けられるのです。その時、始めて皆さんが私を信じるのが証明されます。理解できますか?これが信頼関係の信仰です。

まさに「イエス様を信じる」と言うとき、これが「信仰」の意味です。つまり一番目、真理を受け入れること、この知識的信仰が一番目の段階です。二番目、イエス様を信頼し、その方に従うことによって、その方を信頼し、信じることを行動で見せなければなりません。もし皆さんが、イエス様が言われたことを行うのであれば、それは皆さんがイエス様を信頼しているという意味です。しかし、ここで終わりではありません。もう一つがあります。

それが三番目の信仰の側面ですが、冒頭で言ったように信じ続けることです。

信仰というのは、変わらず信じることです。ヨハネの福音書ではbelieveの現在進行形の時制で出てきます。つまり信じ続けることです。ギリシャ語もヘブライ語も、みんな信仰の「faith」と、真実さの「faithfulness」が同じ言葉です。言い換えれば、もし皆さんが誰かを信頼するのであれば、どんな事があっても皆さんは続けて彼を信頼することを意味します。もう一度言いますが、ギリシャ語もヘブライ語も、みんな信仰の「faith」と、真実さの「faithfulness」が同じ言葉です。つまり、誰かを信頼すると言ったら、どんな事があっても彼を信頼し続けるということです。こういうふうに、もし皆さんがまことの信仰によって真実になっているのであれば、皆さんは誰かを信じ続けるようになります。どんな事があっても、どんな代価を払っても、信じ続けるのです。これが信仰の三番目の側面です。

だから、信仰は1)真理を受け入れるだけでなく、2)真理を行って、3)真理を持ち続けることです。ヨハネの福音書8:31-32に、『そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

皆さん、持ち続けて従うことは生きた信仰の一つの側面です。その時、始めて「あなたがたはわたしの弟子となり、真理があなたがたを自由にする。」という人生を生きるようになります。なぜでしょうか?私たちは信仰を持っていても、破船する可能性があるからです。実際に多くの人々(クリスチャンたち)が破船しています。彼らは信仰を持っていたのですが、持ち続けることはできませんでした。

しかし愛する皆さん、皆さんはぜひ、信仰を持ち続けてください。これが永遠のいのちを得させるまことの信仰であり、この三つの側面を全部持たなければ、救いを得る正しい信仰、真の信仰ではありません。だから、1)真理を受け入れる「事実を信じる信仰」、2)真理を行う「信頼関係の信仰」、そして最後3)真理を持ち続けて耐え忍び、「信仰によって真実に生き続けること」、これがまさに、「本物の信仰」です。 結局、faith(信仰)と faithful(忠実)は同じ言葉だということです。

・自分は一回だけの信仰なのか、信じ続ける信仰なのか、正直に分かち合いましょう。
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